1994年7~8月 北海道 1~2日目 ー 特急はくつる、江差線

 就職してから最初の長期旅行は北海道でした。寝台特急「はくつる」の座席利用(後の寝台列車に登場するゴロンとシートやカーペットシートと異なり普通にボックス席に座って移動)で出発し、大型蒸機のC62で運行されていたSLニセコ号に乗車。現在では廃線となった江差線や深名線、北海道ちほく高原鉄道などに乗車しました。帰路は急行「はまなす」から長距離運行が残っていた特急「白鳥」に乗り継ぎました。

 この旅行以降、一人旅のときには乗り継いだ列車の記録と旅日記を合わせて大学ノートに記録していて、後年にデジタル化しました。


平成6年(1994年)7月29日(金)

就職後初の長期旅行。仕事からの帰宅途中に東逗子のマルエツに寄り、フィルムを購入。夕食後、荷造りを仕上げ、急ぎシャワーを浴びる。予想より遥かに慌ただしい。夕方に見た朝刊の記事に12月ダイヤ改正の話が掲載されていた。特急列車編成増強の記事の他、最後の方には横須賀線にE217系導入の話も記載されていた。

2017頃出発。家族の運転する車で東逗子駅へ。雨のため車からの視界は悪い。

◎東逗子2026→2134 東京  佐倉行2034S  11311→15両編成(逗子増結) 先頭11号車=クハ111-1097

この時間の先頭車は空いている。東逗子乗車時に入れ替わりで2人下車して、先頭車の他の乗客は2~3名。戸塚で2分停車して東海道線に追い付かれるが、横須賀線の方が空いているのでそのまま残る。保土ヶ谷・横浜間でホームライナー逗子とすれ違う。横浜から乗車する客多数。先頭車の座席乗車率は20%強になる。都内に入ると千葉方面への帰宅客が乗り始め、品川で70%強、新橋で満席+立客となる。東京駅で下車。入れ違いに多数の乗客あり。

東京駅は工事中。地上にはクレーンが立ち並び、(中央線用の)高架線の一部が出来上がっていた。中央地下通路でサラリーマン風2、3名による小突きあいの小喧嘩目撃。

 

◎東京2142→2150? 上野  大宮行 京浜東北線  10310両編成

2号車に乗る。少なからず立客があるが、さほどの混みではない。

上野で下車して地平ホームで「はくつる」を待つ。急行「津軽」の自由席に並んでいる人が多い。知った顔は見当たらなかった。 

◎上野2217→605 八戸  はくつる1号 青森行 寝台特急11M  5839両編成5号車=モハネ583-79(普通車指定席)

ホームで缶飲料を2本購入。発車前に3~4号車を回り、資料用の写真撮影をと思ったが、通路にいる人が多いのでとりあえず差し止める。予想よりも遥かに乗車率が高い。車内放送によると寝台は完売とのこと。座席も上野発車時で7075%は埋まっている。5号車3番ボックスは自分を含めて3名。

席に戻り、2217発車。禁煙車ではないので各席から煙草の煙が立つが、しばらく走っていると、それも沈静化した。

「はくつる1号」は583系の所謂「月光型」を使用している。座席車も寝台兼用の造りとなっていて、座席の上に上中段の寝台が収納されている。通路の天井は普通の電車と比べて高くなっている。ボックスは案外狭い。ボックスの面積そのものは大きいが、背もたれが斜めになっていることと、背もたれの板がかなり厚いため、足を置くスペースは1131500番台と大して変わらないように思われる。この座席が、東北新幹線開業までは上野・青森間の昼行特急に使われていたが、通しで乗れば疲れたことだろう。しかし天井が高いのは優雅であり、ベートーベンの「月光」を聴きながら乗ってもさして違和感はないと思う。モーター車の割にモーター音はあまり強くない。発車して加速する時と減速・停車時に多少響く程度である。線路の継ぎ目を拾う音は、特急車の割には大きいようだ。

上野発車直後に、折り返し急行「津軽」になると思われる583系電車とすれ違う。大宮からの乗客も多く、ここで3番ボックスは埋まった。2250頃に検札が来る。検札印は押されなかった。車内放送は上野発車直後のもので打ち切り。その放送の際のチャイムは鉄道唱歌。

