2008年07月 房総半島 - 鋸山、通票閉塞の久留里線
JRで房総半島を日帰りで一周し、鋸山ロープウェイや久留里線にも乗りました。2008年当時は房総半島の普通列車には113系が残っていました。久留里線はキハ37・38が使用されていて、信号機は色灯化されていたものの通票(タブレット)閉塞が残っていて、現在は棒線無人化されている終点の上総亀山は1面2線に側線もある有人駅でした。
平成20年(2008年)7月20日(日)
朝食後、駅に向かう。昨日と比べて気温は若干低くなったものの、駅まで下りる頃には暑くなる。空には雲が多い。
◎東逗子 736→1011 上総一ノ宮 上総一ノ宮行724S→3725F E217系11→15両編成 5号車=サロE217-14
東逗子駅の指定席券売機で青春18きっぷを購入。コンビニでカメラのフィルムを購入しようと思ったが、レジが混んでいるので取りやめ。有人改札で日付印を押してもらい、入って来た列車に乗車。
逗子駅上りホーム上の売店でフィルムを購入してから、モバイルSuicaでグリーン購入して5号車に落ち着く。空いた車内で休息。
錦糸町辺りまでは乗車してくる人数の方が多かったが、その後は減ってきて、千葉を出ると閑散としてきた。千葉で4分停車。高層ビルとモノレールなどの橋脚の合間を縫うように高架線を上がって本千葉を通過し、地上に下りると京葉線と合流して蘇我。ここでまた6分停車し、京葉線を経由してきたE257系の特急わかしお3号を先行させる。ホームには駅弁の立売が出ていた。
列車は快速だが、ここから大網までは4駅連続停車。それでも線形が良いのか、それなりの速度を出す。誉田を過ぎると、線路周辺の家並みが疎らになってきた。この辺りは田より畑が多い。
土気からトンネルを抜けて土気坂を下る途中、右手に短い間だが眺望が開けるところがある。土気坂を下りると、畑中心だった先刻とは異なり、田が中心になる。
高架の茂原を出て、最後の1区間、5号車の1階席は貸切状態だった。
上総一ノ宮は、快速の終点にしては低層住宅に囲まれた静かな駅。ホームも2面3線。
◎上総一ノ宮 1015→1118 安房鴨川 安房鴨川行243M 113系4両編成3両目2号車=モハ112-1080
快速からの乗り継ぎ客を迎え、車内は行楽客風を中心に混雑している。ドア脇の席に座ったが、立客も多い。左手に留置線を見ながら上総一ノ宮を出ると、ここから単線区間に入ったようだ。
長者町で短時間の停車の間に上り特急わかしお(通過)と交換。大原に近づくと、Suica利用可能駅が大原までである旨の放送が流れる。
御宿で3割以上の乗客が降り、空いてきたので、左手のボックス席に移った。路線図で見るイメージと異なり、列車はここまで陸の内側を通り、御宿・勝浦間で一瞬だけ遠くに海岸を望んだが、引き続きトンネルの連続する山間部を走る。御宿や勝浦の駅近くには大きなホテルが建っていた。
勝浦を発車して、ようやくトンネルの合間に海が見えるようになる。特に勝浦発車直後には多数の海水浴客が出ている海水浴場が近くに見えた。
列車が進む程、カーブが増えてきて、交換駅の分岐器以外にも速度制限標識が目に付くようになる。雲が薄れ、日差しが強くなってきた中をのんびりとした調子で走行している。
安房小湊を出たところには蘇鉄が数本立ち、南国の雰囲気が出てきた。
◎安房鴨川 1120→1206 那古舟形 千葉行178M 211系5両編成 最後5号車=クモハ211-3040
安房鴨川は外房線と内房線の境界駅。同じホームだが、1分余りの短時間の乗り換え。駅を観察する暇も無い。ここで下車する客が多く、乗り換え客が少なかったようで、ロングシートの車内は空いていた。部活帰りか、3人の男子高校生がカレー弁当を食べている。
内房線に入ってからも、海岸の間近を通る区間は少ない。しかし、所々に大きな蘇鉄の木が何気なく立っている。また、和田浦付近では瓦屋根の家が多いが、心持ち、オレンジ色などの明るい色の瓦が他所よりも多く、南房総らしい雰囲気である。
