1997年2~3月 津山方面(前半)-ムーンライトながら、樽見鉄道、関西空港、和田岬線
この旅行では、JR因美線に残る急行「砂丘」の撮影をメインに、往復の経路で未乗路線の乗りつぶしをしてきました。往路は夜行快速「ムーンライトながら」で出かけて、樽見鉄道、湖西線、関西空港線に寄りながら姫路で宿泊しました。
平成9年(1997年)2~3月 津山方面旅行
平成9年(1997年)2月27日(木)
◎東逗子 2327→2347 大船 品川行2316S E217系11両編成 先頭11号車=クハE217-19
2330になっても上り列車が来ないので駅員に聞くと、5分余り遅れているとのこと。2335頃、東逗子発車。11号車の乗客は数名。逗子ではすぐに発車したせいか、大船到着時点では2分延くらいに回復していた。大船駅東口左前方のファミリーマートで時間を潰す。
平成9年(1997年)2月28日(金)
◎大船 026→651 大垣 大垣行快速「ムーンライトながら」 373系9→6両編成(名古屋切り離し) 先頭1号車=クハ372-6
大船定発。1号車内はほぼ満席。指定の1号車1番A席は進行方向左側のデッキのすぐ後ろ。373系のデッキにドアはない。B,C席にかかる仕切りは半透明だが、運転席後ろはカーテンを引いてある。A席側の壁には飯田線60周年キャンペーンのポスター。平塚発車後に車内改札を受ける。
車内は満席に近いものの、すぐ後ろの2番AB席は国府津発車時まで空席。リクライニングシートを少し倒す。
国府津を発車し、「次は小田原」の放送を以て車内放送は終了。小田原では自由席(小田原から)を待っているらしい人が各ドア4~6名程度いる様子。1号車は名古屋まで指定席であるせいか、動きはないようだ。2分停車後に小田原を発車。再び「この放送を以て放送終了」のアナウンス。盗難防止等の注意あり。次の放送は豊橋到着時からとのこと。座席の頭の部分は凹型になっていて、頭の位置が安定する。
浜松辺りまでは運転士が2名乗務?確認喚呼の声がよく聞こえた。
浜松での長時間停車の際に一度ホームに出て列車を撮影。ストロボ使用で1/40s。f4くらい。浜松ではドアが半自動扱いになった。他の駅では自動で開くので寒い。
名古屋で後ろ3両切り離し。隣のB席の人が下車。名古屋から自由席になり、2Aに1人乗車。名古屋を出ると他の乗客も起き出してくる。外もようやく明るくなり始めた。自由席になったので途中の乗降が多くなった。岐阜発車時点で列車は定刻運転中。
大垣から先は短時間の乗り換えが続くので、早めに下車準備に入る。大垣は1番線到着、出口は左側。
◎大垣 657→756 樽見 樽見行5列車 ハイモ230-313気動車単行
ムーンライト下車後、後で乗る米原行のホームを確認。2番線である。樽見鉄道線からは隣のホームで、しかも樽見鉄道ホームは5番線の端にあるので、1分乗り換えは難しそうである。その場合は特急乗り継ぎとなる。
樽見鉄道のレールバスは乗客が入れ代わりながら進むが、全体数は少ない。車内は5~8人位で増減する。途中駅の北方真桑で14系3両編成の客車列車と擦れ違う。向こうの上りは通学客を中心にかなりの乗客があるようだ。(立客はいないようだが。)本巣には貨物車両も多く止まっている。
ここから神海までは通学の小学生10人余が乗車。運転手に挨拶する子もいて、礼儀正しい。神海は国鉄時代の終着駅だったが、周辺の集落は小さい。
神海より先、乗客は僅か2名。根尾川を渡ると、河原に若干の残雪が見られた。神海から先の新線区間はトンネルと鉄橋が多い。樽見に近付くにつれ、残雪が多くなる。根尾谷断層(明治24年の濃尾地震で出来たもの)は、はっきりとは見えないが、車窓に見えるところにあるらしい。
樽見に到着。ログハウス風の駅舎で、中には観光写真の電光パネルがある。
◎樽見 816→915 大垣 大垣行12列車 ハイモ230-313気動車単行
往路と同じ車両で折り返す。上りは乗客が多く、30名前後で増減し、座席の8~9割が埋まる。大垣まで寝て過ごす。乗車券(軟券)は下車時に回収。降車証明書が交付される。単なるレシートのようなもので、JR改札で出すか、乗り換えた車内でJRの乗車券を買うときに乗車駅証明書として使う。
到着時刻は時刻表で見たより2分早い913着。916発の米原行に楽に乗り継げた。
◎大垣 916→950 米原 米原行快速4125M 113系6両編成 先頭車=クハ111-506
車内は座席比(以下同じ)70~80%の乗車率。客層は色々。途中、何本かの貨物列車と擦れ違う。車窓には雪に覆われた伊吹山。
