1997年8月 九州(5~6日目)甘木線、香椎線、日田彦山線、天ヶ瀬温泉、筑肥線、唐津線、松浦鉄道 他

 旅行後半に入った5~6日目は、「ドリームつばめ」を大牟田で下車して、西鉄で甘木まで行って甘木鉄道で折り返し。筑豊各線を乗り歩いて天ヶ瀬温泉に宿泊。西九州に転じて筑肥線、唐津線、松浦鉄道などを乗り歩いて佐世保に宿泊しました。

1997年8月 九州(3~4日目)錦川鉄道、ドリームにちりん・つばめ、肥薩線 他

 旅行3日目は錦川鉄道、岩徳線、美祢線、仙崎支線に寄って山陰本線の西端部を経由して下関に到着。ここから船で門司港に渡り、「九州旅行」3日目の夕方にようやく九州上陸となりました。ここから「ドリームにちりん」「ドリームつばめ」の夜行2連泊を挟んで平成筑豊鉄道、肥薩線、三角線などに乗車しました。

1997年8月 九州(1~2日目)長い寄り道~嵯峨野観光鉄道、片町・東西線、因美線急行「砂丘」

 この年の夏休みは九州方面に出掛けましたが、往路は色々と寄り道をしました。


新幹線を京都で下りて、嵯峨野観光鉄道に乗車してから奈良線・片町線・JR東西線経由で姫路に出てから姫新線で津山泊まり。急行「砂丘」の通票通過授受撮影してから広島に泊まりました。九州旅行と言いつつ、最初の2日間はまだ本州です。

1997年1月 JR久留里線

 平成9年(1997年)の正月にJR久留里線を訪問しました。

旅日記は残していませんが、通票(タブレット)閉塞だった当時の写真があったので掲載します。当時は信号機も腕木式でした。

2024年3月ダイヤ改正の横須賀線・東逗子関連情報

 時刻表3月号が2月24日に発売されました。

今回のダイヤ改正の目玉である北陸新幹線の敦賀延伸開業については多くのニュースが出ているので、ここでは東逗子を中心に横須賀線部分の分析をしました。

1997年7月 大井川鉄道

平成9年(1997年)7月12~13日 大井川鉄道


 職場の写真サークルのメンバーで、大井川鉄道の撮影に出掛けました。往復自家用車で、寸又峡温泉に1泊。天候は大雨でした。旅日記は付けていないので、写真のみ公開します。

1997年8月16日 真岡鐡道

平成9年(1997年)8月16日に真岡鐵道と関東鉄道に乗車してきました。

1997年2~3月 津山方面(後半)-因美線タブレット閉塞・急行「砂丘」、三木鉄道、北条鉄道、梅小路蒸気機関車館

 旅行3日目は姫路から姫新線で津山に行き、因美線内を往来しながら急行「砂丘」の通票通過授受などを撮影しました。その後、急行「だいせん」で車中泊。播但線経由で京都に回り、梅小路蒸気機関車館を見てから帰路につきました。

1997年2~3月 津山方面(前半)-ムーンライトながら、樽見鉄道、関西空港、和田岬線

 この旅行では、JR因美線に残る急行「砂丘」の撮影をメインに、往復の経路で未乗路線の乗りつぶしをしてきました。往路は夜行快速「ムーンライトながら」で出かけて、樽見鉄道、湖西線、関西空港線に寄りながら姫路で宿泊しました。

1996年10月12日 軽井沢・万座日帰り

 北陸新幹線の長野開業まで1年余りとなった平成8年(1996年)秋、横川・軽井沢間の碓氷峠を中心に、日帰りで撮影に出掛けました。帰りには吾妻線にも寄りましたが、夕方のため、こちらは写真が残っていません。 

1996年8月 北陸(後半)-白川郷、越美北線、金沢、神岡鉄道、ムーンライトながら

 旅の後半は、白川郷から長良川鉄道に抜け、JRバスで連絡していたルートで九頭竜湖に回り越美北線に乗車。金沢に宿泊して市内観光の後、神岡鉄道に乗車して高山本線回りで再び岐阜県側に出て、「ムーンライトながら」で帰京しました。 

1996年8月 北陸(前半)- 急行「能登」、京福電気鉄道、のと鉄道(蛸島・輪島)、白川郷

 令和6年(2024年)元日に発生した「令和6年能登半島地震」で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様にお見舞い申し上げます。

 この記事の公開時点で、能登半島地震から1か月近く経過しました。被害の様子が連日報じられているものの、この記事で訪れた各地がどうなっているのか、心配でなりません。鉄道は1月22日に七尾まで運転再開し、能登中島までは2月中旬頃の運転再開を目指しているとのことですが、能登中島・穴水間の開通時期は1月末時点で未確定です。また、道路網や水道などのライフラインも各所で寸断しています。

 被災地の皆様の暮らしが一日も早く回復することを祈念いたします。

 令和6年能登半島地震被災直前ののと鉄道は和倉温泉・穴水間に縮小されていましたが、平成8年当時は和倉温泉・輪島間と穴水・蛸島間で、のと鉄道の営業区間が最大でした。

 この旅行前半は、489系電車で運転されていた夜行急行「能登」で北陸入りし、雨晴、東尋坊・京福電気鉄道に寄ってからJR・のと鉄道の七尾線・能登線を経由して能登半島先端の狼煙で宿泊。翌朝は木ノ浦回りで輪島へ。七尾線で金沢に戻り、城端線からバスに乗り継いで、白川郷に宿泊しました。

