2002年05-06月 北海道 3日目 - 週6便の楓駅、「ぽっぽや号」で塩狩峠、音威子府、稚内へ

旅行3日目は夜行特急まりも車内で明け、早朝に石勝線の楓駅を訪問しました。現在は駅が廃止され信号所になっていますが、当時1日1本だけ普通列車の発着があり、しかも日曜運休だったので、週6便という日本一(旅客扱い)本数が少ない駅でした。

その後、旭川から宗谷本線で北上。途中、キハ40を改造して往年のキハ12の外観を再現した「ぽっぽや号」に遭遇。塩狩温泉や音威子府駅に寄り道しながら進み、夕刻の利尻富士を眺めながら稚内に着いて1泊しました。


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平成14年(2002年)6月1日(土)

◎釧路 2300→451 追分  まりも 札幌行特急4014D キハ183系5両編成2両目4号車=キハ182-513 指定席=4号車7A(左窓側)

新得が通常なら長時間の停車なので、ここで遅れをほぼ回復したようだ。寝ようとするが、なかなか良い体勢にならず、眠りは浅い。

列車は幾つかの信号場を通過し、その幾つかには停車した。時間的にもうじき楓を通過する頃かと思い、カメラに24mmレンズを装着していたところ、ポイントへの積雪防止のためのスノーシェルターを通ったが、他の信号場と異なり、集落が見える。これは楓だと思う中、列車は減速し、420頃、楓駅に停車した。しかしホームは思ったよりも短く、駅名標の位置を過ぎてしまったので、後ろの車両へ移動。2号車のデッキと寝台通路から上下線のホームを撮影。その間に下り貨物列車が通過して行った。


席に戻ってしばらくすると、車掌が巡回してきて、あと17分で追分に到着すると告げていった。列車は定刻に運転しているようだ。追分ではただ1人の下車だった。まりもを見送る。この時間はまだ駅員はいない。

駅前を散歩した。動輪のデザインがなされた橋がある。

そばに小さな新しそうなホテルがあった。ここから始発に乗る場合は使えそうだ。「追分ホテルわたなべ」3階建駅前の追分橋渡った左側。駅に沿って大きな町営?の建物があり、温泉浴場と思われる施設がある。「ぬくもりの湯」1100-2200 第2、4火曜休み 大人500円。

◎追分 547→618 新夕張 夕張行2691D キハ40系3両編成ワンマン 先頭車=キハ40 788

客室には自分の他には出勤中らしいJR職員2名のみ。後ろの2両は締め切り扱い。途中から夕張高校のジャージ姿の女子生徒が乗車。部活か。新夕張で下車。切り離し風景などを撮影。ここまで3両で来たうち、後ろ1両はすぐに引き返し、先頭1両は夕張行、中間1両が楓行きになる。

◎新夕張 645→654 楓 楓行2691D キハ40 790単行ワンマン

他に乗客は無く、貸し切り状態で発車。

1駅で終点楓。運転士に断って荷物を置かせてもらう。

駅前で三脚を立てて記念撮影後、草が生えて朝露に濡れた跨線橋?を通って本線ホームなどの風景を手早く撮影。




駅は道路沿いにあり、「楓駅前」バス停もある。バスの時刻表までは時間がなくて確認出来なかった。折り返しの8分間はあっという間に過ぎた。

乗車直前に発車時刻表を撮影。新夕張に向けて発車する列車は7:02発の1本だけ。しかも日曜運休なので、この駅を発車する列車は週に6本しかない。


◎楓 702→708 新夕張  新夕張行 2692D キハ40 790単行ワンマン

運転士に「戻りました」と一声かけて乗車。戻りも他に乗客は無く、貸し切り状態で定時発車。戻りの所要時間が行きよりも3分短いのは、楓駅が行き止まりホームのため、行きは手前から減速することからだろうか。



新夕張駅は、石勝線開通前には夕張線の紅葉山駅と称しており、その当時の駅名板が新夕張駅前にある。現在ホームは高架で、2階の駅事務室と同じ高さ。みどりの窓口は1階にある。夕張線当時の石炭列車がデザインされたオレンジカードを購入。最近JR北海道の窓口でもビューカードが使えるようになった。他に興味深いものとしては、石勝線の詳細路線図をあしらったオレンジカード3枚組みがあった。トンネルや信号場の名称まで記載されている。


