2006年09月 北海道 2日目後半 - 石北本線常紋トンネル工事殉難者追悼碑、釧網本線
新十津川からバスで滝川に抜けて、特急オホーツク3号で留辺蘂まで乗車してから金華に取って返して、常紋トンネル工事殉難者追悼碑に参詣しました。子どもの頃に読書感想文の課題図書で読んだ『北海道の夜明け』でタコ部屋の話を知り、一度は訪問したいと思っていたところです。工事殉難者追悼碑は金華駅から徒歩で行けましたが、平成28年(2016年)に金華が信号所になって客扱いが廃止されたので、現在は車でないとアクセス困難です。
追悼碑参詣後は網走で乗換えて釧網本線で川湯温泉まで行って泊まりました。
2日目前半平成18年9月8日(金)の続き
◎滝川 1037→1359 留辺蘂 オホーツク3号 網走行 特急13D キハ183系5両編成 2両目増1号車=キハ182-23
通常期は4両編成だが、途中に1両増結されている。そのためか、車内はかなり空いている。この車両については10人前後だ。
晴れた空の下、黄色く色付いてきた田園の中を淡々と走る。
神居古潭の長いトンネルを抜けて伊納を通過。旭川手前では高架工事中のためか、しばらく徐行していた。旭川で5分停車。その間にホームで駅弁「蝦夷わっぱミックス」を購入。
旭川から上川までノンストップ。風景に山間部の割合が増えてくる。石狩川を渡るが、新十津川で渡った時よりも川幅が狭くなっている。狭い河川敷も、草深くなっている。
各地で高速化改良工事が行われている中で、石北本線は目立った高速化はされていない。勾配もさることながら、カーブが急であること、駅のポイントの通過側が直線化(いわゆる一線スルー化)されていないことから、速度がなかなか上げられていない。ロングレールも使われていないため、25m毎にレールを刻む。
1202に上川発車。車内放送によると、これから先、鹿が出没しているため急停車することがあるとのこと。いよいよ人跡疎らな山中に入る。上川から石北峠の前後にあった中越、上越、天幕、奥白滝の各駅は、利用者がほぼゼロということで数年前に廃止されてしまった程だ。信号所としての設備は残っているらしいが、客扱いのある駅は34kmもの距離が空く。
沿線は川と道路が平行している。時折、渓流の景色が楽しめる。途中、高速道路と思われる大規模な道路工事の現場が見えた。旭川から網走方面へ高速道路ができる時には、石北本線も高速化改良工事が必要になってくるのではなかろうか。
1215頃から中越信号場で特急交換待ちのため6分停車。ホームは無くなっているが、建物は残り、保線係らしい作業服を着たおじさんが出入りしていた。看板も何も無いので、信号場の名称が分からなかったが、発車後しばらくして振り返って見た信号予告板で判明。中越での運転停車中に回ってきた車内販売で、生田原のアイスクリームを購入。
中越・天幕間でも、高速道路工事の威容がたまに見える。 1230に通過した上越信号場は、看板が残っていた。ポイント部分はシェルターに覆われている。
天幕信号場には気付かず、長い石北トンネルを抜けて下り坂になった。奥白滝信号場を過ぎて白滝駅に至って人家が見えるようになる。平坦となった線を高速走行する。
しばらく寝て過ごす。途中、遠軽で一旦起きて座席の方向転換。ここからはスイッチバックで進行方向が変わるため。
生田原近くで起きる。ここから次に通過する金華までの常紋越えに入る。タコ労働者を使った無理な工事で3桁もの犠牲者が出た区間だ。再び人跡希な山中に向かう。これまでの旅行で石北本線を利用した時と同様、常紋トンネル進入時に黙祷をする。トンネル通過直後にある常紋信号場は使われなくなって久しく、スイッチバックの引込線に生える草の背が高かった。
信号場を通過してゆっくりと峠を下り始めた辺りの左車窓に、トンネル工事犠牲者を祭った歓和地蔵がある。線路際を想像していたが、1、2メートル高い位置にある。
金華通過の際に右側の車窓に目を凝らすと、駅のすぐ近くから階段を上った所に常紋トンネル工事殉難者追悼碑が何とか見える。駅との位置関係が事前には分からなかったのだが、あの位置ならば駅からすぐ往復できそうだ。
