1990年8月 北陸 - 大糸線、黒部峡谷鉄道、金沢、富山港線、七尾線、京福電気鉄道など
大学1年の夏合宿は石川県金沢市での開催。前年秋の大学受験後に1泊で小海線1人旅、入学後の5月に河口湖での新歓合宿に参加しましたが、足かけ5日規模の乗り鉄旅は初めてでした。在学当時の旅行では詳しい旅日記は付けていなかったものの、乗継記録を記した手帳が見つかり、フィルムスキャンした写真データも残っているので、これを基に30年以上前の行程を再現しました。(令和5年記)
平成2年(1990年)8月 鉄研夏合宿 金沢
平成2年(1990年)8月5日(日)
◎東逗子 1912→2020 東京 津田沼行1806S
◎東京 2027→ 新宿
夜になってから自宅を出て乗り継いで新宿へ移動。21時に鉄研同期と新宿駅中央口改札内鉄道警察前で待ち合わせ2205頃から、急行アルプスを待つ。
◎新宿 2350→(翌)552 南小谷 アルプス 南小谷行急行401M→白馬から普通3529M
183系の急行アルプスで車中泊。終点の南小谷まで乗車。
平成2年(1990年)8月6日(月)
大糸線に入って夜明けとなり、朝もやの中を北上。急行アルプスは長編成(時刻表によると9両編成)で、大糸線に入ってからの急カーブでは後方の席から先頭部分が見える。
南小谷では接続が40分以上あるので、駅前で記念撮影。時刻表には南小谷に駅弁マークが無いが、写真には「ますの寿し当駅で販売」の看板があり、売店で弁当販売していたようだ。
◎南小谷 637→736 糸魚川 糸魚川行423D
南小谷から糸魚川までの大糸線はキハ58系2両編成。姫川から糸魚川まで乗車。糸魚川にはレンガ造りの車庫が残っている。
◎糸魚川 739→819 黒部 富山行快速3530M
快速だが特急車両の489系で黒部まで快適に移動。
JR黒部駅から電鉄黒部駅までは1km余りあり、富山地方鉄道の列車までの時間が短いため、タクシーで移動した。
◎電鉄黒部 832→902 宇奈月温泉
富山地方鉄道で宇奈月温泉まで。少し先にある黒部峡谷鉄道の宇奈月まで徒歩移動。
◎宇奈月 1017→1150 欅平 欅平行
計画時には909発または932発を想定していたが、夏休みの混雑期で座席定員制のため、窓口で取れた列車はだいぶ後の時刻になってしまった。列車までの時間を電力博物館見学で過ごした。予定からは遅れたが、普通車(トロッコ車両)で沿線の風景を撮りながら終点の欅平へ。
◎欅平 1410頃→1540頃
宇奈月 宇奈月行
帰りは鐘釣で途中下車して鐘釣温泉に行く予定だったが、架線故障でしばらく運転見合わせ。その間、猿飛峡を見学したり欅平駅周辺で待機したりして過ごした。
復旧して臨時運転となった上り列車の普通車で宇奈月まで戻った。
◎宇奈月温泉 1612→ 魚津
戻りの富山地方鉄道は魚津まで乗車。
◎魚津 1700→1726 富山 富山行566M
◎富山 1743→1821 金沢 スーパー雷鳥8号 大阪行特急4008M
計画表では魚津1536発の北越4号か1639発の北越6号に乗車して18時までに宿に着く予定だったが、黒部峡谷鉄道での遅れにより、このような乗り継ぎになった。鉄道研究会の合宿に参加。宿は金沢駅東口すぐ近くにある旅館鹿島屋。
鉄道研究会の合宿は、初日の18時からの夕食でここまでの経路を順に報告するのが主たる行事。
平成2年(1990年)8月7日(火)
◎金沢 907→932 高岡 北越5号
新潟行特急1015M
◎高岡 1008→1035 氷見 氷見行433D
◎氷見 1114→1141 高岡 高岡行438D
この日は2泊の合宿の中日。午前中は高岡から氷見線を往復。氷見線では雨晴岩をはじめ海岸線を眺めながら乗車。終点の氷見では到着5分で折り返し列車があったが、1本見送って駅周辺を散歩した。
◎高岡 1144→1203 富山 魚津行257M
◎富山 1218→1235 岩瀬浜 岩瀬浜行141M
◎岩瀬浜 1325→1343 富山 富山行144M
