2000年06月 仙台・三陸方面(後半)- 岩泉線、山田線 キハ52
宮古で1泊した後、早朝の岩泉線を往復乗車。その後、山田線経由で盛岡に出て、新幹線で帰路につきました。岩泉線は平成22年(2010年)の土砂崩れでの運休から復旧することなく平成26年(2014年)に正式廃止、山田線も後に駅の廃止が相次ぎ、この記事で通過時に撮影した浅岸駅も平成28年(2016年)に廃止となりました。
平成12年(2000年)6月18日(日)
5時半起床。まだ眠い。テレビを見ながらとりあえずお茶を沸かして飲んだ。天気予報で今日の予想最高気温が盛岡で29℃、宮古で20℃と差がある。荷物をまとめて610チェックアウト。
まだシャッターの開いていない店が並ぶ通りを駅へ向かった。宮古駅前に来た618、ちょうど東京からの夜行バスから乗客が降りて来る所だった。今回の旅の計画を練るときに利用を検討した便である。定刻だと朝の岩泉線に間に合わないので利用しなかった。今日は20分余り早く着いたようで、これならば岩泉線に乗れるのだが。
◎宮古 635→656 茂市 川内行623D キハ52-155単行
出入り口のドアは手動(発車時に締まるのは自動)。2つドア全席ボックスシートで、10人ほどの乗客がいる。たった1両で、反対側ホームに停まっているキハ100系4両編成とは差がある。
宮古を出て間もなく三陸鉄道北リアス線が右に別れていき、その後は宮古郊外を走り、しばらくしてから登り勾配に入る。
大きな川を渡り茂市着。下車客多い。駅ホームで1人旅のおじさんに写真撮影頼まれる。やはりトレイング2000ポイントの関係だ。更に他にも2人くらい駅名坂の前で写真を撮っている人がいた。自分も隣の岩泉線のホームへ渡ってから撮影。
◎茂市 701→754 岩泉 岩泉行683D キハ52-141単行
岩泉線はスタフ閉塞(全区間1閉塞四角)。車両は山田線と同じキハ52。やはり同じく車掌が乗務している。ドア付近に僅かにロングシートが付いているが、殆どがボックスシート。
茂市を出て左に急カーブで山田線が別れていき、すぐに左側に村立小学校の比較的新しそうな建物をかすめる。そして列車は山中に分け入る。1駅目の岩手刈屋駅付近は材木が大量に積んである。片面ホームの無人駅にしては駅舎も古めかしいが立派なようだ。林業で栄えていたのだろうか。
押角駅は森の中に孤立しているようだ。まともな道路とも接続していない。少し離れたところに魚の稚魚養殖場と思われる家が1軒あったが、何とその養殖場?に向かって線路が分岐して延びている。
この線は奥に入るほど新しく開通した区間で、長いトンネルの部分が増えてくる。浅内はかつて終着駅だったところで、駅構内は広い。現在は1面1線の無人駅だが、ホームから少し離れたところにある古びた駅舎は大きい。また、ホームの形や構内の様子から見て、かつての配線は1面2線の他に、入換用?の側線まであったようだ。
終点岩泉の手前で車掌が検札しながら切符を集めて回った。岩泉で下車したおよそ10人のうち、5人が駅名板の前で記念撮影した。
昭和47年開業の岩泉駅は現在も駅事務所があり、折り返しの乗務員の休憩所になっているだけでなく、委託駅員もいる。最近までJRバスの切符も売っていたらしいが、3月末からはJRの切符だけを売っているようだ。1日に3本しか列車は出なのに。運賃表にはかなり広い範囲が掲載されている。硬券の乗車券はあるが、残念ながらオレンジカードや入場券はない。
◎岩泉 808→901 茂市 宮古行684D キハ52-141単行
同じ車両で引き返す。岩泉駅の線路はかなり先まで伸びているようだが、草に埋もれていて、どこが末端か分からない。帰りは運転席のすぐ後ろに陣取った。山林の中を進む。茂市に向かうにつれて古くからある線になり、急カーブが増える。きつい速度制限も頻繁に現れる。
