1995年7~8月 山陰 1~2日目 - ドリーム京都、急行「砂丘」タブレット授受、餘部鉄橋夜景

 平成7年の夏休みは山陰地方を中心とした旅で、関門海峡を越えて門司港にも足を伸ばしています。また、因美線を走る急行「砂丘」の通票(タブレット)通過授受が残っていたので、旅の始めと中盤に寄って撮影しました。

往路となる1~2日目は、ワイド周遊券の経路として利用可能であったJRバスの「ドリーム京都」から前年に運行開始した特急「スーパーはくと」で智頭に向かいました。智頭から因美線を行き来して急行「砂丘」の通票授受を車内外から撮影。その夜は餘部鉄橋の夜景を撮影後、急行「だいせん」で車中泊。若かったので夜行2連泊でも平気でした。

 

平成7年(1995年)7月28日(金)

仕事の後、地元の絵柄の入ったテレフォンカードを3枚購入する。これは、昨年の北海道旅行の際、知床で車に便乗させてくれた人に御礼として手持ちのテレカを渡し、これは使えると思ったからである。何か世話になったときに現金では失礼だし、食べ物ではもらった方も迷惑するだろうが、地元の絵柄の入ったテレカならば手ごろで話題にもなって良いと思う。いったん帰宅して食後、荷物の最終詰め込みを行い、家族に駅まで車で送ってもらった。

 

◎東逗子 2026→2126 品川  佐倉行2036S  11311→15両編成(逗子増結) 先頭11号車=クハ111-1114

品川まで1ボックス占領。東逗子で買った飲物を飲みながら車内にあったマガジンとモーニングを読む。品川で一度改札を出て、再入場時に山陰ワイド周遊券に入鋏(""といっても実は改札スタンプだが)してもらう。

 

◎品川 2136→2146 東京 東京行926M 11315?編成 6号車=モハ112-270

80%くらいの席が埋まっている。セミクロスのロング部に小さく座る。

東京駅では土産物店や書店はあらかた閉まっている。八重洲南口改札から出場。出発地である東京都区内では途中下車ができないが、JRハイウェイバスへ乗り継ぐ場合は当然改札を出ることになる。その扱いを知らない改札員だと困るなと思っていたが、「バス乗換です」というと「はいどうぞ」とすんなり通ることができた。

 

◎東京駅八重洲口2200→600 京都駅 ドリーム京都1号 3号車1C席 西日本JRバス

ハイウェイバス乗り場は多少ごったがえしている。案内放送がしきりに鳴っている。1番乗り場の後ろから3号車に乗車。入り口に係員がいて、周遊券とドリーム号周遊利用券に改札印を押し、利用券に付いている指定券に記載されている席番を改めて告げられる。愛想は余り良くないが横柄でもない。まあそんなものだろう。

定時に発車。発車までにリュックを棚に上げるが、バッグは載りきらないので足元に置いた。そのため足元はせまい。発車後しばらくは車内案内のビデオが流れる。乗務員は運転手1人だけの様だ。日比谷を抜けて暫く走ると首都高速にのった。入口のランプ名は確認できなかった。車の流れは余り良くないがとりあえず止まらずに走っている。運転席のすぐ後ろだが速度計は良く見えない位置にあるので正確な速度はわからない。大体時速3060kmの間で変動しているものと思われる。2230に車内減灯。2235頃東名高速に入り、7km近く走行後2245に料金所を通る。


2330頃東名足柄S.A.着、15分間休憩停車。自宅に電話する。バス車内にも電話がったが、電波の状態が悪く、車内からは通じなかったからである。

足柄S.A.を発車する際に、運転席後ろのカーテンが閉じられる。席は右の窓側なので、カーテンを開けておくことはできるが、他の乗客の睡眠の妨げになる恐れがあるので閉めておく。日付が変わって2440頃、バスは一旦静岡料金所を出て、料金所近くの車庫らしきところに運転停車。今回は客室ドアを開けず、乗降はなし。ここで乗務員は交代したものと思われる。

 

平成7年(1995年)7月29日(土)

ドリーム京都1号は夜間、ほぼ1時間毎にどこかに停車して5分から10分程度休んでいるようだった。各車両は行動を共にしているらしく、運転停車に入る際には近くに1号車・2号車のバスが見える。バラバラに京都を目指しているわけではないらしい。

外はだんだんと明るくなり、515頃に京都南I.C.で名神高速を出た頃には、景色がはっきり見えるようになっていた。521に運転席後ろのカーテンが開放され、直後にバスは東寺の前を通過。526、定刻より34分早く京都駅着。毛布をたたみ、荷物を確認して下車。車内の冷房は少し強く、寒いくらいだった。

 


