2004年05月 九州 4日目 - 鹿児島市電、つばめ+リレーつばめ、寝台特急さくら

 旅行4日目は霧島温泉郷の新湯を出て、鹿児島市電に乗車してから、新幹線「つばめ」に初乗車。当時の九州新幹線は新八代・鹿児島中央間だったので、新八代で「リレーつばめ」に対面乗換。鳥栖から寝台特急「さくら」に乗車しました。


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平成16年(2004年)5月24日(月)

 6時少し過ぎに起床して、625頃に入浴。朝は気温が低いので、まず大浴場で暖まってから露天風呂に移動する。7時前に部屋に戻り、7時過ぎに1階の食堂で朝食。普通の和定食である。食休みをして、750からゆっくり入浴。湯上がりの後、一旦部屋に戻り、三脚とカメラを持って、宿の入り口で記念撮影。

 荷物をおおよそ詰めてから、850にもう一度風呂に行く。915頃に風呂を出て、1階の公衆電話からタクシーを予約。昨日の運転士から案内された電話は携帯電話に転送されるようだが、圏外のようで連絡がつかなかったので、公衆電話脇に貼ってあったタクシー会社の案内シールを見て、鹿児島交通の霧島営業所に電話。940~45頃に出発したいと依頼した。

 930にチェックアウト。フロントには、この宿の主人が明細書を持って出てきた。なお、フロントの奥が経営者一家の居間になっているようで、ガラス越しに寛いでいる姿が見える。

 この主人の自叙伝は部屋にも備え付けられている。小作人の家に生まれ、苦労の末に飢饉の時の借金を返済し、効能にほれ込んだ新湯を戦後購入して経営。昭和29年に土砂災害で湯本が完全に埋まり再起不能と言われたのを数年かかって自力で湯本を掘り直して復興させたという経歴を持つ。それだけ、新湯に執念を持つ人だ。

 チェックアウトの際に、「良い湯でした。」と言うと、満更でもなさそうで、昨日は外来だけで300人以上、平日でも100人以上来ている、と来場者の集計を見せてくれた。

 チェックアウトが終わると、程なく予約していたタクシーが到着。938に出発。いわさきホテルまでの短い時間、周囲の山のこと、数ある火山湖のことなどを話す。地元の小学校低学年向けのなだらかなコースもあるという。再訪を勧められる。霧島いわさきホテルには948到着。バスの時間まで間があるので、ホテルのロビーで一休み。


◎いわさきホテル 1006→1042? 霧島神宮駅 霧島神宮駅行林田バス

 この時間、いわさきホテルから各方面へ、たて続けにバスが出る。いずれもどこからか発車時刻直前にやって来て、乗客を拾ったらすぐに発車していく。

 霧島神宮駅行きは、その中で最も多く、10人弱の乗客を乗せて出発した。


硫黄谷では硫化水素ガスの噴出する荒涼とした空間を横目で見ながら、直後に遥か遠くまで展望の開けた地点も通る。その間は、林の中をヘアピンカーブを連ねて下っていく。

 霧島神宮前では半数程度の乗客が下車。そこから家並みが増えるが、更に坂を下っていく。

 バスは霧島神宮駅に定時到着。霧島神宮駅には以前にも下車しているが、その時と印象が異なる。どうやら改築したようだ。以前も霧島神宮を模していたと思うが、今回はより鮮やかで、しめ繩まで張ってある。

 駅前では、地元の中学生だろうか、体操着姿で集団で座り込んで写生をしている。美術の授業か。通りすがりに覗いて見るがまだ余り描かれていないので、始めたばかりの様子。

 駅改札脇で9個目のスタンプを押し、写生の集団を眺めてから改札を通り、山に沿って高い位置にあるホームへ上がる。ホームにはバスで来た人を含め、きりしまを待つ人が10人くらい。どこから登ったのか、線路脇にも画板を持った一行がいる。


◎霧島神宮 1052→1136 鹿児島  きりしま9号 鹿児島中央行L特急6009M  485系3両編成 中間車に乗車、(車番記録消失)

 特急きりしまの車内は、指定席や喫煙車は別として、中間の自由席禁煙車は、やや混雑している。隼人までに7割以上の席が埋まったのではないだろうか。

 1112頃急停止、お年寄りの踏み切り直前横断だが無事だったとのことで10秒程度の停車で発車。加治木を過ぎ、鹿児島湾沿いを通り始めると、海峡を挟んで目の前に桜島が見える。今日は噴煙を上げていない。天候も晴れで、穏やかな陽気。海岸沿いの道路には蘇鉄も植えられていて、南国の雰囲気も演出している。



 鹿児島中央まで乗って先に荷物を預けることを考えていたが、市電に乗車するルートを検討した結果、一旦、鹿児島で降りて、市電の一部区間に乗ってから鹿児島中央に行くことにした。



