1997年8月 九州(7~9日目)長崎市内、500系のぞみ、寝台急行「銀河」

旅行終盤は長崎県内各線の乗り歩き。大村線と、当時は加津佐まで営業していた島原鉄道などに乗車して長崎泊まり。路面電車全線乗車を兼ねて長崎市内を観光して、当時は新大阪以西だけの運転でデビュー間もない500系のぞみに博多・新大阪間で乗車して、寝台急行「銀河」に乗り継いで帰宅しました。

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平成9年(1997年)8月29日(金)

 530起床。身支度を整えて、荷物の一部を預けていたのを出してもらってチェックアウト。右足にマメができていて、それをかばいながら歩いていたせいか、佐世保駅に向かう途中で転倒。左肘と手を擦りむく。555頃、やっと駅に着く。

 

佐世保 600→632 有田 下関行922M  4154両編成 3→2両目(早岐で方向転換)=モハ415-17

 佐世保駅では高架工事実施中だった。車内はガラガラに空いている。視界の隙間に海を見ながら走行。早岐で6分停車して方向転換。両足が痛いのでそのまま席に留まり、ロングシートだがカロリーメイトで朝食。隣の車両でも通学途中の女子高生が弁当を食べていた。

 有田で下車して駅前を観察。駅前の地図によると、有田焼の窯元は有田駅付近には少なく、どちらかというと上有田の方が多いようだ。もっとも、現在の時刻ではどこも営業していないだろう。

 

有田 652→706早岐 佐世保行923M 8133両編成 先頭=クモハ813-215

 転換クロスシートの新型電車で早岐まで戻る。

 

早岐 710→815 諫早 長崎行229D  キハ583両編成後車=キハ28-3024

 重い足を引きずって3番線から1番線へ跨線橋を渡る。3両編成のうち後ろ2両は濃青色に塗られたシーサイドライナー用車両。座席が特急車両のお古と思われる、フットレスト付の簡易リクライニングシート。後から座席を変えているので、窓の位置がずれている。車両内の混雑度は50%強。

 早岐を出て次の駅はハウステンボス。赤い煉瓦造りの大きな建物が橋を渡ってすぐのところにあり、目立つ。

 次の南風崎(はえのさき)は、終戦直後の引き揚げ船が着いた場所。一時急行の運転が全滅した昭和22年の最悪ダイヤの時代に、東京行臨時長距離列車の始発駅だった。駅前は埋め立てられたのか、海は近くに見えない。遠くにハウステンボスの建物群が見える。引揚列車に乗った人が今この光景を見たらどう思うだろうか。

 その後、列車は時折右手すぐ目の前に海を見ながら南下。長崎や諫早への通勤時間帯と見え、途中からの乗車も多く、800過ぎの大村辺りではデッキまで満員になった。この状態では諫早で降りられるかどうか怪しく、いざとなったら終戦直後の汽車のように窓からかなとも思ったが、諫早で方向転換のための7分停車(混雑による遅れのため、実際は4分停車)と、諫早での下車客が意外に多かったため、問題なく下車できた。

 諫早駅に面して通りの向かい側に、島鉄バス(左側)と県営バス(右側)のバスターミナルが並んでいる。島鉄バスターミナルで発車時刻を確認。ポケット時刻表は有料(100円)なので買わず。1日乗車券のようなものは無さそうだ。鉄道の駅の方にも、普通乗車券の券売機があるだけだった。

 以上のように情報収集をしてから、諫早駅構内のミスタードーナッツで朝食。ハム・卵など、食事向きのメニューもある。食後、バスターミナルへ戻る。

 

諫早駅前BT 905→ 加津佐駅 口之津駅行 島原鉄道バス(口之津営業所) 長崎222320

 1つドアの長距離向きの車両。もちろんワンマンバスだが。途中、愛野付近まで鉄道と並走するが、バスは鉄道駅へは行かない。その後、国道57号線で島原半島の根元を横断。右手に時折、海が見える。

 小浜を経て、1030頃、加津佐駅下車。

 

加津佐 1040→1155 島原 諫早行 キハ20 10単行(車掌付)

 バス停近くにある加津佐駅は有人で、硬券乗車券を販売している。念のため聞くと、諫早までの乗車券で島原での途中下車可とのこと。やった!当初予測より600円くらい安く行けそうだ。加津佐駅で記念撮影後に乗車。車両は、既に国鉄・JRから消えたキハ20。ドアは半自動で、簡易冷房が付いている。加津佐発車時にはガラガラだったが、途中からの乗車が多く、車内補充券が次々と売れていく。

