1993年8~9月 東北 1~3日目 ー 只見線・阿武隈急行・三陸鉄道

 

平成5年(1993年)8/9月 鉄研東北合宿

平成5年度の鉄研夏合宿は岩手県宮古市。旅先での乗継経路と詳細な現地メモをしていた手帳を発見したので、写真を見ながら令和3年に作成した旅日記です。(公開にあたり一部再編集)

この旅では主に東北ワイド周遊券を使用して、1日目は上越新幹線から只見線経由で東北入りして、山形新幹線・仙山線・阿武隈急行で循環してから急行「八甲田」で車中泊。2日目は岩手県の内陸と海側を行ったり来たりするルートで宮古の合宿地に到着。翌日は鉄研メンバーと離合集散しながら、今はなき岩泉線で龍泉洞を観光したり、浄土ヶ浜の遊覧船に乗ったりしました。


平成5年(1993年)8月31日(金)

◎東逗子 446→549 東京  東京行490S

東逗子乗車時、車内のゴミを外に投ずる者あり。新子安・鶴見間では踏切直前横断者があり、200mほど通過して急停車したが、支障ないためすぐに発車。新川崎で、出勤と思われるJR職員1名乗車。

 

◎東京 608→738 越後湯沢  とき401号 新潟行 幹401C

この当時の東北・上越新幹線は200系。上越新幹線では上毛高原付近より対雪スプリンクラー設置確認。(夏なので稼働していないが)同駅発車後すぐ大清水トンネル。上毛高原辺りから晴れ間が見える。

越後湯沢下りホームには「健康の天使」像(温泉手洗い付き)がある。改札外に、牛乳パック入りコシヒカリ「新治米」の自販機があり、1kg760円。3kgの袋を扱う自販機もある。さすが米どころである。越後湯沢駅前には新幹線上野開業の記念碑(昭和603月建立)あり。

 

◎越後湯沢 802→841 小出  長岡行1727M

 

◎小出 920→1046 只見  只見行430D

非冷房だが、窓を開けて風も入り、緑の中をのんびりと進む。時々破間川を渡りながら高度を上げる。大白川・田子倉間「六十里越トンネル」は通過に11分半を要した。

只見駅の事務室奥に通票閉塞機が並んでいるのが見えた。

 

◎只見 1136→1402 会津若松  会津若松行432D

この時間は只見で乗り換え。只見からは只見川に沿って走る。会津川口は、ホームのすぐ下が川。

只見線内の交換駅とホーム形状は、小出(島)、越後須原(島)、大白川(島)、只見(島)、会津宮下(対)、会津柳津(対)、会津坂下(対)、会津高田(対)、西若松(3線対)。当時の只見線は通票閉塞だったが、信号機は全線色灯式信号を使用。

会津若松での接続時間があったので、駅周辺を散歩。磐越西線の客車列車は少なくなっていたが、車庫にED77が休んでいるのが見られた。ED77は磐越西線のみに配置されていたが、磐越西線の軌道強化によって東北本線等で運用されているED75が入線可能となったため、この年に廃車となっている。

 


◎会津若松 1445→1603 郡山  郡山行1232M

途中の中山宿はスイッチバック駅。一旦折り返し線に入ってからバックで島式ホームの中山宿に入る構造。郡山方へはそのまま進める。

 

◎郡山 1637→1758 山形  つばさ131号 山形行 幹131B→131M

前年に開業した山形新幹線の400系列車で山形に向かう。つばさ131号の14号車の乗車率は約20%。初の「ミニ新幹線」となった山形線内は横揺れと走行音が大きい。線路幅は新幹線の1435mmだが、奥羽本線乗り入れのため車両の幅は在来線並みのため、座席は横4列。リクライニングシートの質は200系より良好。車内電光表示板あり。AM,FM放送受信可。

山形駅から城祉公園まで徒歩1015分。大手門は新築で、木の香が強い。

 ◎山形 1850→2011 仙台  仙台行834M

 ◎仙台 2030→2055 槻木  福島行592M

禁煙タイムだが、車内には分散して2~3名の喫煙者がいる。

 ◎槻木 2100→2210 福島  福島行(阿武隈急行)946M(運賃870円)

阿武隈急行経由で福島まで行く最終列車。丸森から乗車1名、やながわ希望の森公園前以降からも1~2名ずつの乗車がある。停車駅を案内する車内放送では、「~の里○○」とか「~発祥の地○○」、「~のふるさと○○」といったように、駅名の前に何らかのキャッチフレーズを付けている。保原からは10名余りの乗車があり、福島到着時には座席の23割が埋っていた。

福島駅のコンビニは7時から24時までの営業。

 

◎福島 22302320 郡山  須賀川行1128M

下り「八甲田」は福島にも停車するが、車内での睡眠時間をより確保するため、東北ワイド周遊券の有効範囲の端の郡山まで移動。

郡山駅の待合室は23時で閉鎖のため、座るところはない。郡山駅前に24時間営業の吉野家があり、ここで夜食を取りながら時間をつぶす。

 

