ダイヤ改正:横須賀線列車の所要時間変遷

今回(2024年3月)のダイヤ改正では東逗子周辺の横須賀線ダイヤに大きな変化は見られませんでしたが、この機会に復刻版を含む手元保管の時刻表を開いて、東京から東逗子や横須賀までの所要時間の変遷を調べてみました。

今回は大船や逗子で乗換となる列車は除外して、平日の下りで東京から横須賀まで直通運転している列車のみ集計しました。各年代の時刻表の横須賀線ページから直通列車を選んで、東京・東逗子・横須賀の時刻を拾い出して列車ごとの所要時間を計算して、下り最速列車と平均の所要時間を算出した結果は以下のとおりです。

東逗子駅は1952年(昭和27年)の開業なので、以降の年だけ掲載しています。

横須賀線は1914年から1924年にかけて順次複線化。1925年(大正14年)に電化して、蒸気機関車牽引から電気機関車牽引に代わったことで大幅に時間短縮しました。そして、1930年(昭和5年)にこれまでの客車列車から電車に代わって更なる高速化が図られました。1930年に湘南電鉄が黄金町から浦賀・湘南逗子まで開業し、翌1931年(昭和6年)には横浜・黄金町間が開通して横須賀線と競合することになったため思い切ったスピードアップがなされたようです。

以前の記事で、横須賀線列車が一番速かったのは電車運転開始後の戦前期と記述しました。 実際に集計してみると、1970年代に最速列車の所要時間が戦前期を下回る(東京・横須賀間で67分)列車がありましたが、全列車の平均としては1930年代が最も速かったと言えます。

戦後は電車の性能向上と最高速度引き上げによる時間短縮と、経路変更(川崎経由から新川崎経由になって距離が2.1km延びたこと)や停車駅の追加(かつては川崎も通過だったのが、西大井・武蔵小杉・新川崎・東戸塚・東逗子が停車駅に加わったこと)による所要時間増が綱引きして現在に至っています。また、最近では後続の湘南新宿ラインを逗子で待つなど、時間調整の停車時間が長くなっているように感じられます。逗子での増結も、貫通幌の取り付けや電気配線の接続作業も行っていた113系の時代と停車時間が変わっていないのが現状です。

東京・久里浜間では退避可能駅が少ないため快速運転は困難ですが、モーター車がE217系よりも多いE235系に統一された暁には時間短縮を期待したいところです。


※ 1944年から1950年まではデータイムの列車が東京発時刻しか記載されていなかったので、運転本数には入れていますが平均時間の計算には含めていません。

※ 久里浜行列車で横須賀の停車時間が明らかに長いと思われる列車については他の列車を参考に横須賀到着時刻を推計しました。


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