1996年4月 秋田 - ビュー日光、秋田リレー号

 平成8年のゴールデンウィーク前半に、大学鉄研の同期と秋田方面に出掛けました。
 会社の配属で栃木県宇都宮市に住んでいた同期の車に同乗するため、宇都宮までは臨時特急「ビュー日光号」、宇都宮からは車に同乗して秋田県へ。当時は秋田新幹線の工事で運休中だった田沢湖線の代替で運転されていた「秋田リレー号」の走る北上線沿線で撮影して湯田温泉泊まり。翌日は寒風山をドライブしてから男鹿線を往復して秋田泊まり。翌日は大曲まで送ってもらって、「秋田リレー号」から北上乗換で帰りました。
 旅日記は付けていないので、写真のみ掲載します。

1996年2月 長野旅行(後半)-善光寺、明知鉄道、名鉄軌道線とパノラマカー、遠州鉄道、天浜線、急行「東海」

 旅の後半は善行寺詣りをしたあと中央西線回りで、明知鉄道や名鉄線、遠州鉄道や天竜浜名湖鉄道などに寄りながら、急行「東海」で帰宅しました。この頃の特急「しなの」は381系が健在でした。明知鉄道には通票閉塞が、名鉄には岐阜市内を中心に軌道区間が残っていました。

1996年2月長野旅行(前半)ー 越後線、飯山線、長野電鉄、長野駅旧駅舎

 この旅行では、新潟・長野両県の雪景色を楽しめる路線を乗り継ぎ、中央西線経由で東海地方にも立ち寄りました。前半は信越本線経由で新潟県に入り、豪雪地帯の飯山線をはじめ、越後線の未乗区間をつぶし、長野電鉄を乗り歩きました。

1995年9~10月 身延線 急行「富士川」最終日と特急「ふじかわ」初日

平成7年(1995年)10月1日のダイヤ改正で身延線の急行「富士川」が特急「ふじかわ」に昇格しました。 

1995年9月 房総・飯田線 ー 小湊鉄道、いすみ鉄道、飯田線、佐久間レールパーク

 中央夜行の車中泊を挟んで、房総半島のローカル線とJR飯田線という異色の組み合わせて旅したときの記録です。 当時、飯田線の中部天竜駅構内にあった「佐久間レールパーク」を見学しました。

1995年7~8月 山陰 5~7日目 - 石見銀山、SLやまぐち号(重連)、小野田線クモハ42、木次線、城崎、出石、100系ひかり食堂車

  山陰旅行の終盤は石見銀山(世界遺産登録の12年前)に寄ってからC56+C57重連でマイテ49を連結したSLやまぐち号、クモハ42が残っていた小野田線に乗車。ムーンライト九州で車中泊して木次線経由で山陰に戻って城崎に宿泊。出石を観光して、食堂車営業をしていた100系ひかりで帰りました。

1995年7~8月 山陰 3~4日目 ー 一畑電車、急行「砂丘」、湯原温泉、松江市

 山陰旅行の3日目は急行「だいせん」で明け、旧型電車の残る一畑電車で一畑薬師参詣のあと再び急行「砂丘」に乗り、姫新線に乗り継いで湯原温泉泊まり。4日目は伯備線経由で山陰側に戻って松江に泊まりました。

1995年7~8月 山陰 1~2日目 - ドリーム京都、急行「砂丘」タブレット授受、餘部鉄橋夜景

 平成7年の夏休みは山陰地方を中心とした旅で、関門海峡を越えて門司港にも足を伸ばしています。また、因美線を走る急行「砂丘」の通票(タブレット)通過授受が残っていたので、旅の始めと中盤に寄って撮影しました。

往路となる1~2日目は、ワイド周遊券の経路として利用可能であったJRバスの「ドリーム京都」から前年に運行開始した特急「スーパーはくと」で智頭に向かいました。智頭から因美線を行き来して急行「砂丘」の通票授受を車内外から撮影。その夜は餘部鉄橋の夜景を撮影後、急行「だいせん」で車中泊。若かったので夜行2連泊でも平気でした。

1995年3月 江ノ電

 近くの江ノ電沿線を撮影したときのものです。

1995年1月 秩父鉄道タブレット

 一眼レフカメラを購入して初めて出かけたのが秩父鉄道。

影森・三峰口間で廃止間際のタブレット交換を撮影してきました。

1994年7~8月 北海道 6~7日目 ー 北海道ちほく高原鉄道、はまなす、白鳥

 旅の終盤では、北海道ちほく高原鉄道に乗車。札幌で土産物を購入してから、急行「はまなす」、特急「白鳥」、2階建新幹線の「Maxとき」と乗り継いで帰宅しました。

1994年7~8月 北海道 4~5日目 ー 深名線、石北本線、知床

急行「利尻」のキックターンで夜を明かした後、廃止1年前の深名線に乗車しました。

名寄から旭川に回り、常紋信号所に停車する臨時特急に網走まで行き、原生花園を見学して斜里に泊まりました。翌日は知床半島を観光しました。 

1994年7~8月 北海道 3日目 ー C62ニセコ

 この日は函館を出発して、長万部から函館本線のいわゆる「山線」に入り、ニセコからC62ニセコに乗車しました。夜になってから札沼線に新十津川から乗車しましたが、こちらはあまり写真が残っていません。