2008年08月 東北 3日目 - 鉛温泉から松川温泉への乗り継ぎ
こ の日は鉛温泉から松川温泉まで、JRとIGRいわて銀河鉄道、バスを乗り継いで移動しました。
平成20年(2008年)8月24日(日)
615頃起床し、水を飲んでから白猿の湯へ。出入りは多く、常時4、5人程度。7時頃に部屋に戻る。
7時半ちょうどに部屋係が現れ、布団を片付けてから朝食を運び込む。
朝食後、白糸の湯へ。こちらは最近改装された新しい浴室。窓からは見える川の対岸には小さな滝が見える。9時に部屋に戻る。売店を覗いてからチェックアウト。帳場にカード会社のシールは見当たらず、扱っていないと思われたので現金で支払った。この時間、ロビー周辺には宿泊客だけでなく従業員も集まっている。従業員は名札を首から下げているが、名字の名札と名前の名札がある。この宿は創業者の一族が多く勤めているらしいので、一族で同じ名字の人は区別するため名前の名札を用いているのだろう。
しばらくすると、シャトルバス乗車の準備ができたとの声がかかり、旅館の玄関に横付けされたワゴン車に乗車。乗り込むと930に発車。予定よりだいぶ早いと思ったら、鉛温泉バス停からシャトルバスが出るという。ワゴン車はバス停までの送迎だった。待合室でしばらく待つと、一旦帰って行ったワゴン車がもう一度来て、さらに宿泊客を降ろし、ワゴン車を道路脇に止めた従業員がバス停で待機。
ワゴン車2便で鉛温泉バス停に集まった宿泊客は14人。待っている時の様子から、男性一人旅5人、夫婦等男女ペア3組、女性3人連れ1組だったようだ。
◎鉛温泉 947→1036 花巻駅前 花巻南温泉峡シャトルバス 新花巻駅前行 岩手200は・314
乗車時、宿の人がバス待合所とバス乗降口の間に立ち、傘を差しかけてくれる。鉛温泉を定刻発車。新鉛温泉から来るバスで、鉛温泉を出ると、山の神温泉、大沢温泉、渡り温泉、志度平温泉、松倉温泉を経由する。渡り温泉からの乗客は無かった。志度平温泉では自家用車で出発する車の混雑があったことなどから、志度平温泉発車時点では5分延。松倉温泉を除いてバスは旅館の敷地に入って行く。鉛温泉がワゴン車で連絡しているのは、県道から旅館に入る道が急坂・急カーブのある狭い道で、大型バスが入れないからのようだ。
バスはその後順調に走り、花巻駅には定刻より4分早い1021に到着。予定より1本早い1022の電車が見えたが、改札を通って階段を渡った先のホームなので、残念ながら見送り。とりあえず駅の待合室に入る。駅のコンビになどで時間つぶし。
◎花巻 1117→1155 盛岡 盛岡行1533M 701系4両編成先頭=クモハ701-1034
ほぼ満席だったので、先頭部に立つ。雨であり、助士側のワイパーが停止しているので、前方の景色は霞んでいる。途中の駅での乗り降りは少ない。今日は雨も降り、気温も低いが、ドアが押しボタン式なので車内は保温される。ドア上に掲示されている、岩手・青森周辺路線図には、沿線名所の写真が加えられていて、きれいに仕上がっている。地方の観光鉄道にはありそうだが、JRで、しかも広域の路線図としては他に見たことが無い。
盛岡で乗り換えのためには、一旦北口改札を出て、駅ビルの中を通ってIGRいわて銀河鉄道の乗り場まで行く。ホームが近接している割にだいぶ遠回りだ。
JRは自動改札だが、IGRは有人改札。◎盛岡 1210→1217 厨川 八戸行快速101M 2両編成ワンマン先頭=IGR7001-3
後車にはジャージ姿の中学生の一団がいるが、先頭車両は3割弱の乗車率。列車は快速だが、厨川までは各駅に止まる。
厨川駅前に岩手県北バスの営業所があり、ここでバスカードを1枚買い足した。松川温泉行のバスの乗場は厨川駅の正面ではなく、駅前から国道4号線に出て、右手に少し歩いた所にある。
◎厨川駅前 1227→1355頃 松楓荘口 松川温泉行 岩手県北バス 岩手22き・134
出入口が前だけにある観光型のバス。定刻より3分延発。国道4号線から左手に別れて、林の間と集落を交互に通る。雨は降り続け、時に水たまりを大きくはねる。乗客は10人余りで推移。
大更の町中に入り、フーガの広場、駅前二区を経て大更駅前の小さなロータリーをゆっくり回って停車。駅舎のすぐ近くに停車するので明日のバスが定時ならここで列車に接続するが、どうだろうか。今日は1分弱の遅れ。フーガの広場まで戻ってから再び八幡平を目指す。