千倉で太平洋岸を離れ、房総半島の先端部を横切るルートを進む。遠方に低い山、手前に田やビニールハウスが広がる。九重の近くでは、壁のない屋根の下に馬が飼育されているのが見えた。
館山で昼食にしようかと思ったが、まだ空腹でないし、思ったより海岸も遠いので、次の那古舟形まで行って見ることにした。
那古舟形駅は明るいブルーの瓦の駅。日中は駅員がいる。ただ、この駅も海岸から離れていた。線路沿いに少し木更津寄りへ歩き、下り特急さざなみを撮影するが、背景は平凡なところだった。
駅周辺の道は狭いが車の通行は多い。海岸方向に歩くと、漁港があった。食堂のようなものもあるが、周囲はひっそりとしている。遠方に海水浴場が見える。駅に戻る途中の道からバス停が見えた。那古舟形駅前とあるが、駅からは若干離れている。館山駅に列車より先行するバスがあればと思ったが、残念ながら列車より後になってしまう。駅に戻って休憩することにした。
◎那古舟形 1252→1256 館山 安房鴨川行165M 113系8両編成4両目=クハ111-1454
ボックス席は改良され、枕部分にクッションが付いている。
5分後に出る千葉行までの間に駅弁を購入するため、急いで橋上駅舎の改札を出て、左側の階段を下りたところにある駅弁売場に行く。昨夜、沿線の駅弁をネット検索していたところ、時刻表に載っていない「くじら弁当」が館山にあることが分かり、珍しいので買おうと思っていたもの。限定30個とのことだが、幸い3つほど残っていたので入手できた。
◎館山 1301→1330 浜金谷 千葉行184M 113系4両編成先頭1号車=クハ111-1363
急いでホームに戻り乗車。先頭車両が空いていたので、ボックス席でくじら弁当を食する。
途中、停車する駅のうち、那古舟形と同様の水色の瓦屋根の駅が幾つかあった。この路線が開業した際に、同規格で建築したのだろうか。浜金谷も同じような造りとなっている。那古舟形の駅頭に蘇鉄が植えられているのに対して浜金谷はプランターの花が飾られている。
海岸沿いの道路を経由して鋸山ロープウェイ乗場へ歩く。途中、漁港を背景に鋸山を撮影。極めて急斜面の山である。
山麓のロープウェイ乗場に到着。窓口で往復乗車券を購入。硬券である。この時間は10分毎の運転との表示。土産物店も入る駅舎内は混雑している。ロープウェイのゴンドラは乗務員を含めて定員41人なので、改札に並ぶことにする。
◎鋸山山麓 1350→1354 鋸山 鋸山ロープウェイ
下山客の改札が終わり次第、登山客の改札が始まる。改札員はカウンターで人数をチェックしていて、終わりの方になると何人組か聞かれる。幸い、定員内に入ることができた。乗車の際、往復券の客に限り、グループ毎に写真を撮られる。下山するまでにプリントしてお土産に販売する商法で、黒部峡谷鉄道でも見かけた。
ゴンドラの内部はかなりの混雑で暑い。ただ、動き出すとベンチレーターから風が入り、多少はしのげる。
だんだん高度を上げていくと、正面に切り立った岩山が近づく。石材を切り出した跡だという。
4分弱で山頂駅に到着し、展望台に上がってみる。房総半島の近景は見下ろせるが、遠方の景色はもやがかかっていて、三浦半島はかすかにしか見えない。
◎鋸山 1405頃→1409頃 鋸山山麓 鋸山ロープウェイ
列車の時間から逆算して、1410の便で下山しようと考えていたが、乗客が増えたのか、折り返し便到着次第の発車と案内があった。そのため、1405頃の便で下山した。この程度の短時間でも写真はできあがっていた。係員がすかさず顔を見分けて写真をみせてくれたが、買わなかった。
先程とは1本山側の道を通って駅に戻った。
◎浜金谷 1426→1510 木更津 千葉行190M 211系5両編成2両目2号車=サハ211-3078
殆どの停車駅では通常のとおりドア扱いをするが、車内の冷房を保つため、長時間停車の駅ではボタンで開閉する半自動の扱いをしている。この列車では大貫の5分停車で、そのように扱っていた。ただ、発車する前に一旦ドアを開けるのは他地域と異なる。