◎新夕張 733→832 千歳  千歳行2624D  キハ40 788単行ワンマン

夕張からの列車で、10人程度の乗客がある。晴れてきて日差しも当たる中をキハ40がのんびりと走行。途中滝の下信号所で下りスーパーおおぞら通過待ちで3分停車。運転席横から撮影しようとしたが、スノーシェルターの陰になり、暗くなっており、シャッターは押さなかった。後ろ側の景色が開けていたので、逆方向ならば良さそうだ。

追分からの乗客多数。一部のボックスは相席になったようだ、おばさんたちの話し声も増えた。


◎千歳 841→910 札幌 エアポート81号 札幌行快速3851M 721系6両編成  4号車3C席 クハ721-1007

列車は混雑しているが、指定席なので、落ち着く。自由席から移ってくる乗客もいる。昨日乗ったスーパーホワイトアローの指定席と異なり、絨毯は座席部分のみ。パソコン用コンセントはない。電光掲示板での文字ニュースはスーパーホワイトアローと同様に実施されている。

空はかなり晴れてきた。新札幌付近の高架から手稲の山並みが見える。遠方の山には雪が残っており、ニセコか積丹半島だろうか。


◎札幌 915→1011 滝川 フラノラベンダーエクスプレス3号 富良野行特急7043D キハ183系改(クリスタルエクスプレス)4両編成 先頭1号車=キハ183-5101 指定席=4A(前方右窓側)

快速エアポートから5分で接続できるので指定券を用意しておいた。5番線から隣のホーム3番線に移動。ホームで駅弁を買うとすぐに発車時刻。リゾート仕様のディーゼルカーで、運転席は2階にあり、前面が展望席になっている。

座席番号3番までは最前部の展望エリア、今回取れた4番は、業務用出入り口を挟んで後ろにあるが、3番までよりも1段高くなっているので、前方が見やすい。駅弁を食べながら直線の多い線路の前面展望を楽しむ。オーディオ設備もある。音楽等の他に、ビデオ放送(車内各所に液晶モニターが設置されている)もあり、この列車の目的地である富良野の観光ビデオを放映している。また、各座席に富良野関係のパンフレット類が置かれている。仕切りガラスは、富良野?の風景をデザインしたものもある。

中間車両は個室風の4人ボックスやグリーン席の他、ラウンジもある。グリーン席用のロッカーもある。短距離の利用ではもったいない設備だ。

滝川で下車。今なお現役の711系電車が車庫の前で太陽を浴びて休んでいる。その3両編成を撮影すると、バックには神居尻山とピンネシリ山。なかなか良い風景だ。


◎滝川 1025→1100 旭川  ライラック1号 旭川行L特急2001M 781系4両編成 最後4号車=クモハ781-4 指定席(uシート)=3C(後方左通路側)

定員26名のu-シートに乗客9名。座席のスタイルや設備は快速エアポートのものも変わりはないが、空いているのと停車駅が少ないことから落ち着いた雰囲気。モーター車でありながら、極寒地仕様で床が厚いのか、モーター音が気ならない。


◎旭川 1114→1149 塩狩 なよろ1号 名寄行快速3321D キハ40系2両編成 先頭=キハ40 764(キハ12 23 ぽっぽや号)

遠くから見て、たらこ色の車両がまだ残っていると思ったが、何とキハ12 23の表示。映画「鉄道員」の撮影に使われた「ぽっぽや号」だ。登場直後は時刻表にもぽっぽや号の表記があったが、最近の時刻表には見ないのでどうしたのかと思っていた。こんなところで出会うとは意外である。

車内には映画のシーンの写真や出演者のサイン色紙が展示してある。ビデオ放映用のテレビがあるが、今は放映していない。キハ12の特色であるバス窓は外側部分の飾りで、内側は普通の窓だ。地元の人は慣れているのか特に注目していない。

