投稿

1月, 2024の投稿を表示しています

1996年8月 北陸(後半)-白川郷、越美北線、金沢、神岡鉄道、ムーンライトながら

イメージ
 旅の後半は、白川郷から長良川鉄道に抜け、JRバスで連絡していたルートで九頭竜湖に回り越美北線に乗車。金沢に宿泊して市内観光の後、神岡鉄道に乗車して高山本線回りで再び岐阜県側に出て、「ムーンライトながら」で帰京しました。 

1996年8月 北陸(前半)- 急行「能登」、京福電気鉄道、のと鉄道(蛸島・輪島)、白川郷

イメージ
 令和6年(2024年)元日に発生した「令和6年能登半島地震」で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様にお見舞い申し上げます。  この記事の公開時点で、能登半島地震から1か月近く経過しました。被害の様子が連日報じられているものの、この記事で訪れた各地がどうなっているのか、心配でなりません。鉄道は1月22日に七尾まで運転再開し、能登中島までは2月中旬頃の運転再開を目指しているとのことですが、七能登中島・穴水間の開通時期は1月末時点で未確定です。また、道路網や水道などのライフラインも各所で寸断しています。  被災地の皆様の暮らしが一日も早く回復することを祈念いたします。  令和6年能登半島地震被災直前ののと鉄道は和倉温泉・穴水間に縮小されていましたが、平成8年当時は和倉温泉・輪島間と穴水・蛸島間で、のと鉄道の営業区間が最大でした。  この旅行前半は、489系電車で運転されていた夜行急行「能登」で北陸入りし、雨晴、東尋坊・京福電気鉄道に寄ってからJR・のと鉄道の七尾線・能登線を経由して能登半島先端の狼煙で宿泊。翌朝は木ノ浦回りで輪島へ。七尾線で金沢に戻り、城端線からバスに乗り継いで、白川郷に宿泊しました。

1996年4月 秋田 - ビュー日光、秋田リレー号

イメージ
 平成8年のゴールデンウィーク前半に、大学鉄研の同期と秋田方面に出掛けました。  会社の配属で栃木県宇都宮市に住んでいた同期の車に同乗するため、宇都宮までは臨時特急「ビュー日光号」、宇都宮からは車に同乗して秋田県へ。当時は秋田新幹線の工事で運休中だった田沢湖線の代替で運転されていた「秋田リレー号」の走る北上線沿線で撮影して湯田温泉泊まり。翌日は寒風山をドライブしてから男鹿線を往復して秋田泊まり。翌日は大曲まで送ってもらって、「秋田リレー号」から北上乗換で帰りました。  旅日記は付けていないので、写真のみ掲載します。 平成8年(1996年)4月27日(土) ◎東逗子 624→643 大船 東京行604S ◎大船 654→912 宇都宮 ビュー日光 日光行 特急9040M→9041M 251系10両編成  最後部の10号車から後方展望を満喫しました。  この頃は横須賀線に113系も健在でした。  東北線内で上り寝台特急「北斗星」とすれ違い。この当時「北斗星」は毎日3往復の運転でした。 宇都宮で同期と合流して、ここから車移動。 北上線沿線で撮影しました。   この日はほっとゆだ近くの湯川温泉「ふる里」に宿泊。 平成8年(1996年)4月28日(日) まずは寒風山に向かいました。 JR男鹿線の途中駅である脇本で降ろしてもらって、一時別行動で男鹿線に乗車。 ◎脇本 1731→1743 男鹿 男鹿行1141D ◎男鹿 1744→1841 秋田 秋田行1148D 男鹿ではすぐの折り返しだったので、駅前を散歩する時間も無く、同じホーム反対側の列車に乗って車内精算。 この日は秋田泊まり。 平成8年(1996年)4月29日(月祝)  朝食後、大曲駅まで送って貰い、ここから「秋田リレー号」で帰路に就きました。 ◎大曲 1048→1206 北上 秋田リレー8号 北上行特急3008D  ◎北上 1228→1326 仙台 やまびこ42号 東京行 ◎仙台 1408→1614 上野 やまびこ68号 上野行(季節運転)   目次へ

