1995年7~8月 山陰 5~7日目 - 石見銀山、SLやまぐち号(重連)、小野田線クモハ42、木次線、城崎、出石、100系ひかり食堂車

  山陰旅行の終盤は石見銀山(世界遺産登録の12年前)に寄ってからC56+C57重連でマイテ49を連結したSLやまぐち号、クモハ42が残っていた小野田線に乗車。ムーンライト九州で車中泊して木次線経由で山陰に戻って城崎に宿泊。出石を観光して、食堂車営業をしていた100系ひかりで帰りました。


平成7年(1995年)8月1日(火)

予定通り550までに起床。620にチェックアウトを済ませ、まず松江駅と反対側のお湯かけ地蔵へ行き、そこから宍道湖岸の土手の上を歩いて、宍道大橋へ行く。途中、高校総体参加者が数団体ジョギング等をしていた。宍道大橋からはシジミ漁の船がたくさん見える。松江駅には704頃着いた。 


◎松江 708→808 大田市 おき1号 小郡行 特急1041D 1813両編成 中間2号車=キハ180-18

松江駅ホームでは行列が出来ていたが、米子方から入線したおき1号は空車に近い状態。松江駅での乗車は多かったが、松江発時点での乗車率は20%弱。車内販売は津和野まで無いとのこと。出雲市2分停車でまとまった乗車があり、5060%位になる。西出雲(旧 知井宮)通過後、左手に出雲電車区が見え、スーパーやくもと通常のやくも等が留置されていた。出雲市を出て750754位にかけて車内検札あり。

大田市下車。下車印の備え付けが無いので改札印を代わりに押される。

 

◎大田市駅 830→852 大森町 広島行特急バス (JRバス)

石見交通のバスターミナルが大田市駅の左側道路を渡った所にあり、時刻表を研究。往路はJRバスにする。駅舎内のコインロッカーに大きな荷物を入れてから乗車。駅から数名乗車するが、その後、大森まで乗降なし。帰りのバスまで時間がないのでとりあえず大森町まで行って下車し、羅漢寺を左に見て、石見銀山の廃坑跡である龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)を目指す。

 

緩い上り坂が続くが、急ぎ足で登る。道は舗装されているが、だんだんと細くなり、林の中の峠道になる。約2.5kmの道程を25分で上り、龍源寺間歩に着く。入場料を払って幾つかの資料を貰い、間歩に入る。

日差しの強い外とは異なり、とても涼しい。坑内には案内テープが流れる。操業当時、坑内には採鉱時の粉塵やカンテラの油煙で空気が常に濁り、悪環境のため、従事期間4年程で死亡する人が多かったとのこと。江戸時代の石見銀山では、僅か30歳で長寿祝をして鯛の尾頭付きを食した。塵肺を防ぐためのマスクも開発してきたという。間歩は途中から新しい坑道に変わり、出口に至る。そこから大森町方面に戻る。途中で、元来た道に合流する。

大森町への道の途中、2~3か所、古い間歩(坑道)の跡が残っている。鉱山の犠牲者を祭る小さな神社もある。製錬所の跡などもあり、見所は多い。



羅漢寺まで戻り参拝。寺の事務所と五百羅漢のある洞窟は、道路と小川を隔てた反対側にある。


古い石造りの反り橋を渡り、一通り見る。大森代官所前まで古い街道が保存されている通りを見て歩く。バスは適当な時間のものが無く、少し高いがタクシーを使うことに決めたので、ゆっくりと歩く。途中、大森区裁判所跡(入場無料)に寄る。


銀山に関する展示もあった。その後、近くの郵便局で少し金を下ろす。郵便局の建物は町並み保存地区内にあり、木造の立派なもの。大森代官所跡は時間が無いので入口の写真だけ撮る。

代官所の近くからタクシーに乗ろうとするが、1台も止まっていない。近くの店の人に聞くと、電話で市内から呼ばないと来ないという。それでは早い方の列車には乗れないので、ヒッチハイクを試みることにした。

 

◎大森代官所近く大田市駅  通り掛かりの小形トラック 島根44●〇〇〇〇

通り掛かった小型トラックに手を上げるとすぐ止まってくれた。出雲市在住で、松江や津和野等へも仕事で足を伸ばすという。トラックは空いた道を高速で飛ばし、おき3号の3分前に大田市駅に到着。お礼を述べ、用意してあったテレカを差し上げる。車は出雲市方面へ去っていった。

