1993年2~3月 南紀 4~5日目 - 紀州鉄道、交通科学館、急行「砂丘」タブレット
鉄研白浜合宿からの続きです。
合宿のあと、紀州鉄道に乗車。大阪交通科学館を見学してから、大阪市内発の鳥取・浜村ミニ周遊券を使って鳥取まで足を伸ばし、通票(タブレット)通過授受が残っていた因美線急行「砂丘」の撮影をしました。
平成5年(1993年)2月25日(木)
2泊の合宿を終え、ここからはめいめいの行動になる。
この後、25日と26日は夜行2連泊で、28日の伊勢市の宿は決まっていたが、27日が決まっていなかったので、白浜出発前に電話して探した。川湯温泉で検討していたが空きがなかなか見つからず、川湯の近くの湯峰温泉の民宿「くらや」の予約が取れた。
◎白良浜 838→ 白浜駅 バス
◎白浜
904→1004 御坊 和歌山行2330M 165系3両編成
◎御坊
1016→1024 西御坊 西御坊行
紀州鉄道で西御坊まで往復。西御坊の先には廃線跡が続く。紀州鉄道は本業が不動産業なので、そこの利益が入るのか、有田鉄道や野上電気鉄道と比べて車両はよく整備されているように見える。型は古そうだが、塗装がキレイだ。昔の湘南型と似た雰囲気の正面2枚窓のディーゼルカー。
折り返しの列車で御坊に戻った。
◎御坊
1056→1059 道成寺 紀伊田辺行337M
沿線の道成寺を観光。境内を回りつつ、この道成寺が舞台である「安珍・清姫」の絵解き講話が行われているので、それを聴く。ユーモアも混じり、楽しく聴けた。安珍清姫伝説の小冊子を土産に購入。
◎道成寺
1203→1308 和歌山 和歌山行352M 113系4両編成最後=クハ111-5561
◎和歌山 1321→1404 鳳 103系6両編成先頭=クハ103-45
◎鳳
1415→1418 東羽衣 東羽衣行 クモハ123-6単行
阪和線各駅停車の103系と同じ水色に塗装された123系単行で、僅か1駅の枝線を往復した。
◎東羽衣
1422→1425 鳳 鳳行 同車
◎鳳 1434→1447 天王寺 103系6両編成最後=クハ103-30
◎天王寺
1452→1459頃 弁天町 大阪行(関西線)3395M 221系6両編成3号車=モハ220-34
大阪交通科学館を見学した。敷地は決して広くないが、80系電車、DF50、DD54、D51やC62をはじめとする明治期以降のSL、DLや客車が屋外に並ぶ。屋内には151系こだまなど。
◎弁天町 1655→ 大阪 大阪環状線 103系8両編成最後=クハ103-529
大阪駅には、先ほど交通科学館で見た151系と似たボンネット型の雷鳥が停車していた。
◎大阪 1715→1815 姫路 姫路行新快速3621M 221系8両編成 先頭=クハ221-35?24?
◎姫路 1824→1934 佐用 佐用行879D キハ58系4両編成先頭=キハ58 5504
◎佐用
1937→2034 津山 津山行2833D キハ40 3003単行
◎津山
2107→2230 鳥取 砂丘10号 鳥取行610D
キハ58系 先頭5号車=キハ58 652
既に外は真っ暗だが、停車駅ではタブレット交換を撮影した。
◎鳥取
2249→2337 倉吉 倉吉行267D キハ40系2両編成 最後=キハ47 143
平成5年(1993年)2月26日(金)
◎倉吉
001→237 香住 だいせん 大阪行急行706レ DD51 1187 + 12系5両編成先頭5号車=スハフ12 3005
鉄研仲間では「キックターン」と呼ばれている、夜行列車ですれ違い駅またはその直前で下車して折り返し列車に乗り換えるもの。周遊券の乗り放題区間で宿代わりに利用していた。急行「だいせん」は城崎と香住の間の竹野で交換となるが、運転停車なので、鳥取方面から来て折り返す場合に「香住キックターン」と称している。
香住での折り返し待ちは237~314の37分間。駅舎内で待つことができるが、ホームでは雪が降り続いていた。
◎香住 314→412 鳥取 だいせん 出雲市行急行705レ DD51 1118? + 12系5両編成 最後5号車=スハフ12 3004◎鳥取
506→526 浜村 小倉行821D キハ58系4両編成先頭1号車=キハ28 2437
◎浜村
