1994年2~3月 高松・広島 4~5日目-伊予鉄道、土佐くろしお鉄道、土佐電気鉄道、土讃線

 4日目は松山市内観光と伊予鉄道乗車の後、久万高原経由で県境を越えていたJRバスで県境を越えて土佐くろしお鉄道の中村泊まり。5日目は土佐電気鉄道に乗車しつつ高知城観光、その後金刀比羅宮に参詣して高松に戻り、鉄研合宿に参加しました。 



平成6年(1994年)228日(月)

6時起床。支度してからフロントに鍵を置き、道後温泉本館へ急ぐ。630の開湯に間に合うが、行列ができていたのですぐには入らず、開湯を告げる太鼓の打ち鳴らしを見物する。早朝のためか少ししか鳴らさず、あっさり終わる。風呂の前に道後公園に行くと、多少、散歩している人を見かける。公園の頂き付近からは松山城が遠望できる。道後温泉に戻り階下に入浴。結構混んでいる。朝湯を楽しむ人が多いようだ。顔見知りを見つけて世間話をするおじさんが多い。疲労回復の効能で、少し肩の痛みがとれる。

宿に戻って朝食。ご飯がおひつで出て、茶碗3杯分はあり満腹。食堂からは松山城の眺めが素晴らしい。食堂のおばさんと話し込む。小田急の百合が丘に妹がいるほか、逗子など神奈川各地に知人・親戚がいるとのこと。食事と会話で意外に時間を食い、宿をチェックアウトしたのは830過ぎ。フロントのおじさんは昨晩風呂でみた人と似ており、もしかして本当に客は自分1人だったのかも知れない。土曜・休日は利用者も多いらしいが。


 
◎道後温泉 845→910頃 松山駅前 松山駅前行5系統 71単行

道後温泉845頃の電車でJR駅に行き、(市内1日券は830から買える)バスの指定券を1時間後のものに変更する。これで市内観光の時間を確保。

 

◎松山駅前 920→922頃 大手町 道後温泉方面 67?or68?単行

路面電車で1駅戻る。

 

◎大手町 932→951 高浜 高浜行 3両編成先頭=813(昭和37年日本車両)

郊外電車で高浜に行く。途中の古町では市内・郊外線の車庫が見える。梅津寺パークにある筈の「坊ちゃん列車」は車窓からは確認できなかった。

高浜・梅津寺間の単線区間では海がよく見える。 


◎高浜 958→1051 横河原 横河原行 同編成先頭=823(昭和37年日立 元:京王帝都)

高浜で折り返し。運転手によると、この車両は元・京王帝都電鉄の車両。松山市から先の横河原線は単線。交換駅への入線方向は右側通行になることが多い。従って運転席がホーム側となり、これはタブレット時代の名残かもしれない。 


◎横河原 1059→1128 松山市 高浜行 同編成先頭=813

横河原では8分の折り返し。山を背景にローアングルからの写真を撮る。横河原を含め、伊予鉄道の多くの駅で委託駅員らしきおばさんが多い。無人駅もあるが、極端に多くはない。市内線の運転手は頻繁に信号の確認喚呼を行っていたが、郊外線の運転手は無口。しかし運転時刻はかなり正確で、横河原・松山市間での最大誤差はせいぜい20 30秒程度の様だった。運転席の時刻表は全駅掲載で10秒単位。分・秒しか載っていないから、昼のパターンダイヤの時間帯には毎時同じ物を使い回しているのかも知れない。

乗車している車両は音の静かなカルダン駆動だが、途中の駅ですれ違う対向列車には、吊り掛け式と思われるものもあった。 


◎松山市 1137→1142頃 大街道 道後方面2系統 2005単行

吊り掛け駆動の路面電車で大街道まで。

ロープウェイ前まで徒歩移動。

 