 

◎大田市 1106→1243 益田  おき3号 1813両編成 後車3号車=キハ181-101

ほぼ満席で、デッキに立っている人もいるが、デッキ近くの通路側に席を確保。眠いので、しばらく寝る。右側の車窓には時折、美しい海岸が見える。

 

◎益田 1303→1346 津和野  山口行  キハ40 2112単行

益田で青春18きっぷの1枚目に入挟。車内は50%以上の乗車率。途中まで2人の子供連れあり。隣にいた高校生とのやり取りがほほえましい。

 

津和野で下車。やまぐち号の客車が留置されているのでマイテ49 2 を中心に撮影。


津和野駅で飲料買って飲む。レンタルサイクルの店がやたらと目立つ。しかし、土産だけ見てすぐ駅に戻るつもりだったので自転車は借りず、徒歩でふらつく。森鴎外ゆかりの薬店で一番丸購入。外見は百草丸に似ている。鯉の泳ぐ武家屋敷の並ぶ通りを撮影。和紙人形等の店や源氏巻きを物色、少し購入。フィルムが足りないので、津和野駅売店で1本購入。

 

◎津和野 1521→1657 小郡  やまぐち号 小郡行 快速9522  C56 160 + C57 1 重連 + 125 + マイテ49 2 3号車「昭和風」=オハ12 702

1500位に改札が始まるまで駅舎内はごったがえす。改札が始まると皆、跨線橋を渡りホームへ。機関車の前では記念撮影ラッシュ。発車間際までそれが続く。それでも何とか定時発車。


重連のため汽笛2声を上げて始動する。これを録音する。指定券を買う時、飛んだ番号の席を買ったためか、ボックスを独占。やまぐち号は混んでいると思っていたが、そうでもないらしい。発車1時間ほど前にも、津和野でやまぐち号の指定券を難無く購入している人がいた。

ボックス独占のため、好きな時に窓を開けられる。ボックスシートにはテーブルもあり、便利。車内はレトロ調で、「昭和風」の車両は緑色の座席に木目の床、ボックス毎の小型の窓などの特徴がある。他の車両も見て回る。機関車のすぐ後ろが展望車風。赤味がかった色調。座席部分が大きく、展望室はさして広くない。4号車の欧風はオリエントエクスプレスをモデルにしたという青を基調とした内装。2号車は大正風で、緑色の背もたれが高い。昭和風と共に落ち着きのある雰囲気。1号車の明治風は茶色い革張りのシートでクラシックな感じ。但しこの車両は電源車になっているため音がうるさい。もっとも今日の1号車は小学生の団体でワイワイ騒いでいたから、あまり関係ない。最後部はお目当てのマイテ49 2

この車両はフリースペースの展望車。現在の旅客車両のほとんどが1台車2軸だが、この車両は3軸。走行音に特徴があり、これを録音する。加えて現在「イ」の付く「1等車」は他に無いのだから大変貴重だ。車内は3区分され、どれも白いカバーの掛かった回転式ソファーが並ぶ。改造車にはない優雅さがある。



車内販売でプレミアム付きテレカを買う。他には下敷きやキーホルダーを売っていた。オレンジカードは無いようだ。土産以外にはアイスクリームの車内販売が頻繁に回っていた。車掌も回っていたが検札はなし。山口で乗車してきた女性が隣に座った。20代くらいだが特に鉄でもないらしく、たまたま急用があって最初に来たのがやまぐち号だったというところか。隣に人が来て動きが取れなくなった。


定刻に小郡着で記念撮影。機関車は重連のまま切り離され、側線に回って回送され、客車も程なくDE10が来て回送していった。小郡駅在来線口にはめぼしい店なし。新幹線口へ回って追加の土産物を買う。津和野で売り切れだった3色源氏巻とふく茶漬けは自宅用。焼ふくは職場の飲み会用。 