岩泉発車時点での乗客は8人だったが、上りは途中駅からの乗客も少しずつ乗ってきて、岩手刈屋発車時点では20人近くになった。
岩泉線は赤字のため以前から廃止が取り沙汰されている。しかし、周辺道路は一部立派に整備されているが、線路に並行する道路はまだ細い道が多い。
茂市で下車して駅を出て、宮古方へ走り、発車していく列車を撮影。
乗り継ぎの列車まで駅で備え付けの雑誌を読みながら休む。
◎茂市 954→1140 盛岡 リアス 盛岡行快速3629D キハ58系2両編成 先頭=キハ58 1523
茂市から快速リアスに乗ると意外に混んでいた。岩泉線とともに存続が危ぶまれていると聞いていたのでがらがらに空いているのかと思っていたら、2両編成の各ボックス1~2人の乗客で埋まった。
先頭車で1つだけ空いていた優先席のマークのあるボックスに納まる。
列車はしばらく川沿いを走った後、山間部に分け入った。山間部に入っても川と並行していて時折清流を渡る。この快速は陸中川井から区界まで40分余りノンストップ。幾つか駅を通過するが、駅間距離もこの付近では8km以上のところが数駅続いている。
区界を出ると幹線道路と別れて区界峠を越えるため、大志田あたりまで人跡まばらな地域を走る。見通しの良い所では峠の下の景色が少しだけ見渡せる。
峠を越えて上米内で下り列車待ち合わせのため4分停車。盛岡に近付くと住宅地に入っていった。上米内、上盛岡は都心部に入っている。間もなく盛岡。
盛岡でも茂市や岩泉線で会ったおじさんと会い、写真撮影。
盛岡駅みどりの窓口で「スーパーはつかり」デビュー記念のオレンジカード1セットと、近くの職場の人でよくカードをくれる人用に単品(スーパーはつかりの単品は無かったので改はつかりのもの)1枚購入。自宅と職場用に菓子を少し購入。自宅用に「かもめのたまご」職場用に「ミニかもめ」と「南部せんべい」。
乗り継ぎの30分間はあっという間に経過した。
◎盛岡 1210→1444 東京 こまち12号(やまびこ12号と併結)東京行 新幹線3012B E2系・E3系13両編成 最後16号車=E322-12
ホームに上がると既にやまびこ12号は入線していて、併結するこまち12号が入ってくるところだった。やまびこの自由席は先頭方なので、そちらの方に急ぐが、既に満席に近かった。そこで逆に最後部にあるこまちの自由席に走る。こちらは空席があるので乗ることにした。発車のチャイムは鳴り始めている。新幹線ホームを行ったり来たりしたので暑い。13号車の自動販売機でオレンジジュースを購入して涼む。
進行方向右側の2人席(12C,D)を確保した。汗が引くのを待つ。座席は一般的なリクライニングシート。秋田新幹線直通車両なので、横4列。背面の雑誌置きは、スーパーはつかりのものと似た造り。
仙台近くで車内販売が回ってくるが、仙台で新たな弁当が積み込まれると近くの人に言っているのを聞き、仙台を出てから再び回ってきた車内販売から牛たん弁当を購入。中身は麦ご飯の上に牛たんが乗っているシンプルな物だが、容器の下に加熱剤が入っていて、容器に付いている紐を引くと7分程で暖かい弁当になる仕組み。早速昼食にした。宇都宮を通過して間もなく食べ終わり、しばらく昼寝。
盛岡を出てから、仙台、郡山、大宮に停車したが、途中から乗る人は殆どやまびこ編成に乗車しているようで、こまち編成はだんだんと空いてきた。
上野到着直前、ごみを捨てに立とうとしたら、高架線の左眼下に尾久客車区が見下ろせ、カシオペアも見えた。上野を出た車内は乗車率20%程度。静かに東京に到着。
◎東京 1458→1608 東逗子 久里浜行1321S E217系11両編成 最後11号車=クハE217-17
ホームに下りる直前に列車が入ってきた。ボックス席は埋まっていたのでとりあえず11号車のロングシートに座る。新幹線の中で入手した雑誌を読みながら東逗子まで乗車。
コメント