1994年2~3月 高松・広島 8~9日目-広電、宮島、岡山、奈良井

 高松・広島で計3泊の開催だった鉄研合宿を終えて、広島市内と宮島を観光してから帰路に就きました。その後、岡山の路面電車に乗ってから、夜間ながら加古川線を回って大阪から急行きたぐにで米原へ。米原駅で夜を明かしてから中央本線回りで奈良井宿に寄って、上諏訪駅露天風呂を利用し、身延線で富士に出て、急行東海で帰宅しました。(上諏訪駅の露天風呂は2002年7月9日に足湯に改装されています。)


平成6年(1994年)34日(金)

640頃起床。700からの朝食に730頃行くが、先客は数人しかいない。食べている途中で少しずつ人が来る。食後、部屋に戻り、出発準備。記念撮影は無いので流れ解散となっており、8時少し過ぎに宿を出る。この時間、まだ朝食中の人もいる。

 


◎広島駅前 845→848頃 的場町 広電宮島行 38093連接車

広島駅で広電の1日乗車券購入。

 

◎的場町 850→852頃 猿猴橋町 広島駅前行 763単行(元・大阪市電)

宮島行に乗って的場町で宇品方面に乗り換えようと思ったが、宇品線ホームは分岐点より先なので、完乗のため1駅戻ってそこで乗り換える。

 

◎猿猴橋町 855→917頃 宇品 宇品行 1903単行(元・京都市電 舞妓号)

宇品行は元・京都市電で「舞妓」のプレート付。車内はラッシュ並みの混雑で、途中までは身動きもできない。車内では、昨年放送された「広島に一番電車が走った」のイベントのパンフを置いていたので、1部貰う。

 

◎宇品 920→932頃 広電本社前 己斐行 (車番未確認)

宇品に着くと、ちょうど己斐行がいたので、それに乗って広電本社前まで行き、車庫を入口から眺め、1本後の己斐行に乗る。 

◎広電本社前 936→945頃 紙屋町 己斐行3系統 652単行(被爆車両)

この車両は現在広電に4両だけ残る被爆車両の1つで、車内には説明板がある。内装はすべて木造。これが現役で走っている。

 

◎紙屋町 950→953頃 本通 宇品行1系統 1908単行

紙屋町で降り、道路を渡って広島駅方面からの電車に乗り換えて本通まで戻る。そこから商店街を抜けると元安橋で、平和記念公園の入口。モニュメントに参拝した後ゆっくりと原爆ドームまで行く。 




◎原爆ドーム 1022→1033頃 己斐 己斐行 653単行(被爆車両)

これも例の被爆電車の1つ。内部の雰囲気は昭和20年代に戻ったかのようだ。



◎西広島 1035→1109 広電宮島 広電宮島行 38043連接車

己斐で宮島行に乗り換え。己斐の下車ホームと西広島の乗車ホームは20mくらい離れていて、直通に乗る人も西広島ホームからでないと乗れない。宮島行の3連接車は専用線を飛ばす。途中駅での乗り降りは多いが、座席混雑率は90%前後で一定している。1108頃宮島駅到着。広電宮島では切符は改札口で渡す。

宮島口まで徒歩5分。

 

◎宮島口 1125→1135 宮島 宮島行航路121便 みやじま丸

予定では1110の船に乗るはずだったが、色々寄り道をしたため、目前で出航してしまった。1125発まで待つ。宮島口側での改札は無く、JRのフェリーで宮島に渡る。車両はこの便では載せていなかった。


 

宮島桟橋の駅舎は立派な建物。そこから厳島神社へ向かう。奈良公園みたいに鹿が放し飼いになっていて、鹿のエサも売っている。厳島神社の大鳥居の辺りは海面上にあるが、完全な満潮ではないため、本殿の方は乾いた地面の上にある。宝物殿との共通入場券を買って入る。神社の建物はあまり広くなく、順路を辿るとすぐ終わる。およそ1520分程度。本殿で参拝。おみくじを引く。吉だが内容は比較的良い。23年前の台風で崩壊した能舞台は、修理がかなり進んでいる。その過程が写真パネルで展示されている。神社の出口正面に宝物殿があり、入ってみる。メインの展示と思っていた平家納経だが、展示されているのは大正時代の複製品で興ざめ。それでもかなり立派なもので、水晶の軸やら表・裏面に金銀が張られている等、贅沢な作りになっている。挿絵等の色彩も良い。宝物殿・神社の脇には寺もあり、そこも見てから土産を買う。しゃもじはあるので、紅葉模様の箸を2組購入。その後、桟橋へ戻る途中で後輩2人に追い付く。