◎京都 543→ 今出川 北山行(地下鉄2番電車) 6両編成4両目=1307

見込みより早着幅は小さかったが、京都御所・二条城を散歩することにする。地下鉄車内はまだ空いていて、ロングシートの座席の10%強が埋まっている程度。車内放送は自動放送で、日英2カ国後になっている。さすが国際都市。

今出川で下車してから急ぎ足で京都御苑を縦断する。朝の散歩をしている地元の人が多い。スケッチをしている人も1人見かけた。 その後二条城までは予想より時間がかかり、二条城の横を素通りして二条駅に着いたのは635頃。(編注・訪問したのは高架化の前年で、明治37年(1904年)築の木造駅舎が現役で残っていました。この駅舎は後に京都鉄道博物館に移築されています。) 


◎二条駅→京都駅 タクシーNO.310 京都551388

適当な列車がないので京都駅までタクシーで戻る。京都駅には645?到着。

 


◎京都 703→920 大原 スーパーはくと1号 鳥取行 特急9051D→51D 6両編成(2,3号車の間に増2号車を1両増結) 先頭1号車=HOT 7011

京都駅7番ホームの自由席乗車口にはすでに列ができていた。先頭席は親子3人連れ、その後ろは10人くらいの団体客に占められ、その後ろに座る。 京都発車前後に、タンゴエクスプローラーや681系(サンダーバード)が見える。京都発車時点では空席が多く、埋まっている座席は3040%くらいだが、指定席券は全て売り切れとのこと。京都発着は夏期のみの臨時延長のため、本来の発着地である新大阪や大阪からの乗車が多いのだろう。やはり新大阪と大阪で多数乗車し、95%以上の席が埋まる。1号車の空席は1つか2つ程度。大阪発車時点で車内改札があったので、事前に買えなかった、上郡・大原間の智頭急行線乗車券を購入する。

芦屋付近から所々に崩れた建物や空き地が車窓に見え始める。また、神戸の復興と2002 World Cup Soccer 招致の横断幕も見られる。大震災の被害は新長田付近で特に目立つ。

複々線区間の閉塞信号の表示は、「列閉○」「電閉○」の札を信号機の下に表示することで長距離線と緩行線の区別をしている。(ちなみに神奈川県の大船・東戸塚間では、貨○、須○、客○)。西明石で複々線は終わり、閉塞信号も番号だけの表示となる。

列車はかなり速度を出しているらしく、揺れが大きいので旅ノートに記録する字も乱れる。



座席はフリーストップ式回転リクライニングシートで、背部にテーブル、フットレスト付き。運転席後ろの窓は、客席から前面が見えるように大型のガラス張りとなっているが、左窓側のA席は窓が途中までのため少し前が見づらそうだ。

姫路の辺りで車内販売が回ってくる。姫路発車直後に、右側に単線の袴座式モノレールの軌道が見える。いつ頃使われていたものかは不明。姫路・上郡間では上りの「スーパーはくと」とすれ違う。 上郡で乗務員交代。智頭急行の乗務員が乗ってくる。恐らく先ほどのスーパーはくと2号で智頭方面から来たのだろう。智頭急行の上郡駅はJRホームの端に駅舎があり、その先が専用ホームになっている。

智頭急行線内では女性の車掌が乗務するため、車内放送も女声である。車内放送の際のオルゴールの曲は「ふるさと」の最終8小節("夢は今も巡りて忘れ難きふるさと"の部分)で、これはJR線内と共通。

智頭線に入ると急にトンネルが多くなる。その度に車内の気圧の変化が感じられる。また、智頭線内では振り子式車両の機能を使用し、カントの限界を超えた速度で疾走する。直線の多いJR区間と速度は変わらない。トンネルとトンネルの間の車窓には川が流れ、釣り人の姿も見られた。佐用で普通列車を追い抜く。佐用発車時の車内放送では、「不審物を発見したら乗務員まで」との内容が入っていた。地下鉄サリン事件の影響はこの様なところにも広がっているのか。大原で下車。収札はなく、車内で購入した機械発行の車補が手元に残る。 



大原駅は昨年12月に開業したばかりの真新しい木造駅舎で、木の香がまだ残っている。出札口もクラシックな窓口だが、硬券はなく、車補と同じ小さな機械で発券している。乗車券購入前に駅の近くを散歩。武家屋敷が近くにあるはずだが、どれがそうなのか良く分からない。普通の民家も黒い因州瓦?を用いた立派な造りである。駅の周りは空き地が多いが、一部で何か造成工事をしている。町内の人とは何度か挨拶を交わした。観光客にも親しく声をかけてくれる。

◎大原 945→1010 智頭 智頭行731D HOT3503単行(富士重工 平成6年製)

