2008年08月 広島 1-2日目 サンライズ出雲、0系こだま、広電宮島

組合の用務で広島での行事に参加しました。往路は寝台特急「サンライズ出雲」と新幹線の乗り継ぎ。山陽新幹線には0系がこだま運用で残っていました。午前のうちに広島に着き、千羽鶴を奉納してから行事が始まる前に宮島口まで広電とJRで往復しました。

平成20年(2008年)8月3日(日)

 NHKの大河ドラマ「篤姫」を観てから東逗子へ。荷物は3つ。着替えなどの入ったショルダーバッグと、時刻表や書類などを入れた背負いバッグ、そして組合から預かった千羽鶴(実際の羽数は未集計)の入ったバッグである。千羽鶴は募集期間が短かった割にかなり集まり、組合事務所の人の助けをかなり借りてつなぎあわせたものである。吊り下げた状態だとかなり重いが、バッグに入れると、かさの割に軽く感じる。


◎東逗子 2132→2207 横浜 千葉行2148S  E217系11両編成先頭11号車=クハE217-29

 東逗子駅裏のふれあい広場では、夜祭りが行われていたようで、浴衣姿の子供たちが数人動き回っている。上り列車は若干遅れていた。逗子で増結が無いにも係わらず4分停車のダイヤだが、程なくの発車で定時になった。この時間の上りは空いている。逗子発車時点での先頭車両の乗客は3名。その後、11両編成ということもあり、途中駅からの乗客があったが、ボックス占有は続いた。

 横浜での乗継ぎ時間に飲物を仕入れようかと思ったが、北口乗換通路の売店は閉まっていた。以前、夜行に乗る前に北口の売店を利用したと思ったが、そのときは早い時間の「はやぶさ」だったか。中央通路の売店も閉まっており、南通路の改札内コンビニだけは開いていた。

◎横浜 2224→ 翌627 岡山 サンライズ出雲 出雲市行寝台特急5031M 12号車=モハネ285-201 指定1B=デッキから入って2番目下段 のびのびカーペット席

 荷物を縦列に並べて落ち着く。大船を通過する頃に車掌が回ってくる。横浜市内発の往路乗車券と乗継割引の特急券に検札印を受ける。往復乗車券を購入する際に、新横浜経由の乗車券で横浜からサンライズに乗れるか問い、OKと聞いたものの若干不安だったが、検札でも何も言われなかった。車掌は検札の際に通路で呼びかけていたものの、寝ている乗客はあえて起こさず、後で巡回した際に起きていれば、その際に声を掛けているようだ。


 茅ヶ崎付近で一時的に雨が窓を叩いたが、すぐに止んだ。23時過ぎにお休み放送。熱海着発1分遅れ。窓から見える伊東線ホームに人影は無いが、熱海からの乗客は少なからずあり、通路を数人が行き来する。 

 沼津と富士からの乗客も僅かにいる。静岡着発定時。ここまで旅行記録と組合機関紙の原稿を作成していたが、そろそろ寝ることにする。冷房は強いので、備え付けの小さな毛布を使用。


平成20年(2008年)8月4日(月)

 318頃に米原に運転停車したようだ。車掌室に近く、ブザー合図の音が聞こえる。

 526に姫路を定時発車。夜中に雨が降っていたのか、窓には滴が残るが、夜が明けた空に雲は少ない。6時を回り、朝の車内放送が始まった。身支度を整える。620から、岡山到着の案内。乗換の案内が延々と続く。出口は左側とのことで、以前とはホームが変わったようだ。

 サンライズ瀬戸・出雲の切り離し風景を撮影する乗客は10人以上いた。



前方の瀬戸が先発、その後の出雲を見送ってから、ゆっくりと新幹線乗換口に移動。

 駅弁はすでに販売開始しているが、まだ本格的に食べる意欲はなく、発車前にサンドイッチでも買おうかと思っていたが、7時を回ると改札内の喫茶店が営業開始したので、そこでモーニングセットを注文。500円で、小さなサラダとオムレツ、トースト2切にコーヒー又は紅茶が付く。支払いはSuicaでも可能。


◎岡山 723→843 広島 こだま629号 博多行 新幹線629A  0系6両編成 5号車=25-7012


 岡山駅ホームでは、0系新幹線を撮影している人が他にも1~2名見られた。最初に乗車した最後尾の6号車は空いていたが喫煙車だったので5号車に移動。こちらの乗客は6号車より多いが、それでも2割程度の乗車率。

 全車両が普通車だが、自由席を含めて横4列の座席配置なのでゆとりがある。座席そのものの幅はあまり変わらないようにも思うが、肘置きの幅は明らかに広い。以前は無かったと思うが、客室出入口付近に小さな電光表示板が設置されている。


