2007年04月 鶴見線・武蔵野線・ディズニーリゾートライン他

平成19年(2007年)の春を迎え、前年から再訪問を始めた神奈川県内と首都圏の鉄道再訪問を再開しました。この日は鶴見線、南武線、武蔵野線、ディズニーリゾートラインを訪問しました。この当時の鶴見線・南武線・武蔵野線は205系で、ディズニーリゾートラインは2001年開業時のType X車両で運転されていました。鶴見駅には乗換改札が残っていました。

2007年03月 東北 3日目 鳴子から新庄経由での帰路

 仙台空港アクセス線とくりはら田園鉄道を訪問して鳴子温泉に宿泊した翌日は、新庄回り山形新幹線経由で帰京しました。

2日目後半

平成19年(2007年)3月19日(月)

 6時を過ぎてから起床。黒湯へ行く。

湯上がりに宿の人に朝食の時刻を聞くと、8時からとのこと。それならばもう一度入れる。少し休憩してからもう一度。8時に朝食。場所は昨日の夕食と同じ部屋。暖房が効いている。

 朝食後、9時過ぎに最後の入浴。10時少し前にチェックアウト。

鳴子御殿湯1001の古川方面の列車があるので、駅付近を回り、撮影場所の検討をつけ、やってきた列車を撮影。

更に東鳴子温泉の通りを散歩して、売店で名物というなるまん(栗が入った温泉まんじゅうみたいなもの)を試食の上、2個だけ購入。




◎鳴子御殿湯 1046→1206 新庄 新庄行4725D  キハ110系4→2両編成先頭=キハ110-242

 橋を渡って鳴子御殿湯に到着する列車を撮影。4両編成のうち後ろ2両は次の鳴子温泉で切り離しのため、2両目に着席。

 鳴子温泉では切り離し作業のため10分余り停車。その間に一旦改札を出て、駅前を眺めたり、端末機用の電池を買ったりする。駅前には足湯ができている。駅舎内はイベント用なのか、半円形のステージがある。

 列車に戻ると、2両目は混んでいたので、先頭車両の一番前に移動。前方をたまに長めながら行く。最前部には、保線の係員が2人添乗している。

 最初の1駅区間の鳴子峡は短時間しか見えないが良い景色。中山平温泉を過ぎると渓谷が平原に変わってきたが、降雪が激しくなった。



先程、鳴子温泉駅前を眺めた時には降っていなかったが、視界が白一色になる程に吹雪である。2人いた保線員のうち1人は赤倉温泉で下車。新庄到着時も雪は激しく降っていて、側面の窓は曇っている。

 新庄駅のホームは、改札の両脇に櫛型ホームが伸びていて、階段の無い配置となっている。改札内には飲食店は無く、とりあえず改札を出る。山形新幹線の終着駅だが、有人改札が2ラッチだけである。吹き抜けの広い改札前スペースの左手に売店・みどりの窓口、待合室の奥にはコンビニもある。右手は多目的ホールと物産館、最上体験施設、2階に会議室もある。飲食店が2つ入っているが、1つは定休日、もう1つはピザ店。

 2階の連絡通路はフローリング張りのギャラリーとなっている。昼食時だが、気に入った店がなく、雪の中、駅前を少し歩くが同じ。とりあえずコンビニで栄養剤と携帯食を買って、多目的ホールで食べる。

 改札近くには指定券の券売機がある。座席表から席番指定で購入できるもので、試しにこれから乗るつばさの12号車の座席図を開く。手元の指定券は12号車11Dだが、隣の11C席は東京まで空いていることが分かった。

 1239着のつばさ109号が4分遅れとの構内放送がある。そのつばさが到着したようなので、改札を通る。つばさ118号はつばさ109号の折り返しかと思っていたが、別途1番線に入るらしく、乗務員や販売員が待機している。

