2005年08月広島(前半)寝台特急「富士」で広島へ
春に組合の関係で核兵器廃絶の行事に出掛けたのをきっかけに、広島の平和祈念式典に参加することを思い立ち、往路は寝台特急「富士」、復路は寝台特急「サンライズ瀬戸」で駆け足旅行をしてきました。
平成17年(2005年)8月5日(金)
連日の猛暑。この日は昼で仕事を終えて、一旦帰宅。郵政民営化関連法案の参議院特別委員会審議のテレビ中継を見ながら荷物の準備。本会議採決は8日予定となったが、結果によって衆議院の解散総選挙になるかも知れないという緊迫した政局。
荷物の準備を終えてシャワーを浴びてから出発。まだ暑さが残る中、ゆっくりと神武寺駅まで下る。神武駅裏の米軍住宅からは賑やかな音楽が聞こえる。
◎神武寺 1713→ 1720 金沢八景 品川行 普通 1000系6両編成 先頭=1282
金沢文庫まではこの列車が先行するが、八景で降りて特急を待つ。
◎金沢八景 1722→ 横浜 品川行特急 1000系8両→12両編成 先頭→5両目=1258(金沢文庫で前4両増結)
金沢八景で乗り換えた時は、特急にしては珍しく空席が目立ったが、文庫でほぼ満席。ここで前に同じ1000系を4両増結。夕日が差す中、横浜まで乗車。
横浜のみどりの窓口で、富士の寝台のソロへの変更を申し込もうとしたが、メインの窓口はかなりな混雑なのでやめた。南口の窓口は既に閉まっている。
郵便局や地下街で時間をつぶし、西口のスーパーつかさで飲料購入、北口改札を入ったところのキヨスクで鯵の押し寿司を購入。
ホームで通勤電車を見送りながら富士を待つが、暑い。
◎横浜 1828→翌521 広島 富士 大分行(はやぶさと並結) 寝台特急1列車 10号車=オハネ15 1204 指定は8番上段
発車して間もなく、本日は満席との車内放送がある。結構賑わっているが、横浜発車時点では、8番下段と向かいの7番上下段には乗客がいない。途中で乗ってくるのだろう。折り畳み式のはしごを広げて上段に上がる。布団やシーツ、枕、浴衣は畳んで置いてある。転落防止の吊り紐や読書灯の位置から、通路側を頭にして寝る方向と分かる。一方、足元側には下段に窓があるが上段にはない。そのため、通路の窓を見下ろすが、ホーム通過時には足元しか見えないため、どこを通過しているのか分からない。
しばらくして検札。下関鉄道部の印。大船を通過してから、最後部からの展望を眺める。
車掌室向かいの小部屋の窓が開いており、生暖かい風が入る。すぐに夕暮れとなり、茅ヶ崎付近で席へ引き返す。途中の通路では、駅弁を食べている人も多い。
しばらく寝台上で何もしないでくつろぐ。列車は駅によって、静かに発車するときと多少の衝撃が起こるときがある。少し前方の子供連れが時折賑やか。
静岡で、親子3人連れが8番下段と7番上下段に乗車。小学生の男の子は、危ないからと両親に言われつつ上段を確保した。親子連れがお菓子を食べているタイミングで駅弁を食べた。
21時ちょうどにお休みの車内放送。放送後2110頃に車内は減光となる。同じボックスの親子連れも寝る準備が済んでいる様子。幾分早いが、明日の広島到着が早朝であるし、こちらも寝る準備に入る。はやぶさ富士は2130に浜松を定時発車。
しばらく横になりながら、時刻表を見て明日の大まかな予定を検討。2247発予定の名古屋を2分余り遅れて発車した後で就寝。
平成17年(2005年)8月6日(土)
列車は加減速の毎に前後の揺れを生じ、余り深く眠れなかった。岡山を出てしばらくは相当な速度を出していた。明け方になり、携帯電話のGPSで時折、現在位置を確認。特に遅れている様子は見られない。
瀬野付近で後方展望からの撮影を試みるが、適当な列車が通らず、しかもまだ暗い。荷物をまとめて広島で下車。広島には519到着。何故か定刻よりも2分早い。駅の各ホームには、各方面への始発を待つ人が散見される。
駅改札外の駅弁屋は営業を始めているが、コンビニは準備中。駅前広場には、始発のバスか市電を待っているのだろうか、各ベンチに人が座っている。