 新倉敷の手前では車体が大きく傾く。高速で通過する列車が多いためカントが強く、高速だとちょうどいいのだが、停車直前の速度だとかなり不自然な傾きに感じる。  

 車内のデッキ等には車両番号の表示がない。三原でひかりレールスターの待ち合わせのため3分停車があり、その際にホームで確認した。ここまでの各駅からの乗客は多く、三原発車時点での乗車率は4割近くなった。特にデッキ付近に座る乗客が多い。


 東広島でも、のぞみ通過待ちの停車。東広島のホームは16両編成分あるが、屋根があるのは6両分のようだ。のぞみ通過待ちの間に雨が降り始めた。トンネルの合間に見える山々に低い雲が流れている。

 広島駅のホームからコンコースに下りた所に霧のようなものが噴霧されている。最初、エアカーテンの水分が気温差で白く見えるのかと思ったが、「寒霧稼働中」との案内表示。打ち水の代わりに霧を撒いて気化させて、ヒートアイランド減少を和らげる実証テストらしい。


 乗り換え改札から在来線側に回り、南口を出る。電車乗場の券売機で1日乗車券を購入。かつては日付をスクラッチする紙のカードだったが、現在はバスカードのような磁気カード。乗車時に改札機に通す。

◎広島駅 858→ 原爆ドーム前  江波行6系統 803単行ワンマン

 3つの荷物を持ち、乗車口の反対側のドアの所に立つ。路面電車の途中駅では常に左側のドアが開くので、右のドアに立っていても邪魔にならない。

 乗車してから改めて1日乗車券を見ると、利用日がパンチ穴で表示されるとあるが、日付らしい数字の欄にパンチ穴は無い。不思議に思っていたが、原爆ドーム前で下車した際に運転士脇の改札機に通すと、4の位置に穴が空いた。最初に下車する時にパンチされるらしい。 

 原爆ドームの前では、何かの仏教系団体が座って太鼓を叩いている。原爆ドームの脇を通ると動員学徒の慰霊碑。ここにも若干の千羽鶴がある。また、卒業できずに殉難した学生を悼んでどこかの小学生が作成した「卒業証書」が飾られているのが印象に残った。

 さらに進んで元安橋を渡ると平和公園。左手奥に慰霊碑、右手の目の前に「原爆の子の像」がある。



ここで、千羽鶴をバッグから取り出し、収納棚に収めた。金具に掛ける方式で、新幹線の中で急ごしらえした紐が役立った。折り鶴収納棚の脇に、「折り鶴データベース」登録用紙と投函箱があった。折り鶴を寄せた個人や団体を登録して公開するシステムという。組合名で投函した。

 日が差す中で記念撮影などを行い、汗が滝のように流れる。平和祈念式典の準備が進む公園を縦断して平和記念資料館へ。見学の前に飲料を買って落ち着いてから入場。一昨年に見た平和祈念式典直後のような行列は無いが、展示室内は混雑している。多少飛ばしながら見て回る。中を見学したのは10年ぶりくらい。原爆投下に至る背景や、被爆後の惨状を再確認した。「原爆の子の像」のモデルになった人の展示もあった。途中の売店には多様な書籍が並んでいる。8巻まで持っている「はだしのゲン」の9,10巻を購入した。なかなか普通の書店では見当たらないのだ。



平和記念資料館を後にし、元安橋横の被爆建物であるレストハウスに寄ってから、原爆ドーム前電停に戻る。



◎原爆ドーム前 1101頃→ 紙屋町西 広島港行 1903単行ワンマン

 ホテルに荷物だけ預けに行くために電停に戻った時、ちょうど広電に2両だけ現役の被爆電車の1両である653号が通りかかった。乗ろうとしたら貸切だったので、後続の電車に乗った。しかし、紙屋町から宇品方面への電車だったので、紙屋町で乗り換え。

 広島駅方向から宇品方面に曲がって行くもう1両の被爆電車652号が見えた。あちらも貸切。この時期はそのようなイベントが多いようだ。


◎紙屋町西 1104頃→ 立町 広島駅行 5101連接先頭=5101A

 2駅でホテル最寄りの立町に到着。新生銀行の脇を入ると程なくホテル山城屋の看板が見えた。入口は思ったより小振りだが、電停から近く、すぐに分かった。ロビーらしきものは無く、狭いフロントの向かいにあるエレベーターの前に椅子が1つあるだけ。ここで荷物を入れ替えてフロントに預けた。


◎立町 1125(1129)→1219頃 広電宮島口 広電宮島口行2系統 3703連接先頭=3703B

 新しい外観の連接車。ただ、車内に電光掲示板は無い。土橋を過ぎて右折すると道路の幅が狭くなった。電停の幅も狭いので降りる際に注意するよう車内放送で呼びかけている。また、小雨が降ってきた。2、3駅過ぎるとまた道幅が広がった。