605→611 青谷 米子行423レ 12系 オハ12 359
浜村駅周辺に温泉施設があることを期待して行ってみたが、見当たらず。鳥取方面の上り列車まで少し時間があるため、逆方向に数少なくなってきた客車列車が来たので、1駅だけ乗ってから折り返すことにした。
◎青谷
626→653 鳥取 豊岡行168D キハ40系2両編成 最後=キハ47 1108
折り返して鳥取まで戻ってきた頃には明るくなっていた。
◎鳥取
728→744 郡家 智頭行655D
キハ47系2両編成先頭=キハ47 1035
この後、午後まで因美線の幾つかの駅で通票授受の撮影をしていく。雪は積もっているが、空は概ね晴れている。下見を兼ねて郡家まで行ってから津ノ井まで戻る。
◎郡家
750→759 津ノ井 鳥取行652D キハ47系5両編成最後=キハ47 7
津ノ井で下車して、817頃に島式ホームを通過する砂丘1号の通票授受を撮影。
◎津ノ井
832→842 郡家 智頭行657D
キハ47系2両編成ワンマン 先頭=キハ47 7
砂丘1号の後を追うように出る下りで再び郡家まで行き、駅構内で撮影。この当時は因美線だけでなく若桜鉄道も通票閉塞で、下り方には腕木式の出発信号機が3本並んでいた。
◎郡家
1000→1018 用瀬 智頭行659D キハ47系2両編成ワンマン先頭=キハ47 1035
車内はボックスシート。
1038頃通過の砂丘3号と、1102頃通過の砂丘2号の通票授受を撮影
◎用瀬
1202→1217 智頭 智頭行661D キハ47系2両編成 先頭=キハ47 7
この日キハ47 7に乗車するのは3回目になる。
◎智頭
1234→1249頃 那岐 津山行687D キハ40 2084単行ワンマン
既に鳥取・浜村ミニ周遊券の復路に入っているが、後で智頭に戻って砂丘5号に乗るときに使うため、那岐往復は別途購入した。
那岐で1251頃通過の砂丘4号の通票通過授受を撮影。
◎那岐 1330→1338 智頭 智頭行686D
◎智頭
1459→1706 岡山 砂丘5号 岡山行急行605D キハ58系3両編成先頭1号車=キハ58 668
時折運転席後に立ち、美作河井通過時には乗務員室の様子を撮影。美作加茂進入時に信号機の立つ風景を撮影。那岐は色灯式信号だが、美作河井、美作加茂、高野は腕木式信号機が残っていた。美作加茂は停車駅なので場内進行通過注意の現示。東津山では砂丘6号通過待ちのため運転停車。しかし、相対ホームのため、砂丘6号の通過授受は車両に隠れて見えなかった。
通票閉塞は東津山までなので、津山で補助運転士が下車していった。岡山までは客室内で過ごす。
◎岡山 1718→1750 総社 (吉備線)総社行765D キハ58系2両編成先頭=キハ28 2406
◎総社 1751→1801 倉敷 岡山行992M 115系3両編成最後=クハ115-1066
◎倉敷市
1822→1850 三菱自工前 三菱自工前行 キハ20系2両編成先頭=キハ206
外はもう暗いが、運転席近くの前方に陣取る。乗務員室として密閉されていないので、よく見える。発車の際などに指をくるくる回しながら指差し確認をする仕草が印象に残っていた。高架区間が多かったように思う。
◎三菱自工前
1906→1937頃 倉敷市 倉敷市行 同編成先頭=キハ205
同じ編成で戻った。
◎倉敷 1940→1955 岡山 岡山行472M 115系4両編成3号車=モハ114-3510
◎岡山
2007→2030 相生 こだま568号 新大阪行新幹線568A 0系6両編成3号車=25-3301
特定特急券の範囲だけ新幹線を利用し、相生で在来線に乗り換え。相生駅前には開いている店が見当たらなかった。新幹線の駅だというのに自宅最寄りの東逗子より寂しい印象だった。或いは、降りた口と反対側はもう少し賑わっていたのだろうか。
◎相生 2053→2113 姫路 姫路行314M 115系4両編成先頭=クハ115-1139
◎姫路
2118→2224 新大阪 米原行新快速3660M 221系8両編成4号車=サハ220-56
◎新大阪
2244→翌501 新宮 新宮行2921M
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