2010-2023 石巻・女川 震災前-被災後-復興過程

 東日本大震災から15年余りが経過しました。乗り鉄旅や仕事で東北には何度か出掛けていて、宮城県石巻や女川には震災を挟んで複数回訪問しています。このときの旅日誌は後日改めて公開していく予定ですが、このエリアの変遷をまとめて先行配信します。


石巻・女川を初めて訪れたのは平成5年(1993年)でした。このときは仙石線の103系列車を撮影したのみで、石巻や女川での撮影はしていませんでした。

平成22年(2010年)9月

震災半年前のこのときは三陸方面を旅行していて、その初日に石巻・女川に立ち寄っています。横須賀線列車で東京に出て、新幹線「こまち」で仙台入りしました。仙台の地下ホームから仙石線快速で石巻へ。この当時の仙石線は205系で、座席はロングシートですが、トイレやドアボタン設置などの改造がされていました。仙石線終点の石巻で石巻線に乗り換え。

キハ48形2両編成ワンマン運転の石巻線列車で女川へ。ワンマン対応のためか、貫通路が拡幅され、扉も無くしていたのが特徴。石巻を出てしばらくは内陸を通りますが、沢田から浦宿までの間は万石浦の入り江に沿ったルートです。線路は水面近くであり、静かな水面に小さな漁船や水鳥が佇んでいました。

終点の女川駅には、キハ40系車両が1両、きれいに保存されていました。隣接する温泉施設の休憩所だったそうです。駅舎はホームの突き当たりの低い位置にあり、階段を下がった所に改札がありました。

こちらが女川駅の駅舎。駅前には保健センターや郵便局等が並び、ちょっとした町並みになっていました。

駅舎の横には温泉公衆浴場があり、その前には無料の足湯がありました。折り返しの列車までの短時間利用して、この間に地元のおじいさんとつかの間の会話がはずみました。

平成23年(2011年)6月

東日本大震災の3カ月後に、業務応援で宮城県石巻市に2週間出張しました。

東北新幹線は4月29日に全線で運転再開していましたが、橋脚や路盤の補強工事中のため速度規制区間が多く、臨時ダイヤでの運転となっていて、3月5日にE5系で運転開始したばかりの最速達列車「はやぶさ」も他の列車と同様の減速運転のため、特急料金も「はやて」などと同額になっていました。

震災後、石巻を発着する鉄道は不通が続いていました。仙石線は5月28日に高城町まで運転再開していましたが、その先は被害が大きく、石巻までは代行バスでの連絡でした。石巻線の復旧が先行し、5月19日に小牛田・石巻間で運転再開していたので、鉄路で石巻に到達できるようになっていました。ただし、設備面の復旧は仮の状態で、鹿又・石巻間はスタフ閉塞でした。

石巻の駅舎は残存。しかし、震災時には駅前まで浸水していて、その痕跡が残っていました。

石巻駅構内には205系電車が留め置かれたままで、仙石線は不通のため全ての信号機が×印で封印されていました。

日和山に至る坂の中腹にあった石巻市役所が駅前のデパートだった建物に移転したのは震災の1年近く前の平成22年(2010年)3月後半のこと。市役所入口には災害対応の各種案内が貼られていました。建物本体は概ね無事だったものの、最上階の市民ホールは大きく損傷。津波で1mほど浸水して地下の電気室も被害を受けたため、業務再開まで時間を要したそうです。


市役所裏の歩道も液状化現象の被害が残っていました。

交差点の信号も回復しておらず、警察官が交通整理をしていました。

石巻の製紙工場は休止中。JR貨物の石巻港駅構内には瓦礫が残り、手つかずの状態に見えました。




石巻まで運転再開していた石巻線列車を石巻市役所駐車場から撮影。

石巻駅の少し女川寄りには津波で流された自動車が残っていました。



石巻から先の石巻線は不通だったので、代行バスで女川に行きました。
女川駅の駅舎や足湯は跡形も無く、エレベーターの残骸だけが残っていました。

この辺りにキハ40が保存されていた筈なのですが。見当たりません。

女川駅ホーム周辺は瓦礫が残ったままでした。



平成24年(2012年)7月

前回訪問から1年が経過し、仙石線の陸前小野・石巻間と、石巻線の石巻・渡波間で運転再開していました。ただし、陸前小野・石巻間では電化設備はまだ復旧しておらず、気動車での運転でした。



信号設備の復旧も途上で、スタフ閉塞。駅間の信号も一部未復旧でしたが、石巻の場内信号は点灯しています。
石巻駅の電車ホームにキハ110が停車している光景。背後の205系は電装設備が損傷して動けないとのこと。

石巻駅の出発信号機は概ね運用再開していました。平成23年6月の写真では×印だった信号も大部分が回復して点灯しています。


渡波まで復旧した石巻線。女川方には車止めが設置され、出発信号機は×印で封印されていました。

渡波の駅名標から女川方隣接の「万石浦」は消されていました。

このときは渡波で折り返しました。


石巻市役所裏側の歩道は補修されていました。


石巻の製紙工場は運用再開していましたが、貨物線の復旧工事は途上です。



石巻から仙石線列車と代行バスを乗り継いで仙台に戻りました。矢本で折り返し列車の行き先表示を確認する運転士の手にはスタフが握られています。



平成27年(2015年)9月

この年の3~5月に仙石線・石巻線が全線復旧し、5月下旬には仙石東北ラインの運転が始まったため、訪問しました。移転した野蒜駅に停車中の仙石東北ライン。

望遠レンズで海寄りの旧野蒜駅が見渡せました。

こちらが新・野蒜駅舎。周辺は開発中。


石巻駅の電車ホームに並ぶ仙石線205系電車と仙石東北ラインのHB210系ハイブリット気動車。


被災直後には震災対応の様々な張り紙があった市役所入口には御礼掲示。

石巻から、全線運転再開した石巻線で女川に向かいました。万石浦付近には防波堤が新設されていました。

このトンネルを抜けると女川。


線路は山側に僅かに短縮していました。温泉施設と一体の駅舎に改築されていました。

女川駅前には海辺に至る新たな商店街が整備中でした。


女川に入線する石巻線キハ110系



令和5年(2023年)11月

石巻市復興事業(基盤整備)の完結記念行事があり、石巻と女川を再訪しました。平成23年6月の出張時を思い出しながら、当時と同じ古川経由で石巻線に入り、一旦石巻を通り過ぎて女川に行きました。

駅舎正面には津波避難タワーが設置されていました。また、駅前商店街も完成していて、その海側には震災遺構が保存されていました。



女川駅周辺を散策後、石巻まで戻りました。石巻駅舎は震災前と変わらず。

石巻駅には貨物列車も発着していました。

石巻市内で行事に参加して宿に入った後で、石巻港駅方面を港の対岸から撮影。被災直後は工場の煙も灯りも無かったものが、元気に稼働しています。


写真は不鮮明ですが、翌朝には石巻港駅からの貨物線を走る列車も見ることが出来ました。


石巻駅の跨線橋から望む仙台方。出発信号機の×印は無くなり、すべて点灯しているところを、仙石線205系が出発していました。



日和山からの石巻市内

最後に、鉄道設備ではありませんが、石巻市街を展望できる日和山からの、平成23年(2011年)6月と令和5年(2023年)11月の対比画像を掲載します。公園には、現在と比較できるように被災前の写真が展示されていました。

平成23年6月の中瀬公園


令和5年11月の中瀬公園



平成23年6月の門脇町・南浜方面



令和5年11月の門脇町・南浜方面



平成23年6月の石巻市民病院方面



令和5年11月の元石巻市民病院方面



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