 

◎宮島 1240→1250 宮島口 宮島口行航路126便 みやじま丸

同じ1240発の便で宮島口に戻る。これで予定を回復。

 

◎宮島口 1259→1502 福山 岡山行区間快速1354M 1154両編成3両目=モハ114-2006(広ヒロ)

後輩2人は昼食後に呉線経由で行くため、広島で下車して行った。広島・西条間はノンストップ。その間に有名なセノハチ越を通る。左側の窓から前を見ていると、八本松駅の数百メートル手前に「補機開放」らしき看板が見えた。

 

◎福山 1503→1548 岡山 サンライナー 岡山行快速3746M 1174両編成2両目=モハ117-22(専用塗装 岡オカ)

福山でサンライナーに乗り換え。次の停車駅笠岡はカブトガニが名物らしく、駅改札内に展示してあるのが車内からも見えた。岡山で下車し、荷物をコインロッカーに入れた。

 

◎岡山駅前 1558→1605頃 城下 東山行 7701単行(昭和62年アルナ工機)

路面電車で城下へ行く。1日券は無く、運賃は1140円。乗換券あり。両替機の代わりに自動釣銭支払機あり。昭和50年以降の新しい車両が多く見られるが、モーターは吊掛式だった。

城下停留所の下には地下広場あり。七色のタイルで装飾した噴水が綺麗。後楽園までは数分歩き、橋を渡る。入場券を買って中に入る。閉門は5時と告げられる。あと1時間弱。後楽園内には、池や人工の川・港もあるが、芝生や畑・空地も多い。何もない空間が大きく、広い割には写真を撮りたくなる地点が限られている。そのため、比較的短時間で回れる。眺めの良い場所はやはり池と緑。それに後方に岡山城が背景となるような場所。また、梅林に於いてはちょうど梅が満開であったが、その周辺の景色を合わせた写真は撮れない。1回りすると閉園10分前。既に入場券売場は閉まっていた。城側の南口は早めに閉まっているので、再び正門から城下電停へ走る。

 


◎城下 1654→1706 東山 東山行 7202単行(昭和57年 アルナ工機)

東山まで行って折り返し。

 

◎東山 1707→1715 西大寺町 岡山駅前行 7101単行(昭和56年アルナ工機)

西大寺町で下車。そこから銀天街を通り抜けると清輝橋線の電停。時間の関係で途中から走る。

 


◎清輝橋 1730→1741頃 岡山駅前 岡山駅前行 8101単行

岡山駅まで乗車。新幹線の時間まであと10分を切っており、急いでロッカーの荷物を出し、土産を適当に選んで買い、ギリギリで予定の新幹線に間に合う。

 

◎岡山 1750→1810 相生 ひかり124号 東京行幹124A 016両編成5号車=TEC25-1101、6号車=TEC26-1259

指定席はガラガラなのに自由席はデッキまで人が立っている状態。相生まで20分間立ち放し。

 

◎相生 1817→1839 姫路 姫路行1428M 117系(サンライナー塗装)8両編成先頭=クハ117-11

相生で在来線に乗り換えて姫路へ。

 

◎姫路 1843→1853 加古川 野洲行新快速3642M  2218両編成5号車=モハ220-32

4分の接続の間に弁当購入後、新快速で加古川に行く。

 

◎加古川 1857→1947 西脇市 西脇市行753D 402両編成ワンマン先頭=キハ40 2029

最初の数駅は混んでいたが、そのうちボックス席が丸々空くようになる。粟生は神戸電鉄・北条鉄道の接続駅。両私鉄は同じホームを使っていた。JRとの間に改札があるかどうかは不明。

 

◎西脇市 1953→2024 谷川 谷川行845D キハ40 2079単行ワンマン

西脇市で2両編成に乗り換え。改札は有人だったが、客が滞っていたので、下車印は押せなかった。谷川までに姫路で買った駅弁を食べる。谷川はこの時間は無人で、ここでも下車印は押せず。

