2006年04月 万世橋駅公開

 交通博物館閉館間近の平成18年(2006年)4月に、万世橋駅遺構の一般公開がありました。


閉館間近の交通博物館 … 背後に201系が通過中


交通博物館メインホール


万世橋駅高架下通路等






万世橋駅ホーム上 … 駅名標が再現されていました。



交通博物館から万世橋駅跡の展望

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2006年03月 東海道線113系と寝台特急「出雲」

  平成18年(2006年)3月18日のダイヤ改正で東海道線東京口から113系が引退しました。また、サンライズと並行して客車で運行されていた寝台特急「出雲」も廃止となりました。その直前、大船駅で113系と寝台特急「出雲」を捉えました。


撤退直前の113系電車は惜別のヘッドマークを付けていました。

113系と211系の並び

大船に入線する上り列車


大船を通過する上り寝台特急「出雲」



ヘッドマークを付けていない回送列車も通過

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2006年2月 除雪列車を追って新潟へ 5日目 - DD15回送列車、雪晴れの上越線

 特雪DD14には出会えませんでしたが、小出で仕事を終えたラッセル車DD15の回送運転を撮影できました。上越線内で運用中のモーターカーなどを撮影して、雪晴れの上越線経由で帰路につきました。

2006年2月 除雪列車を追って新潟へ 4日目 - 未明のラッセル通過、只見線・上越線モーターカー、ガーラ湯沢、岩原スキー場前

只見線を未明に通過するラッセル車の光跡を入広瀬の宿の部屋から撮影。チェックアウト後に入広瀬付近で除雪モーターカーの稼働光景を撮影、上越線でも除雪風景をとりながら移動し、ガーラ湯沢からは在来線を俯瞰撮影。岩原スキー場前付近で宿泊しました。

2006年2月 除雪列車を追って新潟へ 3日目 - 只見線代行タクシー、上越線モーターカー

 

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平成18年(2006年)2月16日(木)

 7時を過ぎてから起床。朝風呂は行わず、すぐに7時半からの朝食へ。朝食も、山菜や焼鮭など、ボリュームがある。8時に部屋に戻り、カメラバッグだけを持ち、8時半頃外出。

 まずは駅方向へ向かうが、小雨が降っている。駅構内では今朝も数人の作業員が出て、除雪作業を行っている。この時間は、線路脇にある雪で詰まった排水溝を棒で掻き回して流れるようにしてから、雪の壁を少しずつ崩して排水溝に流していた。

 ネット掲示板には只見線関連の情報が入っていないが、しばらく跨線橋に立ち、様子を見る。途中、跨線橋近くの川に面した雪捨場での作業を見る。雪を積んだダンプが頻繁に入り降ろして行く雪を、除雪車両が川の方へ押し出している。


 一方、只見線のDD14は今日も現れない様子で、とりあえず940の列車代行タクシーで小出に出てみることにした。駅に戻り、小出までの乗車券を購入。駅は委託運営だが、きっぷはパソコン型の端末で発行。駅事務室の奥には月毎の売上目標と実績が表になっているが、厳しい情勢のようだ。


◎入広瀬 940→1013 小出 列車代行タクシー

 雪国タクシーのロゴが入ったジャンボタクシーに列車代行と小出行のシールが貼ってある。代行タクシーは駅前を定刻に発車。乗客は2名。

越後須原では委託駅員が出てきて、乗客無と伝える。越後広瀬でも運転手が降りて駅舎に向かうと、保線員らしき人が出てきて、乗客無と伝えているようだ。代行タクシーは、各駅前を1~2分早いペースで通る。小出近くでは、病院の近くで下車したい乗客の要望で臨機応変に停車。小出駅での下車は1人だった。この人数だと列車代行もタクシーで十分だった。

 小出駅の待合室でしばらく過ごす。ホーム屋根の雪を線路に下ろし、それをモーターカーのロータリー機能で遠方に飛ばす作業をしていた。相変わらず只見線や上越線のネット情報はない。



