1994年2~3月 高松・広島 2日目-祖谷渓、徳島本線、阿佐海岸鉄道

 鉄研合宿の高松・広島旅行の2日目は、ムーンライト高知で四国入りして、祖谷渓を歩き、徳島本線経由で徳島へ回って、阿佐海岸鉄道まで乗車しました。


226日(土)

姫路までにボックス(4人分毎に衝立で仕切ったカーペット席)は満席になった。しかし空のボックスも残っている。岡山停車時に起き出して機関車の着け換えを見物する。

岡山までは何の飾りもないEF65だったが、ここから先のディーゼル機関車は、前後に「ムーンライト高知」のヘッドマークを掲出している。329に岡山を出た列車は児島で運転停車。357に発車後、401に瀬戸大橋に進入した。児島側には沢山の電球で飾った船が停泊しているのが見える。412に四国上陸。坂出の工業地帯(照明がきらきら光っていて綺麗)の上空を走る。四国上陸後しばらく寝て、521阿波池田下車、隣のホームの530発伊野行きに乗り換える。

 

◎阿波池田 530→550 小歩危 伊野行733D 584両編成2両目=キハ58 175(内装改良)

外はまだ完全に暗い。逗子よりも700kmくらい西で、日の出に多少の時差があるだろうから、明るくなるのは6時過ぎかもしれない。車内はがらがらに空いており、4両編成全体の乗客数は1桁のようだ。1人だけで小歩危下車。無人駅。

 

手袋とマフラーで装備強化して、大歩危峡に沿って途中で列車を撮影しながら6kmの道のりを大歩危方面に歩く。まだ真っ暗。列車撮影予定の大歩危橋梁?(後に正しい名称は第2吉野川橋梁と判明)まで来てようやく少し明るくなる。更に大歩危へ向かつて歩く。少し雲が多いが、630頃には明るくなった。次第に大歩危峡の渓谷美が見えてくる。レストハウスがあるが、止まっているのは長距離トラックのみ。車両は通るが、歩行者の姿は大歩危駅に近づくまで1人も見なかつた。レストハウスの横に、かずら橋や平家屋敷風建物のミニチュアがある。但しミニかずら橋はワイヤーが切れていて通行止めになっていた。人気のない渓谷沿いを歩く。

河原へ降りる階段もあるが、時間がないので降りない。駅は意外と遠い。対岸への橋を渡り、カープした坂を下って駅まで行く。最後の数百メートルは大きな荷物を抱えながらの駆け足。

 

◎大歩危 718→747 阿波池田 阿波池田行228D 582両編成先頭=キハ28 2002(四コチ)

列車に飛び込んで30秒以内に発車した。走ったので冬にも関わらず汗をかいた。汗を拭きながら阿波池田まで行った。車内は地元のおじさん・おばさんの他、通学生が入れ替わり乗ってくる。禁煙車なのにタバコを吸っている男子高校生もいる。比較的乗客は多いが、立ち客は殆どいない。座ろうと思えば全員座れる程度。

駅舎の蕎麦(うどん)屋はまだ閉まっている。(後でホームの蕎麦屋で食べた)。まずはバス待合い所で時刻表を入手。回数券は22枚綴で1回の使用は4枚までだったため買わなかった。 


◎阿波池田 830→840 祖谷口 高知行4235D キハ54 9単行(四コチ)

バスが祖谷口を通ることを確かめたので、列車で先行することにする。

祖谷口の駅を降りてから通りがかりの人にバス停の場所を聞き、下の通りのバス停で待つ。池田を出た頃から小雨が降っていたようだが、バスを待つ間にあられになる。

 

◎祖谷口駅 857→931 祖谷温泉 名頃行バス(四国交通)

バスは4分程度の遅れで到着し、祖谷渓への山道を入っていった。車内は空いている。バスは祖谷への細い道を昇る。行き違いのできる場所は少なく、すれ違う車は工事用の大型車両が多い。しばらく登って祖谷温泉の建物が見えてきたので、温泉より1つ手前のバス停(風呂谷?)で下車。 


降りたところに、祖谷渓名物の小便小僧の像がある。この辺りからの眺めが一番良いと聞いている。しばらく景色を眺めてから祖谷温泉へ行くと、改装中のため休業で、温泉への入浴ができなかった。31日開業とのこと。

次のバスまで2時間ほどあるため、宿の人(休業中にもいる)がタクシーを呼ぶかと問うたが、再び祖谷渓を見てから歩くことにした。945頃から約9kmの道を歩き始めた。時折あられが雪に変わり、谷の風で吹雪のように舞うこともあった。途中、道路改良工事の現場があり、一定時間は車両の通行が不可能だったから、タクシーを呼んでも無駄だったろう。西祖谷山村の中心部まで90分程度歩き、郵便局で休憩してから再びかずら橋まで30分程度歩く。かずら橋到着は1140頃で、バスを待つより30分以上早かった。

