2000年06月 仙台・三陸方面(前半)- あおば通、遠野、751系はつかり、八戸線タブレット

 この旅行では、夜行バスで東北入り。この時点で東北のJR乗りつぶしは殆ど済んでいて、仙石線の仙台・あおば通間を残すのみとなっていましたが、JR東日本が実施していた「トレイング2000」に挑戦のため、乗車済線区の幾つかについて、それぞれ半分以上に乗車するプランとしました。



平成12年(2000年)6月16日(金)

◎神武寺 2047→2054 金沢文庫 品川行普通 1500系4両編成先頭=1536

 予定通りの列車に乗れた。この時間でも車内は2、3割の席が埋まっている。金沢八景からの乗客も多い。既に日は暮れており、進行方向左側の東急車両の工場内の様子は見えない。


◎金沢文庫 2101→2136 品川 品川行快速特急 2400系12両編成先頭=2424

 品川行の上り快速特急はこの時間、金沢文庫で前に4両増結する。入って来たのはロングシート改造後の2400系。車内は空いていて、先頭右側の座席に陣取り、前方の景色を眺めながら進む。夜景の中に信号機や対向列車の光が流れていく。



 先頭車両は途中の駅からの乗客も少ない。10人程度で推移している。雑色通過時の運転席を流して撮影。Sモード1/10s。京急蒲田を出るまで信号は進行表示が続いていたが、前方が詰まってきて、立会川付近で抑速、減速、次いで注意信号を通過した。

 その後少し速度を上げてから品川に近付く。北品川から先は急カーブのためゆっくり走行。品川定時着。

 仕事の帰りに東逗子で翌日からのウィークエンドフリーきっぷを購入する予定であったが買い忘れたので、品川駅のみどりの窓口で購入。行列していて、しばらく待った。


◎品川 2156→ 浜松町 山手線内回り 205系11両編成 先頭=クハ205-4

 車内はそれなりに混んでいる。田町では、後続列車遅延のため、延発指示の信号が出て2分停車した。


 浜松町で下車。夜行バスの発着する浜松町バスターミナルは世界貿易センタービルの1階。ここで夕食にしようと思っていたが、閉まっている店が多い。品川で予定より時間がかかったので、バスまでの時間もないので、近くのコンビニエンスストアでスパゲッティを購入。その場で暖めてくれる。これを持ってバスターミナルまで行き、短時間で食した。暑くて汗が出る。

◎浜松町バスターミナル 2240→翌455 白石  仙台行東北急行バス  2号車足立22か5457 8番C席=右通路側

 バスターミナル4番乗り場から乗車(2号車は1号車のすぐ後ろに停車)。最近の夜行バスでは少なくなってきた?横4列シートの車両。バス乗車券(記名式)に指定された右通路側の8C席に座り、頭上の棚にリュックを載せる。窓側8D席には20代前半くらい?の女性が座った。

 浜松町を約2分遅れで発車。まだ乗客は少ない。同じ所から乗る人はなるべく隣同士に合わせているように見える。

 旧汐留駅横を通り、東京駅停車。多数の乗客が乗り、2300定時発。東京駅発車後、車掌が乗車券を回収して回った。回収の際に行き先を口頭で確認していく。終点仙台までの乗客が圧倒的に多い。他には福島または長町までの乗客が少しずつ。白石までの乗客は自分の他、近くの席にはいないようだ。

 上野を定刻より2分遅れの2312発車。

 その後、いつの間にか浅草を発車し、次いで車内消灯となった。

 

平成12年(2000年)6月17日(土)


◎浜松町バスターミナル 前2240→455 白石  仙台行東北急行バス  2号車足立22か5457 8番C席=右通路側

 030予定の岩槻は5分遅れで発車。1人乗車。ここまで一般道をゆっくり走ってきた。

 045岩槻から東北自動車道に入った。途中105羽生PA、300に安積PAでそれぞれ10分間トイレ休憩。隣の席の人は口を開けて寝ている。

 福島近くで高速道路を下りて、福島駅。乗務員が福島までの乗客をチェックして、乗り過ごしの無いように気を配っている。以後は一般道を通る。外は早くも明るくなっている。

 定刻より20分早い535に白石着。1号車を含めて他に下車客なし。



 白石駅舎内のベンチに寝ている人が1人いるが、他は殆ど人気がない。

 始発電車まで40分ほどある。駅前の案内板によると、白石城が駅から1km弱の所にあるので、散歩に行くことにした。

 駅前の真っすぐな道を通る。当地は鐘とうーめんが名物らしい。駅前にはうーめんの店、街路灯は鐘を型どっている。途中にコンビニエンスストアがあったが素通り。駅前通りが途切れた所から細い道を左右に曲がり、城の登り口。少し登ると売店等(まだ閉まっている)があり、その先が天守閣入り口。天守閣を見上げながら写真撮影。


