1994年7~8月 北海道 4~5日目 ー 深名線、石北本線、知床

急行「利尻」のキックターンで夜を明かした後、廃止1年前の深名線に乗車しました。

名寄から旭川に回り、常紋信号所に停車する臨時特急に網走まで行き、原生花園を見学して斜里に泊まりました。翌日は知床半島を観光しました。 


平成6年(1994年)8月1日(月)

◎士別 221→406深川  「利尻」札幌行 急行312D  キハ400+14系寝台+キハ565両編成 最後6号車=キハ56-143

やはり下りと同様にキハ561両増結していて、ここで空きボックスを1つだけ見つけて占拠。半分眠りながら深川に向かう。

旭川を出てしばらくすると外が明るくなってくる。朝霧の中に神威古潭の下流らしき景色が流れる。深川では2名下車。この時間でも駅員がいて、下車印を押してもらった。

待合室には10名分前後の荷物がある。椅子の上で寝ている人もいる。この駅の待合室はどうやら24時間使えるようだ。駅前通りを少し歩くと右手にLawsonがある。カップ麺(お湯付き)と飲料を購入。店員は2名勤務で、客が出入りする毎に大きな声で挨拶をかけてくれて感じが良い。駅前でカップ麺を食する。

 

◎深川 510→651朱鞠内  名寄行5721D  キハ533両編成(ただし後2両は締切回送扱い)先頭=キハ53 507

早朝なのに乗る人は多い。深川からの乗車は20±2名で、過半数がマニアらしき面々。列車は3両編成だが、客扱いは先頭車のみ。2両目では、これから出勤らしい職員が缶飲料を並べて談笑していた。3両目は消灯されて無人。

510に列車はタブレットを携えて発車。深名線を行く。前半は通過駅も多い。最初の停車駅である多度志では乗降客なし。鷹泊では1名下車。その駅手前では雨竜川が見える。戦時中の鷹泊砂白金採取所はこの辺りか?鷹泊を出ると間もなく、列車は急勾配を登る。幌加内峠であろう。登り始めは、左下に農家の点在する田園風景が眺望できたが、だんだん山深くなる。エンジン音を響かせて長いトンネルを抜けて、幌加内町に入る。やや霧がかっている。





幌加内3分停車。その間に後ろ1両を切離し、タブレット交換が行われる。幌加内ではオレンジカードや青春18切符の販売をしており、オレンジカード購入者には到達証明をくれるとのこと。時間がないので、下車印だけ貰う。幌加内駅前は閑散としているが、周辺に農家が多数点在する。幌加内では少し乗降があり、車内の乗客は1520名程度になった。

上幌加内はホームが半両分しかなく、1両目の後部ドアだけにかかる。前半分は踏切の上に停車しており、規模は違うが東急大井町線の駅みたいだ。政和、添牛内を過ぎて、次は朱鞠内になる。朱鞠内の1つ手前に共栄を通過したが、周囲に人家は見えなかった。

 




朱鞠内で下車。名寄行が出て行ってから改札を出て下車印を貰い、オレンジカードと入場券のセットを購入。これには台紙兼来駅証明書が付いている。青春18切符は、大変遺憾なことに売り切れだった。


駅周辺を散歩した後、朱鞠内湖まで散歩に行く。リュックは駅の待合室の椅子に置き、黒いバッグに少量のものを入れて行く。その荷物量でも結構重く、上り坂もあり、湖畔駅まで30分近くかかった。道路も鉄道と比べて大回りになっている。そこから展望台まで更に10分登る。



展望台敷地には慰霊塔と益谷衆議院議長の像。後者は名寄-朱鞠内-羽幌鉄道工事再開に貢献した人で、起工式のあった昭和37年の年号で建立されている。その後、名羽線工事はストップしているが、どうなのだろう。同敷地には、鉄骨製のやぐらがあり、こちらも展望台になっている。登ると風が強いが、湖の全景や湖畔駅までよく見える。

