投稿

2006年08月 富山・奥飛騨 2日目‐万葉線、富山地方鉄道、神岡鉄道

イメージ
朝の氷見線に乗車してから如意の渡しで対岸に渡って万葉線に乗車。前日に引き続いて富山地方鉄道の未乗区間を回ってから、廃止間近の神岡鉄道に乗車して、奥飛騨温泉郷で宿泊しました。 

2006年08月 富山奥飛騨 1日目 ‐ 大糸北線キハ52、黒部峡谷鉄道

イメージ
富山県と奥飛騨へ2泊3日旅行。初日はあずさ3号のグリーン席に南小谷まで乗車。キハ52で運転されていた大糸北線や14760形の富山地方鉄道特急で宇奈月まで行き、黒部峡谷鉄道に往復乗車しました。

2006年08月 東京急行電鉄・横浜高速鉄道

イメージ
この日は京急で横浜に出て、早朝から昼過ぎまでかけて東急線全線と、みなとみらい線、こどもの国線に乗車しました。当時の東急線では9000系が多く活躍し、7700系も最古参として残っていました。2000年に東急線の大幅な路線再編がありましたが、今回乗車当時の目黒線は、武蔵小杉発着でした。東横線の横浜方は2004年のみなとみらい線開業に伴い地下化していますが、渋谷方は高架の櫛形ホームが残っていました。

2006年08月 広島電鉄650形 被爆電車

イメージ
 組合派遣で広島を訪問した際に、広島の被爆電車に乗る行事に参加しました。 戦時中の広島電鉄は、徴兵による人員不足を補うため、広島電鉄家政女学校を設立。女学生が寮生活で勉強しながら車掌や運転士として乗務していました。今回の行事では、当時運転していた元女学生の体験談を聞くことができました。 被爆電車として知られている650形は3両が在籍していて、この日は貸切列車として運行されました。

2006年06月 箱根登山鉄道

イメージ
 静岡県内で1泊して、午前中は家族とともに車移動したあと、早雲山から箱根登山鉄道のケーブルカーと登山電車を乗り継いで下山して帰宅しました。現在は小田急箱根鉄道になっている箱根登山電車には新型車両が順次導入されていたものの旧‐ブルカーで型のモハ1・2形が多く残っていました。

2006年06月 湘南モノレール500系、小田急20000系あさぎり

イメージ
 1泊旅行の往路、湘南モノレール、小田急全線に乗車しました。当時の湘南モノレールは、5000系が2年前に登場していたものの500系が主力でした。小田急とJR直通運転の特急「あさぎり」は、JR東海の371系と小田急の20000系で運行されていました。

2005年07月27日 鎌倉で準備中の583系「義経」号

イメージ
 平成17年(2005年)のNHK大河ドラマ「義経」の放送に合わせて鎌倉・平泉間で運転された臨時夜行快速「義経」号に運用された583系が鎌倉駅の下り側線に待機しているところを目撃しました。おそらくこの後、逗子まで回送してから折り返して上り線に入って、鎌倉から客扱いしたものと思われます。 目次へ

2006年06月 大山ケーブル、相鉄、横浜市営地下鉄

イメージ
2006年6月の土曜に、江ノ電、JR相模線経由で出かけ、大山ケーブルに乗車しました。この当時の大山ケーブルの駅名は追分-不動前-下社間でした。(2008年に大山ケーブル - 大山寺 - 阿夫利神社に改称)運行車両も2015年に交代しましたが、2006年の乗車当時は1965年就役の「たんざわ」「おおやま」が現役でした。大山ケーブル乗車後は、相鉄と横浜市営地下鉄を再完乗。横浜市営地下鉄はグリーンラインの工事が進み、試運転が始まっていました。

東逗子イルミネーション 2024-25

イメージ
 この冬も東逗子駅前広場などでイルミネーションが実施されています。 2025年1月31日までの予定です。 目次へ

2006年05月 横須賀線、シーサイドライン、京急線、新橋停車場

イメージ
 神奈川県内の鉄道各線は一度完乗していましたが、長期にわたって再訪していない路線も多く、ここから1年ほどを目標に、神奈川県内と周辺の鉄道を乗り歩くことにしました。手始めに、この日は京急線をはじめとする東京湾岸の私鉄を巡りました。この当時、シーサイドラインの金沢八景は仮駅、京急には旧1000系、2000系、800系が健在でした。

2006年05月 新潟 2日目 - 弥彦線 他

イメージ
 前日乗車したSL「ばんえつ物語」号を新潟駅と荻川駅で撮影。その後、弥彦に寄ってから帰路につきました。

2006年05月 新潟 1日目 ‐ SLばんえつ物語

イメージ
 連休を利用して父と2人で1泊旅行に行くこととなり、列車や宿の混み具合を勘案して、「SLばんえつ物語号」に乗車して新潟に泊まるルートを考えた。「ばんえつ物語号」は、午前中の会津若松行は満席だったが、夕方の新潟行にはまだ席があった。観光地の宿泊施設は満室だが、新潟市内は比較的余裕があるようだ。3月に新宿から東武鉄道に乗り入れる特急の運転が始まり、ここから会津に出る方法もあったが、こちらは満席。そのため、新幹線の自由席で郡山まで出ることとした。