駅に戻り731Dに乗車。車内は過半数の席が埋まっている。車内は端部がロングになったセミクロスシートで、WC付。新しい鉄道らしく、デッキには車椅子を固定するベルトがある。ワンマン列車になっていて、車両もワンマン用の造りになっている。あわくら温泉で下車客が多く、車内は急に空いた。終点智頭には1010着。改札に係員がいたので収札された。

乗り継ぎに時間があるため智頭駅付近を散歩。智頭町総合センター内に戦後50年関連の小写真展があり、それを見物する。

 

◎智頭 1051→1145 津山 砂丘3号 岡山行 急行603D  3+2=5両編成 先頭1号車=キハ58 7212(先頭3両はリニューアル車)

砂丘3号は意外に空いていて、乗車率は30%程度。智頭で交換する「砂丘2号」遅延のため、発車時刻になっても信号表示は赤のままである。やがて入ってきた砂丘2号から、ホーム先端に待機していた駅員が腕でタブレットをキャッチ。停車した砂丘2号の後ろから線路を渡り、1番線で待っていた砂丘3号の運転士に渡した。確認の声を録音する。砂丘3号は5分ほど遅れて智頭を発車した。

列車は1104に那岐を通過。

運転席から10mほど後ろの7D席から通票授受風景を撮影した。先頭車はリニューアル車で、座席は回転リクライニング。但しボックス席の車両を改造したものなので、窓枠と位置が合っていない席も若干見られる。那岐を通過すると物見峠の勾配にさしかかり、列車の速度は極端に落ちる。1110物見トンネルに入る。トンネルを出て1118頃に美作河井通過。

今度は運転席後ろで信号確認の音声の録音を試みる。腕木信号機が見えるが、確認の声は聞こえなかった。

運転席にある時刻表によると、通票閉塞区間は智頭・東津山間のようである。最近の雑誌の情報では通票閉塞区間は智頭・高野間と記されていたので、高野・東津山間がいつの間にかCTC化されたものと思っていたが、時刻表の高野と東津山の欄の間に通票●の朱印があったので、まだ残っているかも知れない。1137高野通過。




今度は那岐の時よりもシャッター速度を速くした上で連写をした。高野でも新たなタブレットを受け取ったのを確認した。従って東津山までが通票閉塞区間であることを確認。出発前に立てた予定では、東津山で降りて徒歩かタクシーで高野に戻ることになっていたが、東津山でも通票授受が見られることが分かったので、津山まで行き、後で東津山まで戻ることに計画を変更した。これによって徒歩やタクシーを減らし、後で津山を観光する時間が若干増やせる。1145津山着。

 

◎津山 1149→1156 東津山 佐用行8826D キハ53 2 単行 ワンマン非冷房

車内はセミクロスシートで、各ボックスが埋まっている。部活帰り?の高校生とお年寄りが中心。

 

東津山駅から右へ200mの所に、マクドナルド(ドライブスルー、ユーカード対応)を発見。ビックマックセット(飲物はアイスティー)を食べた。比較的カウンターは混んでいるが、席には余裕があった。

食後東津山駅に戻り、1230通過予定の「砂丘4号」の通票通過受取を撮影する。


◎東津山 1233→1237 津山 津山行 2825D キハ40 2084単行 ワンマン

砂丘が遅れたのですぐに津山行2825Dが発車する。津山行はとなりのホーム2番線からの発車だが、駅長さんが職員通路(ホームの途中に降りられるところがあり、ホームの端の踏切を渡るより近い)の通行を許可してくれたので、そこを通る。

 「砂丘4号」を見送ってから飛び乗る。他にも同じ様な客があり、全員乗り込んですぐに発車。1駅で津山に到着。

 

荷物が大きくてコインロッカーに上手く収まらないので、預けるのをやめ、そのまま衆楽園に向かう。日差しが強く、とても暑い。思ったより距離が長く、登り坂もあり、30分近くかかった。

園内のベンチでひと休み。池を中心とした庭園で、離れも配していて、なかなか美しい。見る方向によっては中国山地を借景としている。ほぼ一回りしたところで1本目のフィルムを使いきる。

 

◎(津山)市役所前1350津山駅 中鉄バス 急行岡山行 高速型 岡22 2220

帰りは余り時間がないのでタクシーを途中で拾おうとしていたが、ちょうど津山駅を通るバスが通りかかったので乗車する。バスの中は冷房が効いていて、とても居心地が良かった。すぐに津山の中鉄バスターミナルに到着。切符売り場で湯原方面の時刻表(翌日に使う)をもらった。バスに乗るまで炎天下を歩き続けたのでまだ暑い。110円500mlの増量アクエリアスがあったので購入し、陽に焼けた腕を缶の外側で冷やしつつ、中身を智頭行の車内で飲んだ。

 

