2004年05月 九州 3日目 - 肥薩おれんじ鉄道、肥薩線「九州横断特急」「いさぶろう」「はやとの風」、新湯温泉

 九州旅行3日目は鹿児島中央から並行在来線となった肥薩おれんじ鉄道経由で八代まで上り、フリーゲージ実験線を遠くから見物。肥薩線に入って九州横断特急、観光列車「いさぶろう」と「はやとの風」を乗り継いで矢岳越えの絶景を堪能。築100年の木造駅舎が残る嘉例川からバスとタクシーを乗り継いで霧島温泉郷の新湯温泉に宿泊しました。


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平成16年(2004年)5月23日(日)

 6時過ぎに起床。朝食前に出発準備。天気予報によると今日の予想最高気温は24度。出発前の予報よりは下がっている。650に部屋を後にしてチェックアウト。駅改札周辺では駅弁の販売が始まっていたが、普通列車が混んでいる可能性もあり、買わなかった。

◎鹿児島中央 705→ 756 川内  川内行2424M  2両編成 先頭=クモハ817-8

  新型の通勤電車。車内は転換クロスシートで、白い板だが、クッションやヘッドレストは黒い革張り(人工皮革?)で洒落ている。片側3扉の乗降口付近の頭上には、吊り革が円形に配列されているのも面白い。扉間は巨大な1枚ガラス。運転席付近に2分別のごみ箱が設置されている。ワンマン対応だが、この列車は車掌が乗務している。

 鹿児島市は南九州随一の都市だが、鹿児島中央を出るとすぐに山間部を単線で走る。次の上伊集院までの駅間距離は9.6kmもある。その先はそれなりに住居が点在する。

 単線での列車行き違いは多いが、うまくダイヤが組まれているようで、待ち合わせの停車時間は短い。市木ですれちがった「さわやかライナー」は、日曜日のためか、がらがらに空いていた。

 運転席からは、多くの交換駅付近でATS確認音が聞こえる他、すべての停車駅の相当手前から停車駅予告アラームが鳴り、結構賑やかだ。串木野から次の木場茶屋まで複線になった。串木野から再び山越え区間で、右側には高速道路と思われる建設中の橋脚が並んでいる。

 川内では到着ホームの先に肥薩オレンジ鉄道のホームと出札口がある。途中、出水で乗り換え時間があり、その間にJRのみどりの窓口でスタンプを押したいため、八代までの乗車券での途中下車の可否を尋ねる。すると、普通の乗車券では不可だが、みちくさきっぷという企画券を組み合わせれば、合計で50円高くなるが下車できるというので、それを注文。手書きなので発券に時間がかかる。きっぷを受け取ってから一旦JRの改札を出て、みどりの窓口でスタンプを押して、肥薩おれんじ鉄道のホームに取って返す。


◎川内 806→912 出水  出水行6316D  HSOR-105単行ワンマン

 肥薩おれんじ鉄道は、線路は電化しているが、電化設備は貨物列車だけが使い、コスト削減のため旅客列車はレールバスを使用している。車両端部はロングシートとトイレ。中央部はボックスシート。券売機のきっぷはバーコード付きらしく、運転席後ろの運賃箱が読み取ることができるらしい。自動放送では、きっぷを折らないように、バーコード付き以外は運転手に手渡すように案内している。

 ボックスシートは少しずつ乗客がいるが、ロングシート部分に席を得る。日曜日なのに高校生が多い。途中の駅からも乗ってくる高校生が多く、後ろの乗り口付近は立客もいた。何か行事でもあるのだろうか。

 海岸沿いを走る区間が多く、晴れた海岸は林と岩礁が美しい。牛ノ浜近くでは海岸の車窓を案内する放送も入る。

 野田郷で高校生の半分近くが下車。ここで列車行き違いのため5分停車。運転士がホーム下で草むしりをしながら煙草で小休止。

 西出水で高校生の大半が下車。最後の1区間は大人客中心となる。


 出水で乗り継ぎの列車まで間があるので、通路でつながっているJR駅のみどりの窓口に行き、スタンプを押す。

 JR(新幹線)側駅前は、マンションらしきビルが1棟建設中だが、その他は畑が広がっている。タクシー乗り場にはタクシーが2台客待ちをしている。駅構内には土産物店がある。在来線側に回れば少しは開けているのかと思いきや、ホテルや商店、バスターミナルが散在し、売店すらない状態。新幹線停車駅にしては余りに閑散としている。

