1991年8~9月 北海道
学生当時には旅日記をつけていませんでしたが、行程記録と写真が残っているので、これらを基に、平成30年から令和3年時点の記憶で旅行記を構成しました。
鉄研の平成3年の夏合宿は北海道の温根湯温泉でした。いつものとおり現地集合現地解散です。この旅の主な使用切符は都区内発北海道ワイド周遊券。横浜西口のJTBで、横浜・蒲田往路と復路の乗車券と共に購入しました。帰路には寝台特急北斗星のソロを狙っていましたが、人気列車で、東逗子のみどりの窓口に発売開始の6分後に行った時点で満席でした。その後、みどりの窓口に何度も通ってキャンセルを狙ったものの、出発時点では確保できませんでした。
平成3年(1991年)8~9月 鉄研夏合宿 北海道
平成3年(1991年)8月31日(土)
◎東逗子 1815→1915 品川 千葉行1734S
◎品川 1919→1929 東京 東海4号 東京行急行304M
横須賀線でそのまま東京まで乗っても良かったのだが、都区内から北海道の周遊区間入口までは急行の自由席が利用できるので、敢えて急行「東海」に乗車した。
◎東京 → 上野 山手線
急行八甲田の発車まで2時間近くあるが、夏休みで混雑する時期の自由席のため、早めに上野駅で並んだ。
◎上野 2145→翌908 青森 八甲田 青森行急行101レ
2時間前から並んだ甲斐あり、窓側の席を確保した。この夜の八甲田は、線路工事のため仙台に寄らず、長町に臨時停車してから貨物線を経由して東仙台に抜けた。
平成3年(1991年)9月1日(日)
急行「八甲田」は、台風による一時運転見合わせのため2時間半遅れて青森には1137に到着した。指定席に乗っていた同期と短時間顔合わせ。指定席急行券は2時間以上の遅れで払い戻しだが、こちらは周遊券のため急行料金の払い戻しの対象ではない。しかし吉岡海底駅見学用に確保していたゾーン539カードの列車は後続に振り替えとなった。青森駅で発券替えとなり、海峡3号から7号に変更となった。
青森駅の跨線橋からは、駅構内をオーバークロスする位置に建設工事中の青森ベイブリッジと、その後方に青函連絡船の保存されている船体が見える。
◎青森 1206→1322 吉岡海底 海峡7号 函館行快速3127レ ED79 1牽引50系 1号車
遅れて到着したL特急はつかり3号の接続を待って1215頃に発車。50系客車で、デッキへの扉の上には青函トンネルの大きな断面図に走行位置と海面下の深さを電光表示している。
吉岡海底で下車。この駅は青函トンネル見学専用の駅で、海底駅見学整理券である「ゾーン539カード」で指定の号車のみドア扱い。
ホームがとても狭いので、列車を降りるとすぐに係員の誘導で薄暗い通路を移動して、少し広いイベントステージで説明を受けてから、係員の引率で見学する。後にドラえもんとのタイアップで、「ドラえもん海底ワールド」としての展示が増えたが、この当時はトンネル関係の資料やジオラマ、工事に使われた機材、地上の津軽海峡の景色を大画面で見るカメラ、あとは世界初の海底水族館として津軽海峡の魚類が水槽で展示してあった。途中、通過列車の通る場面があったが、ホームは狭くて危険なので、ホームから奥に入った通路からの見学。
◎吉岡海底 1535→1652 函館 海峡9号 函館行快速3129レ
青函トンネルを抜けて、北海道の地上に出る。江差線は海沿いを走る区間が長く、右前方に函館山が近づいてくるのを眺めながら乗車。
◎函館 1704→2049 札幌 北斗13号 札幌行特急5013D
車両は183系7両編成。やや混んでいたように記憶しているが、着席はでき、夕暮れのなかを進む。札幌には定刻より3分遅れて2052到着。
