1993年10月 会津若松・蒲原鉄道

 翌春の卒業を控え、鉄研の同期で会津若松に1泊旅行しました。同期の旅行とは言っても鉄研なので、基本的には現地集合現地解散です。常磐線の平(現・いわき)から磐越東線・西線経由で会津若松入り。帰路は蒲原鉄道と新潟交通に乗車して、ムーンライト越後でした。ただ、新潟交通は夜間の乗車で、残念ながら車両の認識できる写真が残っていません。

 

平成5年(1993年)10月9日(土)

 

◎東逗子 505610 東京  成田空港行416S

2番列車で出かける。運転士は研修中らしく、2人乗務。「出発進行!」等の確認喚呼が客室前方まで聞こえる。横須賀線ではっきりとした確認喚呼を聞くのは恐らく初めて。車内は始発より空いているようで、東逗子から鎌倉まで先頭車は1人のみ。逗子での増結時には運転士がホームに立ち、「連結!」、「連結完了!」、の称呼。

大船付近から右側の窓が日の出で赤紫に光る。保土ヶ谷からは全方向的に明るくなる。国道1号線を並走する車の過半が消灯していた。戸塚から急に乗客が増え始め、横浜からは座席の30%以上が埋まり、自分の座るボックスに、もう1人乗客が来た。

 

◎東京 ?→625頃 山手線

東京から山手線に乗り換え、625頃に上野着。

地平ホームには、「出羽」、「北陸」、「あけぼの」が並んでおり、間もなく「ゆうづる」が2本続けて到着した。「北陸」の回送推進運転を眺めた後、自由席特急券を購入して17番ホームで並ぶ。「スーパーひたち」を待つ行列は長く、反対側で「あさま」を待つ列と合わせてかなりの混雑。

 

◎上野 700816 勝田  スーパーひたち3号 平行L特急1003M

646頃「スーパーひたち」入線。しかし、通路に立ち客があふれ、座れない。発車前に同期1人と合流。7号車の通路に並んで立つ。「スーパーひたち」は快走。話し込んでいて、デッドセクションには気づかなかった。

水戸の手前の友部で席が空き、並んで座る。乗換予定の普通列車には水戸で追い付くが、券売機で買った特急券は同料金の勝田までなので、そのまま水戸の次の勝田まで乗車。

勝田で途中下車すると、駅員は胡散臭そうな表情で、複雑な経路かつ読めない字での戸塚駅訂正印を見て「よく分かんないな」。すぐ改札内に戻るが、その前に同期はスタンプの在りかを聞いて押していた。

 

◎勝田 826956   平行325

勝田からの普通電車はロングシート。先頭に立つ。途中、日立電鉄の接続駅では、旧型車に混じって旧営団2000系の「新車両」が多く目立った。その後、乗客は周期的に増減したが、結局、平まで立っていた。


◎平 10271115 神俣  郡山行735

平からの乗継列車は混んでいたが、途中下車前に荷物を置いておいたため座れた。

神俣で下車。あぶくま洞へのバスは休日しか走っていないので歩いていくことを考えていたが、近くにいた団体の人がタクシーに便乗させてくれた。2人同時には便乗できず、別々の車であぶくま洞へ。長い上り坂が続き、歩いたら大変だったろう。

あぶくま洞で同期と再合流した。あぶくま洞の周辺は石灰岩の山で、積雪しているかのように白く美しい。探検コースを含む1,150円の切符を買って入る。通路が一部狭く、渋滞が起こる。途中から別料金の探検コースに分岐すると、多くの所で天井が低かったり狭かったり。水流の上に丸太を並べたような通路や急な階段等が組み合わさっている。途中で浅い水たまりに足を落とし、靴下が濡れた。やがて通常コースに合流。鍾乳石のきれいな景色を歩く。

洞を出て土産物屋を眺めたが気に入ったものは無し。飲料を買ってから、下り坂の続く道を下りる。


カーブが連続し、その都度あぶくま洞の白い壁が見える。50分くらいで神俣駅に戻り、ロッカーに入れてあった荷物を取り出す。駅員はいるが委託駅らしい。

 

◎神俣 13431432 郡山  郡山行739

神俣からの列車にも何とか座れた。

 

◎郡山14391554 会津若松  会津若松行1231

郡山から磐越西線に乗り換え。車内は朝の京浜東北線並みの混雑。6両あった列車を分割して3両となったかららしい。いつも3両なのか、車両故障による措置なのかは不明。

先頭デッキでもう1人同期を発見して合流。午前中まで研究室にいて、新幹線で来たとのこと。デッキに立ったが身動きができない状態。終点まで下車する人は少なく、会津若松到着までに背中やその他が痛くなっていた。