◎新庄 1316→1656 東京 つばさ118号 東京行新幹線118M→118B E3系7両編成 12号車=E326-1001

 つばさ118号は1200に入線した。折り返しではないので、すぐに乗車できる。発車まで車内で待つ。発車前から車内販売が回り始めた。弁当も売っているようだが、途中入荷のものもあるらしいので様子見とする。

 列車は定刻に新庄を発車。1分もしないうちに右手に広い雪原が広がる。山形農業大学校の表示が雪原に出ている。

 さくらんぼ東根まで来る頃には雪は止んでいる。地上の積雪も無い。さくらんぼ東根駅ホームには「さくらんぼ生産日本一」の看板。枝を短くカットされた低木の並ぶ畑が続いているが、さくらんぼの木だろうか。

 山形から、かなりの数の乗客が入る。隣の席はまだ空席だが、近くの席で、新庄でチェックした際には空席だったところでも乗客がいる。直前に売れた席もあるようだ。

 山形発車直後に回った車内販売は、弁当らしきものは積んでいないが、土産物に峠駅で有名な峠の力餅が見えた。新幹線でも売っているとは知らなかった。

 かみのやま温泉を過ぎると、また雪景色になった。これから、米沢を通って板谷峠に向かうので、更に雪深くなりそうだ。同じ山形県内でも、少し走っただけで大きな違いだ。 

 赤湯で、隣の席が埋まった。米沢の手前ではまた雪が少なくなったが、米沢を出て板谷峠に入ると、また雪が降りだし、積雪も深くなった。時折33.3パーミルの勾配標識が見える中、下りの線路が埋まりかけているのが見える。峠の途中でスノーシェッドに守られた赤岩や峠などの駅には人影が見当たらない。

 板谷峠を下っている途中で、車内販売が回ってきた。米沢で仕入れたばかりの駅弁「牛肉どまん中」を購入して、早速食べる。まだ暖かい。

 板谷峠を下りると、降雪は続くが積雪は無くなる。福島に到着したころには、その降雪も止んでいた。列車は下りホームに入り、前方のやまびこに連結。

 福島を発車してから転線して上り線に入る。ここからは雪の無い平野部を南下。大宮辺りまで寝て過ごす。

 東京に到着し、乗り換え改札を通り、一旦丸ノ内中央口から外に出る。東京駅の丸ノ内駅舎は復原工事の期間に入っているはずだが、外観上の変化はまだ見られない。

 昨日からパスネットの利用が開始されているので、試しに地下鉄丸ノ内線の東京駅へ行き、記念パスネットがまだ残っているか尋ねたが、既に売り切れの様子。横須賀線ホームへ行く。


◎東京 1725→1837 東逗子 久里浜行1651S E217系11両編成 4号車=サロE216-26

 この列車の1本前の成田エクスプレスは1820発だが、扉を閉めた後、なかなか発車しない。横から見ると、側灯が1箇所点灯したままになっている。ドアセンサーの不具合の様子。応急措置をして10分遅れで発車していった。そのため、同じホームからの久里浜行の到着までホームで並んで待つ。

 グリーン車1階はほぼ新橋までに満席となる。西大井辺りで回ってきたグリーンアテンダントは、販売用飲食料の篭を持ちながら検札している。

 新川崎辺りで外は暗くなった。列車は高速で走行するが遅れは縮まらない。横浜発車時は依然として10分遅れ。大船の停車時間を圧縮して7分遅れになる。

 鎌倉駅ホームを見ると、エスカレーターが稼働していた。この週末の間に工事が完了したようだ。

 逗子駅のエスカレーターとエレベーターには、まだ囲いがある。逗子駅もすぐに発車して3分遅れで東逗子に到着。コンビニに寄ってからタクシーで帰宅。

2日目後半

目次へ

2007年03月 東北 2日目後半 - くりはら田園鉄道 廃線2週間前の賑わい

 新しく開業する鉄道がある一方で、長い歴史に終止符を打つ鉄道もあります。仙台空港アクセス線開業初日の朝に仙台空港を往復しましたが、同じ日に、月末で廃線となるくりはら田園鉄道を訪問しました。