金華を過ぎたので下車準備。留辺蘂で下車して金華に向かうのだが、どのようにして効率よく行って来るかが問題だ。留辺蘂には13時58分半に2番線に到着。遠軽行の普通列車が向かい側3番線に停まっていればすぐに乗り換えられるのだが、駅舎側の1番線に停まっているのが見えた。
乗り換えの跨線橋は一番前にあった。
◎留辺蘂 1359→ 1409 金華 遠軽行4662D キハ40系2両編成ワンマン 後車=キハ40 729
跨線橋を全力で駆けて、隣のホームへの1分未満の乗り継ぎに何とか成功。乗り継ぎができない場合はタクシーの利用を見込んでいたが、これで最も効率よく金華を訪問できる。
運転席の時刻表では金華1409着予定だが、実際には1分早く着いた。駅舎にある案内板では、工事殉難者追悼碑まで300mとのこと。まず、駅舎を撮影。駅前から国道に接続する短い通りの左手には、廃屋や、使っているかどうか分からない公会堂がある。右手には卵直販という看板のある畜産農家のようだが、臭い上にたくさんの犬が鎖に繋がれていて、一斉に吠え出してうるさい。100m余りの通りは国道に突き当たり、右手に北見バスのバス停がある。そのすぐ先に、追悼碑入り口の案内板がある。階段と坂道がある。階段の方が短距離だが、坂道を少し迂回すれば車でも追悼碑前まで上がれるようだ。
階段を上がる。正面に山を背にして追悼碑がある。樹木の間から眼下の線路が見える。線路側には、金華小学校跡の石碑もある。
追悼碑に参拝。北海道の道路・鉄道工事では多くの場所で当初は囚人、その後はタコ労働者が酷使され、そのまま埋められている犠牲者が夥しいと言う。この追悼碑は常紋トンネルの工事殉難者を対象とするものだが、全道で行われた同様の事件を象徴している場所でもある。北海道を含めて鉄道旅行を趣味としている上で一度は訪問したいと思っていた所だ。歓和地蔵などは、さすがに車でないと訪問できない場所だが、ここは駅から近い。
参拝後、追悼碑を中心に撮影。
下り列車が到着する時間になり、金華小学校跡の石碑を入れて撮影。下り列車はしばらく金華に停車しているので、もう一度追悼碑に手を合わせてから、ゆっくりと駅に戻った。
また犬が吠えている。最近、金華折り返しの列車(新設された西留辺蘂への列車を設置するのに、同駅では折り返しができないので、交換設備のある金華まで運行しているということらしい)ができて少し便利になった筈だが、これだけ寂れているのは何故だろう。鳥農家の臭いと騒音だろうか?それとも単に留辺蘂の中心地から離れて不便だからだろうか。
◎金華 1426→1610 網走 網走行4665D キハ40 716単行ワンマン
金華で乗車した時は空いていたが、西留辺蘂から高校生の一団が乗車。その後、幾つかの駅で入れ代わりながら、美幌まではやや混んでいた。
留辺蘂以降に峠と言える峠は無いが、美幌を出ると畑や林の間を縫って走る。女満別の駅周辺は洒落た作りで開発されていたが、駅間は農地すら希な山林である。
呼人を出て、左手に網走湖が見えてきた。呼人・網走の1駅区間は長く、網走間近になってようやく人家が広がってきた。
網走では、列車折り返しのために、サボの取り替えや車内清掃、増結作業が次々と行われていた。跨線橋を渡って2番線に移動。
◎網走 1615→1825 川湯温泉 釧路行4739D 2両編成ワンマン先頭=キハ54 523
2両編成で後ろはキハ40だが、途中の知床斜里で切り離しのようだ。先頭のキハ54は簡易リクライニングだが、集団見合い式の配列で、向きの変更はできない。
1駅目の桂台で、下校する高校生がこれまでになく多数乗車。しばらく停車していたが次々と乗り込んできて、後ろの車両へ移動して行った。(ワンマン列車なので、先頭のドアからしか乗車できない。)時刻表を見ると、網走・桂台間は他の列車だと概ね3分なのに対して、この列車だけ交換でもないのに5分となっている。どうやら通学客の大量乗車を見込んで、この列車だけは停車時間の長いダイヤにしているようだ。
