青函地域旅行の帰路は函館から北斗星2号に乗車。食堂車の朝食を堪能しながら、優雅に帰京しました。
2000年12月 青函地域 3日目 - 弘南鉄道大鰐線と廃止直前の下北交通大畑線
旅行3日目は大館を出て弘南鉄道大鰐線に乗車して弘前市内を散歩してから下北半島に向かい、廃線直前の下北交通大畑線に乗車しました。下北交通終点の大畑駅には、平成13年3月31日の廃線を前に「ラスト・ランまであと118日」と表示していました。
2000年12月 青函地域 2日目 - 津軽鉄道ストーブ列車、五能線
寝台特急「あけぼの」で弘前に到着し、津軽鉄道のストーブ列車に乗車しました。その後五能線に乗車。艫作で途中下車して夕刻の黄金崎不老不死温泉に入浴。日没後、東能代から奥羽本線に乗り継いで、大館で宿泊しました。
2000年12月 青函地域 1日目 ~ 寝台特急あけぼの
西暦2000年の冬は、津軽海峡を挟んで青森県と北海道函館を訪問しました。寝台特急「あけぼの」で出発し、津軽鉄道のストーブ列車に乗車、五能線や弘南鉄道に乗った後、廃線直前の下北交通(旧・大畑線)に乗車して、大間崎からフェリーで函館へ。帰路は寝台特急「北斗星」を利用して、短い日程に色々と盛り込みました。
初日は仕事から帰ってから寝台特急「あけぼの」で出かけました。
2000年09月 長野 4日目 ~ 長野電鉄2000系特急、篠ノ井線冠着越え、他
旅行4日目(最終日)は、当時2000系で運行されていた長野電鉄の特急で長野に戻り、晴天の下、篠ノ井線の「日本三大車窓」の一つである姨捨付近を通って塩尻へ。そこから特急あずさで帰路につきました。
2000年09月 長野 1日目 ~ 長野新幹線長野でJR線・旧国鉄線完乗
平成12年(2000年)9月15日に、長野新幹線長野で、JR線と旧国鉄線(国鉄・JRから第三セクター等に転換して鉄道として営業している路線)を全線完乗しました。完乗の際には大学鉄道研究会の同期に祝ってもらい、その後、離合集散しながら長野県内のJR線・私鉄線を乗り歩きました。
当日の撮影は顔出しの記念写真が多かったので、このブログに掲載できた写真は普段の記事よりだいぶ少なめになっています。
2000年08月 五日市線 他 ~ JR完乗まで残り1線
6月に仙石線のあおば通・仙台間に乗車して、JR未乗区間は長野新幹線と五日市線を残すのみとなりました。この日は、五日市線に乗車すると共に、JR東日本が実施していた「トレイング2000」のため、乗車済の相模線、青梅線、武蔵野線、埼京線にも立ち寄りました。
2000年06月 仙台・三陸方面(後半)- 岩泉線、山田線 キハ52
宮古で1泊した後、早朝の岩泉線を往復乗車。その後、山田線経由で盛岡に出て、新幹線で帰路につきました。岩泉線は平成22年(2010年)の土砂崩れでの運休から復旧することなく平成26年(2014年)に正式廃止、山田線も後に駅の廃止が相次ぎ、この記事で通過時に撮影した浅岸駅も平成28年(2016年)に廃止となりました。
2000年06月 仙台・三陸方面(前半)- あおば通、遠野、751系はつかり、八戸線タブレット
この旅行では、夜行バスで東北入り。この時点で東北のJR乗りつぶしは殆ど済んでいて、仙石線の仙台・あおば通間を残すのみとなっていましたが、JR東日本が実施していた「トレイング2000」に挑戦のため、乗車済線区の幾つかについて、それぞれ半分以上に乗車するプランとしました。
1999年11月 横須賀線113系メモリアル号
当ブログ開設から100本目の記事は、平成11年(1999年)11月に運転された「横須賀線113系メモリアル号」です。
横須賀線から113系が引退する間際の平成11年(1999年)11月13日(土)と14日(日)に、東京駅の地上ホームから川崎経由で横須賀まで113系の臨時列車「横須賀線113系メモリアル号」が運転され、13日に乗車しました。
1999年09月 東北 4日目 - 秋田内陸縦貫鉄道 急行「もりよし」、花輪線代行バス、後生掛温泉
4日目は秋田から角館まで秋田新幹線で移動し、1993年の旅行時に台風によるJR遅れで乗れなかった秋田内陸縦貫鉄道に乗車。その後、後生掛温泉に泊まりました。途中、花輪線は9月27日から10月1日までの予定でデータイムの列車を運休して代行バスを運転していました。
1999年09月 東北 3日目 - 山形新幹線工事中の新庄駅、陸羽東西線、由利高原鉄道、男鹿線
旅行3日目は古川から陸羽東線を進み、新庄では山形新幹線の延伸開業を控えた工事中の駅内外を見ることができました。その後、陸羽西線で日本海側に出て、由利高原鉄道、男鹿線に乗車してから秋田市郊外の温泉に宿泊しました。