2日目前半へ

平成19年(2007年)3月18日(日)続き

◎小牛田 849→914 石越 一ノ関行525M 701系2両編成ワンマン

 仙台方面から来た電車はここからワンマン運転。最初の3駅は有人駅。ロングシートの車内は満席に近い程度。石越は駅員がいるので、乗車券は改札で手渡す。駅の出入口の掲示で、くりはら田園鉄道が多客で遅れが出ているため、JRとの接続が厳しくなることがあるということで切符の事前購入を勧めている。

 JRの石越駅と、くりはら田園鉄道の石越駅は、向かい合って建っている。


 くりはら田園鉄道は、以前は栗原電鉄という名称で電車運転をしていた。学生時代に、当時の栗原電鉄を往復乗車している。当時「栗電」と略称されていたが、経営難で第三セクターに移行すると同時に電気設備更新の経費を浮かすためディーゼル運転に切り替わった。電車運転でなくなったため「栗原電鉄」から名称変更しなければならなくなったが、これまで使われた略称を生かす意味もあって、現在の名称になったらしい。「くりはら田園鉄道」ならば略して「くり田」→「くりでん」として同じ呼び名になる。

 「くりでん」の石越駅に行くと、ちょうど列車が出るところだった。この時間の列車は無く、回送列車だ。石越での折り返し時間が長いので、一旦2駅先の車庫がある若柳へ入れるようだ。

 くりでん石越駅舎内では、様々なくりでんグッズを売る出店があった。平成13年に無人化されたという石越駅だが、記念きっぷや書籍、DVDなどが並び、傍らのモニターでくりでんのDVDを放映している。

 駅裏にバス乗り場があり、940の若柳行があるが、先行してタクシーで若柳駅に移動する。運転手の話では、鴬沢辺りで栗駒山をバックにすると良い風景らしい。

 若柳駅の駅舎内も人が多い。待合室に写真などが展示されている。ここには車庫があり、くりでんのディーゼルカーが数両止まっているが、電鉄時代の電車も並んでいる。ただし、1両は改札外で自転車置き場として使用されていて、他の車両も傷みが著しい。廃車後は特に塗装の塗り替えもしていないのだろう。





 くりでんにはタブレット閉塞と腕木式信号機が残っている。ただし、石越・若柳間と栗駒・細倉マインパーク前間はスタフ閉塞のようだ。若柳にも腕木信号があるが、出発信号機は無く、場内信号機だけのようだ。腕木信号のある風景を撮るべく、踏切へ行くが、腕木を正面から捕えられる場所までは行けず。石越へ再度回送されていく列車を後ろから撮影して若柳駅に戻る。駅の窓口で細倉マインパーク前までの乗車券を購入。往復するのかどうか聞かれる。どうやら細倉アインパークが無人駅で切符を販売していないためだろう。

 改札を通り、駅員が場内信号機を梃子で操作するのを見学。タブレットは折り返し使用なのか、通票閉塞機を扱う様子は無い。

◎若柳 1022→1104 細倉マインパーク前 細倉マインパーク行 2両編成 先頭=KD952


 定刻より少し遅れて入って来た列車は大混雑。ここで下車する人は車内をかき分けて降り、その後で更に多くの乗客が乗り込む。ようやく発車するが、車中は都心の通勤ラッシュのようだ。仙台空港線の開業一番列車よりも遥かに高い混雑率(定員は異なるが)。

 ワンマン列車の車内アナウンスは、女性の声が一般的だが、中年の男性の声だ。なかなか味がある。車内の案内表示によると、この列車はOhバンデス号と言って、くりでん応援クラブとミヤギテレビの番組が提携して企画した列車とのこと。沿線の小学生が描いたくりでんの絵が飾られ、車内放送の声は歌手の佐藤宗幸。