◎小出 1121→1139 小千谷  長岡行1731M 115系6両編成3両目=クハ115-1061

 飯山線と分岐する越後川口までの乗車券を買って乗車。ラッセルの出る時間ではないが、モーターカーでの作業でも見学できるかという目論見。しかし、越後川口では人の気配が見られなかったので、そのまま乗り越し。小千谷手前でモーターカーでの作業を見掛けたので、小千谷で下車。

 乗り越し精算をしてすぐに、駅前の通りを左方向に進む。歩道は雪が残っている所が多い。コンビニがある2つ目の信号を左に曲がってすぐの踏切で、除雪作業現場に行き着いた。


 上り線路脇の雪の山を数人の作業員が切り崩し、それをモーターカーのロータリーで飛ばす作業を繰り返していた。前方に回り込んで撮影できる場所を探したが見当たらず、踏切から後ろ姿を撮影した。モーターカーは、結構きれいに雪を飛ばしている。


 



小千谷駅に戻る途中の歩行者専用踏切は1m位雪に埋まり、線路との間が段差となっている。




  小出への列車を待つ間、駅の改札前に佇む。この近辺の駅構内には、今週末に行われる第57回十日町雪祭りのポスターが目立つ。18日には歌手を招いての特設ステージが行われ、ゲストとして堀内孝雄、松浦亜弥、W(ダブルユー)、前田有紀とあるが、Wのところが黒線で消してある。Wメンバーの加護が先週発覚した喫煙問題で謹慎となったあおりで出場辞退した模様。



◎小千谷 1250→1308 小出 越後湯沢行1734M 115系3両編成中間=モハ114-1065

 小出では、ホーム屋根の雪下ろし作業が再開されていた。午前中の3番線は、下ろした雪をモーターカーで飛ばしていたが、今度は1・2番線の間の溝に雪を入れていた。


◎小出 1317→1352 入広瀬 大白川行 列車代行タクシー

 朝と異なり今度は乗客7名。途中で降りる乗客はいたが、途中からの乗客はなかった。雨は降り止まない。当初は大白川まで行くつもりだったが、入広瀬で降りることにした。切符を受け取った入広瀬の委託駅員から、降りる駅を間違えていないか確認されたので、変更した旨答えた。

 直接宿には戻らず、農協のスーパーであんパンと菓子を購入。北側の道から宿に戻った。まだ15時前だ。

 茶を飲んでから風呂へ。入浴後、部屋で休憩しながら窓の外の天候を気にする。天候が回復し、または雪になった場合は再びバスで大白川まで行って夕方の列車で戻ることを考えていたが、雨は止まず、このまま宿に留まることにした。



 再度の外出を止めた代わりに、部屋の窓から列車を撮影しようと考えた。雪の積もった山を背景に、入広瀬1643の434Dと同1710の427Dを撮影。線路脇の雪壁の影響は思ったよりも小さく、列車がはっきり分かる程度に写る。再度入浴し、休憩して19時から夕食。やはり山菜が手前に来る。馬刺が付く。また、鍋物は薄い肉と白菜などと一見地味だが、ニンニクのスライスが大量に入り、こってりした味。

 夕食後、上下の最終列車を、三脚使用で撮影。手前の駐車場を照らすライトが邪魔だが、入広瀬2012の436Dを最小絞りバルブ約40秒、入広瀬2038の429Dはf11の30秒で撮った。撮影中は窓も開けていたので、冷気が部屋に入る。

 食休みをして22時頃からゆっくり入浴。

 入浴後はニュースなど見て休憩。先週末に開幕したトリノオリンピックだが、今のところ日本選手にメダルは出ていない。他は、国会でのライブドア問題に関する論戦や、耐震強度偽装マンションの問題で売り主のヒューザーに対する破産手続き開始の決定がなされたニュース。余り明るいニュースは見られない。

 24時過ぎに就寝。

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2006年2月 除雪列車を追って新潟へ 2日目 - 除雪列車を探して只見線と上越線

