2003年2月 八戸方面 2日目 - IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道、八戸線通票閉塞、三陸鉄道お座敷ランチ

 早朝に盛岡に到着し、JRから転換したIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道を経て八戸から八戸線に乗車。当時残っていた通票(タブレット)交換や腕木式信号機を撮影しました。久慈から三陸鉄道を接待まで往復し、お座敷車両で予約した弁当を食しました。



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平成15年(2003年)2月8日(土) 


(らくちん号-続) 

  バスのトイレは入り口がカーテンで囲まれていて階段の光が客席に漏れないようになっているが、そもそも照明がなくて、ドアが開けにくかった。洗面台は折り畳み式だが、トイレは普通の構造。

 615頃に客室の照明が点灯し、あと10分くらいで盛岡駅到着との案内がある。できればもう少し寝ていたいところだが。カーテンの隙間から外を覗くと、薄明るい中で積雪のある街路が見える。盛岡駅には624到着。途中の運転停車時に多少は時間調整したのだろうが、長距離夜行バスで定刻との誤差が6分というのは正確な方だと思う。 


 駅構内の駅弁屋はまだ品揃えが一部にとどまり、暖かいものがなかったので買い控える。売店でおにぎり等を購入。立ち食い蕎麦のカウンターに人が集まっている。いわて銀河鉄道線(IGR)は、JR線とは改札が別になっている。IGR改札脇の券売機は現金のみの取り扱いだが、少し離れたJR券売機ではオレンジカードが使える(ただしJRの券売機で購入できるのは岩手県内のみ)。 

 改札脇ではレール文鎮、電車を模したチョロQ、各駅入場券セットといった記念品が売られている。 


◎盛岡 651→732 奥中山高原  八戸行4521M  IGR7000系2両編成ワンマン先頭=IGR7001-2 

 改札を通ると、ホームもJRから隔離されていることが分かる。ホームは1面2線。うち1線(0番線)は行き止まり。1番には花輪線直通列車があり、0番線から八戸行きに乗車。車内はロングシート。駅弁を買わなくて良かった。寒冷地なので、ドアはボタンで開閉。先頭車両の乗客は13名前後。 

 ワンマン列車だが、運転席にはもう1人乗務員が立つ。折り返し列車に乗務するための移動だろうか。発車の際には運転手と2人でホームや信号を声だし確認している。その後も、発車の際に何度もホームを確認し、乗り遅れの乗客がいないかどうか気を配っていた。厨川を出ると、地上レベルの東北新幹線軌道と並走する区間がある。 

 7時を回り、好摩近くから朝日が差してくる。若干の雲があるが、晴れと言える。朝日に雪原が映える。進行方向左手遠方に岩手山も見える。 

 いわて沼宮内辺りの沿線の積雪は20cmくらいだろうか。かつての幹線の名残でホームは長いが、ワンマン電車が停車する部分だけが除雪されている。 


 奥中山高原で下車。委託駅員がいるので、切符は改札に出す。御堂から奥中山にかけての十三本木峠はSL時代に重連列車の撮影場所だったところで、駅舎内に当時の写真が展示されている。ストーブのある待合室でおにぎりを食べて朝食。次の下りまで旅客列車の通過はない。貨物列車の時間は分からないので、雪像などが並ぶ駅周辺の写真を撮っていたが、ホームの自動放送で列車通過を報じている。



上下線の貨物列車が続けて通過したので急いで撮影したが、余り良いポイントではなかった。御堂寄りに踏切があり、その先が急勾配とトンネルになっている。撮影の構図としては困難で、SL写真などはもっと御堂寄りで撮影されたものと思われる。 




 根雪の固まった道を駅に戻る。券売機はなく、区間によっては硬券乗車券を発行している。八戸までの乗車券は大型の手書き軟券だった。 


◎奥中山高原 811→921 八戸 八戸行4523M  IGR7001系2両編成ワンマン 先頭=IGR7001-103 

 新型車両で、通路を挟んで片側がボックスシート、片側がロングシートの配置。中央扉を境にボックスとロングが左右入れ替わる。大小のトンネルを経て、県境の目時。県境でも乗客はあまり減らない。目時から青い森鉄道に入ったが、運転手の交代はなかった。三戸で6分程の時間調整停車。青森県側に出ると、積雪量は目に見えて少なくなる。八戸付近では、積雪は畑や空地などに一部残るのみだった。 