 鹿児島駅は2面3線。下りホームと地続きで駐車場となっているが、柵で区切られているので、ロンドンのパディントン駅のようにタクシーがホームに乗り付けることはできない。駅舎は橋上。そこから階段を下りた正面右側に市電のターミナルがある。

 鹿児島駅階段下の観光案内所は閉鎖されている。試しに、市電の横で小休止中の運転士に、1日乗車券が車内で買えるか聞くと、その場で取り出して売ってくれた。市電、市バスとシティビューバスに1日乗り降り自由で600円。


◎鹿児島駅前 1142→1155頃 中央駅前  中央駅前経由郡元行 1011 

 新型の市電で、運転席部分が連接型となっているため、見様によっては3両編成とも言えるのか。客室部分は1両だが、広くなっている。

先に谷山まで行こうかとも思ったが、乗った電車が中央駅経由だし、荷物を持っての乗り継ぎも面倒なので、中央駅で降りることにした。途中、天文館などの中心部を通る。

 ここで荷物を預けてからシティビューバスで城山公園に行こうと思い、シティビューの乗り場で時刻を見ると、次が1200、その次が1230。現在時刻は1157なので、あと3分でコインロッカーのある所まで行ってくるのは困難なのでとりあえず荷物を預けてから考えることにする。コインロッカーは、駅の反対側にある。預けてから、土産物を下見しつつ、駅周辺を撮影。そうこうするうちに1220になったので、1230のシティビューに乗ることにした。その間、川内から来たばかりというおばあさんに、天文館へ行く市電の乗り場を聞かれて案内。


◎鹿児島中央 1230→1248 城山  シティビュー

 市内観光仕様のバス。鎌倉のりんどう号や、東京の銀ブラバスと似たような感じ。

 維新ふるさと館で乗務員交替、その後、少し市内を大回りしながら西郷隆盛像前を通り、鹿児島本線の城山トンネルを見下ろす道を通り、裏側から城山を登る。

 城山の駐車場周辺に土産物店が並ぶ。特定の土産物を500円以上買うと100円札でお釣りをくれるという店もあり、覗いてみるが、特に気に入ったものはなく買わなかった。

 駐車場から少し登り、展望台へ。市街地と沖合の桜島が見渡せる。晴れているので、特に眺望が良い。桜島の山頂付近から噴煙らしきものがうっすらと見えるが、雲なのか噴煙なのか?

 少し待てば次のシティビューが来るが、ここから西郷隆盛銅像まで遊歩道があることが分かったので、歩いて下山することにする。日差しが強い中、林による日影が心地よい。途中には遺跡のようなものもある。

 山を下りて西郷隆盛銅像前に出る。思ったよりも大きい。上野の西郷像は和装だが、こちらは軍服姿。西郷像の向かいにある公民館は、歴史のありそうな風格のある建物。

 ここから朝日通りを港の方に向かって、途中電車通りを横切って歩く。突き当たりに三島村役場がある。

鹿児島市内に別の村の役場があるのは不思議だが、鹿児島から発着する船で結ばれる複数の離島で構成される村なので、どの島からも共通にアクセスできる鹿児島の港付近に役場を置いているようだ。ちょうど、その先の港には三島村の大型船が停泊して、荷物の積み降ろしをしているようだ。

 埠頭の反対側には、やはり複数の離島で構成される十島村の大型フェリーがいる。埠頭には椰子の木が並び、背後の桜島と合わせて、南国の港の風景。十島村の役場も、この港の近くにある。十島村役場前を通って電車通りに出る。

◎いづろ通 (時刻記録消失)→ 谷山 谷山行 805

 今度は、釣り掛けモーターの昔ながらの車両。途中、ドアがうまく締まらないことがあり、運転士が本社に無線連絡して、直後に交通局前で交替した運転手にも引き継いでいた。車内は混雑してきて、途中で席を立つ。混雑により乗降に時間がかかっていたためか、後ろに同系統の電車が迫っている。

 涙橋から、専用軌道に入った。内陸側にJR指宿枕崎線の線路と並ぶことがあるが、列車は通りかからなかった。終点の谷山は駅全体がホームも含めて1つの建物の中にある。駅前には若干の商店とJRの踏切(駅は離れている)がある。

◎谷山 (時刻記録消失)→ 郡元  交通局経由鹿児島駅前行 805

 谷山には5分余り滞在して、同じ電車で引き返す。


◎郡元 (時刻記録消失)→ 高見橋 中央駅前経由鹿児島駅前行 (車番記録消失)