夜行快速「ムーンライトえちご」で長岡まで乗車してから小出まで戻り、只見線沿線と上越線を行き来しながら除雪列車の行方を追い求めてから入広瀬で宿泊しました。

2006年2月 除雪列車を追って新潟へ 1日目 - ムーンライトえちご

 平成18年2月新潟旅行

 前年度取得できずに繰り越していた勤続10年のリフレッシュ休暇を利用して、只見線や上越線の除雪列車撮影を目指して新潟県へ出掛けました。この時代には既にインターネットの掲示板が広まり、除雪列車の目撃情報を外出先で閲覧することもできるようになっていました。今回の旅行は乗りつぶしではなく、目撃情報を見ながらの列車撮影なので、往路の「ムーンライトえちご」、宿は只見線の入広瀬に2泊と上越線岩原スキー場前に1泊予約した他、日中の行動は臨機応変としました。


平成18年(2006年)2月14日(火)

 

自宅で夕食後、東逗子駅へ。東逗子駅脇では、コンビニのスリーエフの建設工事が進んでいる。今月23日に開業予定。

列車までまだ時間があり、駅の券売機でグリーン券を購入。横須賀・総武快速線にグリーンSuicaシステムが導入されるのは3月18日からの予定で、まだ磁気グリーン券が必要。


◎東逗子 2130→2149 大船  東京行2190S  E217系11両編成 5号車=サロE217-28

 逗子では増結はないが時間調整で4分停車。隣のホームには、先刻到着したばかりのホームライナー逗子が停車している。長らく183系で運用されていたこの列車も、昨年12月から新型のE257系に代わった。5号車1階は大船まで貸し切り状態。大船近くになって車内改札がある。大船乗り換えの旨を伝えると、グリーン券はそのまま返される。

 大船では同じホームでの乗り換えだが、一旦エスカレーターを上り、北口改札内コンビニで栄養ドリンクを購入。北口改札と、駅構内店舗Dila大船は、今月オープンしたばかり。店舗内で焼いている(その様子をショーウィンドウで見せている)パン屋や、カフェを併設した書店など、この時間も営業している。乗り換え時間が短いので、すぐにホームに戻る。


◎大船 2153→2245 新宿 小金井行1820E E231系15両編成 5号車=サロE231-1008

 大船を発車して間もなく車内改札がある。ただし、座席の改札ランプが緑になったのは東戸塚付近だったか。品鶴線に入り、車内販売が回った。

 途中駅のホームの喧噪を他所に5号車の1階席は概ね空いていたが、渋谷で多数の乗車があり、新宿で下車すると、入れ違いでの乗客でほぼ満席になったようだ。新宿のホームでは、グリーンアテンダントの交代が行われていた。

 7番線に移動。中央線で事故があったらしく、高尾以遠で運転見合わせをしていたが、間もなく復旧するようだ。


◎新宿 2309→翌339 長岡 ムーンライトえちご 新潟行快速3720M 485系6両編成 最後1号車=クロハ481-1029 普通席指定6D=右窓側

 2号車から6号車までは、D列が右側だが、1号車だけA列が右側になる。小出で右側の側線の様子を眺めるため座席変更をしていた。

 列車は発車20分位前に入線していたようだ。後方の写真を撮影してから乗車。

 発車前だが、車内改札がある。同じホームの反対側は中央快速線が出入りしているが、こちらの車内は閑散としている。やがて発車時刻になり、新宿を定時発車。

 半室グリーンの普通席は定員36人だが、池袋発車時点で乗客3人。車内は暖房が効き、暑いくらい。

 大宮発車後の車内放送をもって長岡まで放送休止。車内は減光となったので、時折体勢を変えながら休む。高崎には定刻より2分早い045着。

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横須賀線から中央快速線へのグリーン車乗継不可

 2024年12月13日付けでJR東日本の2025年3月15日ダイヤ改正が発表されました。

在来線関連のトップに、中央線快速・青梅線でのグリーン車サービス開始を掲載しています。2024年10月から順次グリーン車が組み込まれ、この間はグリーン料金不要のお試し期間となっていますが、本営業の開始日が決まった訳です。

