2008年04月 東北 1日目 - きらきらうえつ、由利高原鉄道

2泊3日の東北旅行で、往路は上越新幹線新潟から「きらきらうえつ」で鶴岡へ。市内観光の後、由利高原鉄道に往復乗車。秋田乗換で横手まで乗り継いで泊まりました。


平成20年(2008年)4月5日(土)

◎東逗子 616→722 東京 千葉行618S  E217系11→15両編成 先頭11号車=クハE217-50

 横浜駅では発車ベルを省略したとの内容が、ホームの放送で案内されていた。新川崎発車時点で半分程度の席が埋まっている。御茶ノ水で信号機故障のため総武・中央緩行線が運転見合わせ、中央快速線は新宿折り返しとの車内放送が、振替の案内とともに行われていた。乗換前に書店でも寄ろうかと思ったが、改札内の書店は8時からの営業で、まだ準備中だった。

 乗換改札を通る。案内表示板は進化していて、列車ごとの編成が表示され、エスカレーターと各号車の位置関係が分かるようになっている。その案内を見ながら21番線ホームに上がる。1本前のたにがわが発車したばかりで、まだ新潟行のときは入線していない。

◎東京 748→954 新潟 Maxとき307号 新潟行 新幹線1307C  E1系12両編成3両目10号車=E145-5

 21番線に736頃、上りたにがわとして入線するが、車内清掃のため暫くホームで待つ。ホーム両側にMax編成が入ると、その巨体が壮観である。743頃に乗車開始。10号車は2階がグリーン車、1階が普通車指定席。1階の2E席に着く。

 上野発車時点で、隣の2Dと後ろの1DEは空いていたが、大宮からの多数の乗車があり、埋まった。2階建車両の1階席なので、外の景色の下半分は防音壁に遮られている。鴬谷付近では防音壁の上からも満開の桜が見えたが、その先の桜の咲き具合は見えなかった。トンネルも多くなってきたので、車内誌を読んだり寝たりして過ごす。

 越後湯沢で多くの下車客があり、車内はだいぶ空いた。遠景には雪山が広がっていた。長岡や燕三条のホームでは、自由席に乗車する人の列ができていたが、指定席への乗車はほとんど無かったようだ。

 デッキには飲料などの大きな自販機があったが、平成20年3月末で営業を終了したとの掲示が付いている。車内には売店もあるので、そちらのご利用をとのこと。

 新潟に到着し、ホームで新幹線車両を撮影してから駅弁を購入して在来線ホームに向かうと、撤収してくる楽団がいた。何かと思ったらSLばんえつ物語の出発式だったようだ。跨線橋に掲示されていたポスターによると、本日がSLばんえつ物語号の今年の運転初日だったようだ。新潟の発車はきらきらうえつの30分程前であった。


◎新潟 1015→1225 鶴岡 きらきらうえつ号 酒田行快速8871M  485系4両編成 3号車=モハ485-702

 名前のとおりキラキラ模様に塗装された列車の前で記念撮影をする乗客が多かった。車内は全席指定。床はフローリング風。8割くらいの席が埋まっているが、隣の席の乗客がいなかったので、まずは駅弁を食べる。白新線は単線で、周囲には田が広がっている。田植えはまだ先のようだ。車内放送では、列車の案内や観光・車窓案内が随時行われる。

 食事が終わり、車内探検。3号車に記念スタンプ。各座席の後ろに差してあるきらきらうえつのパンフレットに押す。2号車にビュッフェがあり、ラウンジスペースがあるが、すでにラウンジの席は埋まっている。2号車の一角には沿線情報紹介スペースがあり、モニター画面による映像放映と、観光パンフレットが置いてある。

 西新発田で特急列車交換待ちのため、しばらく運転停車。先頭車両の乗務員室後ろが展望スペースになっている。上り特急いなほを運転席越しに撮影。

 車内の見所は多いので、歩き回る人は通常の列車よりも多い。しかし、ハイデッカー改造車のためか、スロープや段差が多い。また、意外とカーブが多く、単線の交換駅もあることから、揺れも大きいので、車内の通行には注意を要する。



 村上を出ると時折、左手の車窓に日本海が広がる。桑川は、夕日の名所になっているとの案内がある。座席は山側だが、何度か席を立って、デッキや最後部の展望スペースから海岸の風景を楽しんだ。日本海に別れを告げて庄内平野に入るとの車内放送があると、鶴岡まであと10分だ。