 

◎谷川 2030→2204 大阪 大阪行快速2780M 1154両編成後車=クハ115-604

福知山線の快速電車に乗り換え大阪へ行く。途中からの乗車が多く、三田発車時に約50%。三田は隣に神戸電鉄の駅が見えるが、ホームは30mくらい離れている。しばらくうとうとしているうちに大阪着。

 

◎梅田 2212→2224 甲子園 新開地行特急 80006両編成先頭=8234

「きたぐに」までは時間があるので、阪神電車に乗りに行く。尼崎乗換えで西九条に行く予定だったが、発車直前に乗ったのが特急だったため、甲子園まで連れて行かれた。一旦改札を出て西九条まで買い直す。

 

◎甲子園 2232→2239頃 阪神尼崎 梅田行急行 20006両編成先頭=2213(昭和47年近畿車輛)

 

◎阪神尼崎 2242→2253 西九条 西九条行 50004両編成先頭=5143(昭和58年西宮武庫川車両)

尼崎乗換えで西大阪線。この区間は単線。大阪近郊の街中でコンビニの光がたまに見える。西九条は完全無人の自動改札のため切符貰えず。

 

◎西九条 2303→2310 大阪 大阪環状線 1038両編成6両目=モハ103-394

大阪環状線は本数が少なく、10分近く待たされた。2310頃大阪着。

 

◎大阪 2323→103 米原 きたぐに 新潟行急行501M 58310両編成最後1号車=クハネ581-22(京ムコ 昭和43年)

端の11番ホームの急行「きたぐに」に乗車。自由席は6割以上の乗車率。3段寝台用の電車で、天井は高い。椅子下のベッド組立用の板は撤去されているようだ。天井は高いが、窓側は寝台収納用の棚が突き出ている。ボックスの間も広く、向かい合いながら窮屈さが少ない。京都から乗ってくる人(スキー板を持った人が多い)が多かったため、京都から満席。荷物の一部を抱えたまま仮眠。米原に到着し下車。

新幹線口の駅舎は間もなく閉鎖されたため、在来口に移動。こちらの待合室は、表示では130までだったが、139現在、使える状態。結局、待合室はずっと使えたため、長浜への徒歩は行わず、待合室に留まった。1314人程がここで泊まり、半分酔っぱらったような変なオッサンもいた。室内にはストーブがあり、ディーゼルエンジンみたいな音を響かせていた。

 

平成6年(1994年)35日(土)

◎米原 533→543 長浜 長浜行121M 2216両編成最後1号車=クハ221-50

5時近くなってから18切符に日付印を受けに行く。在来線口は未だ無人のため、新幹線口に回る。長浜行は515頃入線。さすがに空いている。すぐに長浜到着。

外はまだ暗い。駅前には、豊臣秀吉・石田三成初対面の像がある。重要文化財の旧長浜駅舎は現在の駅から350m離れており、4分の折り返し時間では行けない。行けたとしても暗いからあまり意味はないが。

 

◎長浜 547→600 米原 姫路行1715M 同編成先頭1号車=クハ221-50

米原に戻って西日本の飲料を3本購入。

 

◎米原 606→639 大垣 浜松行532M 2113両編成先頭=クモハ211-5004(海シン)

上りのロングシート電車に乗る。醒ケ井を出た頃から明るくなり始める。伊吹山が綺麗に見える。関ヶ原駅ホームには当時の戦国武将の紋が看板になっていた。

大垣で下車し、ナイスホリデー号に乗るまでに蕎麦でも食べようと思ったがまだ閉まっていた。改札外の店も同様。

 

◎大垣 708→1002 奈良井 ナイスホリデー赤沢森林 塩尻行快速8120M 3114両編成先頭=クモハ311-6

売店でサンドウィッチとキットカットを購入して乗車。新快速用の311系車両を使用。名古屋近郊では混雑したが、途中で空いた時に前方の席へ移動。朝食を取る。列車の速度はかなり高く、時には120km/hに達する。各駅の停車時間も短い。恵那は明知鉄道分岐駅。中間改札があるようだ。中津川を過ぎると時折残雪が見られる。南木曽付近から単線。野尻で「しなの」通過待ち、大桑で反対列車待ちのため、2駅連続運転停車。



