1996年2月 長野旅行(後半)-善光寺、明知鉄道、名鉄軌道線とパノラマカー、遠州鉄道、天浜線、急行「東海」

 旅の後半は善行寺詣りをしたあと中央西線回りで、明知鉄道や名鉄線、遠州鉄道や天竜浜名湖鉄道などに寄りながら、急行「東海」で帰宅しました。この頃の特急「しなの」は381系が健在でした。明知鉄道には通票閉塞が、名鉄には岐阜市内を中心に軌道区間が残っていました。


平成8年(1996年)2月26日(月)

 520頃起床。缶コーヒーを買って来て、カロリーメイトで朝食。準備を済ませた545頃、守衛室から電話あり。5時過ぎに出発予定と伝わっていたようで、時間は大丈夫ですか?という内容。「もうすぐ出発」と伝えて切る。寝過ごしを防止する上で気の利いたサービスだ。550頃、守衛にカギを返し、(正面出入口は700からのため)通用口から出る。

 起床時に外は真っ暗だったが、外へ出た頃には少し明るくなりかけていた。人通りのほとんど無い道を善光寺へ。昨夜の雪は、大体5mm1cm、一部2cm程度が歩道に積もっている。所々に雪の全く無い部分がある。下から暖める仕組みが備わっているようだ。

 県庁前交差点で右折。大通りに出て左折。こちらは少し人通りがある。善光寺大門近くの歩道は工事中のため歩きにくい。大門あたりから撮影。610620頃の時点でまだ完全には明るくなっていないので、三脚を使用する。散歩や参拝の人はごく疎ら。売店はもう開いている。



 本堂まで来たのは630近く。住職の出仕まで25分くらいあるので、内陣を参拝することにした。参拝券を購入し、正面で参拝してから、地下の「お戒壇めぐり」に入る。暗闇の中を手探りで進み、「極楽のお錠前」に触れて戻ってくるもの。下りて行くと本当に真っ暗である。右側の壁の腰の高さを探りながら進むようにと入口に書かれているので、その通りに進む。途中、通路は2回右折し、外からの光もまったく入ってこない。前後に人がいないので、本当に不安な感じがする。かなり進んでようやく右手に金具のような感触がある。錠というよりも、大きめのドアのD型の把手のような感じである。これがその錠前なのか分からないが、ガチャガチャ動かしてみた。その先も手探りで進むと間もなく出口。階段を上って内陣に出て、預けてあった荷物を出口で受け取る。

 建物の外に出て、境内を回る。間もなく654。重職(上人)の出仕時刻。参道に警備の人が2、3人出てくる。上人他数名が駅に向かって右手の方向から曲がって来て門を通る。居合わせた数人が側に座り、手を合わせると、住職が数珠で頭を触れながら通る。

 その後、売店に寄る。先程触れた錠前を型取ったお守りがあり、それを購入。先程暗闇で触れたものと同じ型のようだ。

 参道を駅に戻る。参道の店は多くがまだ閉まっているが、2つ程が開いていた。大通りへ出ると、ちょうど通学時間帯で、小学生が通って行く。そのまま大通りを駅に向かう。

途中、720頃に西光寺に寄る。名物の絵解きは9時かららしい。駅には745頃着。仏閣型駅舎を撮影。これは北陸新幹線開業時には建替えられてしまうらしい。

1996年改築前の仏閣型駅舎


 土産を買い足して改札を通る。

 

長野 806→1029 中津川 しなの4号 名古屋行L特急1004M  3816両編成 先頭6号車=クハ381-4

 駅構内は中央跨線橋改修工事中のため、視界が悪い。

 6番線に停車中の「しなの4号」に乗車。755時点で既に7割以上の席が埋まっている。何とか通路側の席を確保。定刻に長野発車。車内検札が、よりによって姨捨通過中に通る。従って景色の撮影の機を逃してしまった。