 八戸駅の改札は、JRと青い森鉄道共通だった。乗り継ぎに時間があるので、一旦改札を出て、みどりの窓口で久慈からの切符と明日の「はやて」の切符を購入しておく。みどりの窓口はカウンターが3つ開き、指定券自動発券機も2台あるが、いずれも混雑していた。 

 少し早めに改札を通り、ホームに入っていた「スーパー白鳥」と「きらきらみちのく」を撮影したが、いずれも影に入っていた。 


◎八戸 1016→1201 久慈  久慈行433D  2両編成 キハ48 1549 

 スーパー白鳥1号と同時発車。しかし、こちらの方が一気に加速したので、並走は僅かな間だった。 

 ジョイフルトレイン「うみねこ号」と案内される車内は回転クロスシートに改装されている。半分以上の席が埋まる。八戸市内では乗客数、乗降共に多く、車内で動き回ることはできなかった。鮫を過ぎて少しずつ車内が空いてくる。 


 階上でタブレット交換を撮影。後ろの扉から前方を狙うと、腕木式信号も一緒に入る。 


 種市の駅周辺は店舗も幾つかあり、賑わいがある。腕木式信号も健在だが、下り場内からホームにかけて右カーブがあるので、場内から構内までの見渡しはできない。 


 陸中八木付近は海岸線の近くを走る。ただし、ホームでのタブレット交換と海岸を1つのフレームに納めるのは難しい。帰りに途中下車して撮影することにしているが、場内信号通過中の下り列車を狙おうか。駅前に店は無さそうだ。 


 海岸線は岩礁が続き、奇麗な瑠璃色の海面が松林の合間に見える。陸中中野を過ぎると列車は一転して山中へ。雪の残る渓流沿いなども通る。積もった雪の中、草木の周囲だけぽっかりと土が現れる。時折、薪を貯蔵した小屋が建っている。この辺りでは速度も格段に落ちる。侍浜では信号梃子操作の様子を撮影。 


久慈に到着。同じホームの反対側には臨時運転のジョイフルトレイン「Kenji」が止まっていて、発車準備をしていた。時刻表には記載が見当たらないので、団体列車のようだ。 


三陸鉄道は、橋を渡って隣のホームである。 

摂待までの乗車で食事の予約をしていたので、乗り換え口で、摂待までの乗車券を所望すると、「●●さんですか」と聞かれる。乗車券は車内でと、乗車時に名乗ると案内されると言われた。 


◎久慈 1214→1321 摂待 宮古行114D 2両編成先頭=36-2110 

 先頭車両は、昨年在来車を改造したお座敷車両。貸切の場合は全面畳敷きにもできる構造だが、定期列車へ連結の場合は掘りこたつ式になっている。通路横の座席下に靴を入れ、足を置く場所はカーペットが敷かれている。番屋風に大漁旗や貝殻、漁網などが飾られ、雰囲気も出ている。 


 宮古寄りデッキに、保健所の営業許可証が掲示してある。飲食店という位置付けからだろうが、運賃箱の付いたワンマン仕様の列車とのアンバランスが面白い。 


 4人掛けの掘りこたつ式テーブル席は12卓あり、予約している旨を言うと、端の暖簾で仕切られた席を案内される。そこには既に重箱が置かれている。重箱の大きさから見て、食事する場合にテーブルに4人はきついと思われる。重箱は1つであり、即ち食事を予約した客は他にいないことになる。 


 発車時刻が近付くと、車掌がやってきて、椀に湯を注いでくれた。焼き雲丹の入った、いちご煮のようなもの。運賃と食事代を払ってから重箱を開ける。 

 車内での食事メニューは3種類。予約していた「やませの恵み」は、刺身(いか、たこ、サーモン、ほたて)には、保冷パックが敷かれている。他、焼き魚2種類、いくらと海草の合わせ、雲丹ご飯など、海の幸を中心としたメニューと、デザートはライチとメロン。ボリュームもあり、これで1,500円は納得できると思う。割り箸の包装は久慈市の「おおみ屋」。三陸鉄道弁当部のおばさんも乗り、弁当の車内販売もしている。 


 三陸鉄道各駅にはそれぞれにキャッチフレーズがあり、車内放送では、次の駅を案内する際にキャッチフレーズ部分をつなげて案内している。また、トンネルの多い中で景色の良いポイントについては、その都度案内していた。 

 食後、車掌がアンケートを持ってきたので記入。食事予約の際に、三陸鉄道ホームページには予約先の電話番号の記載がなく迷った経緯があったので、その他の意見欄にそれを記入した。 

