1998年09月 ドイツ・英国 2日目 - ベルリン市内と近郊、夜行移動
欧州旅行2日目は、ベルリン市内と、近郊のザクセンハウゼン収容所跡、ポツダム会談の会場となった ツェツィーリエンホフ宮殿などを見学してから、ライプツィヒ乗換の夜行列車でフランクフルトに向かいました。
平成10年(1998年)9月12日(土)
430頃から目覚めてしまう。外はまだ暗いので450くらいまで横になっている。とりあえずミニ・カロリーメイトで515に仮朝食。
電気剃刀はスイッチが入っていたため放電されていて使えず。
朝食前に散歩しようと思っていたが、550になっても外が暗いので、朝食後に変更。
朝食は1階の食堂で、従業員不在のセルフサービス。ハムやチーズからパン、酢魚など、品数は大変多い。
食後に散歩へ出る。部屋を出るときに鍵を忘れた。7時以降ならキーマンがいるとのことなので、8時か8時半頃戻るといって、そのまま出た。外はもう明るくなっている。
◎Französische Str.656→703頃Platz der Luftbrücke 4両編成 最後尾車2680
ABCゾーンの1日券を購入し、乗車。自転車持ち込みの乗客もいる。解体はしていない。犬を連れたおじさんも他の車内で見た。
地下鉄車両の加減速は強いので、立っている時はしっかりとつかまっていないと危ない。
Platz der Luftbrücke で下車し、ベルリンの市内空港近くの公園にあるベルリン空輸記念碑を見学。
公園に面した地下鉄の出口にベルリン空輸とその記念碑の案内板がある。ドイツ語で書かれているので詳細は分からないが、1948年から1949年のベルリン封鎖の際に行われたベルリン空輸、作戦名「Luftbrücke=空の懸け橋」に関することや、その際に79人のパイロット等の犠牲者が出たことなどが、モノクロ写真付きで紹介されている。
公園の中に、ベルリン空輸記念碑がある。コンクリート製で、アーチの半分のような、建設中の橋のようなものが天空に向かって伸びている。作戦名の、空に架ける橋をイメージしたもの。台座には犠牲者の氏名らしきものが刻まれている。今、記念碑が伸びている先を見上げても薄暗い曇空が静かに広がるだけだが、50年前の今頃は救援物資を積んだプロペラ機が昼夜の別なく1~2分毎に飛来するのを多くのベルリン市民が見上げていただろう。
◎Platz der Luftbrücke 724→ Koch Str. U6系統 4両編成 3両目2654
昨夜の Check Point Charlie の所で地下鉄を下車し、ブランデンブルグ門経由でホテルまで散歩しながら戻ることにする。
途中、ベルリンの壁が保存してあるところがある。ポツダム広場へ行く途中と広場の近くだ。今では何とも頼りない少し高めのコンクリート壁の残骸だが、東西ベルリンを分断してきた悲劇の跡だ。壁の切り取られた端の部分に触れてみる。冷たい感触が気のせいか実際の温度以上に感じる。途中に壁の野外資料館のようなものがあるが、営業時間外で入れない。
ポツダム広場では工事をあちこちで行っている。新首都再建中だ。
雨が降ってきた。ブランデンブルグ門を経て Unter den Linden 通りを通ってホテルに戻る。ホテル手前の電話ボックスから家に電話。
825にホテルに戻ると、既にルームキーを出しておいてくれた。有り難い。
荷物をまとめて915出発。チェックアウト時は精算がないので鍵を渡すだけだった。さっき鍵を取り出してくれたことがあったので、チップにDM2渡した。
Friedrich Str.のSバーンの駅まで大荷物を持って歩く。コインロッカーはZoo 駅にはあるが、時間節約のためザクセンハウゼンへは荷物を持っていくことにした。
◎Friedrich Str.931 →1017 Oranienburg S1系統 8両編成 6両目? 876 406-0
2種類の車両が連結されていた。乗った車両は内装が木製。床はリノリウム。混雑率は20%くらいである。2駅目くらいから地上に出た。ゆっくりと走る。この列車に限らず、Sバーン、Uバーン車両には中間貫通路はない。動力は第3軌条集電。各駅到着時に駅名だけアナウンスがある。半自動ドアで、発車時にはアラームが鳴る。15~20分位走ると、周囲から建物群が消え、林の中を走る。相変わらずゆっくりとした走り。小さな鉄橋を渡り、ようやく終点 Oranienburg に着いた。
雨が強くなったので、傘を使う。ザクセンハウゼンに向かうが、案内板が小さく、分かりにくい。途中、通りがかりの人に1回、道を聞いた。30分余り歩いて、ようやくザクセンハウゼン強制収容所跡の入り口に着いた。入場無料。