 沢辺は上下列車の交換駅だが、上り列車が8分遅れとのことで、しばらく停車した。混雑は変わらないまま、列車は山間部に入り、冠雪した栗駒山を正面に見据えながら進む。やがて旧細倉駅跡を擦り抜けて、終点の細倉マインパークに着いた。


 くりでんの終着駅ではあるが、無人駅。旅客整理に臨時に配置された職員はいるようだが、精算は運転席のみのため、全部の乗客が下車するまで時間がかかる。これが折り返しに時間がかかり、遅れを発生させる一因になっているようだ。

 ようやく折り返して行く石越行列車が旧細倉駅を通過していく後ろ姿を望遠で撮影。

 細倉マインパーク駅に戻る。広くない駅舎の中ではくりでんグッズ販売の出店があった。駅前には貨物輸送を行っていた時代の電気機関車と貨車が保存されている。細倉マインパークへのシャトルバスが止まっていたが、やがて発車していった。

 道路沿いに少し栗駒方面に戻り、旧細倉駅を見に行く。ホームは朽ちた状態で残っているが、駅舎は売却されたらしく、何か会社名が表示され、締め切られていた。

 細倉マインパーク駅前の蕎麦店は閉まっているが、道路に面したラーメン屋は営業している。細倉駅から戻り、ここで昼食。混雑していて相席。ラーメン500円を注文。何と無く蟹の臭いがするが、見た目は普通。

 食べ終わって、細倉駅前のバス停でバスを待つ。列車は1212だが、遅れ気味のため、これに乗って予定通り沢辺で1列車遅らせて撮影すると、石越でJRに接続しないおそれが出てきたから、ここを通る栗駒駅行のバスでもう1つの交換駅である栗駒駅に先行して沢辺の代わりに栗駒で撮影して、予定より1本早く石越に戻ろうという考えだ。


◎細倉駅前 1203→1231 栗駒駅 ミヤコーバス 宮城200か・166

 バスは2分遅れて1205頃に乗車。


 1215頃、鴬沢か鴬沢工業高校前を通過中の列車を遠方に見る。10分ないし15分の遅れのようだ。運転席の時刻表では、栗駒駅前が1231で、1227の列車には間に合わない計算だが、列車の遅れ具合から見て、十分追い付きそうだ。

 バスは栗駒駅に1233頃到着。コンクリート造のようだが、古めかしい外観で、駅舎の表示が平仮名で「くりこま」とある。案の定、駅舎内にはまだ列車を待つ乗客で混んでいる。石越までの乗車券を購入。若柳と同様に、硬券のきっぷだ。程なく、石越行が12分遅れで細倉を出たという案内があり、改札の扉が開く。外は冷たい風が吹く。

 ホームは駅事務室から構内踏切を渡った1面2線だが、現在は片面しか使っていないようだ。しかし閉塞の境は残っているようで、タブレットキャリアを肩にかけた駅長が駅事務室に立ち、列車を迎えようとしている。


ところが、列車はなかなか来ず、やがて一旦事務室に引っ込んだ駅長がホームに来て、遅れを21分に訂正と乗客に案内。半分くらいの乗客は駅の待合室に戻る。

 しばらくして、踏切の警報が遠くで鳴り始め、再び列車到着の案内がある。


◎栗駒 1227→1256 石越  石越行  KD953単行ワンマン

 栗駒を発車したのは1250頃だったか。今度は1両編成。とりあえず乗らなくてはいけないので、タブレット交換の撮影どころではない。


 今度は普通のワンマン用の車内放送。最初は前の方に立つが最前部にも人が多く、見通しは悪い。


 沢辺で多少の乗客の入れ代わりがあり、その機会に後ろへ移動。鉄道旅行漫画である「鉄子の旅」とタイアップしたクイズ企画もあるようだが、引き換え場所が栗駒駅近くの施設に限られているようだ。そこでは期間限定で、くりでんの歴史を展示しているという。