2006年04月 万世橋駅公開

イメージ
 交通博物館閉館間近の平成18年(2006年)4月に、万世橋駅遺構の一般公開がありました。 閉館間近の交通博物館 … 背後に201系が通過中 交通博物館メインホール 万世橋駅高架下通路等 万世橋駅ホーム上 … 駅名標が再現されていました。 交通博物館から万世橋駅跡の展望 目次へ

2006年03月 東海道線113系と寝台特急「出雲」

イメージ
  平成18年(2006年)3月18日のダイヤ改正で東海道線東京口から113系が引退しました。また、サンライズと並行して客車で運行されていた寝台特急「出雲」も廃止となりました。その直前、大船駅で113系と寝台特急「出雲」を捉えました。 撤退直前の113系電車は惜別のヘッドマークを付けていました。 113系と211系の並び 大船に入線する上り列車 大船を通過する上り寝台特急「出雲」 ヘッドマークを付けていない回送列車も通過 目次へ

2006年2月 除雪列車を追って新潟へ 5日目 - DD15回送列車、雪晴れの上越線

イメージ
 特雪DD14には出会えませんでしたが、小出で仕事を終えたラッセル車DD15の回送運転を撮影できました。上越線内で運用中のモーターカーなどを撮影して、雪晴れの上越線経由で帰路につきました。

2006年2月 除雪列車を追って新潟へ 4日目 - 未明のラッセル通過、只見線・上越線モーターカー、ガーラ湯沢、岩原スキー場前

イメージ
只見線を未明に通過するラッセル車の光跡を入広瀬の宿の部屋から撮影。チェックアウト後に入広瀬付近で除雪モーターカーの稼働光景を撮影、上越線でも除雪風景をとりながら移動し、ガーラ湯沢からは在来線を俯瞰撮影。岩原スキー場前付近で宿泊しました。

2006年2月 除雪列車を追って新潟へ 3日目 - 只見線代行タクシー、上越線モーターカー

イメージ
  2日目へ 平成18年(2006年)2月16日(木)  7時を過ぎてから起床。朝風呂は行わず、すぐに7時半からの朝食へ。朝食も、山菜や焼鮭など、ボリュームがある。8時に部屋に戻り、カメラバッグだけを持ち、8時半頃外出。  まずは駅方向へ向かうが、小雨が降っている。駅構内では今朝も数人の作業員が出て、除雪作業を行っている。この時間は、線路脇にある雪で詰まった排水溝を棒で掻き回して流れるようにしてから、雪の壁を少しずつ崩して排水溝に流していた。  ネット掲示板には只見線関連の情報が入っていないが、しばらく跨線橋に立ち、様子を見る。途中、跨線橋近くの川に面した雪捨場での作業を見る。雪を積んだダンプが頻繁に入り降ろして行く雪を、除雪車両が川の方へ押し出している。  一方、只見線のDD14は今日も現れない様子で、とりあえず940の列車代行タクシーで小出に出てみることにした。駅に戻り、小出までの乗車券を購入。駅は委託運営だが、きっぷはパソコン型の端末で発行。駅事務室の奥には月毎の売上目標と実績が表になっているが、厳しい情勢のようだ。 ◎入広瀬 940→1013 小出 列車代行タクシー  雪国タクシーのロゴが入ったジャンボタクシーに列車代行と小出行のシールが貼ってある。代行タクシーは駅前を定刻に発車。乗客は2名。 越後須原では委託駅員が出てきて、乗客無と伝える。越後広瀬でも運転手が降りて駅舎に向かうと、保線員らしき人が出てきて、乗客無と伝えているようだ。代行タクシーは、各駅前を1~2分早いペースで通る。小出近くでは、病院の近くで下車したい乗客の要望で臨機応変に停車。小出駅での下車は1人だった。この人数だと列車代行もタクシーで十分だった。  小出駅の待合室でしばらく過ごす。ホーム屋根の雪を線路に下ろし、それをモーターカーのロータリー機能で遠方に飛ばす作業をしていた。相変わらず只見線や上越線のネット情報はない。 ◎小出 1121→1139 小千谷  長岡行1731M 115系6両編成3両目=クハ115-1061  飯山線と分岐する越後川口までの乗車券を買って乗車。ラッセルの出る時間ではないが、モーターカーでの作業でも見学できるかという目論見。しかし、越後川口では人の気配が見られなかったので、そのまま乗り越し。小千谷手前でモーターカーでの作業を見掛けたので、小千谷で...