 城から下りて市役所前を通り、駅に戻る。総選挙期間中のため、選挙ポスターが目立つ。


◎白石 526→612 仙台  松島行421M  719系6両編成 先頭=クモハ719-40

 朝日を浴びながら北上。白石発車時は空いていたが、途中から少しずつ乗ってくる。


◎仙台 633→644 多賀城 うみかぜ1号 石巻行快速3651S  103系4両編成先頭=クハ103-213

 今年の3月に地下に移設して新装した仙石線仙台駅9番ホームから快速に乗車。駅構内には、「仙石線電車にはトイレの設備がない」旨の掲示がいくつも設置してある。仙石線の103系はドアボタンが付いている。

 地下線を快走し、陸前原ノ町を通過した直後に地上に出て、従来からの線に戻る。一部田園地帯を通るが、多賀城市内に入り、再び家並みが増えてきた。

 多賀城で下車して、駅前を観察。



◎多賀城 650→712 あおば通 あおば通行632S  103系4両編成先頭=クハ103-138

 すぐの折り返しで上り列車に乗車。土曜日だが通学時間帯に入っているようで、立客もいる。

 福田町を出ると右側に仙石線電車の車庫がある。その向こうには東北新幹線の高架線も見える。

 陸前原ノ町から地下線。仙台で殆どの乗客が下車。あおば通まではとても空いていた。仙台からあおば通までは営業キロで0.5km、運転所要時間は80秒弱だった。

 駅ホームで記念撮影。

 曲名不詳の発車チャイムが鳴り、折り返しの下り列車が出ていった。


 あおば通から仙台駅までは地下通路でつながっている。地下通路経由で仙石線仙台駅へ戻る。通路はまだ新しい感じ。途中、地下鉄仙台駅、東北線・新幹線の仙台駅の下を通った。時折、通勤通学客とすれちがうが、人通りはまばらである。

 地上に出て旧仙石線仙台駅の跡を見学。旧駅舎は既に跡形も無い。ホームは一部取り崩されているがまだかなり残っている。上屋根などは取り払われているが。線路は完全に剥がされているようだ。駅跡地の周囲は草原もあり、閑散としている。駅跡地自体は土地区画整理事業用地となっていて、柵で囲まれていて入れない。


 仙台駅東口のマクドナルドでホットケーキセットを持ち帰りで注文。

 駅に戻り宮城野口から入り中央改札を通って新幹線ホームへ。新幹線上りホームからも旧仙石線仙台駅跡が見下ろせるので、下りホームにも上がった。


◎仙台 808→916 新花巻 やまびこ31号 盛岡行31B  200系12両編成 最後1号車=221-5

 満席で、デッキまで人が立っていた。

 一ノ関でようやく座れ、マクドナルドで買った朝食をとった。

 新幹線の新花巻は対向ホーム2面2線で、通過線が無いので、ホームには新横浜にあるのと同じような防護ドアが付いている。

 釜石線の新花巻は、新幹線の駅舎を一旦出て脇へ進み、地下道をくぐったところにある。新幹線の高架の真下にあるが、1面1線のローカル駅だ。


◎新花巻 925→1006 遠野 陸中1号 釜石行急行601D キハ110系2両編成先頭2号車=キハ110-4

 新幹線からの乗り継ぎ客で、釜石線新花巻のホームはいっぱいになった。2両編成の急行が入ってきたが、この駅でほぼ満席になった。しばらく運転席後ろに立つことにした。

 新花巻発車後すぐに検札が始まった。釜石線の新花巻駅は無人駅のようなものだから、車内で乗車券や急行券を買い求める人も少なくないようだ。

 列車は山沿いの隘路を分け入るように進む。急カーブや勾配が多い。そのため余りスピードは出せず、せいぜい60~70km/hキロくらいか。交換駅ではポイントがY字ポイント(スプリング式)を使用しているので、通過時は40~50km/hまで下がる。

 宮守で座れた。遠野まですぐだが、しばしくつろぐ。


遠野駅前広場の池に鎮座する河童群像の1体



 遠野駅の観光案内所を少し眺めてから、市立博物館へ行った。駅前の通りを直進して突き当たりの所にある。同じく市立の遠野むかし話村と近接していて、共通入場券も発売している。確か以前に遠野を訪れたときにむかし話村は見ているし、時間も限られているので博物館だけの切符を買って入館。

 館内は順路に従って初めの方が遠野物語のスライド上映等、次に遠野の人々の暮らしの歴史、最後に柳田國夫他、遠野研究者の話で構成されている。

 徒歩で駅に戻る。オレンジカード1枚購入。

 


◎遠野 1216→1336 盛岡 陸中4号 盛岡行急行604D  キハ110系2両編成先頭1号車(禁煙)=キハ110-2

 車内は混んでいるが何とか座れた。ほぼ満席。朝来た道を戻る。新花巻と花巻でかなりの下車客があり、空いた。花巻では進行方向が変わるため、5分停車。その間にトレイング2000用の写真を撮った。駅ホームは学校帰りの高校生が多い。陸中4号は進行方向を変えて東北本線の架線下を盛岡までノンストップで走る。