しばらく景色を見てからレークハウス方面に移動。この辺りは湖岸にキャンプ場がある。「さわやかトイレ」と銘打った比較的大きくてきれいなトイレもある。他に土産物店、観光遊覧船の乗り場があるが、閑散としている。近くには「日本最寒の地」の碑があり、町内の母子里で昭和532月に氷点下41.2℃を記録したことを記念している。昨日直射日光の照り付けるニセコ駅の温度計が34℃を示していたのと比べて大きな違いだ。

朱鞠内湖の湖水に手を浸けてみる。さほど冷たくない。キャンプに来ているらしい子供2人が、膝まで湖水に浸かって何か採っていたようだ。 


◎湖畔909→912朱鞠内  朱鞠内行5732D  キハ53 507単行

湖畔駅まで10分ほどかけて下りる。少し待って単行の気動車が入ってくる。湖畔からの乗客は他に1人いた。朱鞠内に戻る車内から、名羽線建設線の道床のようなものが見えたがはっきりとは確認できず。ついに使われなかったトンネルの跡も見えなかった。

 

駅から役場の支所へ行ってみた。最初、役場と思っていた建物は違っていて、そこで、火の見やぐらの下にある建物を教えてもらった。郵便局の少し先で、駅から5分かからない。コンクリート2階建てのきれいな建物で、かなり新しいと思われる。支所には3~4人の職員がいて、「いらっしゃいませ。」と声をかけられる。その辺のパンフレットや、住民票・戸籍関係の申請用紙を貰う。他に「日本最寒の地到着証明書」なるものの受付台帳がある。住所・氏名を記入すると証明書が貰える。日付を押してパウチ加工したものだが、パウチ作業はあまり上手くいかなかったようだ。手数料は無料。役所とはいえ気前の良いサービスだ。更に朱鞠内ダムの案内チラシを貰った。

 

◎朱鞠内940→1036名寄  名寄行5733D

朱鞠内の郵便局で5千円おろしたあと、朱鞠内駅から再び名寄行に乗車。

湖畔・北母子里間の朱鞠内湖が見えるところでは案内放送があった。幾つもトンネルを通り、定刻に名寄着。

 

◎名寄1043→1152旭川  「宗谷」札幌行 急行302D  キハ400×4両+キハ56×1両、計5両編成3号車=キハ480-1302

  車内はほぼ満席。通路側にようやく座る。名寄駅でオレンジカード、弁当、飲料を買っていたが、何とか弁当を食べることができた。前夜よく寝ていないからとても眠い。車内で少し寝た。

旭川で下車し、地下の土産物屋を見る。ラベンダー、水仙の石鹸がきれいに飾り立てられ1350円。簡素でいいからもう少し安いのが欲しい。あまり時間がなかったので、ここでは何も買わなかった。

 

◎旭川 1237→1641網走 「オホーツク81号」網走行 特急8021D  キハ183系(旧塗色)4両編成 先頭最後(遠軽方向転換)4号車=キハ183-2

10分以上前から並んでみたが、車内は空いていて、その気なら4人席占拠も可能な程。冷房も適度に効き快適。上川から石北峠に入り、天幕、中越等、殆ど崩れかけたような駅を通過しながら、山中を走る。上り坂ではパワーが足りず、時速40kmくらいにまで落ちているようだ。しばらくうとうとする。途中、気分の悪くなったらしい子供がいて、車内販売員がおしぼりを渡していた。北見まで行くらしい。酔い止めがあったので渡そうかとも思ったが、良くなってきた様子なのでやめた。遠軽で方向転換。座席で寝ていた件の子供が驚いていたらしいので、説明する。

