2002年05-06月 北海道 1日目 - やまびこ、スーパーはつかり、急行はまなすカーペット上段
平成14年(2002年)は初夏のベストシーズンに休暇が取れたので、足かけ6日間で北海道を回ってきました。
利用したのは「ぐるり北海道フリーきっぷ」。往復の経路に新幹線や寝台特急北斗星(ソロを含む)に乗車でき、道内では指定席も利用可能というお得なきっぷでした。往路は当時盛岡までだった東北新幹線から特急スーパーはつかりと夜行急行「はまなす」を乗り継いで北海道入り。道東と道北を中心に周遊。復路は寝台特急北斗星のB個室ソロを利用。天候は今一つでしたが北海道を満喫しました。
平成14年(2002年)5月30日(木)
午前中は通常勤務。帰宅後シャワーを浴びてから荷物を詰める。当初予定よりは1本後の列車になるが、東京駅からの新幹線への接続には問題ない。
駅に向かう途中で近所のおじさん3人連れとすれちがう。どこかに出掛けた帰りか?どこへ行くか聞かれ、北海道と答える。すると、北見枝幸に親戚がいるとのこと。今回行く稚内からオホーツク海沿いに南下したところだ。
◎東逗子 1544→1547 逗子 逗子行1550H E217系4両編成3両目2号車=モハE216-2008
定期が切れているので、東逗子駅の券売機で都区内の入り口である蒲田までの乗車券を購入。事前の指定券等を買った時の駅員がいれば一声かけようかとも思ったが、今日は別の駅員のようだ。到着した列車は、空いている席はあったが、1駅なので立って過ごす。
◎逗子 1552→1610 戸塚 大原行1548S E217系15両編成2両目10号車=サハE217-25
ボックス席で戸塚まで乗車。このまま東京まで乗っても良いのだが、地下ホームから新幹線への乗り換えが遠いので、東海道線に乗り換える。
◎戸塚 1612→1652 東京 東京行856M 113系15両編成 先頭15号車=クハ111-1082
空席はあるが、大きな荷物を持って入り込むのは憚られたのでしばらく立つ。横浜でボックス横の2人席に着く。ここで特急列車待ち合わせ。そのため東京到着時刻は横須賀線で行った場合と変わらない。空は曇天。風が少し吹き始めたようだ。明日31日にサッカーワールドカップが開幕することから、正面の席の人が読んでいるスポーツ新聞にもその関係の見出しが躍る。
品川から田町までは、山手線に登場して間もない新型車両E231系500番台の列車と並走。まだ205系が多数を占めている。新橋を発車したので、乗り換えに向けて後部に移動する。東京には定時到着。やまびこへの乗り換え時間は8分。
◎東京 1700→1937 盛岡 やまびこ23号 盛岡行新幹線3023B 4号車10E席(左窓側)E226-201
乗換改札機を通り、22番ホームに上がると、ちょうど乗車を開始したところだった。隣のD席にはすでに先客がいる。一声かけて通してもらった。上野到着時に職場から携帯電話に入電。上野は地下ホームだが、駅構内のため電波が届いたようだ。デッキに出てかけ直し、仕事の日程の打ち合わせを手早く済ませる。上野発車直後に車内販売が回ったが見送り。上野までに多数の乗客があったが、大宮でさらに乗車があり、満席になったようだ。
各座席にある車内販売情報誌は、FIFAワールドカップの公式ライセンス商品の特集がなされている。小山を過ぎて再び車内販売が回ってきた。唯一残っていた釜めし弁当(880円)を購入。容器は紙製で、中身が釜飯風。デザートに桜餅が付いているのが変わっている。食べ始める前に検札が回ってきたので、それを済ませてから弁当を開封し、遅目の昼食とした。食べ終わる頃には新白河を過ぎ、山河と田園が主体の風景となっている。夕暮れとなってくる中、仙台停車。多数の乗客が入れ代わるが、依然として空席は少ない。若干残った空席にも、自由席から変更の乗客で埋まる。
その後、一ノ関、北上と停車し、盛岡に着くころにはすっかり日が暮れた。4号車は車内販売の拠点があり、下車の際にはデッキに立ち下車客を見送る。ホームで捨てようと思って弁当殻を手に持っていたら、デッキで受けとってくれた。
◎盛岡 1945→2148 青森 スーパーはつかり23号 青森行特急1023M E751系6両編成 2両目5号車=モハE751-1席番5D(やや後方左窓側)
この列車も大半の席が埋まっている。ホームで見た車両番号は1番が続くトップナンバーの編成。木目と白を基調とした車内で、特にデッキ付近は明るく落ち着いた雰囲気。座席は背もたれと座面がそれぞれ調整できる。背面のマガジンラックは網ではなくゴムバンドのようなもので止める方式。
東北新幹線が12月に八戸まで延伸され、「はつかり」の列車名は消える。新幹線の線路はもう完成しているのだろうが、外が暗いので見えない。やがてJRから分離される線路をひた走る。岩手と青森の県境にある十三本木峠はSL時代の難所だったと聞いているが、現在の特急電車はパワーに任せて速力に衰えを見せず、どこが峠だったのか分からないうちに八戸へ着いた。八戸はホーム工事中の様子だった。
