2002年05-06月北海道 4日目 - 雨の宗谷岬と稚内周辺、旧天北線沿線

 稚内市で宿泊して4日目を迎えると、この日は雨模様。それでもレンタカーで抜海付近の列車撮影から始まり、宗谷岬や旧天北線沿線を回りました。そして夕方の列車で南下して旭川で泊まりました。


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平成14年(2002年)6月2日(日)

415起床。420頃から風呂に入る。出たところで他の客がもう1人入ってきて、挨拶を交わす。今のところ雨は降っていないが、曇っている。部屋は陸側を向いているので、利尻の様子は分からない。カロリーメイトで朝食。5時からのニュースを見るが、天候は思わしくなさそう。しかしとりあえず起きたのだから行ってみよう。

520出発準備完了。食堂で準備中の奥さんに声をかけて退出。その際、外扉と内扉の間に猫の親子がいて、中に入り込んだり外に出ようとしたりして、慌てて止めた。

外に出てみると既に雨が降り始めていた。しかしここまで来ては仕方ない。車中でひげそりをしてナビの設定をして出発。5時半近くになっていた。

稚内西海岸の荒涼とした風景の中を南下する。右車窓の海岸越しに見える筈だった利尻島はまったく見えない。

目的地付近で、線路へ上がる作業員用通路はすぐに分かった。登る前に位置関係の確認を記録しようとしたら、カメラの電池が切れていたので交換。また登ろうとした矢先、特急利尻が丘の上の線路を通過していってしまった。545だった。

次の列車まで間があるが、撮影位置の下見をするために一度登ってみる。通路には左右から雨に濡れた蕗や熊笹が茂り、それが当たるのでジーンズが濡れる。かといって虫もいるので短パンで登る訳にもいかない。線路の高さまで登るのはそれほどきつくなかったが、線路脇まで熊笹などが腰の高さまで茂っており、特に雨の状態では足を踏み入れる余地はない。稚内方向に線路を少し歩くが、退避スペースは無さそうだ。これでは積雪時でないと入り込めそうにない。次に来る上りは、作業用通路の頂上部分から坂ノ下方向に撮ることにした。利尻島とは逆方向だが、どうせ見えないのだから仕方ない。610頃、一旦車に戻り、雨露で濡れたジーンズや足元を暖房で乾かす。

632に再び車外に出て、作業員通路から丘を登る。5分程度で上に到着。しばらく待ち、649に稚内方向から来た4326Dを撮影した。


7時前に車に戻り、旅行記を打つ。利尻が見えないのだから別のポイントを探すことにする。抜海駅方向へ。とりあえず抜海724の下り4321Dを抜海駅付近で狙うか。707に車を発進。

人家の無い区間で、どの車も飛ばす。時速70km以上で走っても後続車が追い付いて来るので左ウインカーを出して道を譲る。715頃、抜海駅付近の踏切で屋外に牛がいる農家を発見。ここで抜海724の4321Dを待つ。

先程、有名ポイントから抜海に向かう途中で、ナビの地図には載っていない道が海岸線から内陸へ伸びているのを見付けていたので、そこに入ってみる。その道に入って間もなく右方向の砂利道に入ると踏切があった。クトネベツ基線踏切(249.05km地点、冬季車両通行止)との表示。踏切越しに原野が広がっていれば良いのだが、そうではなかった。そこで林の間を走る風景を斜め前方から狙うことにした。風雨の中でカメラを構え直しながら待つ。スーパー宗谷2号は、予想よりも3分程遅い751に踏切を通過、撮影した。


8時に宗谷岬へ向けて出発。途中、夕日が丘展望台。抜海岬は見えるが、それ以遠はだめ。ここのトイレは、入り口に来るとセンサーで感知して明かりが点灯する。 845頃から15分程、宗谷村富磯のコンビニで休憩。

910頃、間宮林蔵渡樺の地の碑に到着。雨が降っているだけでなく、風も強いので、車の窓越しに撮影。鴎が飛んでいる。

918宗谷岬到着。外は風雨。

どのようにして撮影や散歩をしようか。しばし車中で思案。記念撮影は車内助手席に三脚を立てて、セルフタイマーのスイッチを入れてから急いで車外に出ることにした。車内からの記念撮影を試みた後、外に出てみるが、強風で傘が壊れてしまった。ガイドブックにも載っている土産物屋の柏屋は宗谷岬駐車場に隣接。土産物屋は幾つかあるが、柏屋が最も宗谷岬に近く、最も北に位置する。この店の奥には、流氷を保管して1年中展示している流氷館がある。