 

駅から徒歩で田楽の満田屋へ。みんなで田楽のBコースを注文する。ちなみにAコースは量が多く本格的な食事とのこと。囲炉裏のあるカウンターに座り、作るのを眺めながら食す。こんにゃく、餅などを炭火であぶり、味噌をつけて次々に出される。食後に味噌を買い、宿に向かう途中で2名、さらに宿に到着してからもう1人が到着して6人が揃った。


(宿泊)会津つるやホテル

大広間を区切った20畳の部屋。食後、鶴ヶ城へ散歩に出かける。公園内は20時を過ぎて暗いが、天守閣はライトアップしていてきれい。城をバックに写真・ビデオ撮影を行い、その後、市内をうろうろしてからカラオケ店へ。90分でいろいろ歌う。谷村新司が多かった。

宿に戻り風呂に入った後、翌日の相談をしていたが、隣の部屋の人にうるさがられ、途中で切り上げて寝た。

 

平成5年(1993年)10月10日(日)

予定より早く730頃起床。他の人を急かして朝食と記念撮影。

855頃に宿を出て、車で来た同期に乗せてもらって飯盛山へ。荷物は車に置き、山の階段を駆け上り、大急ぎで観光。山上では白虎隊をイメージさせる剣舞を行っていた。左側には隊士の墓。右にしばらく行くと白虎隊自害の地の碑、その途中に生き残った人の墓。ここから城は意外と遠く、これでは城下町の火災と区別するのは難しかっただろう。駆け足で階段を下り、車に戻る。観光して戻るまでの所要時間は910922の約12分間。

飯盛山をゆっくり観光する同期と別れ、車で会津若松駅に送ってもらい、列車の時刻の数分前に到着。ここで「ムーンライト」の指定席券を購入した。

 

◎会津若松 940955 喜多方  ばんだい1  喜多方行 快速3231

喜多方行は6両編成で、会津若松までは混んでいたが、ここでの下車客が多く、ここからは2人となった同期で1ボックスを占める。沿線で別の同期が撮影をしていたはずだが、見当たらない。喜多方にはすぐ到着。

 

荷物をコインロッカーに収めて、事前に聞いた「まこと食堂」に急ぐ。少し遠いが、地図を見ながら到着。食堂とは言っても中は座敷になっていて、靴は袋に入れて持ち込む。早速、小中華そば(800円)を注文。あまり待たされず、数分でできる。面は少し太い。出てきたラーメンを急いでかきこんで、1040に店を出る。


帰りは少し大回りをして、蔵造りが2棟並んでいると思われるところを通る。もっと多くの蔵造が並んでいる所もあるようだが、遠いので時間の関係上、見合わせた。駆け足で見て回り、喜多方駅に戻り、荷物を出して列車に乗る。

 

◎喜多方 11021237 五泉  あがの1号  新潟行 快速3221

5両編成で比較的乗車率は高く、ボックスは空いていない。ロング部分に腰掛けて、たまに外を眺める。



阿賀野川の景色は良いが、特に良い景色はたまにしか見えない。そのまま新潟に行く同期と別れて五泉で下車。ここから単独行。

 

◎五泉 12391247 村松  村松行(蒲原鉄道 240円)

五泉から蒲原鉄道の電車に乗る。クラシックな車両。ロングシートで床は板張り。2駅で終点の村松に到着。その先には、かつて加茂まで通じていた線路の残りがまだある。

ワンマン列車のため、駅で運賃精算。「JRの切符は?」と聞かれたので見せる。いつもそうしているようだから、五泉は一見スルーだけど実はそうではないのだ。

駅の周りを見て戻る。

 



◎村松 12531301 五泉  五泉行(蒲原鉄道 240円)

今度は硬券の乗車券を買って乗車するが、通常は券売機のようだ。買った硬券には「運賃変更」のスタンプは押してあるが、現行運賃である240円の表示はない。旧運賃は何と100円。確かに切符はやや変色している。 



◎五泉 13051319 新津  新潟行2237

五泉からJRに乗り換え。110系は単行。車内では集札しない。


新津で下車後、新津市鉄道資料館へ。




駅前の通りを線路沿いに右に行き、大きな歩道橋を渡ってしばらく行ったところにある。入口に腕木式信号機。1時間以上かけてゆっくり回る。展示機器のメンテナンスはさほど良くないかも知れないが、特に気にならない。資料館の正面に引込線があり、クハ181、除雪車DB20?、オハ3173系電車等が並んでいて見ものだが、あまり近づけない。 