1935~45年にナチスドイツがユダヤ人を収容し、1945~61年にソ連が反体制派の東ドイツ人を収容していた。とても広い敷地に幾つか残っている建物に、関連する展示がしてある。殆どがドイツ語表記のみなので、読めないが、写真等で大まかな事は分かる。生憎の天気だが、見学者は多い。学校か何かの団体もいた。
外は強い雨が降っていて、収容所跡の陰惨な雰囲気を演出しているようだ。
高圧電線を張ったドクロマークの前に小さな花が咲いていた。建物の中は殆どが博物館のように改装されていたが、そのままの状態を保存した宿舎跡もあった。
出口近くでパンフレットを買い求めた。入場無料の代わりに簡単なパンフレットが1つ DM0.50 から。日本語版は無いが、英語版を少し購入。
出口でしばらくタクシーを待つ。この雨の中でさっきの道を歩くのは辛い。間もなくタクシーが来たが女性運転手が降りてきてWCに入ってしまった。出てくるのを待って乗車。10分足らずで駅に着いた。確かメーター表示はDM8.80だったが、濡れた大荷物を持ち込んだことだし、DM20紙幣からのお釣りはDM10だけ受けとって、端数はチップにした。
駅では列車が出るところだったが、1本見送った。ホームの売店でホットドッグを購入。おばさんがレンジで温めてくれた。次の列車の車内に持ち込んで食べた。
◎Oranienburg 1241 →1328 Friedrich Str. S1 Wansee 行 8両編成 先頭480-540-4
今度の車両は最新型で、車内電光表示があり、ドアもボタン式。しかし貫通路は無い。途中の Schonholtz? 駅の構内の引き込み線?には、腕木式信号機が幾つか建っていた。 1328 Friedrih Str. 着。
◎Friedrich Str.1334→ Zoo. Potsdam 行 876 379-9
木のベンチの車両だった。
Zoo 駅のコインロッカー大きさによってはDM2,DM4の2種類があるが、2マルク硬貨が無かったので、預かり所へ預けた。支払いは荷物引き取り時で、DM4.00らしい。
長距離列車の切符を買いに行くが、英語が通じないので、紙に書いて示す。とりあえず支払うが、座席の指定らしきものが含まれていないので、別の窓口で聞くと、事前予約分は売り切れ(または発売時間終了?)らしく、クシェット(簡易寝台)も、車内で振替されたいとのこと。
その後、前夜見付からなかったS,Uバーンの窓口を発見。今更ながら、オラニエンブルグとポツダムの地図を得た。
◎Z00.1421?→ 1456 Potsdam Stadt. S7 876-388-0
当初予定より3時間くらい遅れてしまった。Frankfurt(Oder)行きは諦めるか。
ポツダムへのSバーンに乗車。空いている。
ポツダム到着後、橋を渡った先の案内所へ。ツェツィーリエンホフ宮殿(Schloss Cecilienhof) へのバスを確認。1日券も使えるとのこと。
◎Alter Mankt 1532→? バス694系統
ツェツィーリエンホフ宮殿はバス停から遠かった。足元の悪い道を通る。
宮殿というよりも館といった趣。中に入り見て回る。ガイド付きのツアーもある。写真撮影は不可。英米ソ各国の控室と会談の場がある。もともと宮殿だったのを終戦時の首脳会談のために改装したそうだ。特に会談場は天井が6メートル位の高さ。装飾も特に立派である。ポツダム会談の様子が展示されているが、ドイツ分割に関する内容が目立ち、日本に対する降伏勧告に関するものは見当たらなかった。
宮殿を出頃にはもう17時近くになっていた。そのため他の有名所はバス等で回ることにした。
◎?1700→? バス694系統
◎Reiterwey/? 1722→ Bhf.Pischheide バス695系統
◎Bhf.Pischheide 1748→ Platz der Einheit West トラム94系統
◎Platz der Einheit West 1813 → Potsdam Std. トラム98系統
以上のようにバスとトラム(市電)を乗り継いだが、結果としてあまりよく見られなかった。雨も相変わらず降り続き、外を歩いて観光するような気が起こらなかった。トラムでポツダム駅に戻った。
◎Potsdam Std.1836→ Berlin Ost RE
DB出札で、1日券使用可であることを確認したので、Sバーンより高速のREを使ってみる。車内は固定クロスシート。先頭車はガラガラに空いている。座席の頭の来るところが深くなっていて、ズレが生じにくくてよい。列車の動力はプッシュプル式で、機関車が最後部にある。Zoo 駅直前の右窓に廃墟の聖堂が見える。Zoo 駅にしばらく停車。この辺りからは高架線。地上には工事現場があちこち目に付く。Lehrter Stadtbahnhofでは新ターミナル駅建設途中?しかし完成はまだ先のように見えた。