 明科付近から、安曇野方面の景色が広がる。姨捨ほどではないが、晴れていればかなり良い眺めに違いない。

 松本や塩尻での乗客の入れ替わりが多い。「あさま」と異なり、短区間の利用者が多いようだ。その多くは「あずさ」に乗り換えるのかも知れない。しかし、乗ってくる人の方が多く、塩尻でちょうど満席。

 木曽路を名古屋方面へ向かい、木曽福島でJR東海の検札。その後デッキに出て、上松を過ぎたところにある「寝覚めの床」を撮る。

木曽福島で隣の人が下車したので、窓側に移る。窓は通常のカーテンではなく、いわゆる「ベネチアン・ウィンドウ」。

二重窓に内蔵されているジャバラ状のカーテンが、窓枠にある把手を回すと上下する仕組み。381系や583系に使用されたが、その後、普通のカーテンに改造されたものが多く、今では珍しい存在と言える。

 中央西線には単線区間が多いため、運転停車が今まで乗った特急の中で特に多い。運転停車ですれ違う列車は特急とは限らず、普通列車を待つこともあった。例えば野尻では1006から1009まで3分停車し、下り「しなの」の通過を待った。

 中津川には定時到着し、駅前を散歩。 


中津川 1054→1105 恵那 名古屋行快速3732M  2114両編成 先頭=クハ210-5307

 中津川を出ると、もう雪は疎らにしか見られない。先頭車の乗客は4名。恵那までロングシートの最前席を占める。

 

恵那 1123→1214 明智 明智行9D  アケチ2「あぎがわダム号」単行ワンマン

 JR恵那駅は自動改札。初めてJR東海の自動改札を使う。塩尻方にある明知鉄道の駅に入る。出札窓口では硬券を売っているが、50度数テレカとセットになった割引片道乗車券を1,000円で売っていたので、こちらを買った。テレカ500円相当に片道運賃が550円だから、50円の割引だ。テレカの袋の部分が乗車券になっている。下車時に申し出れば「済」印を押して袋も貰えるとのこと。

 1118に単行のレールバスが入線し、明智方面からの乗客と入れ替わりに乗車。運転士はスタフを持って移動。

乗車率は到着時と折返し時のいずれも50%を超え、なかなか良い営業成績と見える。恵那発車時には昔ながらのベルが鳴る。発車後、間もなく33パーミルの上り急勾配に入り、新型レールバスの甲高いエンジン音を響かせながらゆっくりと登る。

 飯沼駅は、その33パーミルの途中にあり、日本一急勾配の駅らしい。停車している時も体が傾く感じがあり、発車の際も大義そうである。この辺りから線路面上に雪が見られるようになった。阿木は、かつては交換駅だったようだ。現在も線路やホームが残っているので、使うこともあるのかも知れないが、線路の錆が目立ち、信号は撤去され、信号機のあったポールだけが残っている。

 岩村は現役の交換駅で腕木式信号機が現存している。ここでタブレットを交換。岩村から先は勾配が緩やかになり、逆に下り坂になるところもある。周囲に田畑らしき土地が広がるが、恵那よりは山岳部にあるため、今は残雪の下だ。

 途中駅で少しずつ下車客があったが、終点の2つ手前の山岡での下車が特に多く、明智到着時の乗客は5名。


 明智駅前で記念撮影後、「日本大正村」を散歩。現在の明智町役場、逓信資料館、大正村役場を見物。「村長」になった高峰三枝子関係の写真等が多い。大正路地を散歩して駅に戻る。有料の資料館は、結局、外から眺めただけ。



明智 1327→1418 恵那 恵那行14D  アケチ3「しろやま号」

 帰路の3号も、2号と同型式の車両。急勾配を上下する。空はかなり晴れてきた。

 岩村ではタブレット交換を撮る。終点の恵那で下車。切符は貰えた。 


恵那 1445→1511 多治見 名古屋行 快速3746M 2114両編成 先頭=クハ210-5314

 恵那駅近くに五平餅の店があったが、月曜休業。代わりに駅でハンバーガーを買う。先頭車の乗客は恵那発車時で10名(1520%相当)。

  