 原城跡は、車窓からは看板と山だけが見える。キハ20がゆっくりと走る。深江町から水無川を渡って安徳駅付近は、土砂災害防止のため高架化されている。この辺りが、今年の3月まで不通だった区間。南島原でトロッコとすれ違う。


 島原で下車。下車印は無し。ロッカーにリュックを預ける。島原駅は、島原城をイメージした立派な造り。小さな堀まであって、鯉が泳いでいる。







 島原城を見ながら歩く。両足が痛いので引きずるような歩み。日差しが強いので、帽子を着用。

 島原城の前の姫松屋に入り昼食。島原名物の貝雑煮を注文。餅、魚、野菜等、色々入っている。島原の乱の際に、キリシタン軍が籠城の際の食事として発明したものだそうだ。普通の雑煮よりも具が多い感じ。

 昼食後、島原城へ行く。一時雨がぱらついたが、510分で止む。天守閣は資料館になっていて、本来の大人の入場料は520円だが、VISAカードのプライムクラブの人は10%割引の表示。カードの案内には割引サービスが載っていたので知っていたが、実際に出会うのは初めて。カードを提示したら本当に1割引で、468円になった。公共の施設では珍しい。

 2階がキリシタン関係、3階が民族史関係の展示、4階が休憩室と物産館、5階が展望台になっていた。イヤレシーバーを無料で貸し出していて、案内が聞ける。荷物も無料で預かってくれる。ゆっくり見て回った。展望台から、普賢岳や平成新山を眺めた。天守閣の下に、普賢岳噴火による火山災害からの復興の資料館があり、天守閣との共通入場券で入れる。火砕流で焼けた電柱、バイク等の展示もある。まるで原爆資料館のようだ。一通り見てから武家屋敷へ。残り時間も少ないので、通りの入口だけ眺める。別に武家屋敷そのものが残っている訳ではないようだ。

 島原駅へ歩いて戻り、ロッカーからリュックを回収。

 

島原 1505→1616 諫早 諫早行 キハ20×2両編成 先頭=キハ20 06

 改札は、列車の時刻の直前に行われた。前車に車掌が乗務。貫通ドアは開放していない。発車する際にブザー2打の他、動き始めてからも1打している。「後方よし!」の意味だろうか。まだ日が高い島原半島を北上。1550頃、諫早湾の堤防らしきものが遠くに見えた。1600頃車内改札。諫早ではJRと共通改札だからだろう。

 





諫早 1648→1735 浦上 長崎行(旧線経由)5143D  キハ582両編成 先頭=キハ28-2485

 発車10分前から乗車していたので座れたが、満員。途中にスイッチバックの駅があったが、歩き疲れて半分寝ていたのでよく分からず。

 

宿泊:ニューうらかみホテル

 605号室

 18時近くにチェックイン。しばらくテレビを見ながらくつろぐ。若干古びた感はするが、設備は整っている。家に電話。

 

 稲左山ロープウェイの麓まで歩く。長崎方面に向かって途中で右折。橋を渡って左折してしばらく歩く。ホテルから20分ほど。長崎駅まで回ってバスに乗るよりも、バス代もかからないし早く着いたかも知れない。

 神社の横にあるロープウェイ乗り場へ。ホテルにあった割引券で、往復通常1,200円のところが1,000円になった。その代わりぺら紙の団体券だが。

 

淵神社 2045→2050 山頂 いなさ2号(1995年 大阪車両工業)

 すぐの発車で山頂へ。登る途中から既に夜景が広がっている。山頂駅から更に展望台へ登る。三脚を使って幾つも写真を撮る。途中からレリーズも使用。柵の処理が難しかった。すぐに50分くらい経った。

 





山頂 2145→2150 淵神社 いなさ2

 最終の1本前で下山。さすがに絶賛されるだけの夜景だった。

 

ロープウェイ前 2203→ 長崎駅前南口 車番未確認

 長崎駅へ戻る。この辺りにも店はありそうだが、宿近くまで戻ることにする。

 

長崎 2231→2234 浦上 諫早行124D  キハ582両編成先頭=キハ58 727

 浦上まで列車で戻り、宿近くの長崎チャンポンのチェーン店「リンガーハット(浦上駅前)」でチャンポンを食べて宿に戻った。2540消灯。

 

平成9年(1997年)8月30日(土)