そのグリーン料金一覧の下に小さな文字で以下のように注記しています。

• 下記のご利用の場合、1枚のグリーン券ではお乗り継ぎいただけません。それぞれのご利用区間に有効なグリーン券をお買い求めください。 

1)東京駅または新宿駅で、中央線快速と他線区とをお乗り継ぎの場合

2)立川駅で中央線快速(八王子・高尾・大月方面の各駅)と青梅線内の各駅とをお乗り継ぎの場合

即ち、中央快速線と横須賀線や湘南新宿ラインのような他線区のグリーン車は、1枚のグリーン券で乗り継ぎができないということが判明しました。

JRのグリーン車は原則として列車ごとにグリーン券が必要ですが、首都圏エリアの普通列車(快速を含む)グリーン車は、改札を出ないで「同一方向」に乗り継ぐ場合は、1枚のグリーン券で乗車できる特例があります。

この「同一方向」の定義が複雑で、時刻表の営業案内ページを読み解くと、現在、同一方向ではないため1枚のグリーン券で乗り継いで乗車できない区間は、以下のとおりです。

大宮駅で土呂以遠(東北本線)と宮原以遠(高崎線)の乗継

赤羽駅で十条以遠(赤羽線)と東十条または尾久以遠(東北本線)の乗継

千葉駅で本千葉以遠(外房線)と東千葉以遠(総武本線)の乗継

佐倉駅で南酒々井以遠(総武本線)と酒々井以遠(成田線)の乗継

蘇我駅で浜野以遠(内房線)と鎌取以遠(外房線)の乗継

品川駅で西大井以遠(通称品鶴線)と大井町以遠(東海道本線)の乗継

品川駅で高輪ゲートウェイ以遠(東海道本線)と大崎以遠(山手線)の乗継

横浜駅で川崎以遠(東海道本線)と新川崎以遠(通称品鶴線)の乗継

熱海駅で函南以遠(東海道本線)と来宮以遠(伊東線)の乗継

上野駅で尾久以遠(東北本線)と三河島以遠(常磐線)の乗継

東京駅で神田以遠(東北本線)と新日本橋以遠(総武本線)の乗継

ただし、大船駅で藤沢以遠(東海道本線)と北鎌倉以遠(横須賀線)の乗継は1枚のグリーン券で乗車可。


例えば、常磐線の水戸から東海道本線の熱海までは1枚で乗継可能ですが、高崎から千葉へ行くときは2枚のグリーン券が必要ということです。東逗子発の視点で改めて考えると、東逗子からはかなり広範囲に1枚のグリーン券で乗り継ぎができています。伊東や高崎、水戸、成田空港など、通常の経路で乗り継げば、普通列車グリーン車連結区間はどこへでも1枚のグリーン券で行けます。(東逗子から川崎へ行くのに横須賀線列車で品川まで乗車してから東海道線列車で戻ってくるような乗継は不可ですが。)

そのような中で、東逗子から八王子や大月までグリーン車で行くときはグリーン券が2枚必要になるのは、少し残念な気がします。


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2005年12月 改装前の東京ステーションホテル

夕方まで神田の鉄道博物館を見学した後、東京ステーションホテルに宿泊しました。

東京ステーションホテルは東京駅開業翌年の大正4年(1915年)の開業。昭和20年(1945年)の空襲で大きな被害を受けて休業、昭和26年(1951年)に営業再開。平成15年(2003年)に東京駅丸ノ内駅舎が国の重要文化財に指定され、本格的な復原工事のため平成18年(2006年)から休業し、復原工事完成後の平成24年(2012年)に再開しています。

宿泊したのは復原工事に伴う休業前。丸ノ内南口ドームに面したシングルルームでした。


 平成17年(2005年)12月18日(日)

丸ビルから望む東京駅丸の内駅舎。復原工事前の2階建(ホテルのあるドーム部分だけ3階建)角ドームの姿です。


東京ステーションホテル入口


ロビーには創建時の丸の内駅舎の模型も


ロビーから階段を上がり

泊まったのは3階ドームサイドの319号室



廊下から部屋を通して南口ドームが見えました




部屋から見下ろす東京駅丸ノ内南口


平成17年(2005年)12月19日(月)

ホテル廊下から皇居側を望む



朝の皇居前散歩


部屋から見下ろす、朝の丸ノ内南口


チェックアウト後に再び丸ビルから望む丸ノ内駅舎


八重洲側から望む東京駅。新丸ビルが建設途中でした。

丸ノ内中央口と東京ステーションホテル


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