ベルリン東駅で下車。かつては中央駅だったのが最近改称された。ドームの中に通過式ホームが並ぶ。ホームから階段と通路を経て駅本屋へ。やや薄暗い感じがするが重厚な作りだ。
◎Berlin Ost 1929→ Alexander Platz S9 8両編成 後尾485-163-0
下車後、見所を探しながら Unter den Linden 通りを 西方向へ歩き始めたが、Alexander Platz 近くのTV塔に上ることにした。1970年代に完成し、東独時代の町のシンボルだったところ。エレベーター内に高さの表示が出る。かなりの高速で上るが、恐ろしく揺れる。かなり暗くなってきた。Unter den Linden 通り向こうの遠くにブランデンブルグ門が、かなり小さく見えた。展望台の2階は混んでいるのか、入場制限をしていた。
◎Alexander Platz 2020頃→ 100系統バス Zoo 行 357号車
時間も残り少ないので、バスで Unter den Linden 通りを行く。
ブランデンブルグ門の手前で降り、ライトアップされたブランデンブルグ門を撮影。ドイツ統一の象徴らしい厳かな風景である。
◎Unter den Linden U-bahn 2045頃→ 100系統 Zoo行 3027号車
撮影後すぐに2階建100系統バスが来た。
乗車後間もなくブランデンブルグ門通過。一方通行で車両は東→西のみ。ベルリンの壁崩壊の日にこの方向に進んだ東独の人達はどのような気分だったろうか。
カイザー・ヴィルヘルム教会の前で下車。戦災で廃墟になったのを、平和祈念の意味でそのままにしてあるもの。ライトアップされているものの、周囲がネオンで明るいところに暗い穴を開けていて無気味である。
ここからZoo 駅までは歩いてもすぐ。
駅の売店で剃刀のセットを買う。クリームは大きいのしか見付からなかったが仕方ない。その後、荷物を回収。引換証を見せるとすぐに出てきた。列車の時刻まで10分を切った。
◎Berlin Zoo.2132→2332 Leipzig Hbf. IC917列車
慌ただしく2番線の階段を上がる。まだ列車は入線していない。入ってきたところを撮影。
2等車はオープン席とコンパートメントがあり、予約票の入っていない個室(定員6人)を占領。発車してから髭を剃った。間もなく Berlin Wannsee 発車後に女性の車掌がガラス戸を開けて何か言ったので切符を出した。余程不思議な切符なのか、検札印を押してからしげしげと眺める。そこでインターネットで出して切符購入時に使った乗り継ぎのプリントを見せると、それもまたしげしげと眺めてから納得したのか返してくれた。
大荷物を座席にくくりつけてロックして食堂車へ行く。英国の列車のビュッフェは利用したことがあるが、食堂車の利用経験はない。トラベラーズチェックかクレジットカードが使えるかどうかと思って行ったら席は自由で、食事メニューがない?(または終了?)のため、飲み物とバゲット(フランスパンのサンドイッチのような物)しか無いとのこと。仕方なく、チーズバゲットとコーラを注文。配膳時払いで10マルク。あまりムードも無いが、ボソボソと食べた。
食後間もなく席に戻った。2242 Dessau Hbf. 到着直前だった。荷物は異常なし。各個室で明かりを消すこともでき、消しておいたのが良かったのかも。Dessau を発車し、途中 Bitterfeld 停車を挟んで、あと40分位で到着する。夜の闇の中を走る。明かりを消してみると、外の光や木々が若干見える。
途中の駅で予定より長く停車していたためか、Leipzig の到着予定時刻になっても列車は快走している。接続の列車までまだ時間があるから良いが。15分遅れの2347 Leipzig Hbf.着。12番線。
この駅は行き止まり式ホームが工事中部分を除いても21番線まで横一列に並ぶ巨大ターミナル。深夜の時間帯のせいか人出はまばら。
コンコースから階段を下りたところが吹き抜けの入り口ホールで、そこからドアを開けて街へ出る。0時前後なのにまだ市電が頻繁に走っている。
駅前の道を渡って市内へ。St.ニコライ教会を目指す。地図で見当が付いていたので、10分足らずで着く。ここは東欧革命発祥の地と言われるライプツィヒで、民主化要求デモの首謀者たちが秘密の会合を開いていたところだという。今回のドイツ旅行のテーマからは意義深い所だ。
周囲は繁華街で、柄の悪そうなのもいるので、早めに駅に戻る。駅コンコースにマクドナルドあり、ハンバーガーとオレンジジュースを注文。食べ終わり11番線へ行くと、間もなく列車が入って来た。
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