この日は午前中に三角線を往復してから豊肥本線の九州横断特急で大分に移動。大分駅近くで温泉入浴後、寝台特急富士のB個室寝台ソロに乗車しました。
4日目へ
平成20年(2008年)9月15日(月祝)
6時に一旦起床するが、外を見ると本格的に雨が降っているので、朝の熊本城方面への散歩は止めることにして、7時頃まで寝る。朝食前に展望浴場。その後、脱衣室近くにある、マンガ本の棚のある休憩室で少し休憩してから部屋に戻る。
1階のレストランで朝食。バイキングの規模の割に価格はやや高い印象だが、ホテル本体の宿泊費が安いので合計では妥当か。窓側のカウンター席にはノートパソコン用にコンセントとモジュラージャックがある。朝食後、一旦部屋に戻って、手早く支度をしてチェックアウト。雨の中、辛島町まで歩く。
◎辛島町 824→ 熊本駅前 田崎橋行2系統 連接先頭=9705A
今日は1日乗車券を買わず、下車時に現金で150円払う。屋根の下を通って熊本駅構内へ。三角線の時間までの間、土産物の下見。
◎熊本 859→947 三角 三角行527D キハ31 14単行
ワンマン扱いだが運転士の横にもう一人乗務員が立ち、発車前から2人で信号の指差喚呼を行っている。2つドアの車内は横1+2列の転換クロスシート。
定刻に発車すると、程なく右手に車庫があり、787系特急車から観光列車あそ1962、はやぶさ用24系客車などが多数止まっている。奥の方に肥薩おれんじ鉄道の車両が動いていた。検修をJRに委託しているのだろうか。
宇土で、駅員が運転士に無線機のようなものを渡していた。そういえば三角線は電子符号閉塞だったか。閉塞区間の入口で信号機に向けて無線機を操作して閉塞を成立させるもので、無線機がタブレット代わりみたいなものか。
宇土から三角線に入る。住吉で無線機の操作をしていたようが、ボタンひとつですぐ進行信号になった。三角線に入ってもしばらくは両側に田園風景が広がっていたが、住吉を出てすぐ、右側に海岸線が広がった。潮除けの堤防の合間に漁港が連なっている。雨で遠景はかすんでいて、港はうら寂しい風景に見える。
肥後長浜で運転席横にいた乗務員が降りた。交換駅でもない無人駅で下車したのは不思議だが、非番で帰宅するところだったのかも知れない。
網田で上り列車と交換。網田到着前に無線機のマイクで何か通話していたが、閉塞打ち合わせだろうか。
列車は次第に高度を上げ、海岸を下に見下ろすような格好になると左へカーブして高瀬に停車し、高瀬を出るとすぐにトンネルに入る。山間の駅である石打ダムに停車するが、ダムや川は林の陰になっているのか、車内からは見えない。この先は軽やかに高度を下げる。もう一つトンネルを抜けると波多浦。若干の停車時間があるのか、運転士が車内を回って、空いた席の方向転換をしていた。波多浦を出るとすぐ、左手に海が広がる。対岸の島が近く、入り江のようだ。
終点の三角は片面ホームの駅だが、みどりの窓口もある有人駅。駅前には道路を挟んでフェリーの発着場がある。港から見る島々は雨で霞んでいた。三角駅舎を覆うように歩道橋のような形をした展望台があるが、昇り口は閉鎖されている。
◎三角 1002→1051 熊本 熊本行530D 同編成
混雑しているので後ろのドア近くの車掌エリアのような所に立つ。途中から完全に満席になり、若干の立客がいる。雨は降り続き、景色は霞んでいる。
宇土で多少の乗降がある。ここで鹿児島本線に合流し、電子符号閉塞区間が終わる。無線機を駅員に返す風景を、車掌窓から撮影。
熊本駅構内で土産物購入。「銅銭糖」(掛紙の銘柄は異なるが、中身は地獄温泉のお茶うけに出たものと同じようだ)と柿菓やま柿。列車の時間まで少しあるので、駅構内の吉野家で早目の昼食。熊本駅の吉野家は改札の内外両方から利用できる。
◎熊本 1136→1427 大分 九州横断特急4号 別府行特急1074D キハ185系2両編成後車2号車=キハ185-1012
2両編成のうち自由席は1両で、ホームには長い列が出来ていたが、全員着席できたようだ。ワンマンと表示されているが、キャビンアテンダントが車内販売を兼ねて検札もする。床はフローリング風。テーブルや棚も木目模様。フットレストはない。
隣の席にはJapan Rail Pass の利用者で、阿蘇に行くらしい。しばらく町中を走るが、立野に近づいて、眺望が広がる。もっとも、阿蘇五岳は雲に覆われているが。阿蘇で隣の席の乗客が入れ替わる。
宮地までは外輪山に囲まれた草原を走っていたが、ここから山越えのルートに入り、トンネルが多く、眺望も悪くなる。波野あたりがサミットだったようで、ここからは勾配を下る。
県境を越えて大分県内に入る。豊後竹田で途中下車することを検討していたが、まだ雨脚は残り、竹田で1列車遅らせても30分くらいしか滞在出来ないので、大分に直行することにした。