桂台を出ると少し海岸線を走る。港にやや大きめの客船が停泊している。藻琴駅の喫茶は列車からも様子が窺える。鉄道部品を陳列した店内。8年前の冬に一度利用したことがある。次の北浜にも喫茶店がある。ここはオホーツク海に一番近い駅であり、水平線を見ながら原生花園へ進む。この時期の原生花園は、車窓から見る限りは彩りが少ないようだが、それなりに観光客が来ているようで、日中は駅員もいて、入ってくる列車に手を振っている。
浜小清水で上下交換のため3分停車。駅舎は一部2階建の立派な造り。8年前に流氷を撮りに来た時に下車した時の記憶とは印象が異なる。まだ新しいようだ。
知床斜里では切り離し作業のため25分停車。この停車時間を利用して一旦駅の外に出てみる。この駅は平成6年の夏に訪問したことがある。当時の駅名は斜里だった。昨年、知床がユネスコの世界自然遺産に指定されたこともあり、ポスターなどで、世界遺産知床への玄関口をうたっている。一方で知床五湖以遠への自動車規制や、カムイワッカ湯の滝の一部入場規制など、窮屈な点が増えているようだ。
平成6年に宿泊した駅前ホテル斜里館は健在。近くにコンビニがあるのも変わらず(店の名前が同じかどうかは覚えていない)、ここで今夜から明日の飲料などを仕入れた。
駅に戻る。知床斜里で多数の観光客が下車したが、別の観光客が入ったので、混み具合は変わらず。進行方向前向きの席は埋まっていたが、先刻と同じ場所が空いていたので、そこに着席。
列車は知床半島の根元を横切るため、ここからは陸の景色になる。空は曇っているが、雲の切れ間が一部だけ夕焼け色になっている。
だんだんと山深くなり、日も暮れてきた。緑を発車する頃には真っ暗になった。緑の前後で、じゃらんネット経由でようやく明日の札幌の宿が取れた。
走行中の列車は警笛を頻繁に鳴らしている。昼間オホーツクの車内放送で言っていたように鹿でもいるのだろうか。緑から長い峠を越えて、川湯温泉に到着して下車。ここで下車したのは自分を含めて3人。この時間は駅構内の喫茶も閉まっている。人気が無いと思ったらバスのエンジン音が響いた。川湯温泉街行の最終バスである。乗客は見当たらない。今回泊まる宿は駅から徒歩すぐ(温泉街からは離れている)なので、バスには乗らない。
駅から5分近く歩き、国道に突き当たった正面に、今夜泊まるホテルパークウェイがある。ペンション風の外観はホームページで見ていたが、大きな駐車場があり、大型バスが何台も停車していたのは意外だった。
正面のドアから入ると、そこは併設レストランの「麓」(ふもと)。宿の入り口は側面(駐車場側)だった。 入るとレストラン側から人が出てきて、すぐに受付してくれる。同時に館内の説明もある。
夕食はすぐでもできるが風呂を先にするか聞かれ、1915からとした。30分余りある。
1階の110号室。部屋は6畳の和室で、鏡台はあるが、洗面はない。ポットと給茶道具一式がある。駐車場の音が気になったが、そのうちにバスもエンジンを止め、国道を通過する車の音だけになった。
奥の大露天風呂の様子を伺うが、誰もいない様子。とりあえず内風呂と内風呂に隣接する露天風呂に入る。こちらも他に人はいない。しかしポンプが湯を回す音が定期的に響き、誰かいるかのような音になる。
19時15分を回り、併設のレストラン麓に行く。ちょうどフロントには団体客が到着したところ。フロントを横切った所からレストランに入る。グループ毎にテーブルがセットされているが、最初は自分の部屋のテーブルが見当たらず、フロントの人に聞いたら、奥の方にあった。
着席すると程なく鍋に火を点けてくれる。摩周鯛(鯛に似た魚を温泉自家養殖したもの)の刺身、ラム肉しゃぶしゃぶがメイン。1時間余りかけて食べる。後からてんぷらも出るが、食べ切れなかった。
食休みの後、22時前後に内風呂と大露天風呂に入る。内風呂を出る頃に入れ違いで2人入った。
大露天風呂は駐車場の裏手に入っていく感じで、門がある。大露天風呂は中央に大きな岩があり何となく男女間を仕切っている。両脇にプレハブの脱衣室があるが、窓が大きく、風呂からも見える。
大露天風呂の湯は大変熱く、1、2分浸かったら縁で3分位休むのを繰り返す。
部屋に戻って休息。寝る前にもう一度入浴しようと思っていたが、疲れたので寝ることにする。2420就寝。
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