 630起床。テレビを眺めながら身支度。7時過ぎに1階のレストランで朝食。バイキング形式だが、メニューは少ない。8時少し前に外出。

 

浦上駅前 758浦上車庫前 赤迫行1系統 305A(S28日立)

 1日乗車券は車内では売っていないことが判明。浦上車庫前で買えるとのことで、そこで下車。すぐ近くの営業所で購入。 


浦上車庫前 810→824 赤迫 赤迫行1系統 1304A(S63アルナ工業)

 819頃に到着しそうだったが、終点で電車線に電車が溜まり、渋滞した。赤迫の折り返し線が1面1線しかないので仕方ない。

 

赤迫 828→836 松山町 蛍茶屋行3系統 1205B(S57アルナ工機)

 平和祈念公園へ行く。有名な平和祈念像前で記念撮影。各国から贈られた像が周囲にある。浦上天主堂前を経て原爆落下中心碑へ。太陽をバックに+2補正の写真を撮る。


 

浜口町 923→ 浦上駅前 蛍茶屋行3系統 503

 資料館は後にすることにして1本足鳥居を見て、939頃にホテルへ戻る。急いでシャワーを浴びてシャツを替え、952にチェックアウト。

 

浦上駅前 1005→ 松山町 赤迫行 376(S37日本車両)

 ホテル近くの長崎貯金事務センター前CDで引出しの後、原爆資料館へ。 

 ガイドブックに載っていた6階建の国際文化会館は、在るべき所になく、代わりに新しい低層の長崎原爆資料館がある。位置的に見て、どうやら建て替えられたらしい。

 コインロッカーがある。100円硬貨を入れるが後で戻る方式。リュックとカメラバッグをロッカー2つに入れて身軽になる。スロープを地下2階に下りて、自販機で自動改札を通る。


 まずは被爆前の長崎の写真のコーナー、そして原爆投下のビデオを繰り返し放映している通路を通ると、被爆直後の街を再現した部屋。薄暗く、建物等の残骸が不気味。その先は、原爆の影響を、爆風、熱線、放射能等の項目別に、その影響を検証している。その間には数々の遺品や写真、原爆投下までの経緯、日中戦争から最近の核兵器削減運動等まで、様々な展示。中には無残な写真もあり、戦争の悲惨さを感じ取れる。これを見てなお戦争をやろうとする人の気が知れない。将来を担う人は是非見ておいた方が良いと思った。

 50分くらいかけてゆっくり見学した。




松山町 1139→ 長崎駅前 蛍茶屋行 3系統 308(S28日立)

 長崎駅前まで乗り、駅の荷物預かり所で荷物を預ける。

 

長崎駅前築町 1系統 306

築町 1205石橋 石橋行 5系統 307


 

 市電を乗り継いで、終点の石橋から石段を登ってグラバー園へ。入口前から切符売場を経て、丘の上のドックハウスまでエスカレーターを乗り継いで登り、その後の順路は緩い下り坂が中心と、よく考えられている。






 様々な洋館が並び、中にも入れるものが多い。しかし、詳しいことはよく分からないし、時間も限られているので、早足で回る。グラバー氏はスコットランド出身とのことで、土産物屋には、ウォーカー銘のスコットランド菓子などのスコットランド製品が並ぶ。 


 石橋電停まで戻って反対方向へ。オランダ坂を目指す。電停に戻る途中に大浦天主堂があるが、前を通って写真を撮るに留めた。なお、ここにも梅宮辰夫の漬物屋があった。石畳のオランダ坂で記念撮影。レンガの塀や洋館もある。

 




市民病院前 1329→ 賑橋 5系統 211

 オランダ坂から市民病院前電停へ行き、そこから先の50分近く、市電乗りつぶしに専念。但し、途中で眼鏡橋のある所で少し下りて撮影した。 

 

賑橋 1341→ 正覚寺下 4系統 206 

正覚寺下 1349→ 西浜町(15系のりば) 1系統 1205(S57アルナ工機)

 

西浜町(15系のりば)1357→1408 蛍茶屋 蛍茶屋行5系統 203

 

蛍茶屋 1409→1417頃 長崎駅前  3系統 377(S37日本車両)

 ここで長崎市内電車完乗。観光の最後の方は駆け足だった(1本足鳥居くらい前日に行っておけば良かった)が、比較的色々と見られた。

 長崎駅から道路を挟んで向かい側の長崎県物産館へ入る。グラバー園入口で見かけたフルーツカステラが気になっていたが、似たようなのがあり、苺味とバナナ味のそれぞれハーフサイズを買い、また、ふと見つけた琵琶ゼリーなるものが涼しそうなので買い求める。カード払いにしたら時間がかかった。