多治見 1522→1548 美濃太田 (太多線経由)岐阜行455C キハ112両編成 先頭=キハ11 104

 乗車率70%くらい。昼の時間帯にしては良いほうだと思う。学校帰りと思われる人も数人いる。沿線には田畑の中に住宅が疎らに建ち、所々に大型スーパーのようなものが散らばっていて、新興開発地域といったところ。

 

美濃太田 1600→1629頃 美濃市 湯の洞温泉行121 ナガラ7単行ワンマン

 一度JRの改札を出てから切符を買って入り直す。長良川鉄道は5番線から発車。ホームでも切符を売っており、こちらは硬券。早まった。

 乗車率は95100%で、ほぼ満席。およそ半数は高校くらいの通学生。長良川鉄道の車両は、運転席が中央にあることが特徴的。運転席の両側が乗降口で、客室面積を多く取るためと想像する。そういえば南部縦貫鉄道のレールバスも中央運転台だった。

 途中での下車客が多く、乗って来る人は少ない。関発車時点での乗客は8名で、混雑率は15%程度といったところか。美濃市の近くから、やや山間部に入る。美濃市は、時刻表では1640だが、これは発時刻で、前駅の時刻から推定すると、1629頃になると思われる。 


美濃 1655→1710頃 新関 新関行 普通 路面型591単行ワンマン(昭32日車)

 長良川鉄道の美濃市駅から名鉄の美濃駅までは約200m。市役所や古い街道は更に先にあるので行かない。名鉄の広報等を漁る。切符売場で「豊橋まで」と言うと、少し驚いた様子で「有り難うございます」。ついでに「入場券いらんかね」と言われるが、止めておく。発車時刻が近づくにつれ、乗って来る人は増える。定刻より1分遅れの1656に発車した時には、乗車率は110%くらいで、その過半数は高校生。

 運転手は、タブレットを2つ束ねたものを持って乗車。タブレットキャリア2つのうち、1つは玉を入れる部分が三角で、もう1つは一般と同じ、角を取った四角形。閉塞区間を統合しているものと思われ、2つ目の神光寺では、交換駅なのに駅員はなく、通票交換もしない。

 車両は古めかしい路面タイプで、釣掛け音で走る。神光寺から再び多数の乗客(そのほとんどは高校生らしい)があり、乗車率は160170%くらいになる。新関に近づくと、半分併用軌道のような、やがて完全な併用軌道になり、信号停車をしたり、タイフォンをしきりに鳴らしながら進む。

 新関には1710着。駅員が持っていたタブレットキャリアを見ると、金属の玉は入っておらず、単に閉塞区間名が、○△□型にくりぬかれた窓の中に赤文字で書かれている。どうやら、これはスタフの変種のようである。


新関 1715→1809頃 新岐阜 新岐阜行 882,883連接車 先頭(岐阜方)=882(カルダン駆動)2人乗務

 新関から先も、同様のスタフを持って運行。乗換後の車両は、新しい2両連接車。満席に近い。籐細工の行商らしいおばさんが3人くらい乗っている。電車は一応専用軌道を走っているが、一般道路との交差がとても多いので、その都度タイフォンを鳴らしながら徐行して通る。途中、幾つかの停留所で通票交換。岐阜に近づくと、徹明町行の電車のすぐ後ろを追いかける続行運転になった。しかも路面上である。

 だんだんと日が暮れてきた。岐阜市内のネオンの明かりが増える。競輪場前の手前で、徹明町行と分かれた。競輪場前発車後に検札。車掌が大きな声で「ご面倒おかけします!乗車券の拝見にご協力お願いします!」と叫ぶので、一斉に乗車券や定期券を見せる。市之坪から完全な専用線に入り、色灯式信号も現れた。田神で、犬山方面からの線と合流。ホームは停止位置により高さが2段となって、鉄道線と軌道線の車両の高さに合わせている。新岐阜には1809着。 


