平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災から、15年余りが経過しました。当時、被災自治体では災害対応の職員が足りないため、全国から応援職員が派遣されました。筆者も、平成23年6月に宮城県石巻市で短期間勤務し、その合間の休日に仙石線・石巻線沿線の被災状況を確認しました。
平成23年(2011年)6月11日(日)
月曜日から土曜日までは勤務で、勤務時間終了後に石巻市の沿岸部を見学していた。日曜日は休日だったので、この機会に周辺地域も見ておくことにした。
石巻駅改札前には、復旧区間の臨時時刻表やJR代行バスの時刻表を配布していた。この当時の仙石線の復旧区間は、あおば通から高城町までで、松島海岸から石巻までは代行バスが運行されていた。石巻線は小牛田から石巻まで復旧していて、石巻・女川間は代行バスだった。◎石巻駅 855→陸前大塚 松島海岸行列車代行バス110便 宮城22か6860
列車代行バスなのでJRの乗車券での利用となる。石巻駅の券売機で切符を買おうとするとSuicaにエラーが出た。駅員に調べてもらうと、6月6日に東京駅で乗り換えた時の処理にエラーがあった模様。処理してもらい、利用可能となる。
バスはリクライニングの横4列シート(通路に補助席あり)でトイレなし。定時に発車後、運転士からの車内放送で、フットレストの利用方法、ゴミの持ち帰りのお願いなど、詳しい案内が行われる。
蛇田でまとまった乗車あり。半分以上の席が埋まる。蛇田を出ると左手に、ヨークベニマルに続いてイオンがある。広大な駐車場のある大きなショッピングセンター。敷地の端では、中古軽自動車の販売もしている。このエリアに商業の中心が移り、旧市内の店が減ったらしい。バスのダイヤには、ある程度のゆとりが設けられており、渋滞がなければ余裕のある走り。陸前赤井には早着して3分ほど時間調整をしていた。その他は2分以内の遅れ。
東松島市の中心に位置する矢本では多数の乗車があり、空席は僅かである。車窓から見る限り、矢本駅周辺では被害は見られない。駅舎も残っている。
矢本を出ると、仙石線の線路と並行して走る。架線や架線柱も残っている。道路沿いの田畑には、あぜ道の周辺に瓦礫がある。陸前小野に近づくと、架線が垂れ下がり、所どころで路盤が流出している。陸前小野の駅舎は残っていた。
陸前小野で満席となり、補助椅子が使われ始める。
陸前小野と野蒜の間にある踏切付近に、205系4両編成が停車している。裏手に小山があり、急停車した列車から乗客が避難したのだろう。
野蒜駅周辺は倒壊家屋が少なからず見られる。観光物産センター併設の野蒜駅舎は遠くから見る限りでは建物本体が残っているように見える。
ここから東名までの間で列車が津波に流された現場があるはずだが、バスからは流出車両は見えない。
東名の次の陸前大塚で下車。ここの簡易駅舎は、Suica読取機も含めて残っている。ホームは地震により亀裂があり、段差も発生しているが、線路は残っている。
ここから、バスで来た峠道を越えて東名駅へ。途中の海沿いの軌道は概ね残っているが、路盤が傾いている箇所が見える。畑のあぜ道の草刈りをしている人がいた。
東名駅近くの民家では、大田区のゼッケンを付けた人たちが、何か作業をしていた。
東名駅では、線路が消滅していて、ホームや構内踏切が無ければ、それが線路面とは分からない。ホームやホーム上の待合室は残っているが、簡易Suica読取機は流出している。
野蒜方の陸橋付近には線路があるが、その陸橋から見下ろすと、線路が曲がっている箇所がある。
野蒜まで歩いてみる。途中に点在する家屋には、外観に問題無さそうなものから、窓の無くなったもの、1階だけ壁が無くなっているものまである。1階の壁が無い家でも、2階は残っていて、カーテンも付いている。実際に2階で生活しているという話も聞いており、このような家の幾つかは、外壁を応急修理して引き続き居住するのだろう。
野蒜駅付近では線路が一部埋まり、または路盤の流出で浮いていたりするところが見られる。
野蒜駅に着いてよく見ると、1階部分は滅茶滅茶に壊れ、ブラインドや駅備品が散乱している。券売機は使えそうもなく、駅員の姿もない。駅舎に時計が付いているが、2時47分頃で止まっている。地震後1分程度で止まったもののようだ。他に、撮影にくる人が若干名いる。