285km地点付近で車窓左側に寝覚ノ床。車内放送による案内はなかった。知っていればそれと分かる美しい渓谷だが、すぐに通り過ぎる。木曽福島辺りか薮原近くから再び複線区間。奈良井で下車。

 



奈良井は無人と聞いていたが、委託駅員が居た。駅を出て左側に歩くとすぐに奈良井宿の街並みが始まる。宿場街の裏通り沿いには中央西線の線路が通っていた。特急しなのが車体を傾けながらカーブを通過していく。近くの駐車場にはC12 198が保存されているが、説明板は無し。街の奥まで行ってから戻り道に中村邸に寄る。管理しているおばさん(村役場の人らしい)が幾つか説明してくれる。屋根の庇の猿頭は、下から釘を打ってあるため、泥棒が上に乗ると重さで下に落ちる仕組みになっていることが興味深い。細かく格子が付いているのも同様の理由。また、表通り側の障子や柱は全て取り外し可能で、祭りや祝い事の際にこれらを外して通りに面することができる構造になっている。この建物は築160年とのことで、その他に200年を経た建物も近くにあるそうだが、居住性向上のため改造されているという。現役で住居その他として使われている建物が多い)奈良井でよく見かけるものは、漆器、百草丸、五平餅。五平餅を食べようと思っていたが、時間が無く不可。

 

◎奈良井 1129→1150 塩尻 松本行829M 1693両編成先頭=クハ169-15

 

◎塩尻 1152→1210 上諏訪 小淵沢行1538M 1153両編成先頭=クモハ115-1066

奈良井から塩尻乗換えで上諏訪へ行き、駅露天風呂に入る。脱衣場が畳2枚分くらいの広さ。(ロッカー含む。)浴槽は45人程度までの大きさ。基本的に石造り。湯はかなりぬるい。恐らく3538℃程度。他の客はそのうち出て行って、最後は1人で浸かっていた。


◎上諏訪 1248→1400 甲府 甲府行440M 1153両編成中間車=モハ114-1185

卒業式帰りらしい人で混雑していた。小淵沢4分停車時に土瓶の茶を購入。普通の茶より高く、310円。陶器の駅売り茶は他ではほとんど見られない珍しいもの。

 

◎甲府 1424→1651 富士 富士行628M 1153両編成先頭=クモハ115-2010

甲府で身延線に乗り換え。陣中鍋飯を求めるが、売切れだったり準備中だったりで、入手できなかった。仕方なく駅そばを買って乗車し、小淵沢の茶と共に食す。身延8分停車時に改札を出るが、特に興味あるものなし。飲料だけ買って乗車。半分眠りながら富士宮、富士へ。

今日は富士山がほとんど見えない。富士では駅前を見た後、いなりずしを購入。

 

◎富士 1722→1848 大船 東海4号 東京行急行304M 16511両編成先頭11号車=クモハ165-104

11号車は15%未満の乗車率。同じ車両にM氏がいた。新見回りで大阪泊まりだったらしい。富士で乗るとすぐ車掌が検札。急行東海のオレカはやはり売切れで、現在500枚増刷中という。車窓には普段見慣れているものが戻ってきた。緑色の駅名標、215系電車、駅の発車音など。藤沢を過ぎると右側に、千葉行表示の横須賀線車両も止まっている。急行東海には車掌が3人乗っているらしいが、それでも急行料金を払わずに終わる人も少なくない。平塚からの無券客数人は、車掌が来る前に藤沢で降りて行った。大船で急行東海を下車。これで急行東海の利用は5回となった。

 

◎大船 1854→1906 逗子 逗子行1737S 11315両編成12両目8号車=サハ111-2001

四国ワイドに大船下車印を押し、18切符で入り直すと、すぐ予定の逗子行が入線。8号車の乗車率40%くらいと推定。

 

◎逗子 1919→1922 東逗子 久里浜行1669S 11311両編成9号車=モハ112-1188

逗子で一度改札を出てみた後、家に電話。東逗子着1922に合わせて迎えを頼んだ。

 

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