◎小郡 1734→1842 宇部 (宇部線経由)宇部行955M 105+1233両編成→1052両編成(宇部新川切り離し)先頭=クハ104-10

宇部線の電車内は満席で、運転席後ろの所に立つ。ワンマン用の車両だが、この列車には車掌が乗務している。中間車クモハ105-10は冷房故障中とのこと。単線だが運転本数が多いため、交換待ち合わせが多い。宇部新川近くでようやく空いてきて座る。宇部新川ではかなり乗客の入れ換えがあった。そのまま乗り続けて宇部へ行く。

 

◎宇部 1850→1903 宇部新川 小郡行960M  1052両編成 先頭=クモハ105-10

同じ編成で折り返し乗車。先頭車は冷房故障中とのことだが、扇風機が動いているので、さほど苦にならない。宇部新川まで戻り途中下車。他の主要駅と同じく高校総体の受付所ができていた。


◎宇部新川 1920→1933 雀田  小野田行449M クモハ123-2単行ワンマン

宇部新川1番線は改札直結のうえ広く、花壇や噴水もある。単行の小野田線電車はここから発車。とても混んでいて、入口付近に立っている人が多い。雀田で下車するまで続く。

 


◎雀田 1936→1941 長門本山  長門本山行639M  クモハ42001 単行ワンマン

この車両はお目当ての1つである。戦前型の茶色い車体の中に木製のボックスシートが並ぶ。各ボックスに2つの窓があるため、外から見ると窓がとても多い。乗客それぞれが窓の開閉を決めることができる。良い構造だ。ボックス席に座る。通常のボックスより若干狭く感じるが、戦前の規格によるものだからやむを得ない。乗客は学校帰りらしき人が数名。それでも車内は空いていた。時間が来て発車。吊懸音を響かせる。録音機の電池が切れているのが残念。駅間距離が短いので余りスピードを出せない。すぐに終点の長門本山に着く。前方の海岸の向こうに九州の灯が思ったよりもはっきり見える。駅周辺には鉄道ファンが他に2人。その他、駅に遊びに来ていた親子連れが運転手と世間話。 



◎長門本山 2004→2009 雀田  雀田行642M クモハ42001 単行ワンマン

乗客3名のみで、いずれも鉄系。すっかり暗くなった道程をゆっくり走る。雀田は駅員無配置(昼間はいるようだ)のため、運転手は雀田に着いて客が全員下車したのを確認してドアを閉め、室内灯などを消灯し、事務室に引き込んだ。

 

◎雀田 2024→2037 小野田  小野田行451M クモハ123-3単行ワンマン

外は完全に暗くなったが、港らしき車窓風景も見えた。

 

◎小野田 2045→2124 下関  下関行3537M  1154両編成 先頭=クハ115-3015

先頭車両は117系から転用した車両で、2扉転換クロスシート。乗客の入れ代わりは少なく、下関まで行く。

 

◎下関 2127→2134 門司  門司行273M  4238両編成 3両目=モハ423-27

下関駅は何となくうらぶれた感のある構内だ。がらんとした構内に古い電車が少し止まっている。門司行も8両編成だが、車内にごみが少なくなく、あまり掃除が行き届いていないと思われる。下関発車後、広い構内を抜け、やがて関門トンネル突入。大きな音を立てて高速で走る。門司駅構内に入ってから減速し、デッドセクションのため、駅到着直前に10秒余り車内灯が消え、非常灯だけとなる。

 

◎門司 2144→2151 門司港 門司港行578M 4158両編成 先頭=クハ411-117

喫煙車で、煙草の煙が各所から立ち込める。床も汚れている。すぐに門司港着。重要文化財の門司港駅や関門橋をバックに記念撮影。 



◎門司港 2216→2229 小倉  南福岡行快速3193M  8117両編成 最後車=クモハ810-12

50%近い乗車率。比較的新しい車両だが、床は汚い。煙草を消した跡か。転換クロスシートのためか、灰皿がひじ掛けの中から引き出す方式で、分かりにくいからかも知れない。先刻門司で降りたので今度は小倉まで行ったが、ラーメンのスタンドがある以外、適当な食べ物屋や駅弁屋はない。

 

◎小倉 2232→438 岡山  ムーンライト九州 京都行快速9232  126両編成 オハ14 702?