◎出水 931→1056 新八代   新八代行6222D  HSOR-109 単行ワンマン

 単線の鉄路をのんびりとした走りで通る。3月まで特急つばめが行き交っていた幹線とは思えない、のどかな雰囲気。並行する国道3号線も、片側1車線ずつの道が走る。

 水俣辺りから乗客は増えてくる。自分の座っているボックス席は一時膝上の幼児を含め5人乗車となった。

 不知火湾の海岸線に沿って走る区間では、車内放送で案内があった。入り江に護岸が幾つもあり、そこで釣りをしている人や、ボートで少し沖合に出て釣りをしている人が多い。これだけ釣り人が多いということは、この辺りの漁獲量は豊富なのだろう。八代で大半の乗客が下車。新八代までは静かな車内。

 新八代では、運転手に八代までのきっぷを渡す。ここまでのきっぷの人は、精算済証明書をくれるので、これを駅の改札に出す仕組み。

 新八代は、新幹線と在来線で駅の建物が別になっている。新幹線駅のみどりの窓口でスタンプを押してから、在来線側出口に行き、リレーつばめの渡り線を見に行く。渡り線の途中にはフリーゲージトレインの実験用の軌間切り替えポイントがある。この辺りまで新八代駅から10分近く歩く。晴れていて暑い。





新幹線の軌道であるためか金網と有刺鉄線でガードされているが、実験設備の周囲には特に事務所等の建物はない。ただ、実験設備の表示板はある。この付近でリレーつばめを撮影。新八代駅に戻る途中、博多方面に少し伸びて途切れている引き込み線に新幹線つばめがゆっくりと入ってくるとろだった。


 新幹線駅の売店で「はも重」を購入して、在来線駅に戻る。


◎新八代 1150→1255 人吉 九州横断特急1号 人吉行特急1071D キハ185系2両編成 後車=キハ185-1001

 多少混んでいたが、無事に席を確保。先ほど購入した「はも重」で朝食兼昼食。この列車は特急としては初めてのワンマン列車とされているが、今日は女性車掌が乗っている。しかも車内販売兼務らしい。ワゴンで弁当や飲み物を売りにくる。

 進行方向左側に座っていたが、途中、球磨川の流れが左側に来た時に、他から通路側の席に移ってきた人がいた。

 人吉に到着。スタンプを押そうとする人が幾人か。改札外のみどりの窓口内にあった。押してすぐに隣のホームへ。

◎人吉 1300→1422 吉松 いさぶろう 吉松行1255D キハ31+140の2両編成 先頭=キハ140-2125

 在来車のキハ31を増結して2両編成だが、車内は盛況。家族連れや宴会グループも。

木を基調とした和風の車内。車両中央部に窓の大きなフリースペース(フリースペース以外は指定席)。車両の造りは良いが、やや賑やか過ぎるところもある。

 指定席は宴会中のおじさんグループの中。ペットボトルに入れてきた焼酎を勧められ、1度は遠慮したがしばらくして再び勧められたので、これを受ける。以後、このグループのおじさん達と話しながら乗車。病気で声帯を取り、身振りで会話するおじいさんもいるが、一応意志は通じるし、とても元気。

 この列車は観光列車なので、各停車駅で数分停車と景勝地での一時停車がある。ループ線の中のスイッチバック駅である大畑、ループ線を見下ろす地点、D51が保管してある矢岳、途中の日本3大車窓の1つである矢岳越えの景勝地、幸せの鐘のある真幸(ここだけ2分だけの停車)、矢岳トンネルの事故(終戦直後に超満員の復員列車がトンネル内で立ち往生したために下車して避難しようとした復員兵を、後退した列車が次々と轢いた事故)の慰霊碑で、それぞれ停車。駅での長時間停車時には、宴会中のおじさん達とともに降りる。



 おじさん達は8人グループの予定だったが、昨日1人キャンセルがあったとのことで、その席が、たまたま昨日午後に大分で申し込んだ時に空いていたらしい。不思議な巡り合わせだ。

 おじさん達は吉松からすぐの普通列車へ乗り換えるとのことで、吉松で別れた。吉松駅横の広場にはC55型SLが保存されている。




◎吉松 1455→1531 嘉例川  はやとの風3号 鹿児島中央行特急7023D キハ140系2両編成 後車=キハ140-2066

 木版をふんだんに使った落ち着いた内装。いさぶろう号と同じく、車両中央に、足元から天井までの広い窓があるカウンター席がある。照明も白熱灯。ブラインドも木の薄い板を使っている。



 女性車掌兼車内サービス係が、まず検札、その後に、地元の名物ふくれ菓子の販売に回る。

 先頭車両のフリースペースが空いていたので座ってみる。板張りでクッションが無いので長時間の滞在には向かないが、風景を楽しむには良い。なお、足元までガラス張りになっているので、短いスカートの人は座らないほうが無難だろう。