生田原を出て、列車は常紋越えに入る。対向の定期オホーツクを待避するため、81号は常紋信号所に停車。信号所停車中、通過する対向列車を見渡せる3号車から撮影。


デッキより常紋トンネルの入口を撮影。同時に、トンネル建設当時に劣悪な労働条件下で殉職した、所謂タコ労働者への哀悼の意を表し挙手礼。

デッキにいた時に車内放送で「紫色のリュックの持ち主」の呼び出しを受ける。席に戻ると、荷物の所有を確認された。その後、他の乗客にもそれぞれの所有物を申告してもらっていた。遠軽で下車した人の中に荷物を忘れて行った人がいたらしい。後で忘れ物らしき荷物を乗務員室に運んでいたから、見付かったのだろう。

北見で先刻の子供が下車。7分停車のため、一度改札を出てみる。ちほく鉄道の資料を探したが、特になし。すぐ車内に戻る。呼人を過ぎ、網走湖が左側に見え、車内放送で観光案内もあった。なかなか良いことだと思う。列車は定刻に網走に到着の見込み。

             

◎網走1655→1726原生花園  斜里駅行  網走バス   

網走から斜里行のバスに乗車。市内をくねくね走ってから、市外に出ると急に速度が上がる。JRに沿って南下。だんだんと景色が広がり、左にオホーツク海、右に十弗湖。やがて原生花園駅前に到着。踏切を渡り、小高い丘を撮影ポイントとして、1738発網走行を撮る。原生花園駅ではオレンジカードの販売や、制服を貸し出しての記念撮影が行われていたが、この時間で終了してしまい、残念ながら利用できなかった。 

砂丘を散歩する。花は咲いているが数は少なく、遠くからは全く判らない。波打ち際まで行き、オホーツク海の海水に触れた。駅前の売店は早々に閉まっていて、しかも雨が降ってきた。関西語圏の学生風の女性4人連れに誘われて、駅の軒下で雨宿り。しばらくして、雨は止んできた。湖側の丘では、牛か馬が群れで移動していた。 


◎原生花園 1825→1847斜里  斜里行 普通4741D  キハ54 524単行

車内は大混雑。もともと満席だったところに原生花園から10人くらい乗り込んだので大変だった。吊革に何とかつかまることができたが、基本的に前を見て振り子立ちしていないと危ない。斜里まで混雑は続いた。斜里で標津線のオレンジカードを購入。

 

駅前は雨が強く降っている。傘を出すのは面倒なので、駅前ホテルまで突っ走ってチェックインする。

休憩後、電話。そろそろ食事だということで、食堂に下りて行く。もう食事を終えた人が多く、自分が最後に来たようだ。ガイドブックに「値段の割に料理が豪華」とあっただけあり、色々出てくる。貝類の刺身や漬物、サーモンの切り身、その他の魚類の他、毛蟹が1体出てきたのが目立つ。さすが沿岸だけある。出てきた料理の多くは魚介類だが、その名称は、カニ以外はよく分からない。食事時間の大半はカニの解体に費やされた。久々(恐らくこの旅に出てから最初の)豪華な食事で満足。

宿の2階廊下の書棚には大量の漫画雑誌があり、読むに余るほど。片端から部屋に持ち込んで読む。明日も早いから適当なところで切り上げよう。

  

平成6年(1994年)8月2日(火)

545起床。準備を整えてチェックアウトする。貝殻にアザラシを描いたものと、菊池桃子のサインを印刷した紙をくれる。フロントの人が菊池桃子の祖父であるそうだ。意外なところに意外な人がいる。宿のおばさんが靴を磨いてくれていた。夕方までリュックを預かってもらうことにし、少し身軽になって出発する。とても良い宿だ。

斜里バスの乗り場に行く。窓口には人がいるのに営業していなかった。

 

◎斜里駅630→825知床大橋  知床大橋行  斜里バス

海を見るため左側の席を確保する。同じ考えの人が多いようで、左側に座る人が多い。斜里バスには1日乗車券があるが、知床線には使えないとのこと。大橋までの乗車券を購入する。バスは2人乗務。

斜里駅を出発したバスは暫く内陸部を走るが、やがて海岸沿いの道に出る。海岸線もだんだんと険しくなってくる。オシンコシンの近くでやや内陸の旧道に入り、滝の見える所で一時停車する。