若干の遅延があったので、小倉から乗ることができた。門司で20分余り停車のため、その間に駅前のミスタードーナッツで飲茶セット280円を購入し、夜食に充てる。下関5分停車の間には改札を一旦出て青春18きっぷ2枚目に日付印を押してもらう。

指定席の座席は5号車9Dだが、9Cに人がいて、下車する際に不便なので、すぐ後ろの10Aに移る。日付が変わる前の厚狭まで起きていて、その番号の客が来ないことを確認してから寝る。1時から3時にかけて、名前を知らない駅で運転停車。駅名板が見えなかったが、恐らく瀬野や八本松で補機を付けたものと思われる。昼間歩き回ったので、やや深めに眠る。430頃、目覚めると、外は少しずつ明るくなっていくところ。定時に岡山着。岡山駅前を歩き回るが、この時間に営業している食べ物屋はほとんど見当たらない。冷房が寒い。

 

平成7年(1995年)8月2日(水)

◎岡山 526→540 倉敷 三原行421M  1034両編成 先頭=クハ103-210

散歩のため、1本早い電車で倉敷まで行く。美観地区までは500m近くあるため、行くのはあきらめ、駅前のみ観察。食べ物屋もない。

 

◎倉敷 608→713 新見  米子行925M 1153両編成 後車=クモハ115-1550

30%くらいの乗車率。既にボックス席は埋まっていた。倉敷で食料を買って、カロリーメイト等とともに朝食。新見到着時点でも乗車率は25%くらい。この115系は改造型ではない、本来のボックス型。

 

◎新見 717→844 備後落合  備後落合行441D  キハ40 2043単行

新見からの乗客は3、4人。単行で十分間に合う。冷房がやや緩めだが、それでも涼しい。一部複線。東城でまとまった数の乗降あり。東城では反対ホームで盛大な見送りをする団体あり。仲間がインターハイにでも出るのだろうか。列車は谷川を見下ろしながら走ったり、山間部を登ったりして車窓は良い。道後山付近からは人跡希な山中を走るが、備後落合に近付くと、広い範囲で家がぱらぱらと建っているのが見える。


備後落合到着間近にして急に雨が降り出した。備後落合に着くと、イベント列車が入れ代わりに出て行った。急行「砂丘」用のキロハも付いている。

次の木次線まで40分余の接続なので、街を散歩した。街とは言っても小さな商店が2~3軒、簡易郵便局1つ、旅館兼漁協組合1軒といったところ。駅の真正面にあるのは廃屋。しかし駅事務室は広く、職員も4人位いるようだ。接続駅だからだろう。 


◎備後落合 930→1243 松江  米子行548D キハ120 207単行

入線してきたのはキハ120 207で、一部ボックスのセミクロスシート。亀嵩駅の扇屋(0854-57-0034)に電話して蕎麦を注文する。460円とのこと。備後落合で蕎麦の予約をする人は多いらしく、公衆電話の所にタクシー会社と亀嵩駅の電話番号が掲示してある。運転手は人懐っこい人のようで、小さな子にカブトムシを見せたり、マニアな質問にも丁寧に答えたりしてくれる。運転席の時刻表によると、2区間で第4種通票(タブレット楕円)を使っている。うち1つは木次・出雲横田間で2閉塞をラッシュ時以外の時間に併合しているもの。運転手はテープの他に肉声でも案内放送を頻繁に行う。出雲おろちループの見える所で最徐行したり、三段スイッチバックの案内をしたりする等。出雲坂根駅ホームの延命の水についても案内があった。


備後落合発車時の乗客は6~7人。三井野原から出雲坂根までは150m以上の標高差を一気に走り下りる。このため出雲坂根にはスイッチバックがある。ワンマン運転中のため気付かなかったが、車両後部にも運転手が待機していて、スイッチバックの逆行時にハンドルを握っていた。後ろの運転手に気付かなかったので、最初は前側の運転席のままバックを始めたのかと思った。

出雲坂根では5分停車。まずは延命乃水を飲む。この水を飲んでいた狸や狐が100年以上も長生していたことから、この名が付けられたという。

出雲坂根駅舎内には往時の木次線の写真が数枚展示されている。また、「奥出雲の銘水」やキーホルダー等を売っている。ボトル詰の水を勧められるが、重いのでパス。缶飲料を2本だけ買うと、坂根駅や延命乃水のパンフレットをくれた。停車時間はすぐに過ぎ、出雲横田へ向かう。神殿造りの駅舎を撮影。