 郡元に着いてちょうど反対側に停車していた中央駅方面に接続した。今度は新型電車。少し混んでいる。

 中央駅前の1つ先の高見橋で下車して、甲突川を渡った所にある、大久保利通の銅像を撮影。徒歩で鹿児島中央駅に戻る。途中で寄ったコンビニで、薩摩焼酎の小ビンを購入。


 鹿児島中央駅裏手のコンビニで、電池等と土産用の黒豚角煮を購入。次いで、コインロッカーから荷物を取り出し、2階へ戻り、職場用に紫芋ひねり餅、自宅用に紫芋のきんつばを購入。その後、みどりの窓口で新八代までの乗車券自由席特急券を購入。なぜか九州新幹線は周遊きっぷの区間外となっているのだ。

 なお、現金ならば自由席特急券は券売機でも買える。しかし、新規開業線でありながら、既に本州3社で導入している指定券の券売機は導入されていない。(インターネット予約分に限定した発券機は鹿児島中央を含む多くの特急停車駅にあった。)

 新幹線の改札を通る。改札内にも土産物店が1軒ある。需要に合っているのかも知れないが、改札内に商店街ができているような京都や岡山と比べると簡素だ。改札を通って乗り場まで少し距離が空いているのは、将来新幹線が博多と結ばれて利用客が増えた時に拡張できるようにしているのか。

 ホーム下に待合いスペースが広がっているが、ホームへのエスカレーターの直下に喫煙室が設けられている。九州新幹線は、短区間の運行のため全席禁煙となっており、乗車前後に喫煙したくなる乗客に配慮しているようだ。

 これから乗るつばめ54号は、1601到着のつばめ47号の折り返し。到着後、車内清掃のため、すぐには乗車できない。2面のホームの端側である14番線の発着であるため、反対側のホームから撮影することはできない。防護柵のあるホームの端から乗り出して撮影する。また、三脚を立てて記念撮影。1610過ぎに清掃が終わり、扉が開いた。


◎鹿児島中央 1618→1703 新八代 つばめ54号 新八代行新幹線54F 800系6両編成 先頭6号車=822-102

 最初、自由席と思っていた最後部の車両は指定席だったことに気付き、発車直後に前の方へ移動。4、5号車はそれなりに乗客がいるが、先頭6号車はがらがらに空いている。

 日英中韓4箇国語での案内放送がある。同じ日本でも地理的に韓国や中国と近いので、このような配慮があるのか。一昨年に稚内に行った時は道路の案内板がロシア語併記だった。

 車内は、他に九州で同時期に登場した列車と同じく、木をふんだんに使っている。木の肱置きは、やや固い。端側は1枚の板を曲げた変わったデザイン。背もたれ部分も木製で、座面と背の当たる部分のクッションは緑を基調とした和風のデザイン。ヘッドカバーも麻のようなものでできている。背もたれにコート掛け。なお、これまでの特急車両と異なり、テーブルは背もたれ部分ではなく、肱置きに収納されているものだけ。この小型テーブルも木製。テーブルの収納部分は手前ではなく隣との境側から開けるので少し違和感があった。リクライニングボタンは、その肱置きの関係で少し押しづらい。床はビニール貼り。客室内全体としては緑と茶を基調とした色合い。

 電話室の暖簾と洗面所のスダレには趣がある。短時間の運行なので、洗面所やトイレまで観察する時間は無かった。


 新八代では、同じホームでリレーつばめへの乗り換え。時刻表では3分の接続だが、試しにつばめのドアが開いてからリレーつばめのドアが閉まるまでの時間をストップウォッチで計測したところ、3分15秒半だった。

同じホームだからできることだ。


◎新八代 1706→1727 熊本 リレーつばめ54号 博多行L特急54M  787系7両編成  6号車=モハ787-7


 車両中央に荷物置き場がある。内装としては、茶色い絨毯が敷かれている他、座席のデザインも新幹線つばめに合わせてか和風のものになっているが、つばめとして運行していた時のグレー系の色調は残る。各座席にはフットレストがある。

 つばめからリレーつばめへは一体的な扱いが随所に見られるが、座席の位置は異なるので、リレーつばめでも再度検札がある。

 熊本は次の停車駅なので、すぐに到着して下車。しかし、到着したリレーつばめに工具を持った作業員が断続的に向かい、なぜかすぐに発車しない。車両に何かトラブルがあったのだろうか。熊本駅改札付近で10個目のスタンプを押し、もしかしたら同じ列車に戻れるかと思ったが、さすがにそうはいかず、発車していった。


 ホームからは、停泊している客車群が近い。SLあそボーイの客車や、なは用のソロ車両も見える。

 およそ30分後のリレーつばめまで、駅構内をうろつく。かつて鉄道関連の資料館(前に訪れた時は時間外だったかで入れなかった)も今はなく、曖昧な記憶で跡地と思われる所には、セガのゲームセンターになっているようだ。


