2007年08月 長崎 1日目 - 寝台特急「あかつき」

平成19年(2007年)8月に長崎を訪問するにあたり、京都から諫早まで寝台特急「あかつき」のソロに乗車しました。


 平成19年(2007年)8月8日(水)

 昨年の広島に引き続き、今年は職場の組合の派遣で長崎へ行くことになった。日程の関係上、8月9日の祈念式典の出席と折鶴の奉納のみ。職場で折鶴が集まり、束ねられたものを持参する。

 湘南新宿ラインで横浜へ。


◎横浜 1659→ 東神奈川 大宮行 209系10両編成 先頭10号車=クハ209-10

 横浜で少し待つ。少し風があるようだ。


◎東神奈川 1705→1714 新横浜 八王子行 普通 205系8両編成 先頭8号車=クハ205-75

 東神奈川では隣のホームへの乗り換え。乗車した時点でも混んでいたが、発車までの間に京浜東北線の南行も着き乗客は多い。新横浜駅ホームの自販機で飲料購入して小休止。 

◎新横浜 1732→1933 京都 のぞみ47号 博多行 新幹線47A 700系16両編成(西日本)先頭1号車

 1720発の、のぞみ133号にも間に合ったが、ざっと見渡して空席が無さそうなので1本見送り、予定通りの列車になった。しかし、こちらも空席は見当たらず、先頭デッキの乗務員室ドア後ろに立つ。乗務員室ドアから運転席や前方風景は全く見えない。

 代わりに乗降口ドアの窓から時折外を眺める。天気は良好で、熱海手前では初島がよく見えた。岳南鉄道の赤い車両を見下ろすと間もなく新富士通過。反対側のドア付近にも乗客がいるので、富士山が見えるかどうかは分からない。右側の窓からは夕日が差し込む。

 車掌が通りかかったが、検札は無し。自動改札からのデータ転送システムを東海道新幹線でも導入したのだろうか。

 豊橋を過ぎ、左遠方に三河湾が見える。小さな島も点在し、思ったより緑が濃い。

 いい日旅立ちの一節(「ああ日本のどこかで」の部分)を取った電子音に続いて名古屋到着が案内される。名古屋で着席するも、車内は相変わらず満席。外は夕暮れになってきた。米原通過の頃には、ほぼ夜景。遠方の山と雲の間に僅かに明りが残る。

 京都で下車。新幹線コンコース内の売店で売切れ間近の弁当を購入。奈良吉野名物の柿の葉すし詰め合わせ980円。

 弁当を購入してから在来線への乗換改札を通る。在来線コンコースの売店では、既に弁当は売切の様子。改札付近で発車案内表示を見るが、まだ「なは・あかつき」の表示は見当たらず、ホームを見渡しても、それらしき列車は止まっていない。しばらくしてから、7番線からとの表示が出た。



◎京都 2002→812 諫早  あかつき 長崎行 寝台特急33レ EF66 50 + 14系10両?編成 8号車=オハネ15-302  ソロ11号室(下段)

 列車が入線したのは、発車10分前。2年程前の「旅と鉄道」誌には、発車30分も前から入線しているとあったが、その後に変わったようだ。ホームで撮影している人が幾人かいる。車内に入り、荷物を置いて、少しだけ撮影。なぜか後ろ側にも機関車が連結されていたが、入線後に切り離された。




 発車後、とりあえず荷物を脇に寄せて、検札の前後に室内を撮影。あかつきのソロはベッドが線路と並行に向いている。入口付近の内高は180cm近いが、その他は上の部屋が覆いかぶさり、テーブル近くでは頭がつかえる。室内には20cm×30cm位の折り畳みテーブル、鏡、ハンガー、灰皿、冷房送風つまみ、コントロールパネルが目に付く。コントロールパネルには、目覚まし時計、室内・足元灯スイッチ、暖房や換気扇のスイッチ、BGMがある。BGMは6チャンネルのうち4チャンネル程度、音楽を放送している。施錠はテンキー式。室内にごみ箱は無い。

 撮影や観察をしているうちに新大阪に近づく。

 新大阪のホームは閑散としていて、売店等も近くに見当たらない。階段からホームに下りるところの案内に「九州方面ブルートレイン」との表示が残る。今や新大阪を通る九州ブルトレは2本になってしまった。

 大阪駅は逆に賑わっている。ホームには新快速を待つ人の列があちこちにある。大阪駅のホーム売店で菓子を購入。ここでは弁当も売っているようだった。


菓子を購入して隣の車両から車内に戻る。今日は開放寝台もかなり埋まっている。隣のホームには大阪環状線の電車が発着していた。首都圏では見られなくなった103系電車が健在である。



 大阪を発車してから、折鶴の簡易集計をした。折鶴の繋がっている糸の本数が凡そ34本。1本あたり20羽位として、およそ600~700羽と推測される。


 2124頃、左側車窓の明石海峡大橋について案内放送がある。夜間は30色以上の電球でライトアップされ、別名「パールブリッジ」というそうだ。


マンションなどの建物に頻繁に遮られるが、2、3分の間、室内の明かりを消して、明石海峡大橋のライトアップを眺めた。

京都発車以後、時折車掌が巡回し、ドアを5回ずつノックして検札の終わっていない部屋を回っているようだが、三ノ宮を過ぎても、時折その音が聞こえた。

 2211を回ったところで、お休み放送で、改めて停車駅と停車時刻が案内される。

 車内も落ち着いてきたので、部屋着に着替えてから、京都で買った弁当を食べる。箱の案内書きによると、南北朝時代に吉野に逃れていた南朝の皇族が、献上された鮨を臣下に分けるのに柿の葉を食器の代用にしたのが由来と言う。柿の葉の香りがあり、美味であるが、葉を剥いて醤油をかけるので、いささか食べにくい。個室寝台内なら良いが、新幹線の座席で食べるのには向かないかも知れない。


 この辺りから、駅周辺以外は灯火も疎らになってくる。食休み中の一時、室内灯を消して夜の風景を眺める。

 列車は岡山を定刻に、倉敷を1分遅れで発車した。発車の連結器から来るショックは比較的少ない。特に新大阪発車の際は物音もしないで滑らかに発車した。他の駅では幾分の揺れがあったが、これまで乗った客車寝台の中では、良い方だと思う。走行中の加減速時のショックはあるが、これは自動連結器の性質上、仕方ないのだろう。

 福山を2350定刻発車。レガートシート乗車口付近には数人が並んでいた。

 三原も定時発車。さすがにこの時間になるとホームの人は疎らだ。ムーンライト待ち?と思われる人が1人ベンチで寝ているだけ。この先、なは・あかつきは、下関まで客扱いは無い。

 熟睡とは言えないが、一応寝て、気が付くと下関に到着したところ。ここで関門トンネル用の機関車へ交換のため数分停車。




 発車後に起き出して前方に移動。門司で今度は九州用の機関車に交換されるので、その風景を撮影するとともに機関車の車番を控える。関門トンネル用の機関車はEF81 410、門司からの機関車はED76 92。なぜか客車側にもヘッドマークが付いている。門司到着は定時だったが、連結に時間がかかったのだろうか、発車は2分遅れだった。部屋に戻る際に前方の客車を通ったが、開放寝台の7割程度は埋まっているようで、なかなか盛況である。逆に、なはのソロは空室が幾つか見られた。5時前でまだ外は暗いが、小倉で下車する客が2、3名デッキに立っていた。部屋に戻ってもう一眠り。

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