1996年2月 長野旅行(後半)-善光寺、明知鉄道、名鉄軌道線とパノラマカー、遠州鉄道、天浜線、急行「東海」

イメージ
 旅の後半は善行寺詣りをしたあと中央西線回りで、明知鉄道や名鉄線、遠州鉄道や天竜浜名湖鉄道などに寄りながら、急行「東海」で帰宅しました。この頃の特急「しなの」は381系が健在でした。明知鉄道には通票閉塞が、名鉄には岐阜市内を中心に軌道区間が残っていました。

1996年2月長野旅行(前半)ー 越後線、飯山線、長野電鉄、長野駅旧駅舎

イメージ
 この旅行では、新潟・長野両県の雪景色を楽しめる路線を乗り継ぎ、中央西線経由で東海地方にも立ち寄りました。前半は信越本線経由で新潟県に入り、豪雪地帯の飯山線をはじめ、越後線の未乗区間をつぶし、長野電鉄を乗り歩きました。

1995年9~10月 身延線 急行「富士川」最終日と特急「ふじかわ」初日

イメージ
平成7年(1995年)10月1日のダイヤ改正で身延線の急行「富士川」が特急「ふじかわ」に昇格しました。  職場の先輩のお誘いを受け、9月30日の運行最終日に急行「富士川」に静岡から甲府まで乗車。甲府で1泊して10月1日に運行初日の特急「ふじかわ」に甲府から静岡まで乗車しました。このときは旅日記をつけていないので、写真のみ公開します。 平成7年(1995年)9月30日の急行「富士川」 甲府到着後は定期観光バスで恵林寺などを観光。 平成7年(1995年)10月1日11:31発 特急「ふじかわ6号」 目次へ

1995年9月 房総・飯田線 ー 小湊鉄道、いすみ鉄道、飯田線、佐久間レールパーク

イメージ
 中央夜行の車中泊を挟んで、房総半島のローカル線とJR飯田線という異色の組み合わせて旅したときの記録です。 当時、飯田線の中部天竜駅構内にあった「佐久間レールパーク」を見学しました。 平成7(1995年)年9月1日(金) ◎ 東逗子 1405→1423 久里浜 久里浜行 1425H   113 系 4 両編成 先頭=増 1 号車=クハ 111-1373  出発準備遅れのため、当初の予定より 25 分後の出発。東逗子で 18 きっぷに日付印と入鋏印を貰う。 4 両編成の列車は座席の 70% 強が埋まる混み具合だが、横須賀でかなり空き、ボックス占拠。横須賀手前では軍艦が多数見える。久里浜には定時着。   ◎ 久里浜駅 1430 頃 → 久里浜港(フェリー)タクシー 横浜 55 を 4657 みかさ交通  \890  バス乗場は京急駅の反対側らしく、船との接続もギリギリなので、タクシーに乗車。JR駅前のタクシー乗場には車が列を作っており、すぐに乗れる。途中で長い信号待ちがあったが、 7 分程で到着。   ◎ 久里浜港 1445→1520 金谷港 金谷行フェリー しらはま丸(住友重機)  定時に出港。2階客室の乗客は 20 名くらい。1階はもう少し少ないと思われる。室内の座席定員は 432 名のため、混雑率は 10% 程。とても空いている。出港直後にテープアナウンス。しばらくして肉声の放送もあり。  売店・カフェテリアが営業中だが、客が少なく、暇そうである。アメリカンドックと茶を購入。進行方向右窓側最前列のボックス席で食べる。船は出航時に少し振動した以外は、ディーゼルエンジンのうなりも小さい。   1458 に、くりはま丸とすれ違う。両方向の航路はかなり近く、すれ違う時の距離は 20 ~ 40m くらいと思われた。東京湾の入口を横切る航路のため、他にも多数の艦船が見られる。金谷入港間近の 1515 には、かなや丸とすれ違った。千葉県側では多少波が高いようだが、あまり差はない。金谷港内の狭い水域で器用に回頭し、 1524 に着岸した旨のアナウンスがあり、下船する。  改札で切符を渡し、土産物が並ぶターミナルを通り抜ける。 ◎ 浜金谷 1540→1648 五井 千葉行 2128M  113 系 4 両編成 先頭 1 号車=クハ