 7番線まである広い構内の広電西広島(己斐)から専用線に入り、走行速度が急に上がった。信号機も通常の鉄道と同じ形状の3灯式自動閉塞信号だ。閉塞番号札も付き、ATS地上子も見える。しかし、線路の規格か車両の特性か、揺れが大きい。商工センター入口の手前には車庫があり、宮島線用の連接車両が何編成か止まっている。

 連接車は前後に出入口がある関係で車掌が乗務している。駅間の長い区間では車掌がまめに車内を回って、両替の用を受けている。井口あたりから、JRと併走する区間に入る。115系の普通電車が追い抜いて行った。山陽女子大前あたりで雨が止んだ。廿日市市役所前と宮内の間にはトンネルがあった。阿品東では一旦JRから離れて海岸沿いに出るが、すぐにまた内陸に入る。



 終点の広電宮島口には改札口があり、電車の運賃箱は使わない。駅前に宮島航路の乗船口が2、3社並ぶ。大鳥居の近くを通るというJR航路の乗場付近から望遠で宮島を望むが、大鳥居は霞んでしまっている。

 広電より若干陸側にJRの宮島口駅がある。ちょうど1234発の電車が出たところ。駅構内にタコ焼き屋があり、列車待ちの間に食べようかと思ったが、できるまで10分くらいかかるとのことなので断念。

◎宮島口 1245→1307 横川 瀬野行1644M 115系4両編成先頭=クハ115-2104

 ICOCAが使える区間で、相互利用しているスイカも使える。転換クロスシートの車内に若干の空席があったが、運転席後ろに立つ。広電に比べて駅間距離がはるかに長く線形も良いが、速度は直線でも100km/h程度までで、淡々とした走り。 


◎横川駅前 1312→ 原爆ドーム前 広電本社前行 904単行ワンマン

 銘板によると昭和44年に大阪市電から移籍した車両で、釣り掛け駆動。車内はちょうど全員が座れる程度。

 原爆ドーム前で下車し、市民球場とデパートの間を通ってグリーンアリーナに到着。まだ30分くらいあるので、アリーナ本館建物の売店やレストランなどを見て回る。結局、時間と暑さの関係から、カロリーメイトゼリーを自販機で買って済ませた。

 受付でゼッケンを受け取って入場。神奈川県からの団体は入って右手2階とのことで、探すと見つけることができた。席数には限りがあったが、何とか席を得た。着席して間もなく14時になり、開会総会が始まった。広島市の秋葉市長や、被団協代表の坪井氏、国連関係者や外交官、国内外の平和団体からの発言が続き、大会しおりを見ながら組合報告用にメモして過ごす。開会総会は1636終了。近くの原爆ドーム電停まで移動した。


◎原爆ドーム前 1650→ 土橋 西広島行 3系統 1903単行ワンマン

 元京都市電の車両。釣掛け駆動。

 土橋電停から早足で歩き、17時少し過ぎに中国新聞社ビル前に着いた。神奈川からの参加者の代表団会議に出席。翌日の分科会の選択がまだだったが、早く着いたため、会が始まる前に分科会のチケットを選ぶことができた。1710過ぎに開会。期間中の行程についての案内や関係者の発言があり、代表団会議は1745終了


◎舟入町 1807頃→ 江波 江波行  907単行ワンマン

 釣掛車。舟入南町までに半分以上が下車。終点の江波は道路から脇へそれた所にあり、奥に車庫がある。

◎江波 1829→ 舟入町 広島駅行 713単行ワンマン

 横川行の撮影をしようとしたら、すぐに発車してしまったので、とりあえず後続の広島駅行きに乗車。しかし横川方向に乗るため、舟入町で下車してコンビニに寄って1列車遅らせる。

◎舟入町 1848→ 寺町 横川駅行 907単行ワンマン

 寺町まで乗車して、十日市町周辺の三角線を乗り終えたことになる。


◎寺町 1859→ 十日市町 江波行 1914単行ワンマン

 後はホテルに戻るため広島駅方向を目指すが、来たのは江波行だったので、とりあえず十日市町まで乗車。


◎十日市町 1903→ 立町 広島駅行 6系統808単行ワンマン

 ホテルに戻り、荷物を受け取りつつチェックイン。2泊分をカードで前払い。


エレベーターで6階に上がり、601号室に入る。ニュースや原爆特番などを見ながら1時間くらい休憩。

軽装になってから外出。21時から見たい番組があり、30分くらいしかないので、アーケード街奥にあるマクドナルドで済ませ、コンビニで飲料などを買って部屋に戻った。

テレビを見ながら旅行記録をまとめる。記録の分量が多く、大体入れ終わると23時半を回っていた。 

 シャワーなどをしてから24時半を過ぎて消灯。


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