検札の後はしばらく静かに走り、2348宇都宮着。9分停車の間に後続の通勤快速が同じホームの反対側に入る。その直後に「はくつる1号」発車。時刻表によると通勤快速到着が2356、はくつる発車が2357で、1分の接続となっている。宇都宮からの乗客もあり、車掌が手分けして検札に回っていたが、深夜であることに配慮してか、小声で行われていた。宇都宮発車直後に減光され、少し外が見えやすくなるが、ほとんど真っ暗の車窓。座席は、下段寝台引き出し設備が撤去されているらしく、寝台らしきものが見当たらない。車内が静かになった代わりにモーター音が際立つ。列車は夜行の割に高速で走る。運転停車である黒磯に2428頃着、2431発車。

 

平成6年(1994年)7月30日(土)

0050頃、信号停車。数分停車してから少し走って駅で運転停車。右側に臨時急行「八甲田」が停車しており、ここでこれを追い越す。駅名は見えなかったが、発車直後に0.3kmポストを通過したので、白河(188.2km地点)か須賀川(215.1km地点)と思われる。須賀川であるならば定時のようだが、白河だとすると20分近い遅れ。

125郡山着、すぐ発車。右隣にはピギーパック列車で、トラックが貨車の台車上に並んでいる。時間的に、先程「八甲田」を追い抜いたのは白河であったようだ。先行の「八甲田」は白河036着、037発で、待避駅はもっと先の筈だが、何等かの理由で遅れて待避駅変更となったようだ。157福島に運転停車するが、10秒未満ですぐ発車。252仙台運転停車、255発車。358一ノ関発車。この辺りから外が明るくなり始め、415頃には景色がはっきり見えるようになる。列車は部分的に120km/hまで出す高速運転。415頃には475.4km地点で上り北斗星とすれちがう。東京では雨が強かったが、この付近では薄曇りで雨はない。外の景色の大部分は田んぼで、その中に農家(といっても普通の住宅)や小さな林が点在し、駅の近くにはまとまった住宅地がある。山並みも遠くに見える。430頃に4号車と5号車の車内撮影。445520km地点でまた北斗星とすれ違う。

455盛岡に運転停車、456.45発車。八戸到着は10分前後の遅れが予想されるペースだ。やはり「八甲田」がつかえていた影響がまだ残っているものと思われる。545に車内放送再開。意外にも八戸は定時到着との案内。車内放送での案内のとおり、八戸着はほぼ定時だった。下車して隣のホームに走り、「はくつる1号」の発車を撮る。更にもう1つ隣のホーム1番線から、客車列車の青森行に乗り換えた。


◎八戸613→706 野辺地  青森行523ED75 730+124両編成2両目=オハ12 2007

4両編成の客車はとても空いていて、八戸発車時の2両目の乗客は自分の他に1名だけ。空いているためか、冷房は弱くしてあるようだ。途中から乗ってくる客もあり、三沢ではかなりの入れ替わりがあったが、それでも乗車率は10%未満である。3号車に行き、客車列車に特有の、列車無線による発車合図を聴きに行くが、声が小さく、はっきりとしたセリフまでは分からない。

野辺地で下車。この時間、まだ南部縦貫鉄道との乗り換え通路は閉まっている。駅正面から出て青森側踏切から反対側に回ろうとするが、南部縦貫側の駅舎への通路は全て通行止め。かなり大回りして国道4号線まで回って線路際に出る。(4号線から左側に適当な道を入った。)時間になってもレールバスは来ない。しばらく待っていると、反対側から現れた。

大回りで移動中に七戸からのレールバスが到着して折り返すはずの時間だったが、七戸からの列車が10分ほど遅れて来たようだ。すぐに折り返して来て、約8分遅れで七戸方面に戻っていった。

レール脇の獣道を野辺地方面に向かうが、途中で行き止まり。引き返して跨線橋を渡って線路の反対側に出る。獣道の朝霧で膝から下が濡れてしまった。800頃に駅に戻り、南部縦貫の待合室で休む。しばらくしてから4番線に移り、鉄道記念物の防雪林を眺めながら「八甲田」を待つ。