平成5年(1993年)9月1日(水)

◎郡山 110→430 一ノ関  八甲田 青森行急行101

時刻表の編成図では6両だが、多客期のため客車2両とモトトレイン2両を増結している。8号車で鉄研後輩2人と会った。一ノ関で下車の際には先輩にも会った。福島で11分停車の間に、下り「はくつる」が運転停車して、先に発車していった。「はくつる」のグリーン車には乗客が2名しか見えなかった。

一ノ関の待合室は100-400閉鎖。同駅では0430から駅弁を販売している。

 

◎一ノ関 515→807   盛行323D 

◎盛 810→856 釜石  釜石行209D(三陸鉄道 運賃840円) 

◎ 釜石 900→1021 遠野  花巻行1630D

遠野では、市立博物館と民話村に立ち寄り、遠野物語を聴く。 


◎遠野 1128→1252 盛岡  陸中4号 盛岡行急行604D

陸中4号乗車時に、遠野で行き違う釜石行639Dに後輩2人を発見し、しばし会話。

 

盛岡市内を徒歩で観光。石川啄木新婚の家、盛岡地方裁判所敷地内にある石割桜、盛岡城址公園、新渡戸稲造生誕の地を経て、原敬生家に回る。原敬生家は駅の反対側で離れていた。盛岡駅に戻る途中の先人記念館にも寄る予定だったが、時間が足りず断念。結局、盛岡市内で10km近く歩いた。

 

◎盛岡 1634→1847 宮古  宮古行666D

盛岡から、後輩1人と同じ列車になった。浅岸から区界に至る区間では、車窓に深い山が広がり、背景に夕日が光る。道路や家屋は見えない。岩泉線と接続する茂市では合流者なし。

終点の宮古で下車し、合宿地に到着。

 

(合宿)花坂旅館

 

 

平成5年(1993年)9月2日(木)

宿には朝食があり、急いで食す。朝食のため列車に乗り遅れた会員もいた。

 

◎宮古 635→656 茂市  川内行623D

宮古から乗車した鉄研会員は6名。

 

◎茂市 701→757 岩泉  岩泉行683D

岩泉線に乗り換え。岩手大川から通学客等20名弱が乗車し、座席の8590%程度が埋まる。メンバーのうち2人はそのまま岩泉線で折り返し。

 

◎岩泉駅 800→828 龍泉洞前  (岩泉営業所乗換)龍泉洞前行JRバス

時刻表では龍泉洞まで直通と思っていたが、岩泉営業所での乗り継ぎ。JRバスにおける周遊券利用の際は、運転士が券番と発行駅を控え、JR東日本に分配請求するとのこと。

 

龍泉洞を4人で見物。外気が17℃のところ、龍泉洞の内部は13℃。途中、急階段の峠や、狭い通路を経て、写真にはうまく撮れていないが神秘的な光景を見て回った。

土産を買っていると、ここでも後輩と会った。

 

◎龍泉洞前 1019→1048 小本駅  小本行JRバス

小本線でも、運転士が周遊券の券番号と発行駅を記録している。

 

◎小本 1054→1126 宮古  宮古行112D(三陸鉄道 運賃600円)

小本から宮古までの列車はレトロ車両。昭和64年製で、横浜のみなとみらい博で運行されていたもの。田老で、ここまで同行していたメンバー3人が下車して船に向かい、ここからは単独行。眠い。 


◎宮古 1134→1255 釜石  釜石行640D

キハ100系の警笛は、機関車で使用しているものと音が似ているが、先頭車にいるとかなりうるさい。

 

◎釜石 1257→1319 吉里吉里  久慈行5643D

釜石ではすぐの折り返しで吉里吉里へ。「吉里吉里国」は駅前に出光があるだけで、ほとんど寂れている。商店街も疎ら。散歩してもよく分からず、次の列車に乗り遅れそうになった。 


◎吉里吉里 1422→1522 宮古  久慈行5645D

列車に飛び乗ると、後輩2人と会い、共に浄土ヶ浜に向かう。

 

◎宮古駅 1535→1550 浄土ヶ浜ターミナル  浄土ヶ浜ターミナル行 岩手県北自働車 


◎浄土ヶ浜ターミナルビル 1620→1700 浄土ヶ浜ターミナルビル 遊覧船

浄土ヶ浜では、観光船に乗り込み、周辺の島々を見て回る。餌を当てにして鴎が船に並行して飛来する。潮吹き岩の近くを通った時、あいにく潮は吹いていなかった。 

下船後、タクシーで宿へ。運転手は20代くらいで話好き。しかし、乗務員証の期限は昭和65年(1990年に相当)だった。今年は冷夏で、海水浴場の利用客が少なく、不景気とのこと。 

(宿泊)花坂旅館

宿では、今日着いた同期が待っていた。夕食後はカラオケ大会。「青い山脈」を歌った。最後に全員で「津軽海峡冬景色」。風呂は定員3名ほどで、混んでいた。夕刻、台風情報を聞く。 

4日目に進む

目次へ

コメント