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2008年03月 根府川鉄橋、大雄山線、十国峠

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 廃止直前の寝台急行「銀河」などを大船駅で、根府川鉄橋で寝台特急「富士・はやぶさ」などを撮影した後、大雄山線に乗車。さらに十国峠のケーブルカーにも乗車しました。

2008年02月 北総鉄道、総武流山電鉄他

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 成田スカイアクセス線の工事が始まっていた北総鉄道、流鉄に改称直前の総武流山電鉄、現在は京成電鉄と統合している新京成電鉄などを訪問しました。 平成20年(2008年)2月11日(月祝)  仕事の繁忙期で一昨日の土曜日まで連続20日出勤、昨日と今日は久々の連休である。1週間前の日曜日に降った雪が、まだ僅かに残っている。 ◎東逗子 934→1047 錦糸町 千葉行914S→915F E217系11両編成 先頭=クハE217-39  逗子での増結はなく、すぐに発車。その代わり、大船では時間調整の停車が3分程あった。横浜では上り新ホーム建築工事のため、線路の西口側が大きく掘られている。一方、旧東横線橋脚は撤去が進んでいる。  この先の乗継ぎを検討しながら進む。北総鉄道線の運転本数が少ないのがネック。品川では新ホームがほぼ完成して、3月からの運用開始を待っている。錦糸町到着時に少し後ろの車両に移動して、急いで隣の緩行線ホームに行く。 ◎錦糸町 1048→1050 亀戸 津田沼行 E231系10両編成先頭=クハE231-28 ◎亀戸 1057→1105 曳舟 曳舟行 2両編成ワンマン先頭=クハ8655  2面1線の行き止まりホームには2両編成が止まっているが扉は閉まっており、後から来た列車が先に折り返す。こちらも僅か2両編成。車内も座席の4割近くが埋まる程度でのんびりした雰囲気。線路は複線。駅間距離は短く、ゆっくりとした速度で進む。終点の曳舟手前で高架線に上るが駅手前で単線になり、2面2線10両編成対応の本線ホームが並ぶ構内の片隅にある短い片面ホームに到着した。  接続待ちの間に、上り「スペーシア」と下り「りょうもう」が通過して行った。 ◎曳舟 1115→1118 押上 中央林間行 急行 東京地下鉄08系10両編成 4号車=08-405  曳舟を発車すると、すぐに高架から地下に入る。 ◎押上 1126→1133 青砥 青砥行 急行 京急1500系8両編成 6両目=1909  車内は空いている。6両目の乗客は7名だったが、終点では4名に減っていた。 ◎青砥 1137→1139 京成高砂 成田空港行 特急 8両編成6両目=3416 ◎京成高砂 1143→1218 印旛日本医大 印旛日本医大行 京急1500系8両編成 先頭=1724  高架線の新柴又から利根川を渡ると地下線に...

1925年04月 最南端から最北端へ100年前の机上旅行 4日目 - 函館発稚内行急行1列車

  100年前の時刻表を使った机上旅行です。鉄道省線最南端の志布志から最北端の稚内を目指す架空旅行記の4日目は、函館発稚内行の夜行急行で、ついに終点の稚内に到着します。 大正14年(1925年)4月4日(土) 3日目 深夜1時過ぎの長万部で補助機関車を連結したのではないかと思うが、時刻表上は通過扱い。深夜の寝台からは様子が窺えない。発車の際に汽笛が2回鳴ったような気がするが、これは本務機と補機で加速のタイミングを合わせるものだったのだろう。ここから山線区間に入り、カーブを走行している感覚はある。函館では積雪も無かったが、客車の灯りが僅かに照らす線路周辺は、雪が深いようだ。 未明の倶知安で給炭を兼ねてか7分停車して421発。昨夜の函館はそれほど寒くなかったが、今朝はだいぶ冷え込み、早朝の外気は氷点下になる。峠を1つ越えた小沢から更に峠を越えて銀山を通過する辺りで夜が明けると、周囲は一面の銀世界で、雪山に囲まれた峠を、列車は黒煙を上げて越えていく。山間部を抜けて余市を543に発車すると、左手遠方に石狩湾が見えてくる。ここから更に峠を抜けると小樽に625着。幕末から船の行き来があって、早くから港湾が整備され、大正12年(1923年)には小樽運河も完成している。ここで補助機関車を切り離して、小樽632発。 南小樽から複線区間に入る。空知地方で産出される石炭の輸送需要が高く、設備増強が続いている。朝里手前から銭函までは石狩湾の海岸に沿って走る。海岸を離れて石狩平野の雪原を横切り、札幌に近づいた辺りで、根室から函館まで長距離運転する急行4列車とすれ違う。札幌には720着。札幌では駅弁が販売されている。明治時代の創業当時の駅弁は、幕の内弁当にあたる「上等弁当」とすし、おにぎりの3種類だったが徐々に種類が増え、大正12年(1923年)に発売した「石狩鮭めし」は焼き鮭の身をそぼろにして白米にのせたもの(後に改良を重ねて令和の時代までのロングセラーになる)。また、札幌では明治30年代から販売されている名物の「柳もち」もある。小豆のこしあんを小判型にまるめた中に白い餅の入った生菓子なので、後で食べることにしよう。札幌では6分停車して726発。寝台の解体を待ってから弁当を広げるが、ロングタイプの座席なので食べにくい気がする。 岩見沢は室蘭本線や幌内線の分岐駅。運炭列車が行...