氷点下15度の冷凍展示室内を一巡する。短時間ならばそれほど寒さは感じない。流氷の他にアザラシなどの剥製も陳列している。流氷館入口には何故か通票閉塞機が置かれている。宗谷岬のTシャツと、最北端到着証明書を購入。この証明書は、宗谷岬の写真の入ったカードに店が印字機で日付と時刻を印字するもの、時刻まで入るという性格上返品や取り替えはお断りとの掲示。

車で宗谷岬の上の丘に登る。上は平和公園となっていて、日露戦争当時にロシア艦隊を監視した望楼、世界平和の鐘(国連本部と、石垣島及びこの場所に設置)と、大韓航空機撃墜事件(1983年)の慰霊碑などがあり、それぞれ車で近付いて車窓から撮影。



1046宗谷岬出発。しかしすぐに柏屋すぐ隣辺りにある出光の給油所に寄る。燃料は充分余裕があるが、ここは最北端の給油所であり、ここでガソリンを入れると「日本最北端給油証明書」(ほたて貝殻付)が貰えるので、それが目的。満タンで6.6リットルだった。

その後、オホーツク海沿いに一路猿払へ。山道や海岸線など、景色の良いところで停車して窓から手早く撮影してまた走る。


場所によっては時速80km前後まで出すが、もっと速い車に道を譲る。道路は当然ながら舗装されているが、凹凸も少なくない。そこが水溜まりとなっており、高速で通過すると大きな音を立てて水を撥ねる。

 1128道の駅猿払に到着。雨なので駐車場の中を車で回り、園内の建物の様子を見る。SLの10分の1サイズの常設全長200mの線路があるが、この天気では運転されていない。同じ敷地内の友好の家を見物。

1939年にソ連船インデギルカ号が猿払沖で遭難し、犠牲者の葬儀と生存者の救助を行ったこの地に1970年代になって慰霊碑が設けられ、その際にソ連領事も訪問し、友好協定を結んでいる。その際の資料が展示されているのだが、ソビエトがいかに平和的な国であるか宣伝する内容が翻訳調の日本語で書かれているポスター類が陳列されている。にこやかな顔で平和のメダルを受けるブレジネフ書記長の写真も。時代を感じさせられ、今から見ると興味深い。

12時に道の駅のレストランへ。さるふつ定食を注文。猿払村は日本有数のホタテ産地で、さるふつ定食はホタテづくしの内容。ホタテの刺身、ホタテの肝の刺身も付いている。牛乳鍋、焼いたもの、味噌汁など。刺身は中くらいの大きさの、鍋はかなりな大さのホタテの貝殻を皿や鍋の代わりに用いている。鍋用の貝殻は以前、1500万個に1個くらい採れたのを15年かけて集めたもので、今は採れないらしい。このことは、食後の貝殻を持ち帰る人がいるので、貴重品であることを喚起するために必ず説明しているそうだ。ホタテの肝は、養殖でないホタテでないと食べられないものとのことで、こりこりした食感。ちょうど観光バスのツアーが立て続けに到着し、店員が観光客にメニューの説明をしていたので、これらの知識を得た。さっきまでがらがらだったレストランがごった返している。

1230に出発。道の駅とは道路を挟んで向かい側にあるソ連船遭難慰霊碑を見てから、内陸へ転じ、鬼志別経由で西海岸の兜沼に目的地を設定する。国道程ではないが、高速走行に堪える道路。


鬼志別バスターミナルに天北線関係の展示室。建物は新しいので、鉄道時代の物ではなさそうだ。天北線の廃線跡が残っていないか注意して見るが、それらしきものは道路から目に付くところにはない。辛うじてキロポストを1本発見。


丘陵が続く風景は、スコットランドを思い出させる景色。生えているのはヒースではなく熊笹などだが、印象が似ている。晴れとは言わなくてもせめて曇りならば尚更なのだが。

兜沼駅近くの踏切でちょうど14時過ぎ。下り普通列車と上り特急サロベツを撮影。

できればもっと良い場所を探したかったのだが、通過列車の時間が迫っていたので、ここで2本撮ることになった。

サロベツ原野が見える辺りへ国道40号を途中まで南下するが、この天候では良い見晴らしは望めないので、反転して稚内へ戻る方向へ。

多少時間は余るが、今から温泉に入る程でもない。稚内公園に向かった。



公園の頂上にある北海道開基100年記念塔は、途中から霧がかかっている。少し下って樺太犬の記念碑や氷雪の門などを車窓から眺める。  1530公園内の売店前に駐車。旅行記録や荷物の整理をしてから、売店に入る。稚内温泉の濃縮したものが目に付いた。ボトル物で少し重いが1本購入。他に宗谷北線の写真集があったが、値段が高いのでその場で見るだけにした。写真は美しいが、例の有名ポイントで利尻が入っていなかった。撮影地の地図が付いていれば買ったかも知れないが。