東八幡平バスセンターでは、ここで乗り換える外国人観光客を運転手が誘導していた。そのため2分延発。この辺りもそれなりの標高があるようだが、(手元の簡易高度計で500mくらい)東八幡平バスセンターを出てすぐに川を渡ると、勾配が目に見えて急になる。
八幡平ハイツを過ぎると一旦下り勾配となるが、八幡平ロイヤルホテルの辺りから再び上り勾配。バスは何度か脇道に入り、幾つかのホテルの玄関口に横付けする。
八幡平ロイヤルホテルから先は、時折観光案内も放送される。自然の森林と並木が一体化したような木々の間を進んでいたが、やがて人工の並木はなくなり、森林の中の道は細く険しくなってきた。
松楓荘口で下車。砂利道の坂を下り、青い池を右に見ながら進むと、正面に松楓荘が見えてきた。
傘は入口に。靴は自分で下駄箱(15番)に入れる。部屋は2階の23号室。
部屋はかなり鄙びた造り。畳みはだいぶ擦り切れているが、上にカーペットが敷かれている。心持ち、傾いているようにも思える。テレビとお湯のポットは後から運ばれてきた。電波の状況から、一部の局は映りが悪い。夕食は18時、朝食は7時半に広間とのこと。
松川温泉は日本で最初の地熱発電所があるほど温泉が豊富。部屋には地熱管が通り、冬の暖房に使われるが、今の季節は使われていないようだ。
窓からは松川にかかる吊り橋が見える。橋を渡った先に洞窟風呂がある。
メールを打とうと思ったら、携帯の電波は圏外だった。帳場に公衆電話の場所を尋ねると2階の半ばにあるとのこと。ちょうど中間の階段上にあった。久しぶりにテレカを使って自宅に電話。
15時を回ったところで風呂へ向かう。吊り橋の先の洞窟風呂が17時から女性専用時間になるため、先に洞窟風呂へ行こうと思ったが、履物が出払っているので、混んでいるようだ。そこで、先に露天風呂へ向かう。こちらはスリッパがあるが、先客なし。昨日の鉛温泉は無色透明(黒い温泉成分が少し浮く程度)だが、今日の松川温泉は硫化水素線なので白濁している。少しすると、衝立の反対側(露天風呂は混浴だが、男女別脱衣室から浴槽途中までは衝立がある)に入っている人がいたが、程なくいなくなった。もうしばらくすると、こちら側に、もう1人。
露天風呂からは、洞窟風呂へ向かう吊り橋の様子が見える。しばらくすると吊り橋を宿に戻る人達が見えたので、洞窟風呂に向かう。男性の先客が浴槽の縁に座っている後を通って、脱衣棚へ。こちらの風呂は、浴槽の半分位が洞窟の中にあり、残の半分は外に出ている。湯の色は露天風呂と同じ乳白色。温泉の吹出口は硫黄で黄色くなっている。湯の温度は高いので、半身を出したり全身入ったりを繰り返す。先客が出て、少し経って別の2人組が入ったのをきっかけに出る。宿に戻るが、さっき使っていたスリッパが無く、乾いたものが無いので、宿の玄関から持ってきた。
16時頃に部屋へ戻ると、宿の人が、先程のテレビの音が小さくしか出なかったので交換に来た。音量は別に気にならなかったのだが。ただ、新しく持ってきた方のテレビはリモコンの効きが良い。
17時に、今度は内風呂に入る。木組みの高い屋根が特徴で浴槽内に巨大な岩がある。シャンプーなどが備え付けられているがシャワーは無く、樽に注がれているかけ湯が兼ねているようだ。17時半に部屋に戻って、夕食までの間、テレビで笑点を観ながら休憩。
1749にフロントから電話。夕食の準備ができたとのこと。1階の広間に行くと、部屋ごとに膳が並んでいる。席に着くと、メニューの説明があった。メインは杜仲茶ポークのすき焼き。他にニジマスの刺身や団子汁など。杜仲茶ポークは昨日の鉛温泉でも出たが、この地方の名産なのだろうか。広間には遅れて入ってくる人もいたが、全部で20名だった。夫婦らしい2人連れ3組、親子や社用らしい男性2人連れが3組、夫婦と舅らしい3人連れ1組、夫婦と小学生の娘の3人連れ1組、そして一人旅の男性2人のようだ。
40分くらいかけて食べ終え、部屋に戻ると、布団が敷かれていた。布団に入って、テレビでサザエさんやニュースを観て休憩。ニュースでは、間もなく閉会式が始まる北京オリンピックを振り返るものがトップに来た。
大河ドラマ「篤姫」の後、21時から(実際は15秒程度早かったようだが)の北京オリンピック閉会式の最初だけ観てから内風呂で洗髪(シャワーが無く、かけ湯で不便だった)と短時間の入浴。すぐ部屋に戻って続きを観る。オリンピック旗が北京市長からロンドン市長に引き継がれ、聖火がゆっくり消えてからもお祭りが続いていたが、しばらく寝てしまった。
その後一旦起きたが、23時半に消灯。
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