新岐阜 1838→1957 豊橋 豊橋行 特急190(一部指定) 1000? 8両編成 先頭1号車=1133

 豊橋行の次の特急は1823発。改札内の指定券売場には、パノラマ席を希望の場合は申し出てくださいとの張り紙があるので、その旨を伝える。1823発は4列目しかないと言う。では、次のは?と聞くと1838発で、最前列1A席が出た。発車まで20分近くあるので、立食い蕎麦を食べる。食べ終わると既に3番線に入線していて、終端式ホームの一番先まで歩いて1号車に乗る。

 パノラマ席には、他に誰もいないので記念撮影をする。発車しても誰も来ず、定員20名のパノラマ席の室内は貸切状態。新一宮発車後に車掌が検札に来ただけ。頭上からは、運転士の確認喚呼の声がよく通り、すがすがしい。運転士たるもの、こうでなければ。

 1905新名古屋停車。新名古屋の少し前から地下に入り、出発後すぐに地上に出る。新名古屋は僅か2面3線のホームで大ターミナル並の列車をさばく過密駅。帰宅ラッシュの時間のせいもあるが、ホーム一杯に人が並んでおり、1人だけの貸切状態なので、その視線が気になった。ここまで貸切状態だったパノラマ席は、いきなり6割以上の席が埋まる。

 神宮前で運転士交代。今度の運転士は先程の人より声が小さいが、きちんと確認しているようだ。神宮前発車後、もう一度検札。

 岐阜発車時点で既に外は暗く、他の車両や信号などの灯が流れていく感じが良い。座席は回転リクライニング。通路を含む床全体がカーペット敷き。

 神宮前で最大だった乗客数も、岡崎などで少しずつ減り、豊橋到着時には3人になっていた。豊橋到着前に、車掌が指定券を回収しに巡回するが、記念に欲しいと言ったら貰えた。豊橋に1957着。


豊橋 2002→2033 浜松 浜松行942M  2113両編成 先頭=クモハ211-5616

 8割強の乗車率。外は真っ暗だが、弁天島付近では、ライトアップされた鳥居が海側に見えた。

 終点の浜松で下車。ウナギの店を探すが、手頃なのは見当たらない。遠州鉄道の乗り場を下見してから、ロッテリアで夕食。

 

宿泊:カプセルイン浜松

 浜松駅南西側のビルの9階にあるカプセルホテルにチェックイン。料金の2,900円を先に払う。部屋番号と同じ番号の下駄箱に靴を入れてスリッパに履き替え、下駄箱の鍵を預ける。

 外出の門限は2430。翌朝のチェックアウトは0530からなので、遠鉄の始発に間に合う。

 

平成8年(1996年)2月27日(火)

新浜松 608→640 西鹿島 西鹿島行 普通 2両編成 先頭=1504

 520起床。530頃チェックアウト。鍵を返すと代わりに靴箱の鍵を渡され、靴を履いてからその鍵を返す。1階に降りて外に出ると雨だった。

 JR駅の駅弁屋を覗くが、うなぎ飯しかないようなので買わず、少し離れた新浜松駅へ。遠鉄のプリペイドカードであるETカードが展示されている。切符を買って2番線ホームへ上がる。高架駅で、券売機等は2階相当、ホームは3階相当にある。改札には新聞の速報版のようなものが張ってあり、汚職事件で沿線の浜北市の市長逮捕のニュースを表示している。

 下り始発の乗客は10人前後で空いている。電車は出発後しばらく高架を走る。駅のETカードには「高架10周年」というのがあった。八幡・助信間で地上に下り、踏切を多く通るようになるが、一部にはかなり昔のものと思われる「チリン チリン」という感じの音のものもある。中間の積志あたりから外が明るくなり始めた。

 西鹿島に到着後、遠鉄線では朝のラッシュのために車両を4両に増結している。正面2枚窓の湘南電車型で釣掛駆動の車両もある。ホームが短いが、非扱装置は無いようで、ホームからはみ出した部分のドアも開いていた。