市電の始発までまだ相当の時間があるため、タクシーで原爆ドームまで向かう。駅から小型車で850円だった。近くのコンビニに寄ってから原爆ドームへ。6時になるところだが、既に警備の警官が配置されている。また、平和愛好団体の催し準備がなされている。ニューヨークの反核集会に出ていたメッセージブロックが、ドームを囲むように陳列されている。動員学徒等慰霊所や、夕方からの灯籠流しの受付もある。
慰霊式会場へ行くと、参拝者や報道陣が既に集結している。一方、慰霊式の座席はまだ余裕がある。受付で案内書を受け取ってから、誰でも座れる一般席の出来るだけ前方の、演壇が見やすい通路側に陣取る。6時半現在で、一般席の前方は、通路席に若干の人がいる他は、殆ど空席。ただし、後方のテントが張られた席にはそれなりに人で埋まっている。
6時過ぎには会場のマイクテストが行われていたが、6時半にはそれも終わり、蝉の声が響く。7時に式典参列者等への注意事項の案内が放送される。その後、楽団の練習などが行われた。
荷物を置いてトイレに行き、戻ると、参列者がだいぶ集まり始めていた。警察官による手荷物検査が始まっているが、それまでに入場した人の荷物はチェックされていないところが不思議。7時半には満席になった模様。7時半から式典準備のために慰霊碑への参拝が一時中止となった。これまで雲間に隠れていた太陽が現れ、急に暑くなる。帽子を被って待つことにする。隣には英語圏の青年。しばらくすると、空席もなくなり、通路の端に座る人も出始めた。なお、この辺りは芝生。案内書に折り鶴用の小さな折り紙が入っていて、説明も付いていたが、途中で断念。
開式に先だって、市民代表等が慰霊碑へ献水。原爆投下の際に、水を求めながら亡くなった犠牲者に思いを寄せる。その後、予定どおり8時に開式。市議会議長の式辞に続いて来賓や市民代表等による献花。
8時15分には全員起立脱帽で1分間の黙祷。会場は鐘の音だけとなったが、遠くで行われているデモか何かのシュプレヒコールが響く。集会の趣旨までは聞き取れないが、もし反核平和の集会ならば、この時間だけは一旦静粛にすべきではないだろうか。
黙祷の後、広島市長による平和宣言と放鳩、子供代表による平和への誓いに引き続き、来賓挨拶。さすがに小泉首相の時は、立って写真を撮る人が多い。
衆議員議長は河野洋平、参議員議長は扇千景と、有名人だが、最高裁判所長官は馴染みが薄い。国連事務総長はアナン氏本人ではなく日本語の代読だった。広島県知事と県会議長は馴染みがない。来賓の挨拶の中で印象に残ったのは河野議長の話で、繰り返してはならない過ち、それは、明治以降に帝国主義に突き進み、戦争を引き起こしたことと、理由はともあれ核兵器を使用したことの2点。国家と、国家を律すべき国民は留意すべきことだろう。他の来賓もそれなりのことは話していたが、暑い中で余り頭に入らなかった。隣に座っている英語圏の青年は、入り口で翻訳レシーバーを受け取らなかったのか、進行の様子がわからなそうなので、時折、式次第(英語表記あり)の該当箇所を示す。
最後に、ひろしま平和の歌を合唱して閉会。来賓退出の後で、動き始めるが、出口は相当な混雑で、出るまで時間がかかった。10分以上かかったか。出口では冷水の無料サービスをボランティアの人達が行っているが、混雑している。救護所には暑さで倒れた人が多く横たわっている。広島市の平和資料館は長蛇の列。以前見たこともあるし、今回はパス。国立の慰霊館は、比較的すぐ入れそうだったので入館。一巡して原爆ドームへ出る。ちょうど10時にヘリコプターが爆心点に飛来するというので、見物。高校生1万人署名活動をしていたので一筆協力。
◎原爆ドーム→八丁堀 5008B(連接車)
混雑した市電で八丁堀まで行く。連接ノンステップのグリーンムーバ車両。車掌も忙しげ。
八丁堀で下車してお好み村へ。
職場の人が勧めてくれた、読売ジャイアンツの装飾のある店は見当たらず、また、11時前なので、準備中の店が多い。その中で、2階にある「さらしな」に入り、広島のお好み焼きを食べた。
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