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12月, 2023の投稿を表示しています

1995年3月 江ノ電

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 近くの江ノ電沿線を撮影したときのものです。 今は異様に賑わっている鎌倉高校前も、この頃は静かでした。 目次へ

1995年1月 秩父鉄道タブレット

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 一眼レフカメラを購入して初めて出かけたのが秩父鉄道。 影森・三峰口間で廃止間際のタブレット交換を撮影してきました。 秩父鉄道の通過駅では、列車にタブレットを渡す「授器」は可搬式で、列車が通過する時だけ設置されていました。 また、通過列車がここまでのタブレットを返す「受器」は無く、駅長が手でキャッチしていました。秩父鉄道のタブレット区間では通過信号機は設置されていませんでした。駅の入口の場内信号を通った後、ホーム上で駅長が手旗で示す「通過手信号」を確認してタブレットを準備。 駅長は手旗を引っ込めたらタブレットを受け取るために腕を出し、乗務員は時速20kmくらいで走行しながら駅長の腕にタブレットを投げ込みます。   武州日野駅では駅事務室内も撮影させてくれました。この撮影の少し前までは腕木式信号機もあったですが、この頃は色灯化されていました。 タブレット区間の入口だった影森では通過列車にタブレットを手で渡していました。 目次へ

1994年7~8月 北海道 6~7日目 ー 北海道ちほく高原鉄道、はまなす、白鳥

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 旅の終盤では、北海道ちほく高原鉄道に乗車。札幌で土産物を購入してから、急行「はまなす」、特急「白鳥」、2階建新幹線の「Maxとき」と乗り継いで帰宅しました。

1994年7~8月 北海道 4~5日目 ー 深名線、石北本線、知床

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急行「利尻」のキックターンで夜を明かした後、廃止1年前の深名線に乗車しました。 名寄から旭川に回り、常紋信号所に停車する臨時特急に網走まで行き、原生花園を見学して斜里に泊まりました。翌日は知床半島を観光しました。 

1994年7~8月 北海道 3日目 ー C62ニセコ

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 この日は函館を出発して、長万部から函館本線のいわゆる「山線」に入り、ニセコからC62ニセコに乗車しました。夜になってから札沼線に新十津川から乗車しましたが、こちらはあまり写真が残っていません。 

1994年7~8月 北海道 1~2日目 ー 特急はくつる、江差線

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 就職してから最初の長期旅行は北海道でした。寝台特急「はくつる」の座席利用(後の寝台列車に登場するゴロンとシートやカーペットシートと異なり普通にボックス席に座って移動)で出発し、大型蒸機のC62で運行されていたSLニセコ号に乗車。現在では廃線となった江差線や深名線、北海道ちほく高原鉄道などに乗車しました。帰路は急行「はまなす」から長距離運行が残っていた特急「白鳥」に乗り継ぎました。  この旅行以降、一人旅のときには乗り継いだ列車の記録と旅日記を合わせて大学ノートに記録していて、後年にデジタル化しました。

1994年5月 SL八高号とタブレット

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 平成6年(1994年)5月29日、JR八高線のタブレット閉塞が廃止されるのを前に、D51 498牽引の旧型客車による「SL八高号」の運行があり、沿線は撮影者で大賑わいでした。 目次へ

1994年3月 銚子電気鉄道

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 平成6年(1994年)春休みの終わりに、銚子電気鉄道を訪問しました。 旅日記はつけていませんでしたが、現在は走っていない車両を撮っていたので掲載します。 この時は、外川まで往復した後、仲ノ町の車庫を見学しました。 笠上黒生での通票交換 外川駅 仲ノ町の車庫 目次へ