◎米原 953→1002 長浜 長浜行714M 221系4両編成 先頭4号車=クモハ221-38
8両で入線し、前4両のみ長浜行。前部車両に急ぎ乗り換えるよう、繰り返し放送していた。
前のほうが空いていて、座席からも前の景色が良く見える。線路付近は田畑が多い。
田村駅近くに巨大なドームが見える。スポーツ施設か?長浜には1002着。長浜到着の直前の左側に、旧長浜駅と思われる建物が見えた。明治20年代の築で、現存する最古の駅舎らしいが、意外と大きい。その脇にD51型SLが置いてあるが、傷みが目立つ。
◎長浜 1004→1109 近江今津 近江今津行644M 413系3両編成 先頭車=クモハ413-101
同じホームの反対側で2分の接続。長浜発車直後の車窓には琵琶湖は見えない。ドアは半自動扱い。北に向かうにつれて雪面が増えてくる。沿線には永原・長浜間の早期直流化と新快速の直通運転を求める看板が幾つか建っている。
近江塩津では14分停車し、(湖西線に入るため)進行方向を変える。停車中に改札まで行ってみると、委託らしき職員が出札口内に見える。「乗車券マニアの方へ」と題した貼り紙に、駅名小印の押印には応じない旨、書かれていた。本来は業務上必要がある時には押さねばならない印についてまで押さないのは本末転倒だと思うが。
車内に戻る。乗客は少ない。琵琶湖の湖面と思われるものがたまに遠くに見える。マキノを過ぎると沿線の雪は激減した。
◎近江今津 1109→1159 京都 姫路行新快速3317M 221系8両編成 先頭1号車=クハ221-55
半自動のドアは押しボタンで開閉する。先頭車の乗車率は15%弱で、かなり空いている。車内放送は女声の肉声で、関西のアクセントであるのが新鮮。駅に停車した時は同じ声とアクセントで「扉は自動で開きません。ボタンを押してお開け下さい」と車外放送している。
近江高島・北小松間からは湖面が間近に見られる。途中からは快速運転に入り、かなりの高速で走行する。カーブでも130km/h近く、直線では130km/hに達する。トンネルのある駅間ではカーテンを閉めている。
堅田からドアは自動扱い。車内も乗客が増えてきた。山科を発車。湖西線完乗。京都着1159。
◎京都 1216→1331 関西空港 「はるか27号」関西空港行特急1027M 281系6両編成 4両目3号車=サハ281-101 座席指定3号車4番D席=右窓側
直前まで車内清掃をしており、1212から乗車。山陰線の隣30番線から発車。このホームの入り口の近くには改札内コインロッカーがある。
「はるか」の普通車は回転リクライニングシート。座席横に収納可能な超小型テーブルがあり、缶を置くための丸い穴が付いている。フットレストは無いが、座席下にスペースがあるので、足を伸ばせる。座席後ろはマガジンラックのようだ。座席は灰茶色。ヘッドカバーはレモン色。電光表示板がデッキへの扉の上にある。
発車直後に改札。周遊券と新大阪・関西空港間乗車券、京都からの特急券を見せる。車内改札はスタンプではなく、珍しくなった型押し式。
新大阪・天王寺間は在来線の下をくぐり、大阪環状線西九条へ出て、環状線の線路を新今宮まで通る。車内アナウンスは日英2ケ国語で自動放送のみ。
京都発車時は空いていたが、新大阪や天王寺からの乗客が多く、8割以上の座席が埋まった。たまに寝ながら過ごし、やがて日根野を通過、りんくうタウンを経て関西空港への橋を渡る。
関西空港内を見物。1時間および2時間の見学コースが有料で行われているらしい。コースによらず適当に動くが、特に面白いものは見当たらない。航空会社の時刻表などは余り置いていない。1階の国際線到着ロビーに巨大な招き猫が置いてある。
空港から駅を挟んだ反対側にホテル兼レストラン・ショッピングセンターがあり、そこのレストランで昼食をとる。空港とは逆向きだが、海がよく見える。
◎関西空港 1505→ 難波 「ラピートα18号」難波行特急 6両編成4両目3号車=50601 座席指定3号車23番=左窓側
難波から地下鉄乗り換えで梅田までの乗車券と、指定席特急券を購入。昼食を取った分、当初予定より1本後の列車になったが、こちらはノンストップなので先行するβ特急よりも所要時間が5分短い。
南海は自動改札。発車5分前に着くと既に乗車を開始していた。車内はオレンジ色と茶色の合いの子のような色を基調とした不思議な雰囲気。回転リクライニングシート、ひじ掛けに折り畳みの小型テーブルあり。窓は円形。
りんくうタウンまでは複線をJRと共用しているようだ。空港島と本土との間の橋は上が道路で下が線路になっているようだ。列車は高架線上も地上の踏切や駅通過時も同じ速度で高速で通過する。
