1997年8月 九州(1~2日目)長い寄り道~嵯峨野観光鉄道、片町・東西線、因美線急行「砂丘」

 この年の夏休みは九州方面に出掛けましたが、往路は色々と寄り道をしました。


新幹線を京都で下りて、嵯峨野観光鉄道に乗車してから奈良線・片町線・JR東西線経由で姫路に出てから姫新線で津山泊まり。急行「砂丘」の通票通過授受撮影してから広島に泊まりました。九州旅行と言いつつ、最初の2日間はまだ本州です。

平成9年(1997年)8月23日(土)

東逗子 608→643 横浜  千葉行544S  11311→15両 先頭11号車=クハ111-1105

  東逗子の改札で青春18きっぷ2日目欄に今日の日付を押して貰った。(1日目は816日に真岡鐵道方面へ行った時に使った。)間もなく、定刻で来た544Sに乗車。思った程ではないが空いている。大船発車時の先頭車の乗客は8名。太陽はもう出ており、30度強?の角度まで昇っている。進行方向右側の乗客の中には、ブラインドを下げている人もいる。戸塚以降は乗客が増え、横浜到着時で20人くらい。

 

横浜649→ 東神奈川  大宮行  20910両編成 先頭10号車=クハ209-4

  京浜東北線ホームへ下りる途中で645発が出てしまい次の649発に。これでも、横浜線には予定の早い方に余裕で乗れる。 

東神奈川655→704 新横浜  橋本行655K 2058両編成先頭8号車=クハ205-70

  東神奈川では同じホームの反対側での待ち合わせ。車内は空いていて、8号車の乗客は東神奈川発車時点で8名。

  新横浜下車後、JR東海の窓口へ。嵯峨野観光鉄道の指定をまだ取っていないことを思い出したので申込む。しかし、いろいろ操作した挙句、座席は取れても機械が古くて会社線の乗車券が出ない。別の窓口なら出来るらしいが、新幹線の時間が迫っているので諦める。

 

新横浜 723→946 京都  ひかり33号 博多行新幹線33A  10016両編成 5号車=125-229D自由席)

  ほぼ満席だが、通路側に座れた。車内から嵯峨野観光鉄道に電話するが留守電。また後でかける事にした。半分寝ながら京都へ向かう。名古屋発車後に電話がつながったが、電話予約は行っておらず、みどりの窓口か直接駅へとのこと。ただし、予定の嵯峨野3号は残席僅かで、折り返し列車はまだ残っているとのこと。時刻表で確認すると、折り返しの嵯峨野4号に乗った場合でも、姫路で予定の列車に追いつくことが分かる。一度嵯峨嵐山で予約列車をトライするか、それとも馬堀に直行して4号に絞るかだが、京都954の快速に乗れれば嵯峨嵐山で8分後の普通に乗り換えることも出来るので、快速に乗れたら嵯峨嵐山で下りてみることにした。

  車窓は、名古屋を出た辺りから晴間が広がり、少し離れた山も見通せるようになった。(富士通過の辺りでは、富士山には気付かなかった)

  この列車は貴重な食堂車営業列車だが、朝食後でもあったし、嵯峨野観光鉄道への電話もしていたため、結局、行かなかった。勿体無い。夕刻の列車ならば必ず利用するところだが。

  検札は無かったが、車内販売はたくさん回ってくる。コーヒー等から各地の土産を揃えており、新横浜発車時には雷おこし等の東京土産が中心で、静岡県内通過中は安倍川餅、名古屋発車後はウイロウだったが、同時に博多の明太まで売っていた。

 

京都 954→1008 嵯峨嵐山  嵯峨野・嵐山ホリデー4号 快速9535M  2116両編成 2両目5号車=モハ221-6

   京都での乗り継ぎは思ったよりもゆとりがあった。山陰線用32番線から発車。ホーム頭端部は混んでいたが、先端部は空いており、車内も座席乗車率20%くらい。左側に梅小路機関区を見ながら山陰線を行く。京都からの山陰線は単線だが、花園駅付近では複線化工事中だった。

  嵯峨嵐山下車。トロッコ乗り場へ。3号は立席券発売中との表示。4号はと尋ねると、まだ指定があるとのことなので、そちらにする。JR線で馬堀へ。

 

嵯峨嵐山 1016→1024 馬堀  園部行 239M 1134両編成 後車=クハ111-7509

  トンネルの多い新線を行く。途中の鉄橋で僅かに渓谷が見える。


  馬堀から炎天下の田んぼ道を歩いてトロッコ亀岡へ。亀岡駅はログハウス風の建物。観光案内所や土産物店があり。ベルを奏でる演奏装置のようなものが駅舎内にある。プリクラもあるが故障中。

 