◎鶴岡駅前 1232→ 市役所前 あつみ温泉行 庄内交通 庄内交通22あ・215

 市内を経由すると思われるバスが発車間際だったので、とりあえず乗ってみた。きらきらうえつ車内で入手したパンフレットに載っている簡単な地図と照合して、方角的には間違っていないことを確認してしばらく乗っていると、道路標識に鶴岡公園までの看板が見えてきたので、市役所前で下車。車内には運賃表示器は無く、運転席後ろの運賃表で確認。駅前から市役所までの運賃は150円だった。

 少し先の市役所前の交差点を斜め方向に渡ると堀に囲まれた鶴岡公園。手前に立つ建物は大寳館。大正天皇即位を記念して建てられたもので、現在は郷土人物等展示施設(入場無料)となっている。とりあえず外観だけ眺めてから公園内を一周。護国神社と庄内神社が並び、ちょうど庄内神社では結婚式の最中だった。

 一周した所に致道館前バス停があり、バスの時間を見たところ、1329発があり、その先はかなり間が開く(1347の普通列車どころか1430の特急にも接続しない)ことになる。1310を回ったところなので、先ほどの大寳館をさっと見た。鶴岡に何等かの関係がある人物の展示が、人物ごとに並んでいる。このうち鶴岡出身者で名前を聞いたことがあるのは石原莞爾。満州事変の一般に首謀者と言われているが、ここでは独自の平和論者として紹介されている。

◎市役所前 1330→ 鶴岡駅前 庄内交通 エスモール行 庄内200か・・68

 6分遅れのバスは空いている。市役所前で入れ違いに降りた親子を除き、乗客は2名になった。そのままの乗客数で鶴岡駅に到着した。列車の時間まで4分程あるので、駅前を手早く撮影。

◎鶴岡 1347→1417 酒田 酒田行 普通227D  キハ110系2両編成ワンマン 後車=キハ110-223

 乗客の過半は学校帰りの高校生。各ボックス2名ずつ程度の乗客数。途中の各駅で少しずつ下車していった。

 北余目を出て川を渡る前後には新しい防風壁が付けられていた。17年の暮れに発生した突風による特急列車脱線転覆事故の対策と思われる。やがて終点の酒田に到着。ここで乗換。

 時間が少しあるので一旦改札を出てみた。鶴岡も酒田も自動改札が導入済みで、大回りの複雑な経路の乗車券も難無く受け付ける。特急券を含めて2枚までの対応で、「3枚入れないで」の表示あり。

 駅前は正面に商店街が伸びる。駅から見て右手にホテル、左手に庄内交通のビル、正面にマンションらしき建物の計3つが高層建築で目立つが、他は平らな印象。あまり賑わっているようには見えない。


◎酒田 1435→1448 遊佐 福良行 237M  701系4両編成 最後車=クハ700-30

 2両編成を2編成連結して車掌も乗務しているが、ロングシートの車内は各車両とも空いている。冬は終わったが、この地域では乗降口のボタン開閉を通年で行っているようだ。

 複線区間と単線区間が入り交じっているが、この辺りは両側に田が広がる平野の中を淡々と走る。やがて右前方に雪を冠した鳥海山が近づいてきた。

 後から来る特急に乗換るため、遊佐で下車。駅舎はNPOの運営する観光案内所などを併設した真新しい2階建の建物で、まだ新築の匂いがする。委託駅のようで、券売機や自動改札はないが、きっぷの販売窓口はある。

 駅前からは町営の循環バスが発着するが、静かな雰囲気。店などは無さそうに見えるが、駅前の通りを2、3軒歩くと、駄菓子屋兼寄合処と看板のある店があり、狭い店内は数人の客で賑わっていた。


少し先には小川が流れ、河川敷が小ぎれいに整備されている。

 駅に戻り、羽後本荘までの自由席特急券を購入。案内表示板などは無いが、特急券を買うと、1501発3番線ですと案内してくれた。

◎遊佐 1501→1542 羽後本荘 いなほ5号 秋田行特急2005M  485系6両編成5両目5号車=モハ485-1012

 車内は座席の2割未満の乗車率で、空いている。座席には簡易フットレストが付いている。最初は鳥海山の見える右側に陣取ったが、遊佐を出て海岸線を走っていたので、左側に移った。ただ、日差しが直接入るので、暑い。