歩き疲れたので渡橋は後回しにして蕎麦を食べることにした。橋の出口付近の店に入る。こたつのある座敷があり、そこでしばし温まる。窓からはかずら橋が見え、その周りを雪が舞っていたが、1210頃から小降りになる。土産に蕎麦を買おうと思ったがかさばるし、有効期限は3月末までのものばかりだったので止め、蕎麦米を買う。これは一度蒸した後塩漬けにしたとかで、いつまでも持つらしい。

他に人が渡っているのを見計らってかずら橋を渡る。吊り橋自体は安全のためワイヤーも入っているそうだが、橋の踏み板の間隔は広く、想像以上に渡り難い。小さい子供だと間をすり抜けてしまいそうだ。同時に渡っている人にシヤッターを押して貰う。橋が揺れる上、足元が開いているため、カメラの受け渡しは慎重に行った。橋の中央あたりでしばらく留まり、上流と下流の景色を眺める。橋を渡った所の近くに琵琶の滝がある。古都を懐かしむ平家落人が、この滝の下で琵琶を奏でたのが滝名の由来。13時過ぎにバス停まで登り、近くの売店でバスの切符とテレカを買う。

 

◎かずら橋 1330→1352 大歩危駅 阿波池田行四国交通バス

かずら橋を出ると大歩危駅まで止まらない急行バス。乗客は僅か5名。途中、長いトンネルのある有料道路を通り、駅まで20分強で行く。

大歩危駅は平日の午前中しか駅員がいない。駅舎内には囲炉裏があるが、火は入っていない。駅前には西祖谷山村営バス2(普通サイズとマイクロ)飲料自販機の中に、全品100円の機械があった。

 

◎大歩危 1418→1435 阿波池田 しまんと8号 高松行特急2008D  20003両編成先頭=2101

JR四国の振子式ディーゼル車の試作型で、TSEの表示が付いている。ヘッドマークの代わりにローレル賞のマークが付いていた。通路・デッキまで満員だった。

 

◎阿波池田 1439→1641 徳島 徳島行4446D 1008単行穴吹で後ろに1018を増結

阿波池田ではすぐの接続で徳島行きに乗り換え。単行(1両編成)の車内は立ち客も多い。しばらくしてからロングシート部分に座れた。結構眠い。穴吹14分停車(増結のため)時に途中下車するが、駅員が引っ込んでいて下車印は押せず。窓口は機械が入っておらず、硬券の山。学駅入場券セットも売っていた。

再入場時の改札印もなし。周囲に低い山のある地帯を走っていたが、鴨島あたりからほとんど平野になった。佐古は完全な市街地で高架駅。

徳島で降り、駅前のバスターミナルで時刻表入手。しかし大ざっぱなもので、明日の計画にはあまり使えそうにない。地下街のパン屋でパンを購入して海部行きに持ち込む。

 

◎徳島 1712→1937 海部 海部行4573D キハ40+47+65 3両編成 先頭=キハ40 2145(四トク)

座るのがやっとという混雑だったが、だんだん減ってきて、由岐からボックス独占。買ったパンを食べた。牟岐で切り離し作業中、途中下車。

 

◎海部 1940→1950 甲浦 甲浦行5571D ASA-101(しおかぜ号)単行

海部で阿左海岸鉄道に乗り換え。海部は無人駅だが、宍喰は有人らしい。宍喰駅はホームにエレベーターも備えていた。甲浦駅には駅員はいないらしい。待合室としての駅舎を管理しているらしいおばあさんが駅を閉めようとしていたところだった。駅舎をバックに記念撮影をして貰ったが、カメラを使ったことがないというだけあって怪しげな手付き。上手く写っているかどうか。 


◎甲浦 2000→2010 海部 海部行5592D 同編成

列車に戻り車内で切符を買う。軟券に日付スタンプを押したもの。最終のせいか、上下線とも客は23人しかいない。

外は暗いが、トンネルの間で湾らしき水の反射がみられる。宍喰・海部間に10を越えるトンネルが続く。

 

◎海部 2014→2020 浅川 徳島行4592D キハ40 2145単行

海部のりかえで浅川へ。ここも無人駅。道路沿いに25分ほど歩く。小高い丘の上に加島荘があり、ようやくチェックイン。時刻は2045頃。

 

(宿泊)公営国民宿舎 加島荘

 

部屋は7畳半、無料TVとハンドタオルがある。23時半頃寝る。

 

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