 

西鹿島 702→806 掛川 掛川行普通112(レールバス) 単行→2両編成 後車=TH113

 天竜浜名湖線の乗車券は券売機で売っているが、窓口(遠鉄と共通)で硬券が買える。改札も遠鉄と共通。地下道を通って3番線が天浜線の乗り場。天浜線ホームは1面1線だけである。

 天浜線のレールバスは単行でやってきた。通勤・通学客で40%くらいの席が埋まる。

 遠江二俣で10分停車し、掛川方の前寄りにTH118を1両増結。増結後、案内テープ・運賃表示等のワンマン設備に不具合があり、自動放送や整理券発行が混乱する。増結しているが、貫通路はつなげずに閉鎖したまま。後部車両にも乗務員が乗り、主に運賃収受・切符回収をしている。

 通学客を中心に乗客が増え、原谷で立客がでる。掛川で下車。切符を貰う。50Nレールの文鎮を買った。

 

掛川 842→927 静岡 静岡行438M  1134両編成 先頭=クハ111-140

 文鎮を買ったりしていたので、816発には乗れない。安倍川あたりで「さくら」を撮る予定だったが、ここで通過するのを撮ることにする。本線は2番線なので反対側の1番線に回って待つこと暫し、829-30頃に通過。

 2・3番線ホームにはポイント扱所があり、駅員がパネル上のポイントスイッチを動かす仕組。CTCではないようだ。

 上り電車は、通勤通学時間が終わりかけているものの、まだ混んでいて立客多い。静岡到着時には満員になっていた。

 駅近くを散歩するが、特に目ぼしいものはない。徳川家康の像がある公園までは歩くと少し遠いし、荷物が重い。しばらく歩いて駅に戻り、うなぎ飯を買う。

 

静岡 1029→1231 横浜 東海2号 東京行 急行 1658両編成 先頭=クハ165-135

 ホームで写真を撮る人が多い。乗降口+サボの前は、撮影の順番を待った。

 車内は30%程度の乗車率。清水を過ぎて検札。清水で下車する場合には駅のホームで急行券を回収するとの車内放送。短区間での料金徴収漏れを防止するためか。続く放送で「オレンジカードあり」の話があるが、どのようなものか分からない。特に言わないというのは、一般的なものしかないということだろうか。「東海」図柄のものは昨年秋に買ったのがあるので、無ければそれでもよいが。 

 発車直後に鰻飯と安倍川餅で遅めの朝食。

 乗客は少し増えたが、熱海発車時の乗車率は40%くらい。とても眠い。

 熱海・小田原間で、急行と知らずに乗ってきたおばあさんたち(放送ではしつこいくらい急行料金が必要なことを言っていたのだが)がガヤガヤと降りて行った。客の出入は少しずつある。一度乗り込んでから、急行と聞いて慌てて下りていく人も多い。確かに車両の色は普通列車と同じだが。

 保土ケ谷付近で車掌が来たので、オレカは無いか聞くが、記念カードはやはり3月1日からとのこと。気が向いたらどこかで買おう。学生時代に何度かお世話になった急行「東海」も、もしかすると乗り納めかも知れないが、できればもう一度くらい写真を撮りに来よう。

 横浜で下車。駅ビル内を回った後、横浜ルミネ7階の紅茶屋で、紅茶とスコーンを注文して一休み。

 

横浜 1337→1341 保土ケ谷 逗子行1269S  11315両編成 14両目10号車=モハ113-1095

 東海3号の写真を撮るため、保土ケ谷まで行く。保土ケ谷には既に先客あり。東海3号通過までに、5人くらいになる。


保土ケ谷 1406→1438 東逗子 久里浜行1315S  11315→11両編成(逗子切り離し)11号車=クハ111-1087

 車内は空いている。10%未満の乗車率。駅ビル内が暑かったので、車内の空気が心地よい。

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