◎木更津 1535→1640 上総亀山 上総亀山行939D キハ37・38系2両編成先頭=キハ37 1003
3・4番線ホームの千葉寄りにある事務室内に久留里線の通票閉塞機がある。車庫は君津方にあり、キハ37系が幾編成かとディーゼル機関車が1両見える。
発車10分ほど前に千葉方から入線。車掌が乗務していて、発車前に車内を一巡。しばらくして、ホーム事務室から駅員がタブレットをもって来て、窓越しに運転士に手渡していた。
定刻に発車。ロングシートの車内は座席の4割程度が埋まっている。沿線には水田が広がるが、木更津を出て間もない辺りには水田に交じって蓮池も見られた。
横田でタブレット交換。平成9年に訪問した頃の久留里線には、通票閉塞だけでなく腕木式信号機も残っていたが、こちらは色灯式に変わっている。
馬来田はかつて交換駅だったところ。草むした上りホームの跡は残っているが、線路が剥がされている。時刻表を見ると、ここの交換がなくなって1つの閉塞区間となった横田・久留里間には、日中の殆どの時間に上下いずれかの列車が入っていてせわしない。
無人駅が多いので、車掌が頻繁に巡回してくる。久留里線はSuica区間外のため、その精算にも対応しているようだ。
俵田は乗車駅証明書発行機の周りがベニヤ板で囲われているだけ。取って付けたようで、駅舎を建て替える間の仮設だろうか。
久留里では上り列車待ち合わせのため5分停車。かなり恰幅のある助役がゆっくりと構内を歩いてタブレットを交換し、戸閉め合図の旗を振っていた。
列車は何度か谷川を渡るが、その頻度が平山辺りから
増えて来た。元々、幹線筋と比べてはるかに低速で走っているが、緩い勾配とカーブのため、更に速度が落ちて来た。小高い山並みがだんだん近づき、それに反比例して線路近くの水田が狭くなってきた。最後の1駅である上総松丘・上総亀山間の車窓からは耕作地は見当たらず、ここまで無かったトンネルが2つあり、その間には森と渓流が広がっていた。
終点までの乗客は思ったより多く、先頭車両で15人を数えた。終点の上総亀山は1面2線に側線もあり、タブレットを取り扱う関係から有人駅。駅員に18きっぷを見せて、駅前右手の道を亀山湖へ急ぐ。折り返しの16分間に湖の端だけでも見て来ようという考え。
線路の終端部の辺りで道は右に曲がり、道なりに曲がりながら進むと橋が見えてきた。細長く曲がった形状のダム湖である亀山湖の一部である。手漕ぎボートで遊覧している人が、この時間でも数組出ている。
橋の両側を撮影して、また駅に戻った。
◎上総亀山 1656→1806 木更津 木更津行944D 同編成先頭=キハ38-1001
上総亀山を発車する際、行く手には白い煙が立ち込めていた。野焼きの煙らしい。視界が悪くなっているが大丈夫かと思いきや、何の問題もなく発車。この辺りでは日常的なことなのだろうか。
往路では自分の他にもタブレット交換などの撮影をしているカップルがいたが、復路にも引き続き乗車していた。
日が傾いてきたが、ちょうど窓から直接日差しが入る形になり、かえって明るい。最初はガラガラに空いていたが、最後はほぼ満席になった。
◎木更津 1815→1854 千葉 千葉行1128M 113系6両編成先頭=クハ111-1450
車内は8割以上の席が埋まり、立客もある。途中で乗客の入れ替わりも多いが、一貫して混んでいた。
◎千葉 1901→2045 逗子 久里浜行1976F→1977S E217系15両編成4号車=サロE216-44
折り返し運用のため、発車時刻直前まで作業員が車内清掃や座席の転換作業をしていた。
木更津で購入した茶菓を食べ終えた後、冷房も効いてきたので、車販にホット飲料の有無を尋ねる。しかし、この時期は冷たいものしか無いのでアイスコーヒーを買った。
逗子では切り離しと後続列車待ち合わせのため9分停車。そのため、バスの時間まで車内に留まる。
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