2008年09月 熊本旅行 3日目 - 南阿蘇鉄道トロッコゆうすげ号、豊肥本線「あそ1962」、阿蘇山火口
この日は阿蘇地獄温泉を出立して、トロッコゆうすげ号、キハ58改造のあそ1962などに乗車して、阿蘇駅からバスとロープウェイを乗り継いで阿蘇山火口見物をしました。
平成20年(2008年)9月13日(土)
545頃起床し、6時近くにすずめの湯へ。入口のゲートにはまだ鍵がかかっていて、既に4人くらいが開門待ちしている。
6時を少し回って宿の人が現れて開門。湯に浸かると更に人が増え、615頃には、老夫婦2組、単独男性3、4人位。朝からの混雑を見て引き返す人もいたようだ。その後は少しずつ空いてくる。
◎地獄温泉 840→916 高森中央 高森中央行 熊本200か・140
往路と異なりこの便はミニバス。地獄温泉からの乗車は8人。それぞれ荷物が大きいため、実質的な空席は3席程度。垂玉温泉からの乗客は無かったので、このまま山を下る。車のすれ違いはミニバスでも大変そうだった。途中、地元の人らしい乗客が1名。腕時計の高度計で250m以上の高度差を下りて、里に出る。
下田駅前で5人下車して4人になる。高森発着便は駅正面に横付けせず、駅前から50mくらいの車道のバス停。その後、南阿蘇鉄道にほぼ並行するルートを走る。バスの待合室が道路から見えにくいこともあり、全てのバス停で、接近時にクラクションを鳴らした上で、かなり減速して乗客が無いことを確認している。下田付近までは高度を下げていたが、また緩やかに高度が上がって行く。
途中若干の乗降があり、終点の高森中央で降りたのは3人。バスターミナルから100m程戻って信号を右折して緩やかな坂を下りると、塔の付いた高森駅の駅舎が見えてくる。駅前にはC12が保存されている。
切符売場で「ゆうすげ号」の切符を購入。台帳と照合して手書きで号車・席番を記入している。発車時刻まで間があるので、駅前の機関車を眺め(運転台には登れない)、ホームで記念撮影もする。
◎高森 940→1032 立野 ゆうすげ2号 立野行9010レ 前方DB1601+トロッコ3両+後方DB1602 3号車(車番見当たらず)
前後に小型機関車を連結したプッシュプル式で、中間にトロッコ客車を3両連結している。ドアは自動で開閉する。昔乗車した時はこのようなドアではなかったと思う。トロッコ車両も進化したようだ。
3号車に乗車。同じボックスは売れていないようで、荷物を置くスペースには困らない。
時間が来て発車。各車両に乗務員がいるが、そのうち1人(1号車か2号車の担当)が全体の車内放送を担当している。頻繁に沿線の案内がある。風景の案内としては、阿蘇五岳や南外輪山に関するものと、水源地に関するものが多い。特に車窓から見える範囲だけでも数カ所あった。阿蘇五岳は頂上付近に雲が掛っている。
ところで、トロッコなので窓が無く、最初の方に注意を喚起する放送があったが、その趣旨は「線路際には草や木の枝が出ている箇所があり、それで切ってしまうことがあるので、窓から顔や手を出す時は十分にご注意を」というもの。何かと責任が厳しく問われることの多い昨今、どうしても「顔や手を出さないで」になりがちだが、それでは窓の無いトロッコの魅力が半減してしまう。そのようなところ、リスクを説明した上で「十分注意を」にしているのは立派なことだと思う。
途中の交換駅では2両編成のレールバスとすれ違ったが、高森方には半流線型の新型車両を連結していた。
長陽駅では、構内で土日のみ営業のケーキ屋の夫婦がホームから声をかけている。
白川第一鉄橋通過の際には、列車が大きく減速。深い渓谷をじっくり眺めることができた。
立野に到着して記念撮影をしていたところ、ゆうすげ号は肥後大津方へ移動した。後続のレールバスが来るためのようだ。
11時少し過ぎの宮地行に乗ろうと考えていたが、その後に来る「観光列車あそ1962」でも、阿蘇で同じバスに接続することに気づいた。全車指定席なので窓口で指定席があるか尋ねたところ、指定券を買うことができた。昨日、みどりの窓口でない立野駅での指定券発行方法が気になっていたが、電話ではなくPOS端末で操作している。「送信中」などの表示が見えた後、みどりの窓口と同様に席番まで印字された指定席券が出て来た。ただし、券面をよく見ると「中継」と印字されている。おそらく、みどりの窓口と違って直接マルスシステムに接続しているのではなく、どこかの駅等を経由して間接的につないでいるのかも知れない。