1925年04月 最南端から最北端へ100年前の机上旅行 3日目 - 常磐線経由急行801列車、青函連絡船

 100年前の時刻表を使った机上旅行です。鉄道省線最南端の志布志から最北端の稚内を目指す架空旅行記の3日目は、常磐線経由の急行801列車に青森まで乗車して青函連絡船に乗り継いで北海道に渡りました。当時の常磐線・東北本線は大半が単線通票閉塞でした。青函航路は自動連結器導入後の貨物列車航送に備えて車載客船が新造導入されたところです。 2日目へ 大正14年(1925年)4月3日(金) 常磐線は、国有化前の日本鉄道の時代には海岸線と呼ばれていた。内陸を通る東北本線と比較して海側という意味で、実際にずっと海岸に沿って走る訳ではなく、列車が通過するのも深夜なので景色は期待できない。東北本線と比べて勾配が少ないので、走行が安定している。東北本線経由の急行よりも停車駅が少ない。上野を出ると2323の土浦まで通過駅が続く。土浦から更に1時間以上無停車で、日付が変わった水戸と平でで8分ずつ停車。 440に原ノ町を出ると夜が明けてくるが、列車は海岸から離れた場所を通る。阿武隈川の長い橋梁を渡って岩沼手前で東北本線と合流。 801列車も洋食堂車(座席数24名)を連結している。この列車では朝5時の開店と同時に朝定食時間となる(9時まで)。運営会社は仙台ホテルだが、昨日の下関・東京間2列車と同じ金額設定なので、内容も似ているのではないかと思われる。再掲すると、果物・オートミール・鮮魚又は魚のフライ・ハムエッグス・トースト・コーヒー又は紅茶という内容で90銭。一方、仙台606着615発で9分の停車時間があり、駅弁の販売もあるので、見比べて駅弁にするか食堂車にするか考えよう。 仙台を出て岩切を通過すると塩釜への支線が右へ分岐していく。江戸時代から日本三景の一つとされている松島海岸を眺めたいところだが、利府を通過した列車は山間部を通るため、松島は見えない。 717発の小牛田は石巻線と陸羽東線の分岐駅。両方向へ折り返す汽車が待機している。8時で寝台使用時間が終わり、列車給仕が車内を巡回して寝台を解体して座席に整えてくれる。一ノ関には820に着き、5分停車。一ノ関からは大船渡線の工事中で夏には摺沢まで開通予定。当初は千厩経由で気仙沼までほぼ一直線の経路で計画されていたのが、前々回大正9年(1920年)の総選挙で摺沢が地盤の議員が当選し、途中で左折して摺澤に向かう経路に変更された。この先、千厩や気...

