1994年2~3月 高松・広島 6~7日目-琴電、八島ケーブル、宇高国道フェリー、三段峡

 合宿2日目は高松琴平電気鉄道の志度線と屋島線に乗車(琴平線は平成3年2月に乗車済)、現在は廃線となった屋島ケーブルで屋島や四国村、高松城址、丸亀城を観光しました。翌日は広島への移動日のため、宇高国道フェリー経由で宇野へ。ここから青春18きっぷを利用して宇野線・山陽本線・可部線の在来線を乗り継いで三段峡を散歩してから広島で合宿に再合流しました。 


平成6年(1994年)32日(水)

◎片原町 747→749 瓦町 琴電琴平行 3両編成先頭=1071(元・阪神?)

700近くに朝食。朝食後747発の下りに乗車。瓦町までは、琴平へ行く同期と同列車。

 

◎瓦町 755→831 長尾 長尾行 2両編成先頭=35(元・京急230形)

瓦町で下車し、長尾行に乗り換え。長尾行は元京急230形だった車両。前面の3枚窓が大きい。途中まで通学生を含め混んでいたが、高田でほとんどが下車。それまで立客が多かったのに、2両編成で10人弱になる。終点の長尾で下車したのは2人。スピードは遅く、一番速くても55km/hくらい。長尾に着いた列車は1分余りですぐ折り返していった。

長尾から造田まで、10万分の1地図と勘で4km近くを歩く。910過ぎに造田駅到着。所要40分程度。駅前に郵便局があったので現金を引き出す。なお、長尾・造田間にはバスの便も少しある(大川バス)。

 

◎造田 926→933 志度 高松行328D キハ40 2108単行

志度までJR。駅前通りを少し行くと左側に琴電志度。

◎琴電志度 953→1010 琴電屋島 高松築港行1020 2両編成先頭=21

切符は運賃だけ印刷したものに発行駅印を押したもの。21号と22号の2両編成で、非貫通。

屋島まで行って降り、ケーブル登山口へ歩く。八栗からタクシーで来た後輩と出会う。

 

◎屋島登山 1025→1030 屋島山上 屋島山上行ケーブル 2号車=「弁慶」号(昭和25年日立製作所)

ケーブルで山上へ。切符は券売機のつまらないもの。

山上駅から展望台方面に歩く。談古嶺まで来ると、瀬戸内海・八栗の眺めも良い。琴平へ行く後輩はここで引き返して行った。平日のためか人通りはほとんどない。遊歩道を更に進むと高松市街地が意外に近いところに望める。また、瀬戸大橋も見えるが、かなり遠く、注意して見ないとなかなかそれと知れない。だんだんと俗化された地帯に入り、土産物屋を抜けてしばらく行くと屋島寺。境内は広い。寺の近くに血の池。これは源平合戦参加の武者が血刀を洗って赤く染まったことから名付けられたもので、現在は普通の色の池。血の池を通り過ぎてしばらくすると最初に来た八栗を眺める道に合流し、ケーブル駅に着く。

山上駅では四国村の割引入場券(800750円)を購入。

 

◎屋島山上 1145→1150 屋島登山 登山口行ケーブル 1号車=「義経」号(昭和25年日立製作所)

ちょうどケーブルの発車に間に合う。客は自分1人。車両には弁慶・義経の愛称がある。登山口では通学・通勤定期も売っていて、通学定期は5日乗れば元が取れる。使う人は実際にいるのだろうか。

登山口から少し歩くと四国村に入る。ここは四国各地の古い建物を移築して集めたもので、村内はかなり広く、全部見るのに1時間はかかる。入口を入ってすぐのところに祖谷のかずら橋もあり、白鳥の浮かぶ池の上を、26日に渡ったものと同じ構造でかかっている。橋を渡れない人のための迂回通路もある。村内に農村劇場・農家・作業小屋etc.がぽつぽつと並ぶ。重要文化財も多く、指定場所以外禁煙。人通りは極めて少ない。数年前に旧ビルマのアウン・サン・スー・チー氏が来村しており、その写真も置かれている。一回りして最後にもう一度かずら橋を渡ってから出る。

 

◎琴電屋島 1320→1339 高松築港 高松築港行1030 2両編成後車=230(瓦町で方向転換)

屋島から琴電で築港へ。途中、瓦町で方向転換。瓦町到着時点で四国内普通鉄道全線完乗となる。


高松に着き、宇多津方面に行く前に旧高松城の玉藻公園を散歩する。堀に海水を入れた水城で、建物はほとんど残っていない。城らしきものは東の櫓だけ。大部分は庭園・公園。遠足の小学生がたくさん来ていた。この辺の小学生は皆制服があるらしく、黒い集団と化している。

 