 羽後本荘で由利高原鉄道に乗換。2面2線のうち4番線が由利高原鉄道のホームで、JRとの間に中間改札は無い。 

◎羽後本荘 1550→1629 矢島 矢島行15D  YR1502(おばこ号)単行ワンマン 

 ボックス席中心のレールバス。各ボックス平均1人の乗車で、定刻発車。羽後本荘を出てしばらクハ羽越本線と併走している。最初の停車駅である薬師堂の駅舎の裏は羽越本線の複線の線路が通り、踏切がある。ここから羽越本線と別れて内陸へ進路を取った。列車は直線区間であっても揺れが大きく、あまりスピードは出さない。

 線路の周囲には田植え前の枯れた田が広がる。防雪用だろうか、折り畳み式のシャッターのようなものがあちこちに立ち並んでいる。時折、林に囲まれた小さな峠を越えるが、その際にはゆっくりとした速度が更に落ちる。沿線の駅舎は木造が多い。薬師堂と子吉は矢島線開通当初からと思われる古い駅舎。鮎川と黒沢は木造だが最近建替したようで、窓が大きく黒瓦の勾配屋根で、外観が似ている。曲沢と吉沢はホームにプレハブのような待合室程度だった。

 前郷では上下列車の交換。駅員配置駅で、信号は色灯だがタブレットが健在。キャリアーは運転席の側窓の下に収まる小さなものだった。よく見ると、出発信号機の下に「票」の文字も。前郷の駅舎は新しそうに見えた。久保田はホームの下に物置のような駅舎。西滝沢は新しい駅舎だ。吉沢の手前で渡った清流に沿う経路に入ると川辺。天井の高い三角屋根の駅舎だ。なぜか駅横の大きな木の根元にだけ残雪が固まっている。

 唯一かつ結構長いトンネルを抜けると、矢島の町並みが近づいてきた。

 矢島駅には車庫・兼・整備工場を併設している。まだ新しく時計塔のある洒落たデザインの木造の大きな駅舎は、2階建で待合室部分は吹き抜けになっている。

 駅前広場には除雪された雪がまだうず高く積まれている。とっくに春が来たと思っていたが、まだ冬の面影が残っていた。駅の裏側に回って車両の様子を眺める。揺れの大きさから2軸車両かと思ったのだが、4軸だった。整備工場の裏には使用済みの部品らしきものが無造作に積まれている。また、現在は使用していない腕木式信号機がワイヤーと梃子がつながった状態で保存されている。


 駅に戻り、羽後本荘まで戻りの乗車券を購入。昔ながらの硬券で、550円から580円に変更のゴム印が押されている。駅事務室内には、ポイントの電動転換操作盤の横に通票閉塞機が置かれていた。思ったよりも昔の鉄道の面影を残していることが分かった。

◎矢島 1645→1725 羽後本荘 羽後本荘行20D YR-1502単行ワンマン

 往路と同じ編成で折り返す。矢島発車時点で他に乗客が無く、貸切状態。交換駅である前郷でようやく2人乗って来た。タブレット交換をするが、駅員の動きが速く、撮影し損ねた。

 羽後本荘で乗継ぎに時間があるので一旦改札を出る。JRは自動改札あり。改札内通路はJR・由利高原鉄道共用だが、JRの窓口とは別に由利高原鉄道も改札を設置していて、その脇に由利高原鉄道の切符売場がある。


◎羽後本荘 1741→1830 秋田 秋田行2551M  701系2両編成 先頭=クモハ701-21

 上り列車は若干遅れていたようだが、秋田行は定刻発車。夕日を横目に、平野を突っ切る。

 しばらくして線路は海岸沿いに出た。18時過ぎに羽後亀田と岩城みなとの間にある二子信号所に上り普通列車待ち合せのため運転停車。海岸の松林の間にちょうど夕日が沈んで行く。隣に座っていた行楽客につられてカメラを取り出して撮影。列車はしばらく、夕日が沈んだ後の薄暗くなっていく波打ち際に沿って走行した。荒波のイメージがある日本海だが、今日の波は比較的穏やかなように見えた。