◎熊本 1754→1907 鳥栖  リレーつばめ18号 博多行特急18M  787系7両編成 6号車=モハ787-13

 車内は混雑していた。車両中央の荷物置き場後ろの左窓側の席を確保したが、リュックは荷物置き場に置き、通路側には他の人が座る。

 日が傾きかけている車窓には、水田に混じって、この時期に黄色い穂が出ているところもある。麦畑だろうか。

 リレーつばめは、鳥栖駅2番線に到着。反対側1番線には既にはやぶさが到着している。機関車は切り離された状態。はやぶさは、ここでリレーつばめと有明をやり過ごし、さくらと連結するために、38分もの長時間の休憩に入っている。

 先に駅弁を買おうかと思ったが、1、2番ホームでは売っていない。1箇所しかない地下通路を回って改札へ。改札外の売店にも弁当は無く、改札の駅員に聞くと、5、6番ホームにあるかも知れないとのこと。

 1904に4番線にさくらが入ってくる。それを撮影。次いで、一旦博多方に引き上げて1番線にバックで入るさくらがはやぶさと連結される光景を撮影。

発車まで5分。すぐにさくらのドアが開いたので、自分の個室に荷物を置いてから5、6番ホームに走り、階段から離れた所にある蕎麦や兼駅弁屋でかしわめしを購入。すぐ1番線に取って返す。飲み物を買おうとしたが時間がないので一旦列車に乗ると、ここでさくら・はやぶさを追い越す列車がまだ到着していないために2分ほど遅れて発車見込みとのこと。それではと、ホームに降りて飲み物を2本購入して個室に戻る。走り回ったので暑い。

◎鳥栖 1917→翌1107 横浜 さくら 東京行寝台特急4レ 14系客車12両編成 8号車=オハネ15 2004

 先発の有明36号の到着遅れのため、鳥栖を4分遅れの1921出発。1930に検札。

 B個室寝台のソロを確保していた。今回利用する8号車3番個室は、1階。設備は、照明・空目覚まし時計調等のコントロールパネル、くず物入れと、その上にテーブル。更にもう1つ折り畳み式のテーブル。正面に鏡、その左上にハンガー掛け(ハンガー1つ)非常通報ボタン、読書灯、便所使用知らせ灯(蓋付き)、寝具、浴衣といったところ。ベッド部分は2階室との位置関係から、ベッドからの高さ約1m、立つ部分は約1.9m。扉の上(通路の上にあたる)も棚として使えそうなスペースになっているが、実際は高さが有りすぎて、物を置くのは難しいので、余程荷物が多くなければ使わないだろう。なぜか、その上の棚の途中に電源プラグがある。清掃用か?

 引き込み線がたくさん見えてきたので、博多の1つ手前の竹下かと思ったが、その後も駅を通過。先ほど通過した駅は南福岡だったのか。やがて博多南から来る新幹線の高架線が近付き、地上には、ゆふいんの森、白いかもめ、リレーつばめといった車両群が見えてきた。今度こそ竹下を通過。所定だと博多到着の時刻だ。

 博多には定刻より4分遅れて1945着。帰宅する通勤通学客でホームは埋まっている。ホームすれすれを歩く人もいる。3分停車の予定を縮めて、3分遅れの1947に発車した。

 博多発車の辺りで日が暮れた。20時には右手に金星が、その上には月(月齢3~5日?)が見えた。

 その後、列車は遅れを取り戻し、小倉は定着定発。次の門司では機関車交換のため5分停車。旅行前半の門司港で見たバナナ餅を買えるかと思ったが、ホームどころか、改札内にも売店すら無いので、関門トンネル用の機関車を連結する風景を見学。

 関門トンネルを通過し、本州に入る。下関もホームに売店はなし。鳥栖で無理して駅弁を買って食べて良かった。


下関では、客車のデッキから本州用の機関車を連結する風景を1秒のスローシャッターで撮影。果たしてどのように写っているか。

 下関を出ると、お休み前の車内放送がある。以後、特別な場合を除いて、朝6時の岐阜到着時まで休止。車内も減光されるという。

 22時過ぎにロビーカーへ行き、午後までの消失した旅行記録を打つ。ロビーカーの車番はオハ24 705。東京寄りの端にカード式(従来型の磁気テレカ)公衆電話がある。反対側の端にあるカウンターは、特に何も営業していないが、上り列車は名古屋(富士号は浜松)から東京までワゴンサービスによる車内販売があるとの掲示。カウンター裏のデッキ付近には飲み物の自販機が1台。ソフトドリンク130円、ビール300円。

 来たときは3、4人のグループ客がいたが、やがて引き上げ、他に駅弁などを食べているおじさんが1人いるだけ。

 ロビーカーへ行く途中、一般寝台を通るが、乗客は少ない。著しいところでは、1両に2人くらいしかいない車両もある。部屋に戻り、旅行記録の整理。岩国を出て、小休止のつもりが眠くなり、ベッドメイクをして寝てしまう。

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