亀嵩で、駅のおばあさんから、予約しておいた持ち帰り用の蕎麦を受領。もう1つ運転手も受け取った。出雲横田-出雲三成-木次は、ラッシュ時以外は閉塞区間を併合していて、1枚の通票「楕円」で運行。木次は信号機が色灯式に変わってしまっていた。


木次を出て、加茂中の信号は腕木式で、撮影する。


宍道で運転手が交代。通票受け渡し時の撮影に配慮してくれたので、礼を述べて別れ、そのまま松江まで乗車する。

 

◎松江駅 1246大手門  松江温泉行 一畑バス 島根221433

土産物を買い集めるため、大手門まで乗車し、県観光物産館へ行く。2階の展示を見てから1階で土産物を買いあさり、一挙に金を放出した感じ。大手門からバスで松江駅に戻り、そこでも少し買い物。

 

◎松江 1428→1450 米子  やくも18号 岡山行特急1028M 3816両編成 最後1号車=クハ381-142

30%強のちょうど良い乗車率。土産物を整理しながら米子まで乗車する。

 

◎米子 1518→1646 鳥取 とっとりライナー 鳥取行快速3266D 582両編成 後車=キハ28

米子で日本海寿司(1000円)を購入し、車内で食べる。米子名物の吾左衛門寿司が2切れ入り、他に蟹ちらし、鮭の押し寿司、若芽ご飯等が少しずつ入っている。鳥取までボックス占領。乗車率は3040%くらい。食後、しばらく眠る。

 

◎鳥取 1700→1810 城崎 エーデル鳥取 大阪行特急1030D 655両編成(大阪方から43、増、21号車)2号車=キハ65 1711

鳥取で乗り換えると車内はかなり混んでいる。8090%の乗車率。近くの席には高校総体を観戦してきたらしい、おじさんとおばさんの10人位の団体。車掌とも気さくに話をしていた。餘部鉄橋についても車掌に質問していた。かつては車内放送で案内していたが、昭和61年の転落事故以来、案内放送を止めたという。この車掌は事故の翌日の勤務でこの橋を渡ったとのこと。

途中からの乗客もあり、乗車率は90%を超えたようだ。城崎定時着。下車客多い。下り「あさしお」がほぼ同時到着で、改札が混んだ。 


29日に下調べしていたので、泉都オータニホテルの位置はすぐ分かった。荷物を担いでチェックイン。外出時に鍵は持って出る方式で前払い。

カメラを持って外出。土産屋を見て回る。一度カメラを宿に置いて、今度は鵠ノ湯まで行って入浴。高校の団体等でとても混雑する。帰りに初めて射的をやって、小さな人形を1つ手に入れる。何となく温泉地の遊びという感じはするが、やったのは初めての筈。

 

平成7年(1995年)8月3日(木)




◎城崎 748→759 豊岡 豊岡行164D  4両編成 2号車=キロ28 2308(グリーン非連結扱い)

定刻に目覚めたが眠いのでゆっくり支度し、予定よりも1本後の列車にする。玄武洞を観光するともともとゆとりの少ない出石観光に支障するため止めて、直接豊岡まで行くことにする。待っていた場所にちょうど止まったのはグリーン車両。但しこの列車はグリーンを取り扱わない。いわゆる「グリーン開放」の列車のようだ。折り返し急行になるのだろうか。地元の高校生等も座っているので、同様に「グリーン席」に2駅間だけ座る。車内は回転リクライニングシートにフットレスト付きだが、座席は古く、汚れが目立つ。なお、先頭車の先頭部分表示に「準急」の文字が半分出ている。列車は終点豊岡に着くと、すぐに回送されていった。折り返し使用ではないらしい。休日運休だから、通勤ライナーのようなものか。

 

◎豊岡 810→842 出石 出石行 全但バス 姫路221680

豊岡駅にロッカーはあったが、100円玉が足りなかったので、そのままバスへ。豊岡駅前発車後、市内各所に停車して乗客を増やしていく。市街地を抜けるとバスは出石川の築堤の上を走る。周りの開けた景色との組み合わせが美しい。