◎高松 1429→1455 宇多津 しおかぜリレー 多度津行7149M 1212両編成先頭=クハ120-19

高松で昼食後、しおかぜリレー号で宇多津へ。青の山への登山方法を探すが見付からず、30分程で断念して丸亀へ向かう。

 

◎宇多津 1527→1531 丸亀 琴平行1251M 1214両編成先頭=クハ120-13



丸亀から市役所方面にしばらく歩くと、ダイエーの後ろに突然丸亀城が現れる。かなり高さがあるように見える(実際の標高は80m余り?)城壁の上部がほとんど垂直に伸びているのが特徴。歩道は整備されていて、天守閣までゆっくり歩いて10分余り。石垣の一部は修理中だが、天守閣には入れる。17世紀当時のままで残る珍しい天守閣で、装飾はほとんどない。

天守閣上やその下からは、瀬戸大橋の眺めが良い。しばらく景色を楽しむ。天守の少し下に、日本一深いという井戸がある。網が被せてあるが、小石を落とすと187後に水音が返ってきた。人通りはさほど多くない。郵便配達のバイクが急な傾斜を登ってきて、また戻って行った。

 

◎丸亀 1718→1740 高松 いしづち12号 高松行特急1012M 80005両編成先頭5号車=8401

商店街をうろつきながら丸亀駅に戻り、昨日と同じいしづち5号(車両も同じ)で高松へ。車内では、道後温泉に行ってきた後輩と会う。この列車は昨日も今日も坂出・高松間で自由席特急券を回収していた。

高松から宿まで徒歩で戻るが、土産を買うため、鉄研メンバー2名と共に駅に引き返し、いしづち車内で宣伝していた栗タルトを購入。

 

(合宿)ホテル丸登美

 

宿に戻り間もなく夕食。今日は食堂での経路発表等はなし。夕食後2030イベントが始まるため、それまでの間に入浴する。

この日のイベントは選抜チームによるクイズ・ゲームの類。4チームによるトーナメント。第1回戦その1は「クイズ鉄研会員20人に聞きました」、その2は「連想ゲーム」、決勝戦は視覚・聴覚クイズで、これは一方のチーム3人に文庫本を見せるかテープを聞かせるかして、その中にポルノを見ているのは誰か、相手チームが当てるゲーム。

イベント終了後、カラオケに行く。本日到着の先輩を含めて総勢9人。22時から2時間で予約。Get Wild、島唄、おどるポンポコリンを歌う。2時間経過後、自分ともう1人は帰るが、他の人は1時間延長していた。宿へ戻り、明朝の準備をして消灯した時は日付が変わり、1時を少し回っていた。

 

平成6年(1994年)33日(木)

6時ちょうど起床。出発準備後、620頃に宿を出る。後輩1名と会い、片原町まで同行。彼は始発で高松へ。国道フェリーの港は高松駅からは遠くなるので、歩いて行く。1015分くらいで着く。

 

◎高松港 648→749 宇野 宇高国道フェリー こくどう丸

券売機があるが、窓口で宇野行乗船券を買う。多少硬券に近い紙質。待合室の売店等は未だ閉まっていた。少し待つとフェリー入港。大型トラックを中心に多くの車両を出していく。

乗客口から乗船。乗客は20名弱と思われる。定刻に出航。方向転換をしつつ港を離れ、後方に四国の景色を見送る。客室にはTVモニターが2台あり、朝のワイドショーと子供番組を流していた。ワイドショーはTBS系で、荒川キャスターが出ていた。子供番組は時間から考えてポンキッキではないかと思われる。客室には前方向の椅子とボックス席のソファー。売店では菓子・飲料(130円)と、高松・岡山の土産を売っている。展望デッキにはゲーム機と自販機。上の展望デッキは、やや風が強い。展望甲板の一部は薄氷が張っている。

宇野の港は駅から5分くらいのところ。少し分かりにくい方向に駅がある。駅そばを食べようと思ったが無いので、近くのコンビニでカップ麺の朝食。宇野駅で食べてから、青春18きっぷの日付印を押す。


◎宇野 834→858 茶屋町 岡山行640M 1153両編成最後=クハ115-1078

宇野駅内は改装工事中。従来の長いホームを廃して1月末から仮設ホームで営業している。茶屋町まで行って下車し、駅前にあった郵便局で金を出す。

 

◎茶屋町 911→924 岡山 マリンライナー10号 岡山行快速3130M 2136両編成先頭6号車=クモハ213-1

車内に後輩5人がいた。

 


◎岡山 940→1025 福山 サンライナー 福山行快速3725M 1174両編成先頭=クハ116-15(岡オカ)