◎札幌 2200→翌600 稚内 利尻 稚内行急行311D
札幌で約1時間の乗継時間があったが、夕食をどのようにしたかは記憶にない。
車両はキハ40を改造したキハ400形。進行方向左側の席を確保した。
平成3年(1991年)9月2日(月)
夜が明けて、終着直前の抜海・南稚内間で僅かの間だけ利尻富士を望める地点があり、カメラを構えていたが、厚い雲に遮られて見えなかった。
稚内駅前で記念撮影した後、車窓に利礼ドームを眺めながら、バスで野寒布岬まで往復。霧のためサハリンは見えない。
駅に戻ってから、もう少し時間があったので、タクシーで稚内公園を車窓見物。ここには南極観測に行った樺太犬の記念碑・供養塔がある。
こちらもキハ400形。天塩川沿いに旭川まで戻る。途中の比布は、昭和時代にテレビCMが撮影された駅で、駅名標を撮影。
◎旭川 1507→1747 留辺蘂 きたみ 北見行特別快速3527D
キハ54形の快速列車で、合宿の集合に丁度よい時間のため、鉄研の後輩とも乗り合わせた。途中、運転停車で特急オホーツクと行き違い。常紋トンネルを過ぎて合宿地最寄りの留辺蘂に到着。
集合時間との関係上、合宿地の温根湯ホテルまではタクシーで移動した。
(合宿)温根湯ホテル
この年の7月に出来たばかりの新しい建物だった。恒例のとおり、宴会では各自の経路を報告。その後は温泉で寛いだ。温泉は内湯の他に3段くらいの広い露天風呂を併設していた。
平成3年(1991年)9月3日(火)
この日は鉄研の同期や後輩と共に網走市内などを観光した。
◎温根湯 805→825 留辺蘂駅 北見駅行 北見バス
◎留辺蘂 900→1050 網走 緑行569D
この時間は特急がないので、普通列車で網走に向かう。途中の北見では増結で19分の停車時間があり、隣のホームに停車中だった北海道ちほく高原鉄道の車両を撮影できた。
◎網走 1109→1123 天都山 天都山行 網走バス
博物館網走監獄は網走市郊外の天都山にあり、バスで向かう。
まずはバスの終点である天都山へ。展望台からは網走湖を望める。
その近くのオホーツク流氷館を見学。防寒着を着用して氷点下10度以下の部屋で冷凍保存されている流氷に触れることができた。
次に、天都山中腹にある博物館網走監獄見学。元々の網走刑務所は別の場所だが、改築された後の元の網走監獄が移築されたもの。保存されている旧監獄の内部を見て回った。
◎博物館網走監獄 1350頃→ 網走刑務所経由で網走駅までタクシー
博物館網走監獄から網走駅までのバスはあったが、せっかくなので現在の網走刑務所前の見学をするため、皆でタクシーに乗り、網走刑務所前でタクシーに待ってもらって記念撮影をしてから網走駅に戻った。
◎網走 1430→1632 留辺蘂 留辺蘂行580D
(合宿)温根湯ホテル
平成3年(1991年)9月4日(水)
◎温根湯 901→1012 層雲峡 石北号 旭川駅行特急バス 北見バス
ホテルの前で記念撮影をして解散。温根湯温泉から留辺蘂駅は東方向にあるが、逆方向に進むと層雲峡に至る。
層雲峡ではレンタサイクル(1200円)を利用して、鉄研の仲間と共に層雲峡と小函を観光した。
◎層雲峡 1147→1307 留辺蘂 石北号 北見駅行特急バス 道北バス
上川方面に向かう仲間と別れ、温根湯温泉経由で留辺蘂駅へ。
◎留辺蘂 1317→1417 美幌 網走行573D
◎美幌駅 1430頃→1610頃 池の湯 タクシー
美幌峠・和琴半島経由 10,000円