高岡から単独行。ライトレールに転換する前の、この当時の富山港線は、急行型2ドアの電車で運用されていた。富山港線の終点岩瀬浜でもすぐの折り返し列車は見送る。この当時の富山港線は日中1時間に1本のため、ゆっくり散歩。岩瀬浜海水浴場は程近く、海水浴客が点在していた。
◎富山 1414→1451 金沢 スーパー雷鳥4号 大阪行特急4004M
富山でます弁当(650円)を購入して車内で昼食。
◎金沢駅 1512→ 兼六園下
午後は金沢市内観光。金沢城下を見てから兼六園を散策した。
◎兼六園下 → 金沢駅
2日目の夕食時も、その日の行動を報告するのが習わし。
平成2年(1990年)8月8日(水)
金沢駅は高架化したばかりで、役目を終えた地上ホームがまだ残っていた。
安江金箔工芸館を見学した後、北陸鉄道を七ツ屋から金沢まで1駅だけ乗車。
◎金沢 1158→1300 羽咋 七尾行345D
◎羽咋駅 1315→1405 三明(さんみょう)
北鉄バス
◎富来 1455→(関野経由)→1750 輪島駅
七尾線の羽咋駅からバスを乗り継ぎながら能登金剛や、ヤセの断崖などの海岸沿いに車窓を撮影しながら北上し、総持寺を経て輪島市へ。途中のバスの行き先は難読地名が多かった。時刻表にはバス停のフリガナの記載はないので、現地でバスの切符を買う時に初めて「さんみょう」や「とぎ」の読みを知った。
宿泊先は「ヤングイン輪島」。夜は2030頃から近くの輪島屋本店前で御陣乗太鼓の公演を見物した。
平成2年(1990年)8月9日(水)
朝は輪島の朝市で甘エビを小分けで売ってもらい、宿に持ち帰って朝食。
◎輪島 907→1050 七尾
金沢行 普通342D
当時は七尾線が輪島までJR線として残っていたので、金沢まで乗車。能登三井で急行「能登」と行き違い。当時、上野・金沢間の急行「能登」は客車列車で、日によっては輪島まで延長運転していた。腕木式信号機が残っていて、タブレット交換もしていた筈だが、この頃はタブレット交換の撮影をしていなかった。
穴水で26分停車の間に、のと鉄道の写真を撮っている。
◎七尾 1111→1257 金沢 金沢行348D
先ほどの列車は七尾から急行「能登路6号」として先行するが、北陸ワイド周遊券は七尾線が自由周遊区間外だったこともあり、ここから後続の普通列車に乗り換えた。
金沢では、ステーションデパートで土産物の一部を購入。
◎金沢 1415→1506 福井 雷鳥34号 大阪行L特急4034M
◎東古市駅 1533→1547 永平寺門前(京福電気鉄道バス)
特急で福井まで移動し、京福電気鉄道で永平寺を参詣した。当時、京福電鉄は永平寺線が残っていたが、接続の関係で往路は東古市からバスだった。
◎永平寺 1718→ 東古市 東古市行(京福電気鉄道)
帰りは永平寺線の電車を永平寺から利用。1102号単行ワンマン。
◎東古市 1732→1758 福井 福井行(京福電気鉄道)
◎福井 1835→1910 敦賀 雷鳥42号 大阪行L特急4042M
◎敦賀 1919→2017 米原 米原行280M
◎米原 2024→2058 大垣 岡崎行1488M
福井から敦賀・米原と乗り継いで大垣へ。北陸ワイド周遊券の自由周遊区間は敦賀までなので、ここまで特急自由席を利用して、敦賀からは普通列車で移動。大垣で東京行の所謂「大垣夜行」を待つ。
◎大垣 2224→(翌)415横浜 東京行372M
大垣夜行で帰路についた。
平成2年(1990年)8月10日(木)
夜明けの横浜で下車。大垣夜行は東京行だが、都区内発の北陸ワイド周遊券を手元に残すため一旦改札を出て、普通乗車券で入り直した。
◎横浜 436→513 東京 大宮行(京浜東北線)
◎東京 618→709 辻堂 小田原行727M
◎辻堂 713?→723?
大船 東京行2744M?
◎大船 733→751 東逗子 横須賀行589S
東京からは2ドアの185系を使用している普通列車を選択。当時はライナー列車の間合い運用で、普通列車に185系も使われていた。大船まで乗車予定だったが、寝過ごして辻堂まで行って引き返した。
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