 下車駅の摂待が近付く。車掌が挨拶していく。 


 摂待は、盛土の上の高い位置にあるホームの横に小さな待合室の付いた無人駅。券売機もない。駅前広場に降りると、公衆トイレと野菜即売所があるが、即売所は冬季休業中。ホーム待合室で折り返し列車を待つ。 


 ◎摂待 1338→1440 久慈  久慈行115D サーモン号 

  レトロ調の車両。座席のモケットは青色風。各ボックス席には窓側の小テーブルの他に、軽食に対応できるようなテーブルが置いてある(非固定)。来たときと同じように車内で車掌から乗車券を購入。最近では珍しくなった穴開け式の車内補充券。 

 摂待駅のポスターに、宴会貸し切り列車の案内があったが、この車両も対象になっているので、その際にはテーブルが役に立つ。車内は途中まで乗客がほぼ各ボックスにいたが、田野畑を出ると、先頭車両は貸し切り状態になった。下りと同様に、景色の良い橋梁2箇所で案内放送がある。 

 陸中野田からはグループ等の乗車があり、貸し切り状態は終わった。終点久慈では、乗換口でも三陸鉄道乗車券の回収をしていた。 


◎久慈 1445→1522 陸中八木  八戸行448D  4両編成先頭=キハ40 563 


 2ボックスに1人位で、快適。昼前に来た道を戻り、陸中八木で下車。



 信号梃子取り扱い風景を撮影して、改札を出ようとした際に、間違えて改札口隣の事務室の扉を開けようとして呼び止められる。改札から出直して駅周辺を回り、撮影場所を探す。テーマは腕木式信号機を通過する海列車。場内信号機のある所に向かうが、種市方の海岸側からの構図に辛うじて海岸線が入る。山側からの場合、列車が来れば海の景色が隠れてしまう。また、侍浜方の場内信号機が見える辺りは、アクセス路が見当たらず、また背景が港湾の工場のような建物が入ってしまうのでパス。



陸中八木1612発の443Dを撮影した。時刻も16時を過ぎ、雲も出てきたので薄暗い。 


 種差方山側の線路脇には慰霊碑が建っている。昭和8年3月3日の大津波では八木地区だけで91人が亡くなったとのこと。すぐ裏が切り立った丘になっていて、津波の際に上るための階段が取り付けられている。海側には漁港があり、時折トラックなどが出入りする。 

 駅に戻り休息。駅長が待合室に来て、ストーブのスイッチを入れてくれた。駅舎内には八木周辺の鉄道風景写真が4点展示されている。 

 暗くなったので、腕木信号機に明かりが灯された。消防無線で17時のチャイムが鳴る。メロディは「遠き山に日が落ちて」。次の列車は上下線が陸中八木で交換するが、17時前後に種差、侍浜両駅から閉塞承認手続きを求める信号音が鳴り、閉塞作業をしていた。 


◎陸中八木 1726→1845 八戸  八戸行452D  2両編成先頭=キハ48 539 

 上下線の列車が続けて到着するので、駅長は信号梃子やタブレットの取り扱いに忙しそうだ。陸中八木や階上等では、点灯した腕木式信号機の夕景を撮る予定だったが、思ったよりも日暮れが早く、撮影できなかった。 

 八戸駅で入手したグルメマップを見たが、八戸駅周辺の店は載っていない。本八戸から少し離れたところが中心地のようで、途中下車しようかどうか迷ったが、とりあえず八戸まで行って先にホテルに入ることにした。 

 終点八戸で下車。みどりの窓口で記念オレンジカードを購入後、駅前広場を回り、コンビニに行くなどしてからホテルにチェックイン。703号室に入ったのは1920頃。カードキーで、室内照明等のタブレットを兼ねている。オートロック。キーは持ち帰り式。 しばらく部屋でテレビを見て寛ぐ。 


 20時をまわって3階に降り、しばらく書店にいてからホテルの下にある浜料理いかめしや「烹鱗-ほうりん」に入った。八戸定食(1,890円)を注文。いか等の刺身、煮魚、いくら丼、せんべい汁などから構成される。せんべい汁は、野菜を中心とした具の中に南部せんべいが入っている。汁の中なので柔らかくなっている。せんべい自体はほとんど味が無いが、だしや具で味わう。 

 21時過ぎに部屋に戻り休憩。22時過ぎに駅前のコンビニへ。飲み物やフィルム等を仕入れる。 


 部屋からは駅構内が見下ろせる。貨物列車が時折大きな音を立てて通っていく。通過する夜行列車などを撮れるかと思ったが、出会わなかった。25時頃寝る。 

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