完乗祝い翌日の旅行2日目は、戸倉温泉を出発して鉄研同期と離合集散しながら、上田交通、篠ノ井線、松本電気鉄道、大糸線に乗車した後、バスで長野に戻って宿泊しました。
2000年09月 長野 1日目 ~ 長野新幹線長野でJR線・旧国鉄線完乗
平成12年(2000年)9月15日に、長野新幹線長野で、JR線と旧国鉄線(国鉄・JRから第三セクター等に転換して鉄道として営業している路線)を全線完乗しました。完乗の際には大学鉄道研究会の同期に祝ってもらい、その後、離合集散しながら長野県内のJR線・私鉄線を乗り歩きました。
当日の撮影は顔出しの記念写真が多かったので、このブログに掲載できた写真は普段の記事よりだいぶ少なめになっています。
2000年08月 五日市線 他 ~ JR完乗まで残り1線
6月に仙石線のあおば通・仙台間に乗車して、JR未乗区間は長野新幹線と五日市線を残すのみとなりました。この日は、五日市線に乗車すると共に、JR東日本が実施していた「トレイング2000」のため、乗車済の相模線、青梅線、武蔵野線、埼京線にも立ち寄りました。
2000年06月 仙台・三陸方面(後半)- 岩泉線、山田線 キハ52
宮古で1泊した後、早朝の岩泉線を往復乗車。その後、山田線経由で盛岡に出て、新幹線で帰路につきました。岩泉線は平成22年(2010年)の土砂崩れでの運休から復旧することなく平成26年(2014年)に正式廃止、山田線も後に駅の廃止が相次ぎ、この記事で通過時に撮影した浅岸駅も平成28年(2016年)に廃止となりました。
2000年06月 仙台・三陸方面(前半)- あおば通、遠野、751系はつかり、八戸線タブレット
この旅行では、夜行バスで東北入り。この時点で東北のJR乗りつぶしは殆ど済んでいて、仙石線の仙台・あおば通間を残すのみとなっていましたが、JR東日本が実施していた「トレイング2000」に挑戦のため、乗車済線区の幾つかについて、それぞれ半分以上に乗車するプランとしました。
1999年12月3日 横須賀線113系最終日
ダイヤ改正前日の平成11年12月3日は113系電車の横須賀線運用最終日でした。
仕事帰りに横須賀線内を乗車しながら撮影しました。
鎌倉駅側線に留置されている113系回送列車
下り列車 逗子駅での切り離し作業
上り列車 逗子駅での増結作業
113系の増結時には3~4分停車の間に、作業員が線路上に降りて配管の接続や、貫通の幌取り付けを行っていました。
この時間の上り列車はグリーン車・普通車ともがら空き
久里浜まで乗車しました。
翌日のダイヤ改正が紹介されている中づり広告。横須賀線新型車両(E217系)へ統一にも触れています。
先頭車がトンネル内となる田浦停車中の車内から。113系は窓が開くので、このような写真も撮れました。
再び逗子へ。側線に増結車両が待機しています。
逗子での増結作業。
増結が終わって発車する113系列車を見送りました。
1999年11月 横須賀線113系メモリアル号
当ブログ開設から100本目の記事は、平成11年(1999年)11月に運転された「横須賀線113系メモリアル号」です。
横須賀線から113系が引退する間際の平成11年(1999年)11月13日(土)と14日(日)に、東京駅の地上ホームから川崎経由で横須賀まで113系の臨時列車「横須賀線113系メモリアル号」が運転され、13日に乗車しました。
1999年秋 東逗子と田浦の113系とE217系
横須賀線113系の引退が近づき、東逗子と田浦で撮影をしました。
逗子・東逗子間の113系
逗子・東逗子間のE217系
東逗子駅下りホーム停車中の113系
田浦駅のホームはトンネルの間にあって有効長が10両分弱しかないため、11両編成は上下線とも先頭車がホームを通り抜けてトンネル内に停車します。3ドアの113系の場合は先頭車1両のドアが開きません。
4ドアのE217系の場合は2両目の前のドアもトンネルに掛かるため、先頭車に加えて2両目の1番前のドアも開きません。
田浦トンネルの説明板
E217系同士の行き違い
田浦に到着する113系
最後部はぎりぎりホームに入ります。
東逗子駅上りホームをを発車する113系
東逗子駅上りホームの乗車目標。「4ドア」と表示されている青丸はE217系用。黄色い枠は113系。その前からある丸で囲まれている矢印は70系で使われていたものでしょうか?