豊後竹田を出ても、山間の下り勾配は続く。しばらく寝ている間に、勾配は緩やかになり、大分に近づいてきた。相変わらず山には雲がかかっているが、雨は止んでいるようだ。
大分は高架工事の過渡期らしい。先月から、豊肥本線と久大本線のホームが高架になった由。しかし、日豊本線に直通する九州横断特急は、地上のホームに着く。
大分駅構内の売店で追加の土産物を購入。麦焼酎の小瓶と、かぼすプリンを自宅用に(米焼酎は、昨今の工業米転用事件の広がりが分からないのであえて米以外にした)。これらを含めて荷物をコインロッカーに預け、駅近くの温泉情報を探す。大分駅構内には書店は見当たらず、観光案内所で簡単な温泉マップを入手。しかし、距離感がつかめない。近くのコンビニで情報誌を見たが、これらに載っているものは少し離れていた。駅近くにある外来利用ができる温泉浴場は、駅から別府方に数分歩いた所にある「熱海湯」だけのようなので、そこに行った。
熱海湯は古めかしい建物で、番台があり男女別の内風呂だけの小さな銭湯形式の浴場だが、源泉かけ流し。利用料は当地の銭湯と同じ380円。浴槽は、熱めの湯とぬるめの湯の2つに仕切られている熱めの湯に源泉が注がれ、それがぬるめの湯に流れて行くもの。湯と水の蛇口が付いたカランは幾つかあるが、シャワーは端に1つだけ。隣の女湯からはおばさんのような賑やかな声が聞こえるが、男湯での入浴中は1人。出て脱衣所で涼んでいるころに2人入ってきた。
16時頃に熱海湯を後にし、駅周辺を歩いてから駅構内に戻る。途中で駅弁が買えなかった時のための予備の食料などを調達。その後、コインロッカーから荷物を出して、改札に向かう。大分は自動改札。
◎大分 1643→翌935 横浜 富士 東京行寝台特急2レ 3号車=オハネ15 2003 14系客車6→12両編成 機関車=門司までED76 90、門司・下関間EF81 410、下関からEF66 53
1633頃に鹿児島方から入線するのが改札から見えた。改札を通り、3番線に入線した富士の指定された3号車15番室(ソロ)に荷物を置く。すぐに車掌が回ってきて鍵を渡された。富士のソロはカードキーではなく、金属の鍵を使っている。キーホルダーには車両番号と部屋番号のシールが貼られている。
部屋の鍵を閉めてからホームで撮影。向かい側のホームには白いソニックが停車中で、しかもホームが短いので、編成写真は撮れない。とりあえず3番線ホームから撮影。富士のヘッドマークは古びて、一部が剥げている。
すぐに発車時刻になる。列車は定刻に発車。少し走ると右側(通路側)の窓から別府湾が見える。湾に沿って線路は右方向にカーブしているので、後ろの方の窓からなら、先頭部を入れて別府湾を撮ることができるかと思ったが、後ろの車両は通路が左側だった。別府に近づくと、温泉の煙が各所から上がる独特の風景がはっきりしてくる。別府を発車してから検札。
中津では特急ソニック48号が先行するため8分停車の予定だったが、なぜか2分早着し、ソニックが遅れた影響で3分延発したので、結果として長時間停車になった。中津は2面4線の高架駅で、富士は外側の線に止まったので、ここでも編成写真は撮れず。ホームへ上がるエレベーターは、階段の空間を改造したようで、斜めに進むもので、変わっている。改札内には売店は無い。ホームには富士の各号車の乗車口の看板があるが、中津城と福沢諭吉がデザインされている。
行橋を3分遅れの1829に発車。だんだんと日が暮れてきた。雲がかなり低い位置に立ち込めている。シルエットとなりつつある山を雲が覆い、墨絵のような光景。それもつかの間、雲と同じ高さに工場の煙が混ざるようになり、小倉の市街地が近づいてきた。列車は速度を上げていたようで、小倉の発着は定時を回復していた。
門司ではやぶさと連結。5番線に到着して、まず先頭の機関車が切り離される。客車内から撮影しようと思っていたが、既に2、3人が居て入り込む余地は無い。ホームにも20人以上が撮影している。先着しているはずのはやぶさが見当たらないが、門司港方に一旦退避していたようだ。
推進運転で近づき、一旦停車してから、連結部にいる作業員と最後部の機関士が無線連絡をしながら接近し、無事連結した。先頭の機関車を撮影している間に貫通幌もつなげられ、発車まであと5分を切った。
門司駅には改札内の売店が無い。改札外の売店を覗くと若干の駅弁があったが、気に入ったものはなかったので、下関に期待する。
V字勾配で関門トンネルを抜け、下関に約2分遅れで到着。機関車の付け替えと売店は何れも前方なので、ホームを走る。とりあえず売店でふく寿司を購入。弁当を片手に持ち、さらに前方へ行く。下関のホームは12両の客車が収まるギリギリの長さのようで、機関車はホームからはみ出す位置。既に関門トンネル用のEF81は切り離され、本州用のEF66が連結されようとしていた。人だかりの後ろからスローシャッターで撮影。機関車は結構な勢いで連結した。前方の客車ではショックが大きかったのではないか。