旭川四条と永山の間で大規模な車両基地新設らしい工事が行われていた。

比布を過ぎた列車は平地から山間部に入り、塩狩峠を登り始めた。エンジンのパワーが小さいキハ40はゆっくりゆっくり登る。

塩狩で下車して「キハ12」の写真を撮る。鄙びた駅に似合うのではないか。

和寒方向へ歩いてすぐの線路脇に「塩狩峠」の標柱と、小説「塩狩峠」のモデルとなった長野政雄殉職の地の顕彰碑がある。明治42年にこの峠で後部客車が分離逸走した時に乗客として乗っていた長野氏が列車の下に飛び降りて自ら下敷きとなって列車を停めた実話。

砂利道を少し下ったところに旅荘塩狩温泉があり、日帰り入浴ができる。休憩室を利用しない場合は400円。中は昔ながらの旅館。奥の大浴場は浴槽が2つ。それぞれ消えかけた壁画が付いている。ラジウム、緑ばんなどの混合泉質だった。

帰りがけに宿のパンフレットを貰う。電話番号も掲載されているが、塩狩温泉を含む和寒町は、現在も電話の市内局番が4桁という珍しい地域。

駅に戻り列車を待つ。駅と温泉の間の道は鰍か何かの声がかなり大きく響き渡っている。塩狩峠の標柱前では他にも車で写真撮影に来ている人がいた。塩狩駅ホーム前は「一目千本桜」として桜の名所の北限となっているが、さすがにもう葉桜になっている。



◎塩狩 1305→1354 名寄  名寄行325D  キハ40系2両編成ワンマン 先頭=キハ40 834

「列車が接近します」の自動放送と踏切が鳴り始めてから列車がカーブの向こうから現れるまでしばらく待たされる。峠道でスピードが落ちているからだ。

各駅で乗り降りの扱いをしながら、暖かい天気の中を北上する。隣の席の女子高生は窓を開けて風を入れながらボックスに寝転がっている。風連では一時的な雨。件の女子高生は窓を閉めずに下車していった。

名寄直前の右側にSLなどを保存している公園がある。終点名寄で下車。駅前広場を散歩。次の列車の改札が始まる前に窓口でオレンジカードを購入。窓口には若い駅員がいたが、ビューカードを見ると上司らしい駅員が出てきて交代した。最初の駅員は、よく見ると研修生の名札をしており、クレジットカードの取り扱いはまだなのだろう。

◎名寄 1419→1513 音威子府 稚内行4331D  キハ54系2両編成ワンマン 先頭=キハ54 508

宗谷北線運輸営業所の紋章を貼った車両。昨日釧路では同様に釧網線営業所のマークを付けていた。2両編成の車内はがらがらに空いている。特に美深を過ぎた後の先頭車両は乗客3名。座席は、釧網線は向きが固定の簡易リクライニングシートだったが、こちらは転換クロスシート。

美深を出たところでも水田があった。この辺りは稲の栽培可能地域の北限に近いのではなかろうか。この列車は普通列車だが幾つかの駅を通過し、事実上の快速運転だ。それで時折停車する駅の中には貨物車両改造のものが目立つ。名寄以降、天塩川の広い流れが付きつ離れつする。

やがて音威子府着。ここで1時間くらい停車し、後ろの1両を切り離す。その間に特急サロベツが来るので乗り換える。

駅前で記念撮影。ついでに少し先の大通りまで歩く。ちょうど千円札が品切れだったので、スーパーでアリナミンVを2千円札で購入。

駅に戻り、天北線展示コーナーを見る。思った程は広くないが、限られた時間で見るにはちょうど良い。模型で昭和30年代の音威子府駅を表していたが、現在とは比べ物にならないくらい規模が大きかったようだ。機関区、客車庫、検修部門や営林部門まである。それらは現在、草原に埋まっている。音威子府名物の黒い蕎麦が売られていたが、迷った末買わなかった。


◎音威子府 1545→1750 稚内  サロベツ 稚内行特急3041D キハ183系4両編成2両目2号車(車番未確認)