利礼ドームを経由してトヨタレンタ指定給油所であるJOMOステーションへ。給油証明書を貰う。レンタカーの営業所へ向かう途中の道路看板が日英露3箇国語で表記されているものがあったので撮影。ロシアの船が多く出入りしているからだろう。

程なくトヨタレンタの稚内営業所に到着。その場でチェックして忘れ物がないかだけ確認して終わり。店内での手続きはない。到着時は特に返却時の伝票をくれたりはしなかったので、どのくらいの距離を走ったか、控え忘れてしまった。確か200kmを越えていたのではなかったかと思うが。気になるので稚内駅からトヨタレンタに電話して確認。196kmとのことだった。

列車の時間まで駅横の店を見物。何も買わないのにお茶を出してくれた。

◎稚内 1653→2029 旭川 スーパー宗谷4号 札幌行特急3034D  キハ261系4両編成 最後1号車=キロハ261-203

 宗谷本線の新型特急車両。振り子式ではないが、カーブを検知して若干の車体傾斜を行う。線形の関係から減速を余儀なくされる区間が多いが、それでも結構飛ばす。発車時の加速も強い。その代わりエンジン音は大きい。ロングレールではないので、線路の繋ぎ目を拾う音はせわしなく続く。加速時など自動ギア切り替え時の前後のショックが気になる。

座席は普通のリクライニングシート。1号車は半室グリーンなので、客室が小さく落ち着いている。トイレの便座は横に上げるタイプなのが面白い。デッキには花の写真(1号車はライラック)、北海道の他のスーパー特急と同様に、デッキや出入り口が広い。デッキ床の滑り止めが厳重に施されているのも同様。指定席は2A。デッキ近くの左側であり、利尻や天塩川とは逆。悪天候だからどちらでも良いが。

抜海手前の、晴れていれば絶景のポイントで検札。その後、車内販売の弁当を購入。かにめし弁当1050円。意外と食欲があり、すぐ食べる。

幌延は駅員配置駅。今回の旅程検討中に、豊富温泉に泊まる案もあり、その場合はスーパー宗谷4号からバスへの接続が1分だったので、本当に接続できるのか気になっていた。スーパー宗谷は駅本屋側1番線の発着。沿岸バスが駅前に待っているのが見えた。

ぽんぴら温泉の建物群は線路脇に見える。天塩川は線路を挟んで反対側。そろそろ日が暮れてきたので、天塩川の撮影は無理。車内販売のホットコーヒーを飲んで旅日記を打つ。美深を過ぎると外は夕暮れ。

名寄で2分停車の間に、車内販売員が名寄積み込み分の弁当を仕入れ。名寄のおばさんから賑やかに引き継ぎを受けている。車内は空いていた。1号車の半室普通車の定員は28人だが、和寒発車時での乗客は8人。これでも稚内発車時よりは微増だったように思う。長い道程であり、寝ている人が目立つ。車内販売は何度か回ってくる。最初は弁当や飲み物を買う人が多かった(発車直後は巡回前に販売員控室を訪れて弁当を買う人も続出していた)が、さすがに寝静まった状態では利用客も少なくなった。

旭川で下車。雨は止んでいた。駅前の道路を渡り、左奥にあるホテルパコ旭川に到着。チェックインして21時前に1211号室に入った。


部屋はオートロックではない旨の注意書きがチェックイン時に渡されると同時にドアにも掲示してある。テレビでホテル案内の放送をやっていた。ズボンプレッサーの他に体重計が部屋にあるのは珍しい。また、金庫が変わっていて、クレジットカードなど、手持ちの磁気カードを閉める際に通し、同じカードを通すと開けられる仕組み。クレジットカードだとデータ流出が怖いので、ルミネウィングのポイントカードで試すと正常に作動した。

その後、チャンネルを変えると北海道テレビで映画「鉄道員」を放映しているので、しばらく見る。途中で軽装に着替えて風呂に行く。大浴場は地下1階。外来客もあるためか、フロントがある。別料金でマッサージやあかすりもある。浴場には浴槽が2つ、他にバブルジェット浴槽、サウナ、露天風呂がある。地下なのに露天というのは不思議だが上は排気口のような柵が付いており外気とつながっている。脱衣場で牛乳を飲んでから部屋に戻り、「鉄道員」の続きを見た。24時近くに消灯。

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