トロッコ亀岡 1054→1120 トロッコ嵯峨  トロッコ嵯峨行114 DE11 + 客車4 3号車=SK100-11

  駅のホームが狭いので、降りる人優先で改札。ホームの対面には狸の置物あり。「他を抜く」の意味があるとのことで、狭いホームで大勢が記念撮影。入線して乗車した3号車は満員だったが、4号車は半分程度の埋まり具合。車掌は、赤いサスペンダーのお洒落な格好。いかにも観光鉄道らしい制服。

  最初のほうは左手の景色が良いと、左側の席を勧める。田園風景はすぐに終わり、保津川沿いを走る。川下りの船を幾つも追い抜く。途中、保津川鉄橋など、景色の良いところでは駅でなくても少し停車する。途中から川は右側へ。途中のトロッコ保津峡までは、鬼の面を付けた人が愛嬌を振りまいていた。釣り人の姿も見える。

トロッコ嵐山を過ぎるとJRの線路と合流し、下り線を逆走。終点手前で再び分かれてトロッコ嵯峨到着。1つ手前の嵐山での下車客も多く、車掌は窓の無い先頭車両への移動を勧めていた。車掌は、美空ひばりの「川の流れのように」を歌うなど、気さくな人だった。

終点のトロッコ嵯峨にもプリクラがあり、試してみた。

 


嵯峨嵐山 1140→1203 京都  京都行256M  1114両編成 先頭=クハ111-7509

  車内は満席で、立ったまま京都まで乗車。

 

京都 1217→1318 木津  奈良行633M  1034両編成 先頭=クハ103-538

  ちょうど満席。冷房が効いていて心地よい。乗車列車は103系だが、奈良線には117系も多く見られる。単線で行き違いのため2~3分の停車が多い。京都駅ビルが911日に開業するので、それを祝うヘッドマークを付けた電車が多い。車窓には家並みが目立つが、奈良に近づくにつれて若干の林や畑も見える。しばらく眠り、起きたら木津に着いていたので、急いで下車。

 

木津 1326→1442 尼崎  宝塚行 快速1559M  2074→7両編成(松井山手で増結)先頭→4両目=クハ206-136

  新型207系のきれいな車両。運転席後ろのガラスも広い。速度計はアナログ・デジタル併用表示。車内はがら空きで、先頭車両の乗客は4名。他の車両も同じくらい。警笛は、チャイムのような妙な音階を奏でる。


1355松井山手着で3両増結。場内赤信号で一旦停車後、徐行で赤信号を通過して進入。駅員の手旗信号に従って、先に停まっている3両編成の後ろに併結する。逗子で後ろへの増結はよく見るが、自分が乗っている車両が後ろから進入してそのまま併結するのは初めて見た。貫通ドアは開けていない。次の長尾からは少しずつ乗客が増え始めた。また、同駅からは快速運転となる。しばらくすると線路も複線になっていた。

  京橋で半分近い乗客が入れ替わり、発車後、間もなく地下線へ入る。

 

尼崎 1450→1546 姫路  姫路行 新快速3335M  2218両編成 先頭1号車=クハ221-71

  乗車時はかなり混んでいた。明石付近から乗客は少しずつ減りはじめたが、姫路まで立って過ごした。明石海峡大橋は、だいぶ完成に近いように見えた。

 

姫路1555→1809 津山  津山行835D  キハ472両編成 後車=キハ47 27

  姫路発車時はほぼ満席。少し大きめの駅ごとに下車していき、本竜野で着席した。佐用近くでボックス席に移動。佐用までに駅弁を食べ終わる。その後はカセットを聴きながら津山へ。

 

宿泊:ホテルアルファーワン津山 210号室

 ホテルにチェックインして、リュックを置き、カメラ等だけ持って駅に戻った。

 

津山 1840→1851 高野 智頭行694D  キハ472両編成 先頭=キハ47 43

 再び18きっぷで乗車。混み具合は30%くらい。三脚を宿に置いてきてしまったことを思い出した。手持ちでできる範囲で撮って、本番は明日としようか。

東津山でタブレット受領。高野で下車。対向列車のタブレット授受を撮るが、ASA100のフィルムで手持ちのためブレたかも知れない。シャッター速度1/31/6秒。







 高野駅から、智頭側の踏切へ移動。踏切には先客2名。それぞれ、宇治と奈良の人とのこと。ここへはよく通って来ているらしく、駅員の名前も知っていたりする。宇治の人は宿が同じらしい。定番?のバルブ撮影位置(前回撮った所)は三脚がないと無理なので、踏切の反対側の柵に時刻表とポケットティッシュを乗せて固定する。レリーズは持って来ていた。


1933頃、砂丘8号が高野通過。約105mm相当、F11でバルブ37秒。ここで先客2人はバスの時間の都合で帰った。列車は当分ないが、津山駅行の路線バスがあるらしい。

