JTB時刻表100年 - 最南端駅から最北端駅まで 1925年と2025年の乗継比較
令和7年(2025年)4月1日にJTB時刻表が創刊100周年を迎えました。
手元に時刻表があると、実際に出掛けなくても時刻表から乗継経路を組んで机上旅行を楽しめます。それは現在の時刻表に限らず、過去の時刻表から、当時の旅を想像することもできます。
ここにJTB時刻表創刊号である大正14年(1925年)4月号の復刻版があるので、試みに最南端から最北端までの乗継経路を組んでみました。現在のJR最南端駅は指宿枕崎線の西大山ですが、昭和35年(1960年)の開業です。大正14年4月号の路線図に載っている鉄道省線の駅では、志布志線の志布志駅が最南端と思われます。私鉄も含めれば鹿児島県南部に南薩鉄道と大隅鉄道の路線があり、志布志より南に駅がありましたが、今回は鉄道省線最南端の志布志を出発地としました。最北端は宗谷本線の稚内ですが、当時の稚内駅は現在の南稚内駅付近にあり、宗谷本線も音威子府から先が浜頓別経由の天北線のルートでした。志布志から省線だけを乗り継いで稚内までの経路を組んでみました。
大正14年(1925年)4月1日(水)
◎志布志 540→740 都城 都城行2列車
◎都城 803→1020 吉松 吉松行263列車
◎吉松 1116→1920 門司 門司行 急行2列車
◎門司 2005→2020 下関 関門航路 下関行2便
◎下関 2045→(翌日)2030 東京 東京行 特別急行2列車
大正14年(1925年)4月2日(木)
(前日から車中泊)→2030 東京
◎東京 2044→2113 新宿 中野方面中央本線
◎新宿 2118→2151 上野 山手線
◎上野 2200→(翌日)1515 青森 常磐線経由青森行 急行801列車
大正14年(1925年)4月3日(金)
(前日から車中泊)→1515 青森
◎ 青森 1645→2115 函館桟橋 青函連絡船1便
◎函館桟橋 2220→翌2018 稚内 稚内行 急行1列車
大正14年(1925年)4月4日(土)
(前日から車中泊)→2018 稚内 稚内行 急行1列車
所要時間 3日14時間38分
現在の肥薩線経由だった鹿児島本線の急行から関門連絡船を挟んで下関・東京間の特別急行(当時は愛称なし)に接続。丹那トンネル開通前のため現在の御殿場線ルートで神奈川県に入り、高島町付近にあった2代目横浜駅を経由して東京へ。神田・上野間の高架線は4月時点では開業前なので市内電車での連絡が一般的でしたが、鉄道省の路線だけの乗継ぎだと新宿経由になります。上野から青森へは東北・常磐・奥羽線経由の急行があった中で、この時間は常磐線経由の急行に接続し、ここからは青函連絡船、函館から稚内まで直通の急行に順調につながって、志布志を出てから4日目の夜に稚内到着。夜行列車3連泊でひたすら乗り通すもので、それぞれ寝台車や食堂車を連結していたものの、大変な旅になったと思います。
さて、現在(2025年4月)のダイヤで最南端から最北端への乗継は以下のとおりです。
令和7年(2025年)4月1日(火)
◎西大山 1659→1842 鹿児島中央 1348D
◎鹿児島中央 1951→2307 姫路 みずほ614号
◎姫路 2333→(翌日)708 東京 サンライズ瀬戸・出雲
令和7年(2025年)4月2日(水)
(前日から車中泊)→708 東京
◎東京 818→1215 新函館北斗 はやぶさ5号
◎新函館北斗 1234→1604 札幌 北斗11号
◎札幌 1630→1755 旭川 カムイ29号
◎旭川 2006→2347 稚内 サロベツ3号
関門・青函トンネルと新幹線の開業・延伸により列車の速度は100年間で大きく向上しました。定期運転の夜行列車はサンライズだけとなったので、早乗り継ぎの制約となっていますが、それでも3泊4日が1泊2日に、所要時間は3分の1とまではいきませんでしたが大幅短縮です。
100年前の時刻表には現在と同様に運転時刻だけでなく座席や寝台の等級、運賃料金、駅弁販売駅や食堂車の情報が掲載されているので、これだけでも旅の様子を想像できますが、当時の沿線状況、駅や車両の情報、写真資料などを書籍・ネットから集めると、より臨場感が増すことでしょう。
ただいま色々と情報収集しているので、そのうちに1925年の「乗り鉄日誌」を仕立てて掲載したいと思います。
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