◎ロープウェイ前 1153→1158頃 長者ガ原 長者ガ原行リフト 43番座席

10分毎のロープウェイが出た直後だったので、並行しているリフトに乗る。運賃はロープウェイ・リフト共通。松山城までゆっくりと登る。記念写真を撮ってから天守閣へ登る。リフトもそうだったがここも値上げ直後らしく、料金改定印を押した入場券だった。松山城天守閣は落雷で焼失後、1854年に再建されたもの。そのため、最近建てられた城と比べて俗化されていない内装で雰囲気がよい。天守閣内部は土足禁止で、靴や荷物を入れるための無料のロッカーがある。階段も当時のものそのままで、角度が急。入口は元・穀物倉庫で、湿気を防ぐ構造が工夫されている(看板にその説明書きがあった)。天守閣からの眺めも比較的良い。

コイン式の望遠鏡が四方に置いてある。帰路は小天守経由で、こちらは展示物が並んでいる。天守を出てからロープウェィ降り場に戻り、茶店で菓子付き抹茶を注文。小型タルト一切れと坊ちゃん団子一串が付いてきたが、値段(600)の割に菓子の量は少なかった。

今度は林に囲まれた登山道を、徒歩で県庁側に下りる。吊り掛けモーターの市内電車の音は大きく、山頂付近まで響きわたるのが聞こえる。少し歩くと県庁の脇に出る。近くに庭園があるが今日は休み。県庁舎に入ってみる。本館は4階建てだがどっしりとした立派な建物。隣に高層の第1別館、裏に第2別館がある。

県庁勤務の先輩に会えるかと、とりあえず第1別館地下の喫茶室へ行くが、昼食時間を過ぎていたため空いていた。そこでスパゲッティを食べ、しばらく庁内を散歩。先輩の部署をはっきり憶えていないので各課の部屋の入り口にある座席表を眺めて回る。とある課の座席表に氏名を見つけるが本人は不在。この際と思い、名刺の裏にメッセージを書いて預けてきた。県庁から退出し、市電で松山市へいき、子規堂まで歩く。「坊ちゃん列車」の客車が置いてあり、それを眺める。

 

◎県庁前 1411→1419頃 市駅前 市駅前行1系統 56単行(昭和29年ナニワ工機)

 

◎市駅前 1439→1445頃 松山駅 松山駅方面  1002単行

再び市駅から電車に乗り、JR松山駅に戻る。

 

◎松山駅 1500→1728 佐川駅 なんごく17号 高知駅行急行バス

ロッカーから荷物を出し、JRバス「なんごく17号」に乗車。バスは発車後、南堀端、県庁前を通過し、市街を抜ける。30分ほど経った最初のバス停「砥部」辺りまで比較的平坦だが、その後山道に入り急カープの連続。進行方向右側の席は陽が強くあたり暑いが、カープに入り少し緩和される。久万の峠は標高700m強。

車窓からはかなり遠くに、雪をかぶった石槌山が見える。バスのテープ案内によると、この付近は四国遍路の発祥地らしい。ある強欲な庄屋が、托鉢に来た弘法大師の鉢をたたき落として追い返したところ、その鉢が8つに割れ、その後庄屋の8人の息子が次々に死んだため、世をはかなみ、弘法大師の姿を探して四国放浪の旅をしたのが始まりと言われている。その庄屋は21回目の旅先で病に倒れて死の直前にようやく大師が現れ、罪を許し、死後の転生を約束したと言う。何年か後に伊予の豪族河野氏の息子が生まれたが、それがその庄屋の生まれ変わりと言われている。 久万では数分の休憩。久万発車後、ダムや渓谷沿いの道を走るが眠い。引地橋でも5分の停車。この辺りからの渓谷の景色が最も良い。ここから更に少し走って、佐川に着く。

佐川は明治維新の功労者の一人の出身地で、重要な遺物等を集めた青山文庫が近くにあるが、閉館時刻を過ぎている。また、佐川付近には平家落人伝説もある。祖谷から流れてきた安徳天皇がこの付近で近臣と質素な生活を送り、22歳で崩御するまで滞在していたという。

 

◎佐川 1740→1802 須崎 窪川行763D 10004両編成3両目=1036

佐川駅は駅員のいる時間が限定されている。普通列車で須崎に先行する。

 