音威子府では上下の特急サロベツがすれちがうが、見事に同時進入。ドアが開いたのはせいぜい1、2秒の差という素晴らしくタイミングの合った運転だった。

サロベツの車内は混んでいて、座席の7割以上が埋まっている。指定席は進行方向右窓側で、天塩川とは反対側。これでは写真撮影は無理。隣の席は家族連れで、話している言葉とガイドブックは中国語(簡体字のため、大陸からの一行か)。どうやら稚内まで行くらしい。動きが取れないのでしばらく寝る。

幌延到着前に目覚める。幌延を出ると左にサロベツ原野が広がり、牛が放牧されている。その向こうに利尻の島影が見える。明日もせめてこのくらい見えると良いのだが。1703豊富を発車。利尻に若干の雪渓が認められた。豊富は豊富温泉の主たる玄関口だが、先ほどの幌延の方がタクシーも常駐していて、栄えているようだ。

豊富を出てしばらくしてからトイレに行くついでに席を立ち、進行方向左側のデッキから、利尻の島影をバックにしたサロベツ原野を撮影。1718頃から3、4分くらい、兜沼に運転停車。上りのスーパー宗谷4号通過待ち。その際に一旦席に戻ってフィルムを交換した。

1733抜海通過。もう一度デッキに立つ。まだ日が射していて、海に浮かぶ利尻島が見えた。

列車も殆ど停止する位まで減速して、観光客向けにサービスしてくれる。車内の中国人一行もこの景色に注目していた。しかし、線路の周囲に熊笹が深く茂っているようであり、撮影の立ち位置が果たして確保できるかどうか?また、線路の位置は車道よりもかなり高いように見えた。

南稚内でかなり多くの下車客を降ろして最北端への最後の1駅を走行。車内放送のオルゴールは「アルプスの牧場」。港が見えてきた。宗谷岬らしき陸の影が見える。稚内で下車。最北端のレールと利礼ドームをバックに記念撮影。稚内のオレンジカードを購入。北海道はオレンジカードのバラエティに富んでいる。前回平成3年に稚内を訪問しており、その時と同じ駅前での記念撮影も行う。



駅前から最初の信号を渡ると右手にトヨタレンタの営業所が見える。入って名乗るとすぐ貸し出し手続き。

全般的な説明を受けて、車に乗る。車種はトヨタのヴィッツ。日産マーチと同程度の大きさで、1300cc。ナンバーは旭川500わ2962。オプションでカーナビ(通常1,000円だが期間限定で500円)を付けている。その操作方法も教わってから出発。出発時の距離メーターは3270km。途中まで走ってから一旦停車し、目的地設定。電話番号からの検索で今夜泊まる北乃宿の電話番号を入力したらちゃんと出てきた。ナビの案内に従って走行。途中で宿に電話し、若干遅れる旨を告げる。

公共温泉施設の近くだが、ナビは目的地付近に着いたとして終了。ゆっくり走りながら回りを見回して見付けた。駐車スペースは残り1台分。そこに駐車して無事到着。


チェックインして1841、2階の3号室に入室。畳4畳余りの小さな部屋だがそれで十分。食事は既に用意されているとのことで、荷物を置いて1階の食堂に降りる。メニューは刺身、焼魚、酢の物、鍋、蟹の半身など海産物が豊富。宿の主人と客で釣り談議をしているのを聞く。一方テレビのニュースではFIFAワールドカップのドイツとサウジアラビアの試合が札幌ドームで間もなく始まるとのこと。昨日の朝、派手な帽子のドイツ人がはまなすで札幌入りしたのはそのためか。

翌朝早く出発予定なので、夕食後に精算。民宿だから現金払いを予想していたが、カードのステッカーが貼ってあるので、カードで払った。また、インターネットから打ち出した、この宿のミニ昆布引換券を出し、利尻昆布の小さな袋を貰った。天気のことを話すと、明日運動会なので気になるとのこと。この辺りでは6月の運動会が一般的だそうだ。1930頃部屋に戻り、テレビを見ながら食休み。2045頃から1階の浴室へ。広くはないが清潔で、湯は適温。熱すぎないので多少長く入っていてものぼせない。

天気予報をチェック。稚内が雨になるのは午前9時以降のようだ。早朝が勝負か。翌朝4時に目覚まし類をセットして、22時消灯。

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