美幌駅1455発の川湯温泉行バスに乗る計画だったが、バス乗場の近くで待っていると、近くにいたタクシーの運転士が、どこに行くのか尋ねてきた。川湯温泉行で池の湯まで行くと答えると、今日はもうバスは無いという。時刻表を改めて確認してみると、1455発は8月31日までの運転で、この日の最終バスは1245に出発済だった。タクシーでどうかと言われ、料金を聞くと、大体1万1千円くらいだが、1万円ちょうどでよいとのことで、乗ることにした。
池の湯のいなせレジャーランド内にある鹿苑荘に到着。ここは、小さな貸別荘が並び、贅沢にも1人で1棟を使う。風呂つきだが、1部屋の小さな建物だったと思うが。2食付きの食事内容については覚えていないが、どこか食堂で食べたと思う。食事以外は決まった予定はなく、夜になってから池の湯露天風呂に行った。遅い時間になると他に入浴客はいなかったように記憶している。小さな明かりがあるが、結構暗い。屈斜路湖に隣接した円形の浴槽の底には藻が張っていた。湯の温度は温かったと思う。
宿に戻ってから、部屋の風呂にも入り直した。
(宿泊)いなせレジャーランド鹿苑荘 2食付5,150円
平成3年(1991年)9月5日(木)
バスもあるが、前日に予定外のタクシー利用もあったことを踏まえた節約を兼ね、川湯温泉までは歩くことにした。
宿を755頃に出発し、朝の池の湯を撮影してから、砂湯経由で川湯温泉まで約11kmの道のり。砂湯には観光客が集まっていた。
川湯温泉には1015頃到着。
◎川湯温泉 1045→1140 摩周第三 くろゆり号 美幌駅行 阿寒バス
川湯温泉から、予定していたバスに乗車。定期観光バスという位置付けで途中の乗降はできるが、観光地では一定の見学時間を設けている。川湯温泉を出て少し走ると、硫黄山にしばらく停車。各所からガスが噴出し、硫黄成分の入って白く、植物が生えていない荒涼とした風景が広がる。
硫黄山を出ると、摩周湖の外輪山を上り、摩周第三展望台には定刻より10分早い1130に到着。ここでバスを降り、しばらく摩周湖を眺める。「霧の摩周湖」と云われ、この時も霧がかかっていたが、時間が経つと少し晴れてきた。池の湯から川湯温泉まで歩いた時は暑かったのでTシャツだったが、標高が上がったこともあり、上に長袖シャツを着込んだ。
その後、摩周第一展望台まで約3kmを歩く。途中、右手に屈斜路湖を見下ろすことができた。
素っ気ない作りの第三展望台と違って、摩周第一展望台には土産物などの店もあり、賑わっている。
◎摩周第一展望台 1330→1350頃 摩周駅 阿寒パノラマコース 摩周駅行 阿寒バス
1本後のバスに乗り、麓のJR摩周駅まで下りた。
元の駅名は弟子屈だったが、摩周湖の玄関口ということで摩周に駅名変更したもの。
◎摩周 1500→1712 網走 網走行9636D→636D
9月末までの夏期のみ網走への直通運転となっている。川湯温泉では停車時間があるので、駅舎の撮影。
◎網走 1802→2127 釧路 釧路行641D
夕方の列車で釧路へ。臨時駅の原生花園に停車する列車としては最終で、1825。日が暮れかけている。
釧路到着は21時を回った夜更けだが、夜行列車の運転もあるためか、みどりの窓口が開いている。これまで帰路の北斗星の寝台券を求めて、何度もみどりの窓口に寄ったが、ここでようやく北斗星2号のソロを確保した。
(宿泊)民宿 クッキング会館
夏の繁忙期で、相部屋の和室。既に先客が入室していて、挨拶して入る。
平成3年(1991年)9月6日(金)
◎釧路 615→633 釧路湿原 網走行626D
早朝の列車で釧路湿原へ。臨時駅である釧路湿原で下車して、駅近くの細岡展望台に上る。霧がかかっていて遠くは見渡せないが、20分余りの滞在時間に少しだけ晴れてきた。