出石バスターミナル着。ロッカーに荷物入れる。ロッカーの前の自転車が邪魔。家老屋敷に行き、内部を一巡。ここは隠し2階が特徴。他に、屋根への抜け道がある。江戸時代の3大お家騒動の1つ「仙石騒動」の当時者の住んだ左京屋敷のあったところ。家老屋敷から真っすぐ行くと、町役場。最近新築したらしく、中庭に池を設けた立派なもの。役場のすぐ近くが辰鼓楼。お掘りの近くにそびえる。掘りと辰鼓楼を入れて記念撮影。

蕎麦屋は定休日の所がいくつかあったが、営業中の所を1軒見付けて入る。しかし準備がまだできていないとのことで、10時に再び来ることにする。その間に人力車に乗ろうと試みるが、見当たらないので適当に散歩し、街道を眺める。10時近くに先程の蕎麦屋「田中屋」へ行き、名物の皿蕎麦を食する。

出石焼の青い模様の入った白い皿5枚に蕎麦が載り、薬味として、ねぎ、大根、とろろ、生卵が付く。蕎麦湯も後から出てきた。食べ終わるとバスの時刻にちょうど合う時間になる。土産用の蕎麦を買って出る。

 


◎出石 1030→1100頃 豊岡駅 豊岡駅行 全但バス 姫路221136

発車2分前にバス停に戻り、荷物を出して乗車。途中で乗る人もいるが、市内に入って間もなくどっと減り、乗客は5人になる。豊岡駅までに更に減。

 

◎豊岡 1114→1207 福知山  北近畿10号 大阪行特急20M 1836両編成 先頭6号車=クハ183-701

40%位の乗車率。但馬路の山中を快走。

 

◎福知山 1220→1238 綾部  園部行138D  キハ47 2両編成 先頭=キハ47 1024

乗車率20%位。簡易冷房のため、扇風機もフル稼働。福知山・綾部間は既に架線が張られており、電化工事は完了に近いようだ。

 

◎綾部 1244→1333 宮津 丹後1号 網野行 急行901D  586→4両編成(西舞鶴分離) 7号車=キハ58 7207

砂丘と並んでJR西日本に残る急行らしい急行。グリーン車を含む6両編成で入線。ここ綾部と西舞鶴で方向転換する。7号車の禁煙車は高校生位の数人の団体がうるさい。ただ大声で話すだけでなく、騒ぐ、歌う、吠える、ひどい状態。

西舞鶴から宮津線に入ると、右側に大きく海が広がる。大変美しい海岸線。ただし、その中に原発らしき施設も見える。いつまでもこの海が海水浴に使える状態であり続けてほしいものだが。

宮津市内を散歩。城跡には看板があるだけで何も無い。橋の先を右に入ったところに海を見渡せる公園があり、そこでゲートボールをしている人を眺めながら休憩。

 

◎宮津 1416→1453 福知山  福知山行快速118D 2両編成 先頭=MF103

駅に戻りKTRの乗車券を買って宮福線ホームへ行く。宮福線のホームは跨線橋の一番奥まで行き、少し折れ曲がってから下りたところ。宮津線とは異なる緑色の車両。中は回転クロスシート。しかし、あまり冷房が効いていないので暑い。山中を走る宮福線はトンネルも幾つかあり、どれも長い。

 

◎福知山 1515→1639 京都  あさしお8号 京都行 特急38D 1817両編成 後車7号車=キハ181 19

福知山のホームでは行列が出来ていたが、難無く座れた。2人席を確保。適度に冷房が効いていて、有り難い。綾部では孫を見送りに車内まで入っていたおばさんが降り損ね、亀岡まで行く羽目になる。時刻表が手元にあったので、帰り方を説明した。前の席のおじさんがたばこを吸い始めたので、禁煙車である旨説明。車窓は山間に川が流れ、美しい。この区間もポールが建っていて、一部では架線も張ってある。一見したところ、園部・宮津間の電化工事はかなり進んでいるようだ。完成すればスピードアップだけでなく、乗車環境も改善になる筈だ。181系気動車の走行音は大変なもので、ウォークマンなどかなり大音量でないと聞けないことが多い。亀岡を過ぎると、トンネルの合間に保津峡の絶景が左右に広がる。ブラインドを開けて車窓を撮影。ちょうど眼下に山陰旧線転用のトロッコ鉄道線路が見える。直後に通過した駅でトロッコ列車を見た。ここでトロッコ線路と合流。嵯峨嵐山まで行く。トロッコ嵯峨線の運転で嵯峨嵐山発着便が少ないことを疑問に思っていたが、本線乗り入れでダイヤに余裕が無いからと推察した。