車内では誰かの酒ビンが割れたらしく、床に流れたアルコールを乗務員が掃除していた。
車内改札は無かった。その代わりに各乗車口に係員がいて、チェックしていた。所要時間30分ではその方が良いのかも知れない。あっという間に難波着。
◎なんば 1550→ 梅田 新大阪行地下鉄御堂筋線 10両編成? 最後車=1815
混んでいる。車内は暑い。梅田駅のホームは広くて立派。
◎大阪 1615→ 神戸 姫路行新快速 221系8両編成 先頭1号車=クハ221-78
夕方になってきて車内は混み始めている。
神戸で下車して駅のコインロッカーにリュックを預けて、北口駅舎と構内を撮影。柱の並ぶレトロな構内である。阪神大震災でも無事だったようだ。
反対側の地下道を通って海沿いの道へ出る。「モザイク」という名称のショッピングセンターのようなものがあり、道路との境には運河のミニチュアのようなものがあり、趣がある。遊園地も併設している港の見えるテラスにはアベックが多数。
駅方面に戻る道は「ガス灯通り」。若干日が暮れてきて、ちょうど灯が映え始めたところ。レンガ倉庫と跳ね橋の前で記念撮影。地下街を通って神戸駅に戻る。
◎神戸 1806→1809 兵庫 網干行799M
221系12両編成 先頭1号車=クハ221-32
和田岬線に乗るために兵庫まで1駅乗車。兵庫駅も神戸と同様に古めかしい柱の並ぶコンコース。
◎兵庫 1838→1829 和田岬 和田岬行 437D キハ35系6両編成 先頭=キハ35 302
本線は高架だが、和田岬線は地上から発着する。ちょうど和田岬からの列車が入ってきたところで、ホームは人・人・人で溢れている。昼間は全く列車の無い線なのだが。波動輸送路線である。
ホームに出てきた運転手は何とタブレットキャリアーを持っている!和田岬線は通票閉塞だったのか。スタフかタブレットかは不明。穴型は見なかった。
和田岬行は先頭車の乗客約20名。6両編成で、改札に近い後方の車両にはもっと乗っているだろうから、編成全体で150人弱と思われる。
和田岬には改札員までいる。駅も立派な造り。定期券の乗客は無人改札を抜ける。ホームは1面1線。
◎和田岬 1838→1843 兵庫 兵庫行438D 同編成最後部=キハ35 302
同じ車両で折り返す。行きと違って通勤客が多数乗車し、この車両だけでも70~90人くらいと思われる。殆ど日が暮れた中を兵庫へ戻る。下車後、高速道路の料金機器の会社の人に声をかけられ、話をしながら本線ホームへ行く。氏もカメラをやるので、バッグを見てカメラを持っていることが分かったとのこと。横浜方面へはよく出張するらしい。
◎兵庫 1850→ 須磨 西明石行普通 201系7両編成 先頭=クハ200-143
快速に乗るつもりだったが、間違えて先にきた各駅停車に乗ってしまった。途中で快速に抜かれる。須磨で下車してもう1本後の快速に接続。
◎須磨 1859→1909 明石 網干行快速805M 113系11両編成 2両目=モハ112-5028
快速で明石まで乗車。
◎明石 1914→1940 姫路 姫路行新快速3633M 223系8両編成 先頭1号車=クハ222-1002
223系ではドア付近に補助椅子がある。大阪始発のせいか、それとも神戸を過ぎたせいか、少し空いてきた。立客は十数名。車内の基本構造は221系とあまり変わらないようだ。
加古川から先頭ドア直後の右側補助席に座る。席を引き出すと背もたれも出てくる優れもの。この席から前展望を楽しみながら姫路へ。
姫路駅南口から数分歩いてホテルオクウチにチェックイン。疲れたのでしばらくくつろぐ。
ホテルの近くの角にイタリア料理屋とマクドナルドがあったので、21時近くに家に電話してから行ってみるとイタリア料理は閉まっていた。マクドナルドは明日の昼食で使う予定(東津山駅付近にマクドナルドがあることは以前行ったときに確認済み)だったので今夜は避けたい。仕方なくもう少し南へ行くがパチンコ屋しかなく、駅方向に戻る。南口には飲み屋みたいな店しか見当たらず、中央口へ行く。駅前のアーケードを散々回って喫茶兼軽食の店に入る。入り口の様子と比して店内はあまりきれいではなく、安っぽい。スパゲティセットを頼んだが、サラダもメインも、疲れているせいか味はいまいちと思った。それでも食べ終えて出る。コンビニ等を見ながらホテルへ戻る。戻る手前で少し雨粒が落ちる。風呂を使用して055消灯。
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