ウトロで3分停車。その間にフィルムを購入。少し高かったが残量が乏しかったので一安心。ウトロを出ると、バスは急カーブを曲がりながら高度を上げ、ウトロの町を一望できる地点を通る。岩尾別から山中に入り、岩尾別温泉に向う。この部分はバス1台がやっと通れる幅しかない。ホテル地の涯てでバスは折り返すが、ここでの下車客は多い。

ホテルの少し手前では坂を下りるバスと出会い、すれ違えないので、下りのバスはかなり長い距離を引き返していた。岩尾別まで戻り、ここまでのルートに再合流。知床五湖で大半の客が下車し、乗客は2名のみとなって終点を目指す。

知床五湖出発後間もなく未舗装の砂利道に入り、バスは大幅に揺れる。旅行記録を書く文字も乱れる。この付近は林の中を走る道で、視界はあまり広くないが、時折、海が広く見渡せるところに出る。相変わらず道幅は狭く、砂利道のためがたがたと揺れる。その中を、普通の乗用車と変わらないか、それ以上の速度で飛ばして行く。カムイワッカの滝入口では車が多く駐車していた。滝の入口が見える。そこを過ぎて間もなく知床大橋バス停。少し坂を下ったところの硫黄沢に架かるややくすんだ赤色の鉄橋が知床大橋で、渡ったところの先は林道の起点になっているが、一般者は通行禁止。ヒグマが出没する旨の看板が出ている。



徒歩でカムイワッカまで戻り、沢を登る。途中から靴を脱いで素足になる。カバンはリュックのように背負い、両手を自由にして登る。途中、川の中を歩くような所もあり、靴や長いズボンでは濡れてしまう。登るのが困難な急峻な地点もあり、通りやすいルートを探して行きつ戻りつしながら登る。谷の壁面には熱湯のような温泉の流れているところもあり、困難な道のり。上に登ると多少は空いてくるが、かなりの混雑。多少年を取ったおばさんも登ってくる。子供連れも多い。




ようやく一番上と思われる滝壷まで行き、入浴する。なお、この時は岩陰で水着に着替えたのだが、登る前に着用した方が良いと思われる。滝壷付近は深く、足の着かないところもある。

バスの時間もあり、しばらく入浴してから引き返す。しかし、下りるのに大変手間取り、道路に着いた時には既にバスが出た後のようだ。次のバスまで2時間以上待つような場所もないし、とりあえず歩くことにする。車の通行は多いから、疲れたらヒッチハイクすればよい。日差しが強いのでタオルを頭に被り、アラビア服のようなスタイルで歩く。野生らしきキツネが林道に姿を現した。首に発信機を付けている。同じようにキツネを見付けて停まった車の人が乗せてくれるというので、知床五湖まで乗せてもらう。大阪から来た夫婦連れで、今夜はえりも泊りという。知床五湖へ500mの分岐点で降ろしてもらった。

多少は歩いたし、カムイワッカでは岩・砂・湯の上を素足で歩いて痛むので、レストハウス内を見てまわる。主として土産物屋になっていて、その他に若干の写真展示がある。ポスターでヒグマ目撃アンケートの案内が出ていた。出没場所の実態調査のためらしいが、いかにも知床らしい。レストハウスで名物のコケモモソフトクリームを食べた。まあまあな味。



少ししてから知床五湖の散歩道へ行く。大回りコースから部分コースまで3種類の距離のコースが用意されていて親切な構造。まだ時間もあるので、大回りのコースを予定して「一湖」から見始める。(途中で出口に直結する分岐点が何ヶ所かある。)それぞれ周囲1~5kmくらいの小さな湖で、第一湖の近くには、かつて入植していた人々の牧草地の跡がある。第二湖以降は知床連山を背景にしており、山影が湖面に映って美しい。案内板によれば、この辺りにも水芭蕉等の高山植物が群生しているとのことであるが、どれがどの植物なのかは分からない。湖から湖へ移動する歩道には木の板が張られ、多少の雨でも通行できるようになっている。原生林の中の道だから森林浴にもなる。1時間強でレストハウスに戻り、テレカを買うと到達証明書が貰えた。斜里の自然酒が数種類あり、どれにするか迷う。結局ハマナスとコケモモのブレンド酒を購入。宅配では20kgまで1,200円とかで、酒1本送るには高いから、持ち帰りにした。