 また陸側に入り、羽後牛島辺りでは夕暮れになった。複線と単線の入り交じる羽越本線では、複線区間で閉塞信号を次々と通過しながら高速で走るかと思うと、交換駅ではATSのベルを鳴らしながらゆっくりとホームに入ったりする。秋田の1つ手前の羽後牛島では帰宅する高校生が大勢乗り込んで急に賑やかになった。それでも若干の空席は残った。

 秋田駅のコンコースにはD51の模型や、汽笛などの部品が展示されていた。経緯についての説明板があったが、乗換時間が短かったので、ゆっくり読むことはできなかった。


◎秋田 1834→1945 横手 湯沢行454M  701系4両編成 先頭=クハ700-25

 ロングシートの座席は、乗換階段等から離れた先頭車でも半分近く埋まっている。秋田を発車した湯沢行は暗闇の中を走る。電車としての性能を遺憾なく発揮して、高加速高速走行だ。この時間は先程の秋田行と同様に車掌が乗務していて、駅間距離のある区間などで車内巡回していた。

 線路は一見複線だが、秋田新幹線と並行しているもので、単線が2つ並んだ感じ。この列車は1067mmゲージで、右側を走っている。

 車内はだんだん空いてきた。途中で一番前の、扉のすぐ後ろの席に移動して、前方を眺めたりする。大曲までの区間は、昔タイトーの「電車でGo!」の題材にもなった区間なので、一度は駅名も覚えた筈だが、だいぶ忘れてしまった。大曲では左手に下りのこまちが同時進入。

 大曲で4分ほど停車。一旦、ほとんどの乗客が降りていったが、停車時間の間にまた少しずつ乗ってきて、大曲到着直前よりは増えた。秋田発車時に半分近くいた高校生はいなくなり、代わって大きな荷物を持った人がややスーツにネクタイ姿の人達が目立つ。先程同時に入線した新幹線からの乗継ぎ客と思われる。

 大曲で秋田新幹線と別れて単なる単線区間に入った。確か、前回ここを通ったのは、秋田新幹線工事中に運転されていた北上線経由の特急秋田リレー号に乗車して以来だと思う。周りはたんぼなので、夜になると明かりは殆ど無く、信号機と踏切の警報機、後は並行する道路を走行する車のライトが目に入るくらい。

 源平時代の古戦場であった後三年を発車すると5分で横手に着く。しかし第1閉塞信号を過ぎても街明かりは見えない。場内注意信号を過ぎて駅構内に入ってようやく疎らな明かりが入ってきた。昼間は暖かいが、夜はまだ冷えるようだ。押しボタンでドアを開けて下車する人は、降り際に車内側の閉めるボタンを押すのがマナーになっている。ホーム待合室にはまだストーブが灯されている。横手駅の改札は有人。途中下車と申告して改札を出る。


 駅を出て右手にある横手プラザホテルの裏へ回ったところに、今夜の宿であるホテルプラザアネックス横手があった。チェックインする。ついでに翌朝の朝食も予約した。建物の中に幾つかレストランがあるようで、割引券もくれたので、中で食べることにしようか。とりあえず支払いを済ませてキー一式を受け取って、6階の6001号室に入った。マッサージチェア付きの部屋。室内の案内書でレストラン等の情報収集をしてからマッサージチェアを使用した。

 21時過ぎにホテル脇の提携焼鳥屋に行き、比内地鶏入ラーメンで夕食を取り、部屋に戻った。部屋の窓からは北上駅の構内が見下ろせる。駅の一角では貨物も扱っている。時折汽笛や走行音が聞こえてくる。

 テレビを観て食休みをして、23時に1階のフロント前を通ってゆうゆうプラザ大浴場へ。人気がなく、営業しているのか疑わしい暗さだが、フロントの人からタオルを受け取って風呂へ。広い脱衣場を通って浴室へ。他の入浴客は1~2名程度。吹抜の1階の女湯からの話声が響いてくるので、女湯にも客がいるようだ。

 全体的に暗い。露天風呂の入浴時間は22時までと記されていたが、露天風呂へのドアは施錠されていないので、少しだけ滞在した。フロントへタオルを返して24時近くに部屋に戻った。

2日目へ

目次へ

コメント