壁の無い家の防犯のためか、パトカーが頻繁に通る。うち1台には「長野県警」の表示。警察も全国から応援に来ているようだ。
◎野蒜駅 1109→1213 石巻駅 石巻駅行代行バス115便 (宮城交通の車両)宮城22か6859
3分遅れで来たバスに乗車。通路側の席が少し残っていた。野蒜と陸前小野の間の線路上に停車した205系を通路越しに撮影。
鹿妻の簡易駅舎は残っている様子。
陸前赤井駅近くの踏切から駅への線路上に、砂利を満載したトラックが3台止まっていた。バラストを敷いて路盤を整備するのだろう。矢本から石巻までは7月下旬の運転再開予定と聞いている。
蛇田には若干早着して時間調整をしていたが、その先は道が少し混んだが、石巻駅到着は定時だった。駅横の喫茶店で昼食。
◎石巻駅 1250→1342 女川 JRバス東北647-0934 岩手220か・824
商店街をゆっくり通り抜ける。信号は現在も点灯せず、警察官が交通整理をしている。石森章太郎のマンガのキャラクターの像が並ぶ商店街は、子細に眺めると、柱が傾いて崩れかけた店もある。宿泊先近くの、すき家のある交差点を右折、路面が鉄板で応急修理された石巻大橋を渡った、牧山西トンネル入口付近が、稲井バス停。陸前小野の稲井駅からは2km以上離れている。
牧山道路を抜けて、伊原津地区に出ると、道路周辺にも津波の爪痕が大きく残る。ヨークベニマルも大きく損傷しているし、土台から傾いた家、流れ着いた車両も残っている。自衛隊の災害派遣車両が渡波中学校などにたくさん駐留している。
渡波駅の駅舎は残存。渡波駅近くのコンビにLawsonが営業中。万石浦駅近くではショッピングセンターのイオンが営業中。他は閉まっている店が多い。
万石浦に沿って走る区間の線路は残っている。水面近い高さの一部で、バラスト下に水が溜まっている箇所があるが、線路自体の損傷は無いように見える。浦宿駅も、遠目には残っている。
浦宿を過ぎてJRのガード下をくぐると状況は一変。まだ標高はありそうなのに、壊滅状態。他の津波被害地域では、2階が残っている家が多かったが、この辺りは基礎しか残っていない家が多く、瓦礫の平原と化している。
代行バスの終着は、避難所のある女川運動公園の入口にある。避難所の入口ではボランティアが精力的に活動している。
ここから坂を下りて、港周辺を歩く。休日のせいか、自衛隊やボランティアの他に一般人も多い。港の周辺で写真を撮る人も少なくない。港周辺の道路は砂利道。車も頻繁に通る。
基礎しか残っていない家が大半で、鉄筋コンクリート造の家屋でも、3階の窓まで破壊されているので、津波の高さは石巻よりも高かったようだ。中には、建物の躯体と基礎が一体で地盤からはがれて倒れているものもある。
港の近くに表示してある避難路の先は、高台にある女川町立病院。ここの駐車場から、港の状況を見ている人が多い。町立病院は無事の様子。
駅と役場は、運動公園のある丘と町立病院のある丘に挟まれた位置にある。「あった」とした方が適切かも知れない。役場は3階くらいまで外壁が破壊されている。駅舎の隣にあった温泉施設は、1階の半分くらいの高さを残し、それ以上は無い。近くに重機が止まっていたので、津波ではなく解体工事中かも知れない。温泉施設の前にあった、去年利用した足湯は、跡形もない。駅前の公衆トイレは残骸があるが、駅舎は無くなっている。流されたのか撤去されたのか。ホームへ上がるエレベーターの1階部分だけが残り、そこに「石巻線ホーム」との案内が残っていたので、辛うじて駅だと分かる。
ホームは途中が分断され、ホーム部分の線路は無くなっている。ホームから少し石巻方面に戻った辺りからようやく線路が見え始める。
役場のHPを携帯で見ると、役場機能は運動公園隣の第二小学校に移転している。行って見ると、日曜日のため窓口は休みで、受付に若干の応援職員がいる程度。運動公園の避難所や仮設住宅の状況を眺めてからバスに乗車。
◎女川総合運動公園 1605→1648 石巻駅前 石巻駅前行 宮城交通バス 宮城200か1893
渡波付近までJRバスと抜きつ抜かれつの走行。
こちらのバスは、伊原津を過ぎると、湊町から市街地に入る。JRの代行バスよりも停留所が多いので時間がかかると思ったが、こちらの方がJRバスの定刻よりも10分くらい早く着いた。
駅から跨線橋を越えて北上し、コンビニに寄ってから宿に戻る。
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