◎新津 15551616 新潟  新潟行2241

駅に戻ると、磐越西線の客車列車が停まっており、その発車を眺めるため予定の列車を2本遅らせて、1555発で新潟へ。 





◎新潟16191624 白山  吉田行156

新潟では、すぐ正面の越後線電車で1つ目の白山に行く。近く(と言っても徒歩10分以上かかる)に白山公園があるので観光。さほど広くはないが、よく整っている。隣には旧県会議事堂。堂々とした建物だ。

 

◎白山 → 関屋

白山駅に戻り、1駅先の関屋へ行く。

関屋駅の地図を記憶して、東関屋へ歩く。意外に距離があり、10分くらいかかる。途中、前年に廃止された市内線への廃線跡が見え、しばらくすると新潟交通の東関屋駅に着く。

 

◎東関屋 1744→ 月潟  月潟行

駅舎内で列車の時刻を見ると2分後なので、直ちに硬券乗車券を購入して乗車する。ホームが少し離れているため、発車の指示は無線を用いて行っている。

東関屋発車時には比較的乗車率が良かったが、それでも座席の50%程度。大きな駅に停まる毎に減っていく。車内には貸し傘が備えられていて、次の乗車時まで使えるようになっている。細かな気配りだ。

新潟交通はこの年の7月まで弥彦線の燕まで通じていたが、81日に月潟・燕間が廃止された。終点となった月潟で乗車券を貰う。再使用しないように念を押される。駅前に商店街があるが、既に閉まっている。

 

◎月潟 1838→ 東関屋  東関屋行

列車に戻ると乗客は1人で、運転士(K氏)が話しかけてきたので色々なことを聞くことができた。休日にはフリー乗車券があること、最盛期には300名以上いた職員が現在は2627名であること、電車も21両あったのが8両に。職員の大半が運転士で、車掌は全廃され、一部の2人乗務の列車では駅員が乗車。横浜市港北区に子息が住んでいる。途中の白根で8分停車。その時に、使用済みのフリー乗車券と時刻表をくれた。またしばらく話す。旧乗車券の地図は白山―燕のものを修正したもの。新潟交通の厳しい財政事情が窺える。

途中から雨が降り始め、停車時に運転士が反対側(後ろ)の乗務員室の窓を閉めに走っていた。東関屋に着き、挨拶を交わして列車を降り、改札で精算。傘を取り出して関屋駅へ。

 

◎関屋 19452027 吉田  柏崎行168

JR関屋駅は既に営業時間を終わり、直接ホームに入れるようになっていた。乗車駅証明を貰う。

 

◎吉田 20392047 弥彦  弥彦行278

吉田で切符を買い直して弥彦へ。弥彦線は2両編成で車両も越後線より古い。

弥彦駅は工事中。神社の入口の駅で、朱色が多く使われている。

 

◎弥彦 21002131 東三条  東三条行255

弥彦は業務委託駅で、駅員は既に業務を終了している。券売機も1920までで、以降は乗車駅証明を発券する。弥彦線のワンマン列車内で精算しようとするが受け付けてくれず、東三条でやるように言われる。仕方ないので東三条で主乗車券と弥彦の乗車証明も見せて複雑な精算。

駅には何もなく、駅前でもゲームセンターしか開いていない。麻雀ゲームを1回やった。

 

◎東三条 22222246 長岡  長岡行470

長岡行最終で長岡へ。後続の「きたぐに」を撮る。改札の内外にうどん屋のテーブルがあり、そこで休憩。一度改札を出てみる。改札外に24時間待合室。

西口を出て5分くらい言ったところにコンビニがあり、カップ麺を買って湯を貰い、そのまま持ち帰って、うどん屋のテーブルで食する。拾ってきた雑誌を読んだりしているうちに時間になる。

 

平成5年(1993年)10月11日(月)

◎長岡 109510 新宿  ムーンライト  新宿行 快速3720

指定の席にはおばさんが寝ていたので、近くの空いた席を占領し、しばらく様子を見てから130頃寝る。一度、水上で目覚め、また大宮まで寝る。ムーンライトは赤羽線を経由せず、王子付近から山手線に分岐し、山手貨物線経由で新宿に着く。車内整備の時間がないのか、駅員がかなり乱暴に寝ている人を起こす。

 

◎新宿 520→ 東京  東京行 中央線各駅停車

この時間の中央線は快速運転がなく、緩行線経由の東京行に乗る。未だ乗客は少ない。

 

◎東京 607651 大船  熱海行725M(185系)

東京駅で他のホーム等を散歩した後、7番線から185系の熱海行に乗車。東京・横浜間では座席の70%くらいが埋まる。

 

◎大船 700718 東逗子  横須賀行703

大船で横須賀線に乗り換えて帰宅。

 目次へ

コメント