 終点の石越には25分遅れの1321に到着。無人駅の精算のため、前のドアしか開かず、全員下車するまで5分近くかかった。





 くりでん石越駅舎内では、朝に見たくりでんグッズの他に、乗車券も売り始めたようで、駅の制服を来た係員がいた。

下車駅での精算が減って遅れを抑える効果が期待できるが、どうせなら集札を後部ドアで手伝うようにすれば更に効果があると思う。そこまでは考えが及ばないのだろうか。


乗客を降ろしたくりでんは、若柳へ回送されていった。若柳まで客扱いすれば利用者はあると思うが。

 1405になり、定刻ならばくりでんの到着する時刻だが、前の列車の遅れを引きずっていると思われ、姿を見せない。くりでんホームに人が集まっている。

 心配したとおり、石越1416の東北本線上りに、くりでんの接続は無かった。1本早くして正解だったようだ。


◎石越 1416→1446 小牛田 岩沼行536M  701系2両編成 後車=クモハ701-1512

 混雑したロングシートの電車。小牛田まで立つ。小牛田手前で何度か停車。前に止まっている車両に連結するらしい。連結終了後にドア扱い。

 小牛田駅の2つのホームにある売店だが、今着いた上りホーム側のものが若干広いように見える。ここでスイカを使用して茶菓を購入して、陸羽東線の出る下りホームの待合室へ持って行って昼食。

 鳴子温泉行は1番線に1518入線した。


◎小牛田 1537→1652 鳴子御殿湯 鳴子温泉行1737D キハ110系2両編成 前車=キハ110-242

 古川で20分以上停車するダイヤとなっている。一旦改札を出ると、土産物の店が並んでいたので、ここで土産物を揃えた。

 列車に戻ると、先頭車両は混んでいたので、後ろの車両(キハ110-240)に移る。

 沿線はだんだんと雪深くなっていき、宿最寄りの鳴子御殿湯に到着。橋を過ぎた高台にあり、平成16年に改築された、洒落た駅舎。



駅前に周辺の地図があり、それを見てから本日の宿である高友旅館に入る。

 帳場でチェックインして部屋に案内される。宿は古い木造で、かなり複雑な構造。2階のぼたんの間に案内される。風呂の案内を受けるが道順は複雑そうだ。夕食は18時からで、まだ1時間近くある。

 お茶を飲んでから風呂へ。迷いながら、名物の黒湯に行き着く。黒湯は、ホームページなどで紹介されていた写真の印象に比べて広い。天井もかなり高く、屋根に通気孔があるのか、湯気がこもらない。

 一旦服を着て、奥にある紅葉湯に行く。ここは家族風呂の位置付けらしく、2人も入ればいっぱいな大きさ。解放感が異なるので、また黒湯に行く。出たのは18時に近かった。タオルを置きに部屋へ戻るが、鍵が開きにくい。閉める時も3分くらいかかったが、開ける時も同様。夕食後は鍵をかけるのを止めた。

 夕食は1階の食堂で。用意されていた食事は、自分の分を含めて僅か2組3名分だった。後の1組は60代か70代の熟年夫婦。


 夕食は、刺身、焼魚、山菜類、肉鍋など、とても多い。1時間以上かけて食べ終える。

 本日22時から、ひょうたん風呂が清掃で使えなくなるとのことなので、食後あまり時間が経過していないが、大河ドラマの前に、ひょうたん風呂へ行く。こちらはこじんまりしている。湯は透明に近い。

 風呂を出て部屋に戻ると2008頃。途中から大河ドラマを見て、引き続きドラマ華麗なる一族の最終回を見た。その後、休憩を挟んで22時、23時、25時頃に黒湯に入る。23時頃だったかに、2、30代男性が入ってきた以外は貸し切り状態。

 旅行記をまとめて、1時半消灯。

2日目前半へ

3日目へ