右隣C席と通路を挟んでB席のご婦人同士が車内で気が合ったのか、身の上話を続けていたが、B席の人が八戸で下車して静かになった。盛岡乗車時に後ろの席のおじさん達が東北の訛りで話をしていたが、いつの間にか下車したようだ。三沢を過ぎると空席も目立ち始めた。車内販売の最終案内放送があった。東京バナナや、横浜のシュウマイまで売っている。一体どこを走っている列車なのか分からなくなる。野辺地あたりから雨が窓をたたくようになった。定時で走っていたが、浅虫温泉を過ぎた辺りで減速をしていたせいか、青森着は2分余りの遅れとなった。しかし大した影響もないためか、車内放送でも触れていなかった。
跨線橋から縦位置でスーパーはつかりと青森ベイブリッジの夜景を撮影。手持ちのぐるり北海道フリーきっぷは本州内での途中下車ができない。改札内には開いている食堂はないが、待合室が使えるので、そこでテレビを見て時間つぶし。
2230頃に待合室を出てゆっくりと5番線ホームに向かう。ホームの立食蕎麦は既に開いていた。スーパーはつかりに派手な帽子を被った西洋人青年2人組が乗っていたが、その2人がいた。何だかよく分からない様子ながら食券を買って蕎麦を試していた。2人の話している言語はドイツ語のようであった。食べている間に急行「はまなす」が入替用のDLに牽引されて入ってきた。食後に撮影。海側の跨線橋にも昇ってみるが、特に絵になる風景ではなかった。元々連絡船乗換用のものであったようで、乗船口があったと思われる部分は板でふさがれている。
◎青森 2308→翌618 札幌 はまなす 札幌行急行201レ ED79 19及び14系客車8両編成(但し機関車寄り1両は閉鎖) 4号車=オハ14 502(S49新潟鉄工製造、H9五稜郭車両所改造)のびのびカーペット車28番席(函館寄り車端上段席)
機関車寄りのオハフ1両は回送扱いで、貫通幌もつなげていない。カーテンが閉められていて内部の様子は分からない。機関車との間の緩衝用か?一通り車外の写真を撮って飲み物も購入(列車内にも自販機はあるが)してから乗車。カメラやビデオを持っている人が若干名。
今回予約した席は、カーペット席の中でも特に独立した仕切りになっている上段でしかも28番は隣接する席もないので、より落ち着いた場所である。ここを確保するために、1か月前の発売日に手配をしておいた。席側にカーテン付きの小窓もある。難点は照明から離れており、旅行記を打つのに暗いこと、車端のため揺れること程度。冬は電気カーペットとなるらしく、電気カーペット使用上の注意が貼ってある。車両の内外はドラえもん関係のステッカーが数多く貼られている。これは昼間の快速海峡としても使われており、海峡は藤子プロとタイアップして、数年前から「ドラえもん海底列車」として宣伝しているため。カーペット車は一般車両や寝台と比べて人気がある。車内案内の放送でも、カーペット車は満席と案内していた。
発車前に検札。既に遅い時間なので、夜中に乗客を起こさないための配慮だろう。定刻に発車。暗闇の津軽線を北上する。程なく車内は落ち着く。カーペット車は座席車の扱いながら枕と毛布が備え付けらており、各自それを広げて寝る態勢に入りつつあるようだ。
2334に蟹田で運転停車。通路に降りてホーム反対側を見ると、北斗星2号だった。実は平成12年の12月に北斗星2号に乗車している。その時の旅行記のデータが手元に残っていたので開いて見ると、「2335蟹田で運転停車し、下りはまなすと交換。はまなすはドラえもん海底列車のデザインの客車だった。」と記されていた。今回は逆の視点となった。
2340に蟹田を発車。直後の車内放送で、車掌がJR北海道の車掌に交替したとのことで、案内放送。青函トンネル通過予定時刻も放送していたようだが、走行音に掻き消され、よく聞こえなかった。しかし、はまなすでも青函トンネル通過時刻を案内するところから、このトンネルが現在も主要名所と位置付けられえている現れだろう。放送終了後に車内の照明が深夜灯に切り替えとなった。靴下を脱ぎ、やや厚めのシャツはハンガーにかけて寝る体勢に入った。
2355津軽今別通過。眼下に津軽線の線路が見えた。その後いくつかのトンネルを通る。どれが青函トンネルか分かりにくいが、青函トンネルの入り口には左側車窓に公園が広がっているので目印になる。また、青函トンネルに入る時だけ機関車が長い警笛を鳴らしたので、これも合図だろう。今夜のはまなすは2400を手元の時計で40秒程経過した頃に青函トンネルに突入した。
2409にブレーキ音があり減速したので外を見ると竜飛海底だった。何かあって停車するのかと思うくらい速度を緩めたが、竜飛海底を通過したら何事もなかったように加速した。観光サービスだったのか?
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