◎須崎 1834→1903 窪川 南風9号 中村行特急39D 20004両編成 最後4号車=2130

車内は空いていた。窪川まで乗車。窪川の待合室で、同期や後輩4人に会った。会津旅行の際の写真を貰った。彼らは前日中村泊まりで、これから宇和島まで行くとのことで、一足先に改札を通って行った。その後、横浜で働いたことのある元土方のおっさんに話しかけられるが、列車の時間が来たので途中で切り上げた。

 

◎窪川 1934→2029 中村 中村行531D TKT-8005単行

土佐くろしお鉄道の出札は既に閉まっていて、列車はワンマン。外は暗いので景色は見えない。単行の車内はロング+転換クロス。今時のワンマン列車には珍しく洋式WC付。但し転換クロスシートの座席カバーは少し汚れている。終点までの乗客は自分一人だけ。

 

(宿泊)ビジネス駅前ホテル

 

中村駅周辺で食糧を確保できる店を探し、持ち帰り寿司店で寿司と味唱汁を購入。その後ビジネス駅前ホテルにチェックインするが、室内で小型のゴキプリ2 3匹が発見されたので申告すると、部屋を替えてくれた。新しい部屋にも5mm長のゴキブリがいたが1匹だけのようだったのでテイッシュで潰し捨てる。衛生上あまり信用できそうもない。買ってきた寿司を食べ、飲料を買いに外出したもののすぐ戻る。部屋の設備は小型パス・WCTelTV・浴衣・歯ブラシ・大小タオル。2330頃消灯。

 

平成6年(1994年)31日(火)

630頃、ガイドブック等の小荷物で散歩に出る。地図を見ながら当てずっぽうに歩き、四万十川流域に出るが、川岸の道路は川から遠く、河原が広い。

渡川大橋付近から上流の四万十川橋まで河原沿いに歩き、途中、土佐くろしお鉄道の延伸工事線の下をくぐる。中村駅からこの辺りまでは既に完成している。四万十川橋を途中まで渡り、川面の上から上流・下流を眺める。その後市街地へ向かい、一条神社(中村御所跡)へ。中村は、応仁の戦乱を避けて所領に戻った一条氏が京の町並みをまねて造成した、いわば小京都で、確かに直線の交差した道路が多いかも知れないが、曲がつた道路も少なくない。時間がないのでホテルに駈け戻る。

 

◎中村 742→942 御免 南風6号 岡山行特急36D 20004両編成先頭4号車=2130(高知で前1両増結)

チェックアウト後中村駅に入り切符を買う。券売機もあるが、硬券も窓口で買える。中村からの「南風6号」の先頭2両は土佐くろしお鉄道の車両で、外部にそのマークが付いているが、内装その他はJRの車両と同じで、普段の管理もJRがやっているらしい。中村線(土佐くろしお鉄道)内は女性車掌が乗務。駅員にも女性が少なくない。座席は前から2番目を確保したので、前方の展望が良い。

振り子式車両の性能を活かして、カープでもあまり速度を下げず、車体を大きく傾けながら通過する。中村線内の走行速度は80 90km/hくらい。若井付近では、今通ってきたループ線の線路が右下に見え、すぐにJR予土線と合流。窪川からJR線に入り、乗務員も交代。窪川を出ると更に速度を上げ、110km/hを越えることも僅かながらある。中村線内と比べ交換駅の数も増える。四国では一線スルー化が進んでいると聞いているが、未だY字分岐が各所に残り、そこでは振子式列車と言えどもかなり減速する(50km/hくらい)。しかし、加速性能が良いから、Y字通過後はすぐに高速度を回復する。佐川の2つ手前で運転停車。須崎辺りまでたまに右側に海が見えることがあり、海岸線が綺麗。その後は内陸。高知近くで土佐電の見える区間がある。高知で前1両増結。

後免で下車して電車通りに出て、車道沿いに土佐電気鉄道の御免町まで1km余りを歩く。歩道がほとんど無いので、歩行には注意を要する。

 