 

◎野辺地824→909青森  臨時「八甲田」 青森行 急行8105ED75 707+14  9号車=スハフ14 46

野辺地の実際の発車時刻は828。白河駅の状態により「八甲田」の遅れが心配されたが、4分程度の遅れで済み、めでたい。9号車の乗車率は3040%程度。1人あたり1ボックスまたは2人掛けを占有できる程度。(オートバイ積載の)モトトレインを併結、寝台車も先頭に増結されている。

右後ろのボックスでは、スピーカーで音楽を聴きながら時折口笛を吹いている非紳士的な乗客(20代男性?)あり。他に空いている車両もあるようだが、青森まですぐなので、動かずにいる。車内放送のチャイムは「ブルトレチャイム」。

「八甲田」は定時に青森に到着。途中の遅れはドア故障のためとのこと。この「八甲田」の編成は引き続き快速「海峡83号」となるが、清掃のため乗客は一度外に出される。その間に先発する「海峡3号」のホームに人が走る。

 

◎青森920→1113木古内  「海峡3号」函館行快速3123  ED79 19+507両編成 最後7号車=オハフ50 5004

7両編成(内、指定席車4両)にも関わらず大混雑。満席の上、各デッキに数人の立客。自分も最後尾のデッキに立つ。海峡3号は途中、単線での列車交換のため信号場で停車。蟹田で北海道旅客鉄道の車掌と交代。北の乗務員は乗務員室で煙草を吸ったり、通路の乗客をかき分けて進み荷物につまづいたりしながらそのまま立ち去る等、態度は良くない。しかし一方で青函トンネルの案内を細かく丁寧に放送する等、サービスの良いところもある。

途中、最後尾乗務員室の、外へのドアが突然開く。増結の時に施錠し忘れたのだろう。車掌が慌てて閉めていた。1017青函トンネル突入。しばらく走り、竜飛海底駅通過時には若干減速した。1036に最深部通過。1043に吉岡海底停車。その少し手前では左側の壁に電飾による絵(アニメーション?)あり。1045吉岡海底発車。1101青函トンネルを出る。北海道側出口の写真を撮った。

木古内で下車。天候は曇りで、いつ雨が降ってもおかしくない状態。風は寒いくらい。

 

◎木古内1129→1235江差  江差行122D  キハ40 797単行ワンマン

函館から2両で来た普通列車は、木古内で後ろ1両を切り離し、前1両だけが江差行になる。乗客は少なくなく、座席の50%強が埋まる。但し、観光客風の荷物の大きい客が多い。1両の気動車は山の中を走る。

終点の江差駅は、9時から17時までは窓口で切符を売っているが、改札省略のため下車印は入手できない。

町の中心部へ向かって速足で歩く。しかし、駅から町まで遠く、荷物も重く、しかも晴れ間が広がって暑いため、橋本町の鉄口旅館辺りから、鴨島を見ながら引き返す。駅前の店で飲料購入。

 

◎江差1328→1608函館  函館行125D  キハ40 797単行ワンマン

発車の15分以上前から乗車している客が多く、空席はほとんどない。しばらくデッキで汗を乾かし、湯ノ岱で席が空いたところで座る。半分眠りながら乗車。開いた窓からの風が心地よい。木古内で15分余り停車の間に駅外に出て食料を探すが、気に入ったものはない。やきそば弁当を700円で売る店があったが、やきそばを700円で買う気は起こらない。結局飲料だけ買って再乗車。停車時間中に前に1両増結されている。煎餅を食べながら函館に向かう。カーブの多い線路を曲がる毎に函館山が近づき、やがて函館のドックも外観がはっきりしてくる。

函館には定刻到着。何時の間にか4両編成になっていた。 


函館駅前観光案内所で地図を入手。市バス切符売場で1日券を購入。皮製のキーホルダーになっていてお洒落。簡単な路線図もくれた。

 

◎函館駅前1629→? 十字街  721号車

 

◎十字街1640→ 函館どっく前  3001号車(VVVF)