 

◎知床湖五湖1300→1320ウトロ温泉  斜里駅行バス

知床五湖からバスでウトロまで行く。朝と同じ車掌だが、朝よりは愛想が良く、下車時に「ありがとうございました。」と言って回る。車窓では知床連山が左後ろに遠のいていく。

 


ウトロで下車し、オロンコ岩に登る。リュックを宿に置いてきたとは言え、かなりの急斜面を階段でゆっくりと登る。頂上からは知床連山やブユニ岬、ウトロ崎が良く見えた。煙草を終えて戻ってきた地元高校生らしき人に頼んで記念撮影。しばらく景色を眺め、後から来た3人連れの記念撮影のシャッターを押す。

ウトロ観光船乗り場まで下り、森重久弥の「知床岬」の碑を見る。その後、郵便局で金を下ろしてから、役場の支所へ行く。支所は高台にあり、正面には地域プールがある。役場に立ち寄ってから、バス停まで下りる。

 

◎ウトロ温泉1445→1540斜里  斜里駅行 バス

車内は満席に近い状態。帰りは海側の道をずっと走り、朝は上から見たオシンコシンの滝を今度は下から見上げる。右手にオホーツク海を見ながら、バスは斜里に戻った。

斜里ではコンビニで雑誌を読んで時間をつぶし、その後、駅前ホテル斜里館のフロントで朝預けたリュックを受領する。再びコンビニまで行き、カップ麺、白ブドウ入りヨーグルト、500ml95円の飲料を購入。お湯はセルフサービスで、レジ正面に蛇口がある。駅前で食事。駅正面には貝殻がたくさん置いてあり、そこにメッセージや願い事を自由に記入できる。シーズンオフに海に返すそうだ。特に書くことが思い浮かばなかったし、マジックペンもないので書かなかった。


 

◎斜里1627→1712網走  網走行4736D  キハ54 524単行

斜里からの1両編成のディーゼルは混んでいたが、通路側の席に座ることができた。斜里で買った飲料を少しずつ空けながら、網走へ向う。原生花園は相変わらず人が多い。花(ハマナス?)がポツポツと咲いているのが見えた。確か止別だったか、ラーメン喫茶の暖簾が見えた。

 

◎網走1719→1807北見  オホーツク8  札幌行特急18D  キハ1836両編成5号車

7分接続で乗り換え客が隣のホームに走ったが、オホーツク車内は空いていて、難なく2人席を確保した。網走湖畔を通り抜けて快走。あまり時間がかかったようには思われなかった。

 

北見で下車してから駅前を散歩。北見第一ホテルを見てから予約のための電話をするが満室。駅のインフォメーションで宿を探してもらったがなかなか見付からない。宿のリストを貰って電話して回り、ようやくビッツァークホテルを取ることができた。駅から5分強歩く。風呂なしで、部屋以外の風呂は家族風呂のみとのことだったが、部屋自体は悪くない。北海道の宿には珍しく冷房装置も使える。家に電話してしばらく休憩。2030頃から外出するが、土産物屋は既に閉まっているのが殆ど。駅から少し離れた繁華街でモスバーガーに入る。情報紙で「モスモス ミント版」なるものがあった。ミントは北見の名産物だ。

宿に戻り、家族風呂でシャワーだけ浴びて寝ることにする。ホテルの入口には殺虫灯がバチバチと音を立てていた。天気予報によると明日の十勝地方は雨らしい。観覧車から十勝平野を眺める予定だったが。


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