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2006年08月 富山・奥飛騨 3日目‐神岡鉱山前タブレット交換、富山ライトレール

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 奥飛騨温泉郷で1泊してからバスで神岡町内に戻りました。神岡鉄道は廃止時まで通票閉塞で、本社のあった神岡鉱山前でタブレット交換をしていました。 神岡鉄道と高山本線を乗り継いで富山に戻り、富山地方鉄道の未乗区間の残りを乗り通し、当時は別会社だったライトレールにも初乗車しました。帰路は北越急行経由でした。

2006年08月 富山・奥飛騨 2日目‐万葉線、富山地方鉄道、神岡鉄道

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朝の氷見線に乗車してから如意の渡しで対岸に渡って万葉線に乗車。前日に引き続いて富山地方鉄道の未乗区間を回ってから、廃止間近の神岡鉄道に乗車して、奥飛騨温泉郷で宿泊しました。 

2006年08月 富山奥飛騨 1日目 ‐ 大糸北線キハ52、黒部峡谷鉄道

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富山県と奥飛騨へ2泊3日旅行。初日はあずさ3号のグリーン席に南小谷まで乗車。キハ52で運転されていた大糸北線や14760形の富山地方鉄道特急で宇奈月まで行き、黒部峡谷鉄道に往復乗車しました。

2005年11月 金沢・能登 3日目 ‐ 輪島朝市 他

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 2005年の写真サークル撮影旅行の3日目は輪島市内で朝市や港の風景を撮影して能登空港から帰京しました。2024年1月の能登半島地震や9月の水害で大きな被害を受けた輪島市ですが、このような日常が1日でも早く取り戻せるよう願っています。 2日目へ 平成17年(2005年)11月6日(日) 輪島の朝市 輪島の港の風景 輪島塗の工房 輪島駅跡に設けられた道の駅「ふらっと訪夢」 帰路は能登空港から空路 空港ロビーには御陣乗太鼓の壁画 2日目へ 目次へ

2005年11月 金沢・能登 2日目 - 金沢市内散歩、輪島へ

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この日は寝台特急「北陸」で金沢に到着し、ひがし茶屋街や兼六園などを回った後、バスで輪島市に移動しました。輪島では夕刻の沿岸部の撮影、夕食後に御陣乗太鼓を観覧しました。 1日目へ 金沢に623到着。 金沢駅入口にこの年(2005年)3月に完成した鼓門・もてなしドーム ひがし茶屋街へ。早朝なので空いていました。 兼六園を散策しながら撮影。 冬に備えて雪囲いが準備されていました。 兼六園からバスで輪島へ移動。 道の駅輪島ふらっと訪夢に、在りし日の輪島駅の様子を展示 御陣乗太鼓 温泉民宿「白塔園」に宿泊しました。 1日目へ 3日目へ 目次へ

2005年11月 金沢・能登 1日目 ‐ 寝台特急「北陸」

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職場の写真サークルの2005年秋の撮影旅行は、金沢・能登でした。往路は寝台特急「北陸」、復路は能登空港から全日空を利用しました。当時販売されていた北陸回数券は6枚つづりで東京都区内・金沢間で63,900円。北陸新幹線が金沢まで通じていなかった当時、上越新幹線から在来線特急へ越後湯沢か長岡で乗り継ぐ経路が一般的でしたが、この回数券は寝台特急「北陸」も使用可能で、しかもB個室寝台「ソロ」にも使えました。 グループ旅行のため旅日記は付けていなかったので、おおよその行程のみの記録です。 平成17年(2005年)11月4日(金) 22時30分に上野駅13番線ホームにあった「5つ星広場」に集合して、寝台特急「北陸」の入線から撮影しました。上野駅の地平ホームは行き止まり式で機関車の付け替えができないため、尾久の車庫から推進運転(最後部の機関車が後ろから客車を押して、客車最前部には警笛とブレーキ装置を取り付けて45km/h以下の低速で走行する特殊な運転方式)で回送していました。客車列車の減少で、当時も既に珍しい存在でした。 上野に到着した推進回送列車からブレーキ装置等を取り外して発車準備。 「北陸」のB個室寝台「ソロ」の1階の様子 同じく2階の「ソロ」 通路の光景(一部画像処理) 上野駅を発車(機関車との連結部から) 最後部から眺める通過風景 2日目へ 目次へ

1996年8月 北陸(後半)-白川郷、越美北線、金沢、神岡鉄道、ムーンライトながら

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 旅の後半は、白川郷から長良川鉄道に抜け、JRバスで連絡していたルートで九頭竜湖に回り越美北線に乗車。金沢に宿泊して市内観光の後、神岡鉄道に乗車して高山本線回りで再び岐阜県側に出て、「ムーンライトながら」で帰京しました。 

1996年8月 北陸(前半)- 急行「能登」、京福電気鉄道、のと鉄道(蛸島・輪島)、白川郷

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 令和6年(2024年)元日に発生した「令和6年能登半島地震」で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様にお見舞い申し上げます。  この記事の公開時点で、能登半島地震から1か月近く経過しました。被害の様子が連日報じられているものの、この記事で訪れた各地がどうなっているのか、心配でなりません。鉄道は1月22日に七尾まで運転再開し、能登中島までは2月中旬頃の運転再開を目指しているとのことですが、七能登中島・穴水間の開通時期は1月末時点で未確定です。また、道路網や水道などのライフラインも各所で寸断しています。  被災地の皆様の暮らしが一日も早く回復することを祈念いたします。  令和6年能登半島地震被災直前ののと鉄道は和倉温泉・穴水間に縮小されていましたが、平成8年当時は和倉温泉・輪島間と穴水・蛸島間で、のと鉄道の営業区間が最大でした。  この旅行前半は、489系電車で運転されていた夜行急行「能登」で北陸入りし、雨晴、東尋坊・京福電気鉄道に寄ってからJR・のと鉄道の七尾線・能登線を経由して能登半島先端の狼煙で宿泊。翌朝は木ノ浦回りで輪島へ。七尾線で金沢に戻り、城端線からバスに乗り継いで、白川郷に宿泊しました。

1990年8月 北陸 - 大糸線、黒部峡谷鉄道、金沢、富山港線、七尾線、京福電気鉄道など

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  大学1年の夏合宿は石川県金沢市での開催。前年秋の大学受験後に 1 泊で小海線 1 人旅、入学後の 5 月に河口湖での新歓合宿に参加しましたが、足かけ5日規模の乗り鉄旅は初めてでした。在学当時の旅行では詳しい旅日記は付けていなかったものの、乗継記録を記した手帳が見つかり、フィルムスキャンした写真データも残っているので、これを基に30年以上前の行程を再現しました。(令和5年記)