その後、宇部から徳山までの各駅を、概ね定刻から1分遅れで発着。2104に徳山を出ると、お休み放送が入る。2125過ぎから、夕食前の車内散歩に出る。まず、最後部の1号車に向かう。2号車のA個室の廊下には靴ブラシ。A個室の鍵はテンキー式になっている。2号車にあるソフトドリンクの自販機は、サンライズのそれより小ぶりで、選択ボタンはサンライズの30に対してこちらの自販機は10。価格は市価より高く、小型缶が150円、大きいペットボトルが180円。しかし、種類は10品目から選べ、サンライズのようにリアルゴールドのボタンだけで10個並ぶようなことはない。1号車の最後部から後方の景色を眺め、駅通過時にスローシャッターで、ホームの照明を流して撮影。横の車掌室にある車掌用の窓が大きく開いていて物騒だ。
次に先頭部へ向かう。ちょうど、はやぶさ編成の7号車に入ったところで、富士・はやぶさの車掌が落ち合って話し込んでいた。さらに最前部に進んで、機関車が見える所に着く。以前、下関でEF66を連結する際にスローシャッターで撮影して、あたかもズーム流しのような絵を撮ったことがあったが、今回は停車時にズーム流しをやろうと考えた。しかし、実際にカメラを構えて見ると、機関車の位置が思ったより近く、最も広角でも全体が入らない。そこで、ズームは使わずに一部を切り取ったアングルだけ撮った。
3号車に引き返す。個室の状況は分からないが、開放寝台の利用状況は概ね見て取れる。各車両とも10人程度の乗車のようで、30%程度か。特に上段は空きが多いようだ。ただ、寝るまでの間は同行者と下段で歓談している人もいたかも知れない。既にカーテンを引いて休んでいると思われる人、食事中の人、カップルで並んで外を見ている人など、思い思いの過ごし方をしている。部屋に戻ったのは2144頃。柳井発車後に12号車を後にしてからでも8分くらいかかった。先に1号車に行っているので、12両編成(240m相当)を1往復したことになる。ちょうど、外には大島への橋がライトアップされているのが見えた。
2156に列車が急停車。外を見ると暗いホームがあるが、駅名が見えない。そうこうするうち2158に発車。客車なので発進時にブレーキを緩めると、自動連結器の関係か1m近く後退してからの発進。携帯のGPSで位置を調べると、岩国の2つ手前の藤生だった。この急停車のためか、岩国は3分延発。
散歩も終わったので夕食にする。下関で買ったふく寿司は、フグ(白サバフグ)の切身やエビ、ウニ、ワカメ、卵などが載ったチラシ寿司。特に説明書きは無いので、容器に記載されている材料欄に拠る。
食べ終わると広島。広島も3分延発のまま。
ここで、室内の様子を記録。まず、目覚まし時計や、室内灯・読書灯・暖房・換気扇のスイッチが付いたコントロールパネル。読書灯は角度を調整することができ、テーブル使用時にもベッドに横になっている時にも使える。スピーカーのスイッチも残っているが、オーディオのチャンネルボタンがあったと思われる箇所は塞がれている。コントロールパネルの上に非常ボタン。冷房はコントロールパネルではなく、頭上の吹出口を調整。ベッド向かいに便所使用知らせ灯(蓋つき)くず物入れと、その上に25cm×60cmの固定式の台。その少し上に灰皿。30cm×40cmの鏡の下には、A4ノートPCが置ける大きさの折り畳みテーブル。通路側には丸い窓があり、進行方向右側の景色も通路越しに眺めることができる(不要な時はカーテンあり)が、隣の上段個室のドアがスライド式で、その扉が開いている時は塞がれてしまう。浴衣にハンガー、スリッパもある。窓の上には風景の版画が飾ってある。単なる印刷物ではなく、ペンでのサインと、シリアルナンバー(148/500)が書かれていた。
ベッド上部分の高さはサンライズのソロと同じ1m程度だが、内高190cm位の通路部分が60cm×160cm位あり、しかもテーブル下部分には深い窪みがあって、脚を伸ばしてもぶつからないし、小さな荷物を押し込めることもできる。そのため、サンライズのソロと比べてだいぶ広く使える。
ネット情報では頭上の棚に業務用らしいコンセントがあると聞いており、確かにあるが、ベッドの上に乗ってもとても手が届かない位置だった。通路に何カ所かコンセントがあり、そこで短時間、携帯の充電をしたが、あまり行儀は良くないことだろう。この点はサンライズのほうが便利だ。
食事も終わり、旅行記録もまとめたので、まだ24時前だが、休むことにする。
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