◎釧路湿原 700→721 釧路 釧路行621D
◎釧路 941→1159 根室 根室行529D
キハ54形単行のワンマン列車で終着駅根室に向かった。
◎根室駅 1205→1245 納沙布岬 納沙布岬行バス 根室交通
バスで納沙布岬まで行く。納沙布岬灯台よりはるかに巨大な「笹川記念・平和の塔」(後に所有者が代わりオーロラタワーに改称)が目につく。霧がかかっていて、歯舞群島は見えなかった。平和の塔は有料だし天候も悪いので登らず、近くにある無料の資料館「北方館・望郷の家」を見学した。名刺大で日付印を押した「北方領土視察証明書」が貰えた。
◎納沙布岬 1330→1410 根室駅 根室駅行バス 根室交通
◎根室 1452→1714 釧路 釧路行538D
日本最東端の駅である東根室の駅名標を撮影。片面ホーム1面の駅は住宅地にある。
釧路市内で夕食のあと、幣舞橋横のフィッシャーマンズワーフにある温水プールで一泳ぎ。
◎釧路 2230→翌519 追分 まりも 札幌行急行412レ
この当時の急行まりもはDD51牽引の14形客車だった。回転クロスシート。
平成3年(1991年)9月7日(土)
◎追分 547→658 夕張 夕張行621D
夕張支線の始発列車で夕張往復。前年末に移転したばかりの駅舎は、ホテルマウントレースイに隣接している。小振りだが三角屋根に時計塔が付いた洒落た建物。
◎夕張 715→835 千歳空港 千歳行624D
◎千歳空港 856→927 札幌 Lライラック7号 旭川行L特急1007M
この当時は日中も夕張から追分や千歳に直通する列車があった。千歳空港(後の南千歳)と札幌で乗り継いで小樽へ。
◎札幌 945→1018 小樽 マリンライナー 小樽行快速1007M
小樽運河を横目に、徒歩で鉄道記念館まで行く。旧機関庫と周囲の広い敷地から成り、実物車両の屋外展示が多い。
◎鉄道記念館 1210→ 小樽駅 小樽駅行 ボンネットバス
鉄道記念館からの戻りはボンネットバスに乗車した。前方の席に座り、小樽運河を眺めながら小樽駅に戻った。
◎小樽 1229→1249 銭函 江別行199M
縁起駅名で知られる銭函で途中下車。記念にオレンジカードを購入。
◎銭函 1258→1331 札幌 千歳空港行1784M
途中の手稲には5分停車
北斗星運行開始当初のB個室ソロはA個室ロイヤルとの合造車に組み込まれていたが、このとき乗車したのは、個室人気の中で平成3年に改造された「オールソロ」車両。片側通路に沿って扉が並んでいる。個室鍵はテンキー方式で、施錠する際に4桁の数字を登録して、解錠時にはその数字を入力するもので、カードキーはない。北斗星のソロは上下互い違いになっていて、11号室は上段。階段は扉の内側にあり、階段の下の方に立つと天井が高い。照明やBGMなどのスイッチがある。
平成3年(1991年)9月8日(日)
北斗星の朝食は予約不要で、食堂車で洋朝食を食べた。
◎東京 935→1024 大船 久里浜行から大船行に変更829S
台風でダイヤが乱れ、この日は東京始発に変更となっていた。7分遅れの942に発車。本来は久里浜行だったが、大船で運転打ち切りとなった。定刻より13分遅れて1037頃到着。
◎大船 1033→1045 逗子 逗子行935S
定刻より12分遅れの1045頃発車。逗子には11分遅れの1056頃到着。
◎逗子 1059→1102 東逗子 横須賀行959S
4分遅れの1103発1106着。
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