あそ1962まで時間があるので、駅の陸橋の上からスイッチバックへ向かう先行列車などを眺めて過ごす。
◎立野 1136→1209 阿蘇 観光列車「あそ1962」宮地行8411D キハ58系2両編成先頭=キハ28-2401
1115に入線。天気雨が舞うが、外は明るい。発車前に撮影に回る。列車案内のパンフレットがあり、スタンプを押すスペースがある。そのスタンプは2号車のロビーにある。
この列車は、古いキハ58系を、1962年をイメージして改造した観光用車両。車内の3分の1程度は自転車置場とサロンを兼ねたパブリックスペース。
列車案内などのパンフレット類が置かれている。サロンから暖簾で区切られた座席スペースはボックスシートに本物の網棚。細長い木のテーブルがある。床はデッキ・サロンも含めてフローリング。1962年をイメージとは言っても、冷房もあるし、新しい雰囲気。ただし、運転機器は昔のまま。
1分余り遅れて発車。立野はスイッチバックのある駅で、ここから方向を変えて33パーミルの急勾配を少し上り、草むした終端部まで来ると、運転士が車内を移動してまた方向が変わる。更に33パーミルの勾配をゆっくりと上がる。右手には、立野駅を見下ろすことができる。
車内販売が回ってきたので、アイス最中を購入。小国ジャージー乳を使っているバニラ味。バニラ以外にも2、3種類あるようだ。
赤水手前でようやく勾配が終わる。
阿蘇で下車。ウェスタンスタイルの駅舎は、学生時代に訪れた時と変わっていない。
◎阿蘇駅 1220→1300 阿蘇山西 阿蘇山西行 九州産交バス 熊本22か2661
発車時刻になっても駅から出て来る人が絶えないので、運転士が車外放送で発車案内をしている。3分遅れて発車して阿蘇の町を抜けると登山道に入る。登山道路入口に立つ交通情報の電光表示板には「放牧中のため牛馬注意」との表示が出ている。
高度を上げて草原に出ると、各所に馬が出ていて、その先には阿蘇の盆地を遠く見下ろすことができる。坂の途中には、故障で赤旗を出して停車中の観光バスがいた。乗客は降りたようだ。
草千里で観光のため8分停車。バスには海外からの観光客もいて、どこか分からない言葉で声をかけあっている。
阿蘇火山博物館前を発車すると阿蘇のロープウェイ乗り場が近づく。学生時代に来た時はガスの影響で火山博物館止まりだったので、ここからは初訪問。
土産物店が並ぶ阿蘇山西駅前に到着。
阿蘇山上神社に参拝。馬止めの柵があり、人間はその隙間を通って社殿に行く。昭和33年の大噴火の被害の後で再建したという社殿はコンクリート造。階段で上の階に上がり、ロープウェイの乗車券を購入。通常は往復1,000円だが、JRの乗車券を提示すると740円になった。この特典は、立野駅で見たパンフレットに載っていたのだが、切符売場には特に掲示していないようだ。
◎阿蘇山西 1330→1334 火口西 ロープウェイ 1号車
世界で初めて活火山を通るロープウェイ。満員で出発。4分間の間に日韓英の順に案内放送。喘息、心臓疾患等の人は健康上重大な危険があるので火口の見学は禁止されているという。
草原が途絶え、荒涼とした風景になってきたところで火口西に到着。駅前から物々しい雰囲気。駅の出入口を囲むようにコンクリートの壁が立つ。
見学コースの入口には火山ガス警戒板がある。看板上の遠方からも見える位置に、青、緑、黄色、赤の4種類のパトライトが付いている。青はガス濃度が0.2ppm未満で安全、緑は0.2ppm以上で喘息の方は注意(一般の方は安全)、黄色は2ppm以上で喘息の方は警告(一般の方は注意)、赤は5ppm以上で大変危険なので避難、をそれぞれ意味する。見学開始時は黄色のパトライトが回っていた。
緊急避難用のトーチカが立ち並ぶ小高い傾斜を上ると第1火口を見下ろすエリア。はるか下に水色の水面から白いガスが上がっている。ガスの量や上がる向きは刻々と変わる。噴火口を見下ろす位置などには土産物の屋台が並んでいて、黄色い硫黄の固まりや、光る石などを商っている。見学コースを進み、古い火口などの荒涼とした景色を回る。
一旦、火口西駅の前まで戻り、反対側の丘を上る。こちらから火口は見えないが、草千里方面を見下ろせる。他に、閉鎖中のルートが幾つかあり、使われていない無人のトーチカも見える。◎火口西 1445→1449 阿蘇山西 2号車