一度、十字街で乗り換えて、どっく前まで行き、旧露国領事館まで急坂を登る。現在は青少年会館になっていて、(昭和19年に領事引き揚げ後、昭和39年に外務省から函館市に移管して青少年会館となった)どこかの小学校か中学校の生徒20人程度が食堂に集まっていた。1階に資料展示があり、その部屋から函館ドックの眺めが良い。その後、少し坂を下り、左折して称名寺、高竜寺前を通る。更に足を伸ばし、外人墓地へ。外人墓地とは言っても宗派別に別れており、プロテスタント墓地、中国人墓地、ロシア人墓地が、隣接しながらも別の区画になっていた。

函館どっく前まで坂を下る。函館は坂が多く、冬季スリップ防止用の砂箱が点在する。

             

◎函館どっく前173040大町   駒場車庫前行(吊り掛け車両、車番未確認)

大町まで1駅だけ市電に乗車し、中華会館へ。

その後、旧函館区公会堂まで登る。記念撮影後、切符を買って入場。大正天皇が皇太子時代に宿泊されたこともあり、立派な造りになっている。展示品の中には写真に関するものが多く、現存唯一という色付陶製写真なるものがあった。旧英国領事館前を通って電車通りに戻る。金森倉庫群を見る予定だったが、疲れたし時間も遅くなったので止めた。

 

◎末広町1840駒場車庫前  駒場車庫前行  2002号車VVVF

 

◎駒場車庫前1918→ 湯ノ川  湯ノ川行809号車

函館市電は吊り掛けと共にVVVF車も多いようだ。加速度が強く、リュックを背負っていると倒れそうになる。末広町から通しで駒場車庫前まで行き、そこで56分待って後続の湯の川行に乗り換え、終点まで行く。

宿の案内図は意外と分かりやすく、ガイドブックの地図と照らし合わせ、迷わずに五稜荘に到着。チェックインするが会計の人が外出中のため、会計は後でやることに。荷物を簡単に振り分け、茶を1杯飲んでから、すぐ函館山に向かう。

 

◎湯の川 2006→2041十字街  函館どっく行  807号車

 

◎十字街 2052→ 谷地頭  谷地頭行  528号車

 

◎谷地頭 2100→ 宝来町  湯の川行  528号車

湯の川からどっく行に乗る。函館駅2030発の函館山行のバスには接続しなかったので、そのまま十字街まで乗車。谷地頭に先に行くことにするが、十字街では10分近く待たされた。谷地頭を往復し、宝来町で下車してロープウェイ登山口へ急ぐ。

 

坂道を400m近く上がった所にあるロープウェイ駅の2階から出発。往復券を買うのが一般的なようだが、割引券を使って片道切符を買う。5分毎の運行なので、すぐに乗車できた。ロープウェイから下を見ると、写真で見る通りの夜景が広がり、歓声が上がる。しかし途中からガスが発生し、景色がぼやけてしまう。頂上までの所要時間は凡そ3分。

ロープウェイを降りて市営バスの発車場所を確かめてから展望台に登る。ガスは周期的に発生と拡散を繰り返し、夜景が頻繁に見えたり消えたりを繰り返す。山上に居たのは僅か20分余りだったが、数回このサイクルを目撃した。見える時をねらって写真を撮る。記念撮影も2回試みたが、写り具合は不明。

最終バスぎりぎりまでねばり、発車予定時刻ちょうどに飛び乗る。その後から乗ってくる人もいて、1~2分遅れで発車。山の周囲を回りながら下山し、途中、夜景の見える所では一時停車していた。車内は消灯しているから良く外が見える。22時まで登山道の通行規制があるが、それが解除されたところで、タクシーが登ってくる。山の麓まで下りると車内の照明が通常通り点灯した。十字街で市電の線路をクロスし、倉庫群の脇を通って函館駅前まで戻る。

 

◎函館駅前 2215→2244 湯の川  湯の川行臨時最終  8002号車(吊り掛け)

函館山観光の最終便に接続するため、混んでいる。反対方向の軌道はレール交換?工事のため、敷石共に引き剥がされている部分もあった。湯の川電停着は2244頃。走って宿に戻り、会計を行った。風呂は23時まで。あと5分ほどあったが、入浴は明朝に延ばす。

 

  宿泊:警察共済組合 五稜荘 

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