 預けてあった荷物を回収して、急いで長崎駅JR改札を通ったのは1434頃だった。

 


長崎 1500→1637 鳥栖 かもめ26号 博多行L特急2026M  7836両編成 先頭6号車=クモハ783-10

 発車時刻よりもだいぶ早く改札を通ったのは、かもめ26号の先頭車が自由席で、しかも前展望が楽しめるからである。櫛形行き止まりホーム2番線の先端へ行くと、まだ清掃中。少し並んで待ち、見事に先頭6号車の右最前席17AB席を確保。発車前に記念撮影等。

 定刻に発車。浦上を出ると130km/hで飛ばす。多少揺れるが、信号所も幾つかあり、通過交換駅では1線スルーが多いので、あまり減速しなくてよい。

 諫早を出た辺りで短時間だけ雨が降った。諫早を出てしばらくすると、最近問題になっている諫早湾干拓工事が進行中なのが、時折右車窓すぐ近くの海岸線に見えた。

 田園地帯を快走。佐賀駅直前まで130km/h超の高速で、京急並の急減速で佐賀停車。ここまで30%弱だった乗車率が、50%くらいになった。



 かもめは相変わらず飛ばしていた。一時期140km/h近い(いいのか?)速度になり、これはすごいと思って速度計にカメラを向けると運転手氏と目が合い(なぜ運転中に目が合う?)、その後は絶対に130km/h以上出さなくなった。

 当初は博多まで乗車予定だったが、つばめグッズを買うため、鳥栖で3分後のつばめに乗り換えることにした。 


鳥栖 1640→1701 博多 つばめ16号 博多行L特急16M  7879両編成 3両目7号車=サハ787-2

 同じ博多行特急だが、かもめは3番線、つばめは1番線だった。ホームの時刻表を見ておいて良かった。

 自由席に荷物を置いてすぐに5号車ビュッフェへ。幸い、まだ開いていた。つばめワインは赤白の2種類あり迷ったが、白1本にした。他に菓子も買っているし、明太を買う予定なので。

 席に戻って間もなく車掌が来たが、素通りされた。前にこの席にいた人が博多までと申告していたのかも知れない。慌ただしいが、九州を離れる前に再び「日本一の昼行特急」に乗ることができて良かった。

 




博多 1707→1726 長者原 直方・若松行2638D  キハ67405両編成 3両目=キハ40 2068

 反対ホームに上がって特急ソニックを撮影し、その後、急いで9番線に移動して乗車。

 車内は30%くらいの乗車率。この列車で長者原まで乗ると、JR九州を完乗することになる。1駅手前の原町で交換のため5分停車。発車までの間に三脚を出して記念撮影の準備。1726定刻に長者原停車。ここで下車し、JR九州完乗となる。走り去る列車をバックに記念撮影。

 

長者原 1732→1748 博多 博多行5643D キハ147×2両編成 後車=キハ147-90

 博多まで戻る。途中で手のかかる乗客がいたのか、車掌が先頭車と後車の車掌室の間を慌ただしく往来していた。

 博多でつばめを撮影後、土産の買物。唐津焼のぐい飲みか湯飲みを考えていたが手頃なのは見当たらず、諦める。菓子は博多産のものにする。職場用は、博多限定発売という「博多通りもん」。カステラの中にカスタード餡のようなものが入っている。自宅用に明太、職場同期用に地域限定めんたいプリッツを購入。

 

博多 1921→2138 新大阪 のぞみ500号 新大阪行500A 50016両編成 6号車5E席 526-2





 発車7分前の入線。先頭車まで撮りに行く暇はない。荷物も重くなってきたし、とりあえず飲料だけ買って車内へ。すぐ発車時刻。車内は意外に空いている。乗車率40%未満。特に5A-D席は広島まで空席。

 列車はすぐに加速し、航空機のごとく甲高い音を立てて夜の山陽路を行く。いつの間にか新関門トンネルを過ぎていた。

 小倉発車後、JR西日本完乗の紙を持って記念撮影。本当は更に50分くらい後の三原通過時なのだが、空いているうちにということで。検札を受けてから、となり7号車のサービスコーナーへ。「500系のぞみ弁当」と飲料を購入して食べた。