岡山・福山間のサンライナーには、”Setouchi Seaside Rapid Service”のロゴが入った外装になっている。サンライナーの乗車率は岡山・倉敷間で30%余、倉敷から50%くらい。サンライナー車内で飲んだすだちドリンクは、あまり酸っぱくなく飲みやすい。

 

◎福山 1026→1043 尾道 三原行435M 1154両編成3両目=モハ115-3506

福山1分接続の普通で尾道へ。117系改造と思われる。尾道付近の線路はカーブが多い。基本的に海は左、千光寺山は右だが、カーブによってはどちら側からでも見ることができる。

尾道で途中下車し鯛めしを求めるが休止中だった。

 

◎尾道 1057→1216 広島 岩国行快速1345M 1154両編成3両目=モハ115-2006

尾道から岩国行に乗り、2氏と再合流。尾道以前は対岸の島と同様に港が整備されていたため運河みたいだったが、尾道を出てしばらくは左側の海が綺麗。

広島でも気に入った駅弁なし。新幹線口のドムドムで昼食購入。

 

◎広島 1231→1304 可部 可部行759M 1052両編成先頭=クハ104-22(広ヒロ)

 

◎可部 1305→1440 三段峡 三段峡行537D キハ40 2115単行

可部線は可部で乗換え、電車2両から気動車単行に。可部付近から渓流の眺めが良い。何度か川を渡るから、どちらに座っていても見ることができる。加計を過ぎると所々に残雪が見られる。可部線の可部以北も45か所の有人駅があり、切符を売っていたようだ。但し、加計・三段峡以外は運転士が客扱い。

 

三段峡駅前にはSLC11 189)が静態保存されている。保存状態は極めて良好で、ハンドル類、給炭口も動かしたり開けたりすることができ、ATS受信機もそのまま残っている。列車で引き返すメンバーと、ここで別れて1人となる。


バスまでは1時間程あるので、三段峡を散歩する。駅のすぐ近くに三段峡入口があり、入口の長淵橋からの渓流の眺めも良い。そこから一番有名な三段滝までは片道4時間もかかるが、もっと手前に景色の良いポイントはあるので、適当な所まで行って引き返すことを予定していた。遊歩道の大部分は雪が積もっている。山側から崩れてきた分を含め積雪2050cmのところもあるが、適度に固まっているので歩けないこともない。姉妹滝・竜の口を見る。姉妹滝の滝壺は緑色に光り美しい。竜の口は、その部分だけ谷の両岸から岩がせり出し、門のようになり、そこを渓流が激しくしぶきを上げている。竜の口付近では雪崩の跡のような雪が歩道のかなり上の方まで斜めに掛かっていて歩き難いところがあった。その後、夫婦渕を目指すが、更に大きな雪崩跡で歩道が埋まっていたため、そこから引き返す。数人のグループが竜の口の辺りの岩に降りていた。戻ってきた人に記念撮影を依頼。

その後、三段峡駅前に戻る。駅付近には土産物屋が数軒並ぶが、どれも休業中。

 

◎三段峡 1600→1703 己斐 広島BC行バス 広島2231-78

帰路は急行バス(広島電鉄)に乗る。車内でバスカード購入。本来は乗るときに乗車口でカードを機械に通すが、もう発車したので、下車地でやって貰うことになった。戸河内から高速に乗る。広島分岐の近くで、間もなく開業する新交通システムの軌道の上を通る。これが開業するとバスの乗客や便数が減るだろうという話を運転士と地元客が話していた。五日市で一般道へ出る。その後、渋滞があった関係で己斐到着は予定より若干遅れ1710頃。近くにJR西広島駅。

 

◎西広島 1718→1722 横川 広島行554M 1154両編成先頭=クハ115-2115

横川まで1駅乗車。横川では路面電車が来るまで少し待つ。

 

◎横川 1732→1752頃 江波 江波行 555単行(昭和30年ナニワ工機)

路面電車で江波まで。

 

◎江波 1756→1810頃 十日市町 横川行 同車

江波から横川行の同じ車両に乗車。

 

◎十日市町 1815→1830 広島駅前 広島駅前行 30083連接車(車掌乗務)

十日市町で乗換え。乗換券は出ない。ここからは宮島編成で、広島駅まで行く。3連接車両で、車掌が乗務している。100円両替機はあるが、それ以上の両替は車掌まで。終点近くで車掌が運賃を集めて回った。下車後、地下道で駅を横切り、新幹線口へ。

 

(合宿)ホテルニューたちばな

 

宿を探すのに手間取り、着いたのは1845頃。そのまま宴会場に入って夕食。その後カラオケ。瀬戸の花嫁を歌った。入浴後、2200から「1・4会」。名前・学部・就職先当てクイズ後、山手線ゲーム。000近くまでやる。

 

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