 その後、車内販売カウンターに行き、スタンプを借りる。

 霧島温泉(霧島西口から改称)では5分停車。ここからの乗客多数。後ろの自由席車両は、フリースペースを含めて殆どの座席が埋まる。


 嘉例川駅には大変な数の人がホームにいる。しかし、乗車する人は見られない。どうやら団体で見学に寄ったのか。昨年、開業100周年を迎えたらしい。風格のある木造駅舎である。それではと、駅前で記念撮影。

 駅前の観光案内所兼売店で、バス停の方角を尋ねると、分かりにくい場所だから送ってくれるとのこと。数百メートル先か、道路沿いのバス停まで小型トラックで乗せてくれた。


◎嘉例川 (1558)→ 霧島いわさきホテル

 インターネットで調べた限りでは1558のバスがあるはずだが、バス停の時刻表示では1530の次が1615になっていた。別系統だから掲載していないのか、それとも1558の便は別のところを通るのだろうか?1615発でも時間的には大差ないが。

 しばらくすると、1558にいわさきホテル行のバスが来たので、手を挙げると、運転手は一旦手を横に振った後で停車した。行き先を聞かれ、いわさきホテルと言うと、入り口の中扉ではなく前に回るように案内される。すると、本当はこの便は通過だけれども乗って良いとのことだった。だから時刻表の掲載がなかったのか。

 自分を含めて乗客は3人だったが、途中の丸尾で2人下車して、貸し切りになった。丸尾を過ぎるとバスの車内でも硫黄の臭いが分かるようになる。硫黄ガスの噴出する荒れ地も通る。山の中のカーブが続く道を上り、終点の霧島いわさきホテル。途中乗車だったので運賃を聞くと510円とのことだった。宿泊するのかどうか聞かれ、タクシーで新湯まで行くと言うと、タクシーの営業所に横付けしてくれた。

ただし、タクシーが停まっていないので、しばらく待つ。待っても来そうにないので、営業所に張ってある番号に電話しかけると1台入ってきたので、それに乗る。しばらく坂を登って、分岐の後、谷を少し下る。向こうに見える山の説明をしてくれる。新燃岳などが、きれいに並ぶ。やがて新湯温泉の新燃荘に到着。小型車で1,200円だった。

 駐車場から数段下って、左側が浴室と露天風呂。正面は自炊部、右側がフロントと旅館部(民営国民宿舎)。温泉入り口とフロント付近には温泉の歴史や効能を紹介した新聞雑誌記事のコピーが貼ってある。チェックイン時に、パンフレット代わりにこれらの記事を綴ったものを貰う。

 2階のほほの木の間の鍵が渡される。畳の小さな部屋が2つつながった構造。洗面台と和式のトイレが付いている。古風な空調機と小型テレビ。昭和47年築と聞いているが、結構古めかしい印象。ここは携帯電話の圏外なので、フロント前の公衆電話から家に、到着の連絡を行う。

 その後、17時過ぎに温泉へ。外来入浴も多く、賑わうフロントに鍵を預け、玄関前の階段を降り、露天風呂の横に浴室がある。まずは大浴場へ。湯は白く濁った、硫黄と硫化水素を含む温泉。5、6人が入っていて手狭。ここの脱衣室は露天風呂の脱衣室も兼ねている。脱衣室で裸になってから、露天風呂へ行くには入り口に出ることになる。露天風呂にも入浴。

 部屋に戻って休憩。18時を回り、夕食の準備ができたとの声がかかる。1830近くに1階の食堂に降りる。一番安いコースだが、メニューにはこの宿の名物というマス(この宿で養殖している)の刺身と、黒豚の角煮が付く。他に、鍋物などもあり、量は十分。

 総ての風呂は22時までとのこと。食休みの後、1925頃と2130頃に入浴。

 フロント前には飲み物が氷水で冷やしてある。1本150円(フロントへ支払い)で、市価よりは高い。夜最後の入浴の前に1本購入。

 露天風呂にはカップルらしき2人連れがいるが、暗いので顔も見えず。声だけでそれと判明。療養浴室の風呂も試す。脱衣室と同じ部屋で、大浴場よりは狭い。湯は温め。熱い順に大浴場→露天風呂→療養浴室。

 風呂から上がり、フロントへ戻るとちょうど22時だった。

 部屋に戻り、ニュースを見る。小泉首相訪朝で、北朝鮮拉致被害者の家族のうち5人が昨日帰国した関連のものが殆ど。スポーツは横綱朝青龍が3連覇。テレビを見てから、布団を敷き23時半に就寝。

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