1925年04月 最南端から最北端へ100年前の机上旅行2日目 - 特別急行2列車で東京へ

 100年前の時刻表を使った机上旅行です。鉄道省線最南端の志布志から最北端の稚内を目指す架空旅行記の2日目は、特別急行2列車を東京まで乗り通し、山手線未開通部分は市電で上野まで移動して、常磐線の夜行急行に乗り継ぎました。 1日目へ 大正14年(1925年)4月2日(木) 岡山を530に発車して間もなく夜が明ける。たまに薄目を開けて夜明けの水田を眺めてまた寝たりしていたが、7時のモーニングコールで起き上がる。 次の姫路は713着718発。後の山陽電気鉄道となる神戸姫路電気鉄道が大正12年(1923年)に姫路駅前に乗り入れたところ。姫路城天守閣は車窓から見えるだろうか。周囲に高い建物は無かったようだが、停車中は駅舎が視界を塞ぐので、到着前や発車後に左車窓に目を凝らす。 姫路の次は1時間ほどで神戸だが、この間に食堂車で朝食とする。朝の洋定食は90銭で、6時から9時までの営業。定食内容は、果物・オートミール・鮮魚又は魚のフライ・ハムエッグス・トースト・コーヒー又は紅茶となっている。姫路を出て40分程、明石を通過して舞子から須磨にかけて、列車は海岸付近を通る。右車窓に、明石海峡を挟んで淡路島も見える。舞子浜は明治天皇が7度も訪問された景勝地で、明治33年(1900年)に兵庫県で最初の都市公園が開設された。 寝台の使用時間は20時から翌朝8時までなので、ちょうど朝食の間に寝台が解体されて、食堂車から戻ると座席仕様になっていた。 神戸、三宮と続けて停車して、淀川の長い鉄橋を渡ると大阪に到着して6分停車。駅前には阪急電車が乗り入れて京阪神間を頻繁運転しているが、省線の東海道本線は電化されていない。また、高架化前なので、地上のホームを汽車のみが行き交う。 京都でも5分停車。京都から大津まではトンネル続きの新線区間。旧来は京都を出ると、今は奈良線の一部となった稲荷まで南下してから25‰の急勾配と旧逢坂山トンネル、連続するカーブを経て府県境を越える難所だったが、大正10年(1921年)に東山トンネルと新逢坂山トンネルが開通したので、京都・大津間は10.1哩(マイル)から6.1哩に短縮して勾配やカーブも緩和された。しかし電化はしていないので、京都発車直後の長いトンネルでは、どうしても蒸気機関車の煙が車内に入り込んでしまう。気密性の低いデッキには立たずに、車室内で窓をしっかり閉めてや...

1925年04月 最南端から最北端へ100年前の机上旅行 1日目 - 志布志から矢岳越え、関門航路、特別急行2列車

 手元に時刻表があると、実際に出掛けなくても乗継経路を組んで机上旅行を楽しめます。それは現在の時刻表に限らず、過去の時刻表から、当時の旅を想像することもできます。 令和7年(2025年)4月1日にJTB時刻表が創刊100周年を迎えた機会に、創刊号である大正14年(1925年)4月号(当時は「汽車時間表」)の復刻版を参照して、鉄道省線の最南端から最北端までの早乗り継ぎの経路を組んでみました。  →経路を紹介した過去記事はこちら 大正14年4月号の路線図に載っている省線の駅では、志布志線の志布志が最南端、宗谷本線の稚内が最北端です。省線以外も含めると、南には南薩鉄道と大隅鉄道、沖縄県営鉄道の路線があり、北には樺太鉄道がありましたが、今回は鉄道省線に限定して、志布志から稚内までとしました。当時の稚内駅は現在の南稚内駅付近にありました。 乗継経路を組んだところで、当時の情報を色々と集めて、旅日記風にまとめました。 当時の物価を考える指標として、大卒サラリーマン初任給は月給50~60円くらい、米の値段は1升(約1.5kg)で50銭、タクシー初乗り運賃は1哩(マイル)60銭だったそうです。JTB時刻表の前身である汽車時間表は1冊50銭でした。鉄道省線の通行税込み初乗り運賃は2哩まで3等6銭、2等13銭、1等20銭でした。(鉄道の距離の表示が「km」になったのは1930年からで、1哩は約1.6km) 志布志から稚内までの運賃料金は、3等座席車のみだと概算で29円ですが、夜行3連泊なので、奮発して1等寝台利用だと概算で109円、食堂車の食事などを含めると130円くらいかかりそうです。初任給2か月分を超える贅沢旅行になります。 「時間表」にはカメラの広告も掲載されています。8円50銭程度の初心者向けから90円以上の高級品まで扱われていました。ただし、後にフィルムカメラの主流となる35mmサイズの普及のきっかけとなったライカは、この春にドイツの見本市に出展されたばかりで、まだ普及していませんでした。今回、カメラを持参する(という想定にする)か迷いましたが、遠距離移動のなかで機材やフィルムが嵩張ること、関門海峡や津軽海峡周辺に撮影禁止エリアもあることを考慮し(本当の理由は、この時代の写真で著作権フリーなものが見出せなかったため)カメラを持たない旅行にしました。 この頃の...