 2038三原通過。ここでJR西日本完乗。車掌が子供限定でオリジナル定規を配っていた。

 車内はFM放送があり、FMラジオで聴くことができる。落語からポップスまで電光掲示板で案内していたが、ラジオが荷物棚のリュックの中なので使用せず。

 座席は、やや薄めの紫の色調。フットレストは無いが、座席の下が空いているのと、シートピッチがだいぶ広いようなので、荷物を1個くらい置いても平気。背もたれのテーブルは他の列車と同じ。畳んだ状態の時に1~8号車の車内案内が見える。

 列車はキュイーンと甲高い走行音で、たまに上下に浮く感じ。これで揺れが小さければ飛行機だ。残念ながら揺れは新幹線の中では激しいような気がする。電話は個室になっていて、デッキと比べると少し静か。

 速度が最高の300km/hを出している時は、その旨電光掲示板に表示される。2128新神戸通過。すぐに新大阪だ。やはり500系のぞみは速い。新大阪定時着。最後尾車に行って記念撮影。特急券は回収された。

 新大阪駅は、在来線にも立派な待合所がある。

 




新大阪 2211→602 大船 銀河 東京行寝台急行102レ EF65 1113 + 249両編成 3号車=オハネ25 61  10番下段




 新大阪から乗車。大阪からの列車なので、入線後すぐ発車。間もなく2219頃に検札があり、大船の「到着602です」と告げられる。寝台車の途中駅の下車だから、いちいち周知するのだろう。

 寝台には枕とシーツ、掛け布団と浴衣(「工」のマーク - 昔、青函連絡船の煙突に付いていた「工」と同じで、旧工部省の文様なのだろう)。シーツは置いてあるだけで、敷くのはセルフサービスのようだ。荷物を置くスペースは殆ど無いに等しい。一昨日のカプセルホテルのように、荷物はベッドの上に置いて寝るしかなさそうだ。スリッパも用意してある。濃い水色の地に黄文字で「鉄道リネン」とある。シーツその他の管理を委託している会社なのだろう。ハンガーもある。

 昭和40年代後半の登場以来あまり改装はしていないものと見られ、設備面はさほど新しくないが、客車で、しかも寝台用だから、防音はしっかりしているようで、走行中の車内はさすがに静かだ。冷房はちょうど良く効いている。いや、しかし駅構内を歩いてきたところでちょうど良いということは、寝ている時は寒く感じるかも知れない。

 京都は1番線の着発。大改築がほとんど終わっていて、立派な駅になっている。新駅舎の開業は9月11日だそうである。

 10番の上段はこの時点で無人。向かい側の9番は、京都から下段の乗客あり。

 シーツを敷いてみた。寝台幅(70cm)と同じで、折り返し部分の出ないギリギリの幅。長さも同様。

 大津発車後、23時の放送で車内放送終了。次の放送は明朝6時からで、同時に車内減光。枕元に読書灯があるので、文字を書くのに支障はない。トイレに立った際に車内を見て回ったところ、大津発車後の乗車率は5560%程度で、言われているほど悪くない。夏休みのためだろうか。見たのは3号車だが、他の車両はどうだろうか。

 浴衣があるのだから着替える。更衣室は無いので、カーテンを引き、寝台で着替える。米原は2345着予定が1分早着。貨物列車を1本やり過ごす間、56分停車。就寝用と間違えて土産用のマスカットドリンクを飲んでしまったので代わりを買うために降りたが、このホームにはJR西日本ブランドの飲料はない。

 米原発車後に就寝。

 

平成9年(1997年)8月31日(日)



 520頃起床。起きる少し前に熱海発車。着替えている頃に小田原。荷物を点検してまとめ、洗面所で髭を剃り、555頃に下車準備完了。小田原・大船間で数えたところ、3号車の定員34人の寝台のうち使用中は22だった。557に藤沢通過し下車準備。

 559に車内灯点灯。同時に朝一番の車内放送が、現在神奈川県内を定時に走行中の旨と大船到着を告げた。





 

617頃に大船2番線通過の出雲4号を撮影後、一度改札を出る。みどりの窓口に時刻表9月号。「長野行新幹線あさま開業」のシールが貼ってある。一旦改札を出て再入場。今度は3番線ホームから「瀬戸」を狙うが、ちょうど下り電車が来ており、撮れなかった。644に「あさかぜ」を撮影。

 


大船 655→711 東逗子 横須賀行673S  11311両編成 9号車=モハ112-1186

 朝の下り列車で東逗子へ。意外と乗客があり、9号車でも25%くらい。

 

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