◎後免町 1005→1245頃 県庁前 鏡川橋行 501単行

電車の1日乗車券は市街地のみ。録音しつつ県庁前まで乗車。

県庁前から高知城に登る。荷物があるのでゆっくりとしか登れない。城下の堀は一部工事中。城内にアイスクリンの屋台が数軒。天守閣は江戸中期に再建されたものだが、構造は築城当時と同じとのこと。国の重要文化財で、現代的な装飾が殆ど無くて渋い。高知の天守閣は銃口が少ない。更には蓋が付いていて開閉可能。最上階には落書帳がある。知った人の記名は見当たらない。天守閣の脇には本丸と資料室がある。天守閣も含め土足禁止。外に出るとき、小学生の遠足が入れ代わりで入場していった。天守閣を出てからアイスクリンを食べる。2150円、3200円と、普通のアイスより割安。

高知城前から再び路面電車に向かう。

 



◎高知城前 1203→1245頃 伊野 伊野行 630単行

市内線の電車を1本やり過ごして、1203発の伊野行が2分遅れで来たので乗車。再び録音も始める。鏡川橋から先は単線。もう少し先の朝倉からは何と通票閉塞で、運転士同士でスタフを交換していた。

スタフの形は、朝倉・宇治団地前間が△、その先、伊野までは楕円であるように見えたが、△の方は声でしか確認していないので確証はない。伊野駅前から100mくらい先が終点の伊野。営業所で路線図を所望するが、無いとのこと。

 

◎伊野 1307→1506 琴平 しまんと8号 高松行特急2008D 20003両編成先頭=2101(日本機械学会賞・ローレル賞の銘あり)

JR駅横のウィリーウィンキーでパンを購入して車内に持ち込む。当初、最前席は取れなかったが、高知で乗客が入れ替わった時に空いたため、最前席に移動する。

前面展望が大変良い。ここでパンを食べる。この車両は2101号で、振子式気動車の試作車だったと思う。日本機械学会賞(H元年度)とローレル賞(1992)のプレートが客室内にある。高知から先の区間は一線スルーが多く、ポイント通過時に減速することは少ない。土佐山田からはトンネルが多いため乗務員室カーテンの一部が下りるが、右側の展望は可。大歩危・小歩危間の車窓は絶景。但し電線が多数あるため、撮影には不向き。26日朝にこの辺りは大体撮ったから、今日は撮らなかった。琴平近くの讃岐財田で運転停車時に再びカーテンが開く。

琴平では小さい肩掛けカバンにガイドブック・貴重品・タオル等最小限を詰める。参道へ向かう途中で1学年下の後輩と会うが、参道入口で記念撮影後、先に階段を駆け足で登る。今回は荷物が殆どないため、本宮までのタイムは前回(平成3年)の13分半より少し詰め、1149秒だった。

参拝後しばらくして後輩も来る。急いで登ったため暑い。お札を買おうとしたが、交通安全守は高い(1000円)ので 12支守(300円)にした。ゆっくりと下山し、琴電で行く後輩は先行する。自分は宝物館に入ってみる。古い図面、仏像、巻物、金張りの諸道具がある。大門内で「五人百姓」から加美代飴を購入。今日は4人しかいなかった。下山途中で金丸座に行くが休み。写真だけ撮る。琴平駅に戻り列車に乗る。駅に併設の鉄道資料館は休み。

 

◎琴平 1705→1714 多度津 南風12号 岡山行特急42D 20005両編成先頭5号車=2113

南風12号を多度津で降りる時、1年生の後輩に会う。

 

◎多度津 1715→1740 高松 いしづち12号 高松行特急1012M 80005両編成8401

鉄研仲間が多数乗車していて合流した。

 

◎高松築港 1806→1808 片原町 2両編成先頭=335

合宿のイベントに使う賞品の購入に同行した後、築港から片原町まで1駅乗車。吊り掛け駆動車。

 

(合宿)ホテル丸登美

 

駅からアーケードを抜けたところの近くに合宿の「ホテル丸登美」あり。ビジネスホテル風。夕食は椅子席の食堂。一般客も使うので、イベントは本部のある部屋に移動。クイズ大会等の段取りが上手くいかず疲れた。2230過ぎにイベント終了。数人で散歩。瓦町方面まで歩く。宿に戻ったのは0時近く。

 

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