194647頃、砂丘9号高野通過。約100mm相当でF16バルブ51秒。



 砂丘10号は時間が遅いのでやめて、徒歩で東津山まで歩いてマクドナルドで夕食にしようと考えて歩いた。約4km余のため1時間くらいのはずだが、なかなか着かないし線路も見えない。通りがかりの人に聞くと、どうも既に津山の方が近いらしいので、そのまま歩く。高いビルが遠くに見えたので、そちらを目標に歩き、ようやく津山城近くへ。さらに歩いて、2145頃、宿に戻る。JRの営業キロで6.7km110分くらいかかったことになる。

 一度部屋に入ってから、1階の公衆電話から家に電話。その後、併設のレストランに行くが満席。部屋番号を言って、空きが出たら電話してくれることになった。

 2240過ぎに電話があり、レストランへ行く。すぐ席に案内されて、ジャージーハンバーグステーキディナーセット(パン・スープ・サラダ付)を食べた。

 風呂に入り、その後、就寝。

 

平成9年(1997年)8月24日(日)

 朝起きたら820を回っており、予定より2時間くらい遅れてしまった。早速時刻表で代替ルートを検討。その結果、タクシーで東津山まで行き、934頃の砂丘1号、1009頃の砂丘2号を撮り、高野へ移動して1134頃砂丘3号、1234頃砂丘4号の後、1258686Dで智頭、智頭1426発の砂丘5号で津山に戻り、タクシーで再び東津山、砂丘6号を撮ってから、東津山1554689Dに乗ることにした。

 9時過ぎにホテルをチェックアウト。このホテルでは土日宿泊のチェックアウト時に金貨か宿泊券の抽選があるが、ハズレ。

 

津山駅 910→920頃 東津山駅 因幡タクシー 岡山555716

 タクシーで東津山駅へ。運賃は思ったより高い。初乗り560円で2km弱なので800円弱かと思っていたが、1040円だった。

 東津山駅で入場券購入。砂丘1号の通過を撮る。



1004に砂丘2号。




 東津山のマクドナルドで朝食兼昼食。

 

東津山 1054→1101 高野 智頭行684D  キハ40単行(車番不祥)






 高野へ移動。高野には撮影者3人くらい。後に5人くらいに増える。入場券を買おうとしたが、そのまま通してくれた。

1133 砂丘3








 1232 砂丘4

 



高野 1258→1356 智頭 智頭行686D キハ40 2048単行ワンマン

 高野で居合わせた人と途中までマニア話をしていた。埼玉から来て、西は門司まで行き、瀬戸を撮って四国にも寄るとのこと。小坂の貨物通過がまだ残っているので、たまに撮りに行くらしい。彼は美作河合で下車したが、そこにもカメラを持った人が6人くらい。昨日は20人いたらしい。

 


智頭 1426→1516 津山 砂丘5号 岡山行 急行605D キハ583両編成 先頭1号車=キハ58 7211

 車内はほぼ満席。特に窓の開く席はすべて埋まっていて、写真は無理。美作加茂でも左側の席は空かず、まともな写真は撮れずに終わった。

 




津山駅 1517東津山駅 岡山交通タクシー 岡山556310

 東津山へ、砂丘6号を撮りに行く。適当な列車がないので、再びタクシーに。





 砂丘6 


東津山 1554→1558 津山 津山行689D  キハ40 2048単行ワンマン

 


津山 1636→1755 岡山 岡山行653D キハ472両編成 後車=キハ47 21

 津山で列車を待っていたら、先程、高野・美作河合間で一緒だった人と再び会った。岡山までマニア話が弾む。彼の知人でJR全駅乗降した人の話が多かった。

 津山発車時点から混んでいたが、岡山到着時点では満席に近かった。彼はこの後マリンライナーで四国に渡るとのこと。

 

岡山 1810→1856 福山 サンライナー 福山行 快速2755M 1174両編成 先頭=クハ116-17



 混んでいて、最初は立客が多い。運転席の少し後ろから前を眺めていることにした。笠岡・福山間だけ着席。

 

福山 1857→2040 広島 広島行377M 1154両編成 先頭=クハ115-1244

 岡山からの乗客に加えて福山での乗り換えも多く、立客多数。少しずつ空いてきて、尾道で座れた。外は真っ暗になる。糸崎到着時には建物や自動車の明かりが点在して見えるだけ。

 

 広島駅から八丁堀方面に歩く。合同庁舎の周囲を回るが宿が見当たらないので電話で聞く。電話ボックスのすぐ近くだった。チェックインして、翌朝早いので先払いにする。

 家に電話後、お好み村へ歩く。少し遠い。閉店した店も幾つかあり、開いている店は半分強。2階奥右の店に入る。お好み焼き(ソバ入)を食べた。

 帰りにゲームセンターでカーシュミレーターと「電車でGO!」をやる。

 戻って入浴・休憩。25時消灯。

 宿泊:市町村職員共済 八丁堀シャンテ

 3~4日目へ続く

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