◎盛岡 1341→1449 八戸 スーパーはつかり11号  青森行特急1011M  E751系6両編成 最後1号車=クハE751-1

 盛岡を発車して間もなく車内販売の案内放送に引き続き検札。車内の案内の放送は自動放送で日英2箇国語。今年の3月にデビューした751系の車内はまだ新しい雰囲気。 


車端部やデッキとの間のドアは木目調。回転リクライニングシートは背もたれと座部それぞれ調節可能。背もたれに収納の折り畳みテーブルは白色で特に飾りはない。同じく背もたれの収納は雑誌をゴムバンドで止めるようなスタイル。座席下にはスペースが開いているので足を伸ばせる。窓のカーテンはフリーストップ。

 二戸近くで車内販売が来たので、南部鮭はらこめしと、ペットボトルのお茶を購入。すぐ食べた。時折すれちがう列車は東北の大動脈だけあって多彩だ。ディーゼルのローカル列車からスーパーはつかりのような特急列車の他、貨物列車も多い。

 八戸で降りて八戸線快速に乗り換え。





◎八戸 1500→1635 久慈 こはく 久慈行快速3445D  キハ40系2両編成 先頭=キハ48 1549

 発車までにだんだんと乗ってきてまずまずの賑わい。旅行者風の人と通学生が多い。意外と短区間の乗客も多い。2駅目の本八戸までに乗客の半分近くが降り、それを若干上回る人数が本八戸から乗ってきた。どちらかというと本八戸の方が市街地のようだ。その後も短区間の乗客が多い。

 鮫付近の島の点在する海岸線は美しい。海猫の群れが飛んでいるので近くに住む人は大変だろうが。

 この路線は現在も通票閉塞式で、交換駅でタブレットを交換しながら進む。鮫と階上で交換風景を撮影。階上は場内および出発信号が現在も腕木式信号機を使用している。その後の幾つかの交換駅も腕木式信号機が健在だった。





 種市辺りから、山の斜面が海岸線に近付いてきたようで、列車は海岸線を走っていたかと思うとすぐ後には森の中を走る。それまでの区間には見当たらなかったトンネルも多い。




 車内はここまで来るとさすがに空いてきていて、それぞれのボックスでぼんやりとしているようだ。

 終点久慈で下車。駅前のコンビニなどを見てひまつぶし。

◎久慈 1715→1843 宮古 宮古行 122D(三陸鉄道) 36-101単行ワンマン

 JRと三陸鉄道の線路はつながっているが、三陸鉄道の久慈駅はJRとは別の建物。三陸鉄道の駅舎内の売店では「父の日6月18日には琥珀を贈ろう」の張り紙とともに琥珀製品が並んでいる。ここまで乗ってきた八戸線の快速の名称にも「こはく」とあるとおり、この付近は琥珀の産地だ。値段は数千円から3万円くらいまで置いてあるようだ。

 自動券売機もあるが、窓口で硬券の乗車券を買った。駅舎は工事中で、駅舎の外に臨時改札がある。

 車内はボックスシートとロングシートを斜めに組み合わせた珍しい形態。形式番号から見て、三陸鉄道の最古参の車両のようだ。久慈駅には三陸鉄道開業15周年の記念グッズを並べていた。

 久慈発車時点の車内の客層は通学生が過半数。乗客の半数以上が2駅目の陸中野田で下車し、乗客は10人に満たなくなった。

 列車は森とトンネルの中を走り、時折リアス式海岸の入り江の漁港と集落をかすめる。だんだんと長いトンネルが増えてきた。

 車内の乗客は減り続け、1748発車の普代から1802発車の島越まで2駅区間は貸し切り状態になった。普代から田老までは三陸鉄道になってから開通した新線区間。トンネルばかりが続く。その後に若干の乗客、田老からは女子高生10人くらいが乗ってきて多少賑やかになった。

 宮古到着時には雨が少し降っていたが、外に出てみると傘を使う程ではない。夕食に使えそうな店を物色しながら歩くが、めぼしい店は見当たらない。


◎宿泊先 宮古セントラルホテル熊安

 ホテルに到着してチェックイン。VIEW-VISAカードで先払い。4階の1409号室へ。通常のシングルルーム。疲れたので家に電話後テレビを見ながら休憩。 

 あまり食欲が出ないが21時を過ぎたのでとりあえず外出。

 結局駅近くの「魚彩亭すみよし」に入った。食欲はいまいちだが、せっかく港町に来たのだから名物の生うに丼を注文した。居酒屋のようにツキダシから出てくる。やがて出てきたものはウニ丼の他に生がきと、鰹節に味付けして揚げたもののような良く分からないものが出てきた。聞くと鯛の鱗だそうだ。満腹で店を出る。

 22時頃にホテルへ戻り、一休み。23時過ぎにシャワーを浴びて24時過ぎ消灯。

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