京都到着時に、この列車としては初めて?Bチャイムを鳴らしたが、かなり不完全。

京都駅は工事中のため、ホームに鉄骨が立ち並ぶ。旧山陰ホームは3033番線と変わったが、そこから関空特急「はるか」が発着する。そのためか、櫛型ホームの根の部分にポーターの事務所がある。

烏丸地下東口から出る。下車印はない。地下街を見てからエスカレーターで烏丸中央口へ。ここも工事中で、一部は屋根も無い。みどりの窓口当日券売場で鉄研先輩を発見。最近高山方面へ行って来たとのこと。今週末には帰京するそうである。先輩から、新横浜・鎌倉間の乗車券を購入。

 

◎京都 1734→1956 新横浜  ひかり52号 東京行 新幹線52A 10016両編成(JR東海) 名古屋で車両移動 3号車=125-10→2号車=126-13

烏丸中央改札は、橋上に移動していた。そこから新幹線乗り場へ行く。売店等を見てからホームに上がるとちょうどひかり52号が入線する。ほぼ完全に満席となる。禁煙車は満席のため3号車へ。C席が1箇所空いていたので座る。暑い。発車後、売店と食堂の下見。売店はかなり小さく、車内販売と内容も変わりない。食堂は入口にメニューがあって、予め考えることができる。名古屋で2分停車。その間に空きができた2号車へ移動。3号車の席では前後右3人の煙草の煙があったから、禁煙車へ移動して良かった。デッキの目の前通路側の20Dだが、どうせ後で食堂に行くのだから問題ない。

名古屋発車後、1837頃に検札、その後しばらくくつろいでから1900過ぎに食堂車へ行く。

食堂車は満席で、3人組みが2組、既に並んでいる。新横浜までに食べ終えられるか心配になる。そのため、下見の段階ではハンバーグステーキ(1300円)を考えていたのを、カレーかスパゲッティに変えることにする。たまたま1人分の席が空いたらしく、先に案内される(相席)。案内される少し前に静岡通過。少しの差で日没となっていて、富士山は見えない。メニューを渡され、スパゲッティは売り切れとのこと。そこでビーフカレーと紅茶を注文。この時点で食堂車入口のメニューは片付けられ、新たな客は不可となる。本当にぎりぎりだった。やがてカレーが届く。ライスとカレーが別々に出て、自分でかける方式。味は普通、あるいは中の上か。食べ終わる頃に紅茶が出てくる。良いタイミングだ。食堂は1945閉店とのこと。1920頃、紅茶を飲んでいるところに給仕が各席を回り、ラストオーダーの有無を聞きながらメニューを回収していった。食事が終わって会計を済ませる。100系新幹線の食堂は設備も比較的良い。椅子もまずまずのものを使い、テーブルクロスも白い布を用いている。内装も落ち着いている。以前利用した「はやぶさ」の食堂車よりもかなり活気がある。従業員達はかなり忙しそうだが。

2号車の座席に戻る途中、小田原を通過した。車内放送でも、小田原定時通過の旨があり、下車の準備を始める人が増える。新横浜で下車。ひかり52号の後姿を見送る。


◎新横浜 2004→2013 東神奈川  東神奈川行1906K 2058両編成 後車8号車=クハ205-79

横浜線ホームの階段付近は混んでいたが、八王子方の端は比較的空いている。入ってきた上り列車で座ることができた。予定通りの列車である。終点の東神奈川では、上手いことに、京浜東北線南行のホームに着いた。

 

◎東神奈川 2016横浜 大船行 20910両編成 後車10号車=クハ209-7

最後部のドアから乗車。夜の下りだから当然座れないが、思った程は混んでいない。

 

◎横浜 2029→2105 東逗子  横須賀行1853S  11315→11両編成(逗子切り離し)最後11号車=クハ111-1??8(番号不明)

座ろうと思えば座れたが、荷物が多いので、しばらく立っている。戸塚でかなり降りたので座る。車番は網棚にある荷物で見えない。鎌倉を過ぎるとかなり空席が目立つ。

東逗子で下車。大荷物を担いで急坂をゆっくり登り家路につく。


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