往路よりは若干余裕のある車内。1号ゴンドラと同じデザイン。
阿蘇山西付近で馬が放牧されていれば阿蘇山を背景に撮りたかったのだが、周囲には見当たらず、火口からの風景と大差ない。そこで食堂へ寄り、山菜そば(600円)で遅めの昼食とした。◎阿蘇山西 1545→1618 阿蘇駅 内牧温泉行 バス 熊本22か2661
様々な国からの観光客が乗り込み、阿蘇山西を発車の時点でほぼ満席。阿蘇火口博物館で数人が下車したが更に多くの乗車があり、ちょうど補助席まですべて稼働した。草原に放牧されている馬などを眺めながら阿蘇駅まで下山。
◎阿蘇駅 1643→ 1806 杖立 杖立行 九産交バス 熊本22か・217
乗車前から小雨が降り出したが、だんだん雨脚が強くなり、内牧手前では近くに雷が落ちた。
阿蘇駅発車時点での乗客は1人。その後、内牧で1人だけ乗って来た。雨の峠道で外輪山?を越えて、南小国町に入った。整備された峠道と異なり、平坦だが集落の中を通る狭い道を行く。雨は小雨になったようだ。
ゆうステーションで1名下車して、また貸切状態になる。ここは黒川温泉などへのバスが発着するターミナルで、円形の特徴ある建物。隣に肥後小国駅のホームが保存されていた。ゆうステーションは、廃止された国鉄宮原線の駅の跡地のようだ。
更に20分ほど走り、夕暮れの杖立温泉に到着。バス停近くの地図などを頼りに今夜の宿へ。宿は川の反対側で、温泉街には3本の橋があるようだ。道路より低い位置にある橋へ下りる通路は旅館の間の路地を階段で下りるもので、複雑。しかし、余り迷わずに到着。旅館の近くの橋は歩行者専用だが、ライトアップされた中に絵馬が掛けられ、神社の参道のような感じ。
(宿泊)
杖立グランドホテルくきた
1815頃到着。フロントに人がいなかったが、少し待つと出て来た。チェックイン時に温泉街の食事処の案内を受ける。その後、3階の302号室に案内された。
エレベーターや空調設備、部屋のトイレに古さを感じる。飲み物の入った冷蔵庫や、コイン式の金庫がある。テレビは無料。壁は所々剥がれている。ホテル全体に人の気配があまり感じられないが、エレベーターが時折4階や6階に停まっているので、使っている人はいるようだ。
少し休憩してから湯巡りをするために外出。またフロントは無人で、カギを預けたものかどうか分からず、持って外出。先に元湯の様子を見るが、ここは確か24時間入浴可能な筈なので後回しにして、薬師湯に入った。男女別の浴室に入った所に脱衣棚と料金箱がある。外来者は1回200円。女湯から話し声が聞こえるが、男湯は独占。出るころになって、地元の初老のおじさんが1人入って来た。時々1人でテントを持って山に10日くらい泊まるとのことで、がっしりした体躯。旅談義をしてから先に出る。
小雨が降っている。宿で案内を受けたのはうどん・そばの店と寿司屋だが、昼にそばを食べたばかりで、寿司屋は値段も分からず、いきなり入りにくい雰囲気なのでパス。先程とは別の橋を渡って宿の前を通り、結局、薬師湯の上の道路沿いのコンビニでパンや飲み物を調達した。雨が強くなってきた。
1959過ぎにホテルに戻る。握り飯を作っておきましたとのこと。部屋に戻ると小さなお握り3個と沢庵、メロンの切り身が乗った皿にラップを掛けたものが置かれている。食べてこなくて良かった。チェックインの時に食事処の案内があったが、その時に言ってくれればいいのにと思った。ところが、添えられていた割り箸がカビだらけで使えない。仕方ないので手で食べた。天井の火災検知器にも埃が付いていて、衛生面ではNGだ。
元湯に出掛けようとして外の様子を窺っていたが、雨は止みそうもない。館内の露天風呂は暗がりの屋外階段をスリッパで上り下りするようで、雨の中では行く気がしない。結局今夜は6階の展望風呂だけにした。22時頃に行き、30分近くいたが、貸切状態だった。
明日の行程が決まっていないので検討。携帯で天気予報を調べると、明日、明後日とも午前中は曇りだが午後は雨のようだ。あまり外を回るのは適さないようだ。
今夜の外湯は諦めたので、旅行記録をまとめ、25時で寝ることにする。
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