2007年頃 鉄道博物館

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 平成19年(2007年)10月14日に鉄道博物館が開業し、少し経ってから訪問しました。 目次へ

2007年12月 成田空港・芝山鉄道、上野駅の北斗星

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携帯電話会社のキャンペーンをきっかけに成田空港を訪問し、10月に再訪しきれなかった芝山鉄道や京成電鉄に乗車し、帰りには上野駅を発車する寝台特急北斗星1号を眺めました。

2007年11月 一畑電車とサンライズ出雲

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 職場の写真サークルの撮影旅行で、出雲地方を訪問して、帰路にサンライズ出雲を利用しました。

2007年10月 京成・北総線・ユーカリが丘線~柴又と矢切の渡し

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この日は、京成線や山万ユーカリが丘線に乗車。柴又を散策し、矢切の渡しの渡船にも乗りました。

2007年09月 長野県 3日目 - 小海線のキハE200、碓氷峠鉄道文化むら

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 佐久平から小海線のハイブリット列車で小諸に出て、しなの鉄道で軽井沢へ。JRバスで碓氷峠を下り、横川の鉄道文化むらを見物しました。

2007年09月 長野県 2日目 - 辰野、姨捨

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鹿教湯温泉を発ちバスで松本に抜け、荷物電車改造のクモハ123が走る辰野ルートを回ってから反転して篠ノ井線へ。姨捨で途中下車して列車撮影等を行い、小諸から再び小海線に戻って、佐久平で宿泊しました。 

2007年09月 長野県 1日目 - 小海線ハイブリット気動車キハE200系

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 平成19年(2007年)7月に運行開始した世界初のハイブリット気動車に乗車し、小海線経由で上田に回り、鹿教湯温泉に宿泊しました。

2007年08月 長崎 2日目 - 長崎平和祈念式典、島原鉄道で加津佐まで

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 寝台特急「あかつき」から特急「かもめ」に乗り継いで長崎入りして、平和祈念式典に参加した後、島原鉄道に乗車。当時の島原鉄道は加津佐までの運行でしたが、年度末で島原外港から先の廃線が予定されていました。

2007年08月 長崎 1日目 - 寝台特急「あかつき」

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平成19年(2007年)8月に長崎を訪問するにあたり、京都から諫早まで寝台特急「あかつき」のソロに乗車しました。

2025年03月改正後 横須賀線E235系11号車銘板

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 横須賀線列車は2025年春にE235系1000番台が出揃い、E235系の基本編成は49編成となりました。当初はE217系のときと同じ51編成だったものが、運用やメンテナンスの見直しで2編成減少したようです。 東逗子駅は改札が東京寄りにあり、東逗子から上り列車に乗ろうとすると一番改札に近いのが11号車です。11号車の車内端部に貼付されている銘板だけの写真を撮りためたので、以下にアップします。 クハE235-1001(F-01編成) クハE235-1002(F-02編成) クハE235-1003(F-03編成) クハE235-1004(F-04編成) クハE235-1005(F-05編成) クハE235-1006(F-06編成) クハE235-1007(F-07編成) クハE235-1008(F-08編成) クハE235-1009(F-09編成) クハE235-1010(F-10編成) クハE235-1011(F-11編成) クハE235-1012(F-12編成) クハE235-1013(F-13編成) クハE235-1014(F-14編成) クハE235-1015(F-15編成) クハE235-1016(F-16編成) クハE235-1017(F-17編成) クハE235-1018(F-18編成) クハE235-1019(F-19編成) クハE235-1020(F-20編成) クハE235-1021(F-21編成) クハE235-1022(F-22編成) クハE235-1023(F-23編成) クハE235-1024(F-24編成) クハE235-1025(F-25編成) クハE235-1026(F-26編成) クハE235-1027(F-27編成) クハE235-1028(F-28編成) クハE235-1029(F-29編成) クハE235-1030(F-30編成) クハE235-1031(F-31編成) クハE235-1032(F-32編成) クハE235-1033(F-33編成) クハE235-1034(F-34編成) クハE235-1035(F-35編成) クハE235-1036(F-36編成) クハE235-1037(F-37編成) クハE235-1038(F-38編成) クハE235-1039(F-39編成) クハE235-1040(F-40編成...