◎津山 1412→1506 美作河井 智頭行 688D  キハ47形2両編成 先頭車=キハ47 18

車内は40%弱の程良い乗車率。東津山で、先ほどの駅長が運転士に通票を渡していた。美作加茂7分停車のため、途中下車して駅舎を眺め、すぐ車内に戻る。



その後列車は美作河井まで峠をゆっくり登る。 

1506に美作河井で下車。反対方向の「砂丘5号」通過待ち。通過する「砂丘5号」が通票を落としていく所を撮影する。

もう一人同じようにカメラを構えていた人がいたが、彼はそのまま智頭行に乗って行った。腕木信号の動く瞬間の撮影を試みるが、タイミングが難しい。

この後「砂丘6号」の通過まで時間がある。美作河井駅舎内に1人で残る。駅の内外に自動販売機等は見当たらない。


やがて別の青年が車でやってきて、同じ様に「砂丘6号」を待つ。タブレットの取り付けはかなり早いうちに行われ、その後列車が来るまで、長い間カメラを構えて待った。

1610頃「砂丘6号」通過。その後その青年はまた車で去って行った。 美作河井の駅は谷の下の方を通る幹線道路からヘアピンカーブを登りきった高台にあり、谷間を見渡すことができる。駅前には矢筈城跡の碑があるだけで、他には店も人家もない。

 

◎美作河井 1646→1719 智頭 智頭行690D キハ53 7単行(青色)

多少は人が乗っているが、ボックス占拠できる状態。那岐で7分停車し、砂丘7号の通過待ち合わせ。

津山方面への急行がタブレットを落とす場所はホーム入口のため、撮ってからでもすぐに列車に戻れる。

 

◎智頭 1721→1751 鳥取  鳥取行660D キハ472両編成 後車=キハ47 1112

この区間は2年半前にタブレットを撮りに来たところだが、津山以北はCTC化されてしまい、無人駅が増えた。雪が多い地域のため、色灯式信号には厳重な囲いがしてある。


鳥取駅前を散歩。土産物屋を見る。因州和紙の葉書と封筒を1つずつ購入するに留める。

 

◎鳥取 1856→1955 餘部  豊岡行194D キハ472両編成 後車=キハ47 1017

下り特急「あさしお」を待ち合わせのため福部でしばらく停車。鳥取発車時点では各ボックスに人がいたが、3駅目くらいで空いたため、鳥取で買った蟹寿司で夕食にする。1930には、外は殆ど真っ暗になる。逗子よりもだいぶ西にあるから少しは日没が遅いはずだが、そのような感じはしない。ワンマンカーの案内はしきりに「整理券をお取りください」と「車内に危険物は持ち込まないで下さい」を繰り返している。

餘部で下車。発車する194Dをホームから撮ったが、急いだのでぶれが生じたかも知れない。持参していたレリーズケーブルもまだ接続していない状態だった。


 

餘部鉄橋の前で記念撮影をしてから下山。暗いので道が分かりづらい。辛うじて車道に出るところに「餘部駅入口」の看板があり、そのすぐ近くに余部駐在所があったので、これらが目印になるだろう。車道を内陸へ歩くと、もう少し大きな通りにぶつかり、それを今度は海側へ歩く。鉄橋の下で川を歩行者用の橋で越え、谷底の鎧側から頭上の餘部側に向けてカメラをセット。少しずつ移動しながら撮影。



餘部駅に戻る途中で195Dが来てしまい、これは撮り損ねた。

出雲3号通過にあたっては、餘部駅裏山の、以前にも行ったことのある撮影ポイントに登る。ただし今回は真っ暗で足元が危うい。帰りはもっと危険で、足探りでゆっくりと下りた。撮影時、星はうまく入らなかったが、イカ釣り船の灯火が海上に光っていたのを少し入れることができた。



◎餘部 2125→2205 城崎 豊岡行522 12系 先頭=オハフ13 1002 機関車=DD51 1177

餘部駅から乗ったのは自分の他1名のみ。先頭客車の車内はその2名だけ。がらがらに空いている。座席はセミクロス(デッキ寄りだけはロング)だが、シートが更新されている。渋目のワイン色で、若干の区分けもある。

 

城崎で下車。喉が乾いたので缶飲料を1本飲んでから最も手近な地蔵湯へ行く。地蔵湯はリニューアルして間もなく、設備が新しく奇麗である。しかし、2225頃に入ると、23時に閉めるからとうるさい。入浴中にも放送が鳴ったりおばさんが掃除を始めたり、早く出ろと言わんばかり。終了3~4分前に出るときも「ハイもう閉めますよ」と来た。

8月2日宿泊予定の泉都オータニホテルは温泉街東の外れにあるようで、場所的には良い。ただし、建物は特定できなかった。城崎付近にコンビニは見当たらないので、散歩したり橋の上のベンチで休んだりする。橋上は風も爽やかで心地よい。0130頃に駅に戻る。3時間も時間を潰すのは難しい。

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